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車の開発と技術者の執念・・・・・・マツダ車のパンフレットをみて [車]

マツダのディラーからもらった資料の中に、「THE STORY OF MY MAZDA」なる冊子がある。見開きの最初に「マツダのモノづくりの考え方」とあるこのパンフレットは、むろんマツダ車の宣伝用に作られたものだが、読んでみたらなかなかに面白い。車の設計や製造に力を注ぐ様子やマツダの歴史が、簡潔かつ簡明に描かれているのだが、その記事が「技術者の執念」なる言葉を思い出させた。


私が「技術者の執念」なる言葉に惹かれたのは、40年以上も昔に参加した、ある年のテレビジョン学会全国大会でのことである。撮像管(注)の仕事に関わっていた私は、撮像素子に関する部門講演を興味深く聴いたのだが、その講師は恩師のひとりである和田正信先生(元東北大学工学部通信工学科・電子工学科教授)だった。


テレビカメラの中で光の像からテレビの電気信号を作るのは、撮像素子と呼ばれる特殊な部品である。40年前に使われていた撮像素子は、真空管の一種である撮像管であり、現在使われている固体撮像素子はまだ研究段階にあった。ソニーなどによるCCD方式と、日立によるMOS方式が、開発に向けて競り合っていた頃である。和田先生の講演は固体撮像素子に関わるもので、CCD方式とMOS方式の可能性について語られた。


講演が終わると、会場から質問がなされた。「CCD方式とMOS方式の可能性について語られましたが、ふたつの方式のいずれが実用化され、使われるようになると考えておいででしょうか」
和田先生の答えは、「いずれの方式が商品化され、使われるようになるのか、その決め手になるのは開発に関わる技術者たちの執念でしょう。より強い執念をもって取り組んだ側の方式がモノになり、商品化に成功するでしょう」であった。


それから数十年を経たいま、CCD方式とMOS方式はいずれも進化をとげて、テレビカメラやデジカメさらには携帯電話に多用され、大いに役立っている。どちらの側の技術者たちも、開発に向けて執念を燃やし続けた、ということであろう。


「THE STORY OF MY MAZDA」の記事を読み、優れた車(車としての性能と安全性や快適性など)の開発に対する執念を感じたのだが、私がそのように受け取った根底には、マツダに対する私の先入観も影響しているのかもしれない。ロータリーエンジンを実用化した世界で唯一のメーカー。ハイブリッド車に迫る燃費を実現すべく、エンジンの改良に執念を燃やして、成果をあげつつあるマツダ。


THE STORY OF MY MAZDA を読んでこのような記事を書いたが、トヨタなど他のメーカーで車に関わる人たちも、良い車を目指して執念を燃やしているはず。きょうのタイトルは「車の開発と技術者の執念」だが、車にかぎらず多くの工業製品の分野で、そして日本の各地で、多くの人が執念を燃やしているにちがいない。「モノづくり」に心血をそそいでいるその人たちが、その情熱を抱き続けることができるように、企業には充分に配慮してもらいたいものである。


(注)撮像管
テレビカメラのレンズを通して作られる光学像を、テレビ用の電気信号に変える真空管であり、テレビの黎明期からその黄金時代に至るまでを支えた。昭和30年代に使われたのは、イメージオルシコンとビジコンの2種類であったが、昭和50年代になると、新しく開発された幾種類もの撮像管が、用途に応じて使いわけられていた。半導体による撮像板の実用化に伴い、昭和60年代には半導体素子に切り替えられていった。なお、撮像管は真空管の仲間とはいえ、光学像を電気信号に変換するための部分には、半導体同様に固体物理に基づく技術が関わっている

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