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成績劣等生から技術者までの道のり(私の体験) [教育]

  先日投稿した「必要は発明の母なり』につけ加える言葉」の中に、かつては成績劣等生だった私が技術者になれたのは、偏差値教育に毒されずにすんだおかげだと書いた。
  中学一年までの成績が良くなかったことは、通知表を見れば明らかである。小学校時代の成績表には、優や秀などあるわけもなく、<良上>なる評価が最上のものだった。
  そのような状況にあろうと、当時の私は成績のことにはほとんど無頓着だった。両親からも先生からも、勉強をせまられることはなかったし、私のまわりの遊び仲間たちも、成績を気にしているとは思えなかった。戦争が終わって間もない頃だったから、誰もが生きることに精一杯で、学校の成績を云々するどころではなかったのかも知れない。
  そんな時代であろうと、子供たちが旺盛な好奇心を失うはずはなく、理科クラブにはたくさんの生徒が入っており、好奇心が強い私もそのひとりだった。先に記した「
電気は怖い……感電事故の体験」はその頃のできごとである。
 今の子供たちは学校に加えて塾に通うなど、まさに勉強に追われるような日々を送っているわけだが、私の子供時代は、遊びが中心であって勉強はむしろ二の次だった。そのことが、その後の人生にとってマイナスになったとは思えない。今の日本は子供たちから遊びを奪い、勉学の意義だけを説いているように見える。子供の生きがいは遊べることにあるはず。今のようなあり方を続けていて良いのだろうか。
  私の小学生時代に話をもどす。ある日のこと、教師である父が保管していた書物の中に、「子供の科学」という古い雑誌を見つけた。掲載記事の内容を思い返してみると、昭和の初期に発行されたものと思われる。電磁石など電気に関わる記事が多く、電気に関する技術の未来予測なども載っていた。そのうちのピアノ自動演奏機に関する記事が、小学生の私を強くひきつけた。私は思った。学校にはまだピアノはないが、木琴ならたくさん置かれている。木琴を自動で演奏する機械を作れば、それを使って音楽を楽しめるはずだ。この雑誌の記事を参考にすれば、そんなに難しくはなさそうだ。
 木琴自動演奏機を開発すべく、私はいくつもの図面を描いた。それがどんなものであったか、手書きの図面を今でも思いうかべることができる。しばらくは熱中した木琴自動演奏機だったが、やがてそれをあきらめた。今にして思えば、簡単な原理であって、さほどに費用を要しないものではあるが、小学生の私にしてみれば、金銭的には手が出せないことが明白だった。木琴自動演奏機から離れたもうひとつの理由は、関心が鉱石ラジオに移ったからであろう。
  やがて私は鉱石ラジオを作るのだが、父がラジオを買ったのを機に、関心はさらに真空管ラジオへと移り、ついには独学でラジオの勉強を始めるに至った。小学校6年生では鉱石ラジオの知識しか持たなかった私だが、中学3年生になった頃には、真空管の原理や5球スーパーラジオの動作原理まで、基本的なところは理解できていた。様々な書物を読んでそこに至ったのだが、中でも大いに役立ったのが、同級生の大国君から借りた「NHKラジオ技術教科書」だった。御令兄の蔵書だったというその書物を、ひと月以上も借り続けたように記憶している。中学生の私には難しかったけれども、それが少しも苦にならず、夢中になって書物を読み進めていった。
私の成績はいつの間にか良くなり、成績劣等生から抜け出していた。私がそのように変われたのは、ラジオを勉強したからではないか。そして、成績が悪いことを気にもしないで、自動演奏機やラジオに取り組むことができたのは、偏差値教育が導入される以前であったため、その影響を受けずにすんだからではないか。断言するほどの自信はないものの、私にはそう思えるのである。私自身のそのような体験が、小説「防風林の松」に反映されている。
  今の落ちこぼれと称されている子供たちにも、そこから抜け出すチャンスが訪れるだろうか。偏差値教育に毒された子供は、成績劣等生の烙印をおされたならば、そこから脱却すべく努めるよりも、早々に諦めてしまうような気がする。
 先日投稿した「『必要は発明の母なり』につけ加える言葉」(8月19日投稿)に引用した文章を、くどいようだが再度引用したい。
私が書いた小説「防風林の松」(電子書籍として、forknとDLmarketにて公開中)に、次のような文章がある。主人公が友人と交わす会話の一節である。

小説「防風林の松 第一章」より引用
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。・・・・・・」
「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。
「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」
 ・・・・・・坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」(引用おわり)

「防風林の松」は、青春小説とも呼べる恋愛小説であり、教育を主題とするものではないが、主人公の若い技術者が元は落ちこぼれだったとされているので、学業成績や偏差値教育に関わる記述が幾度も現れる。この小説の序章にも、おわりのところに次のような文章がある。

「防風林の松 序章」より引用
・・・・・・あれから十六年の歳月が流れて、僕は今ここにいる。日本を遠く離れたロンドンで、ようやくにして絵里に祝福の言葉を贈ることができた。自分の未熟さを意識し続けることから、どうにかこれで決別できそうな気がする。・・・・・・それにしても、人生とはほんとうに不思議なものだ。僕は中学校の一年生まで成績劣等生だった。その僕が、今は技術者としてこんな生き方をしている。あのオーディオ装置が僕の部屋になかったならば、そして、あの時期に僕が音楽につよく惹かれなかったならば、僕はどのような人生を歩むことになっただろうか。(引用おわり)

  これは、ドイツでの国際学会に参加した主人公がロンドンに立ち寄り、かつての恋人に会ってその幸せを祝福した後、帰国途上の機中で懐古と感慨にひたる場面である。
 この小説の99%は創作であり、私自身の体験はせいぜい1%しか入っていないが、「技術者としての人生を多分に投入できた」との想いがある。非才に拘わらず小説に取り組み、非才がために苦労したゆえの、きわめて個人的な感慨かも知れないのだが、少しでも多くのひとに読んでもらいたいと願っている。

 偏差値教育に関わる記事を続けて投稿したわけだが、この件についてはまだ書きたいことがある。もう少し考えたうえで、続きをさらに投稿したいと思う。

2016年4月12日 追記
「防風林の松」の公開先を変更し、アマゾンの電子書籍であるキンドル本に変更した。

2020年7月29日 追記

小説「防風林の松」と「造花の香り」は、小説投稿サイトの「カクヨム」や「小説家になろう」で読むことができる。

 付記

2015年9月24日に投稿した「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方が良さそうだ」なる記事では、私が小学生時代から読書に親しんだことも、成績劣等生から抜け出せた理由のひとつだろうと書いた。


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頑張るお父さん

楽しく拝見させて頂いてます。
塾、学校と忙しくしている息子に記事を読ませたところ、ラジオを作ってみたい!と反応がありました。早速次の休みにでもチャレンジさせてみたいと思います。
by 頑張るお父さん (2015-08-25 07:47) 

名古屋の伯父さん

コメントのご記入ありがとうございます。ブログの使い方に不慣れであったとは申しましても、ご返事がかくも遅れましたことお詫び致します。
コメントを頂戴してから数ヶ月が経っております。御子息はラジオを作ってみたいとのこと、如何でしたか。
昔のラジオ作りは、まさに手作りといった感がありましたが、今では状況が変わっているかと思います。中身の見えないICであっても、それをつなぎ合わせたラジオから音が出たなら、完成できた喜びは得られることでしょう。
御子息は塾に通っておいでとのことですが、勉強を身に付けるうえで重要なことは、受け身で学ぶのではなく、学びたいから学ぶということでしょう。かつての落ちこぼれだった私には、そのように思えます。学びたいと思うだけの理由ができたため、意識しないままに集中力が高まり、落ちこぼれから抜け出せたような気がしています。私が今の時代に小学生や中学生であって塾に通っていたとしても、それだけでは落ちこぼれから抜け出せないような気がします。
このような文章を書きましたのは、子供を塾に通わせる風潮に疑問を抱いているからであって、頑張るお父さんさんの教育方針に異を唱えるつもりは全くございません。誤解なきようお願い致します。
頑張るお父さんさんのご指導のもと、御子息に洋々たる将来が開けますように。

by 名古屋の伯父さん (2016-01-09 14:57) 

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