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ノーベル物理学賞の中村修二氏のあだ名が「スレイブナカムラ」だった理由 [政治および社会]

12月16日に投稿した「将来の日本人ノーベル章受賞者」で言及した中村修二氏は、青色発光ダイオードの発明によってノーベル賞を受けたのだが、Wikipediaによれば、その発明に対して会社から与えられた報奨金は2万円だったという。アメリカに渡った中村氏からそのことを聞かされた研究者仲間たちは絶句し、あまりに低い対価に甘んじていた中村氏を、「スレイブ・ナカムラ」とあだ名したという。


今ではずいぶん変わっていると思われるが、かつての日本では、職務の中で大きな発明などの業績をあげても、ささやかな報奨金しかもらえないのが一般的だった。「その業務を行うために給料をもらっているのだから、それが当然である」と考えられていたのであろう。2015年8月27日の記事「技術開発をチームで推進する場合の問題点」に書いたように、私はかつて会社から報奨金をもらったことがある。ちょうど給料ひと月分に相当する金額だったから、ずいぶん嬉しかったものである。


私は撮像管(付記1)のビジコンに関わっていたのだが、他社がRCA社(付記2)とノウハウ契約を結んでいたのにたいして、私が勤務していた会社では外部から情報が入らなかった。RCAからの情報をもとに新製品を出す他社と渡り合うため、まだ入社して数年目だった私は、独力でビジコンの改良に取り組み、RCA社の製品を上回る感度が得られるようになった。その経験を書いた本ブログの記事を、付記3に列挙しておく。


 私の業績がなければ、おそらく数年後には、私の会社でのビジコン生産は終わっていたはずであり、数年後の新しい工場の建設も無かったことだろう。にも関わらず、私はむしろ冷遇されることになった。私が幾度も遅刻したことや、組合活動に積極的に参加していたこと(付記4)、上司に対する不満を口にしたこと(それを上司に告げ口されて、部長からきつく叱責されたこともあった)など、考えられる理由は幾つもあるが、数十年前の日本では充分にあり得たことであろう。小説「防風林の松」(私が初めて書いた小説であり、本ブログ左サイドバーにその概要を表示してある。アマゾンの電子書籍であるキンブル本になっている)の主人公は、しばしば会社に遅刻しながらも業績をあげるのだが、結果的には会社を去ることになる。遅刻を繰り返しながらも、仕事に執念を燃やす姿に、私自身の経験が幾分かは投影されている。


「スレイブナカムラ」なる言葉に、ひと頃しばしば聞かされた「社畜」なる言葉が思い出された。今になって思えば、私に対する給与ひと月分の報奨金も、あまりにも少なすぎる金額だったのではないか、という気がする。「技術立国日本」であり続けるためには、経営者の不当な超高額報酬を大きく削り、社員の報酬を上げてその努力に応え、さらなる努力を促すべきだろう。膨大な内部留保を積み上げ、経営者が超高額収入を得る一方で、社員が低賃金で働かされる社会は、長期にわたる自民党政治によってもたらされ、温存されてきた。この国で働く技能実習生(事実上は極端な低賃金で働かされる労働者)などの外国人や、極端に不利な条件で働かされている非正規労働者の賃金を大幅に増やして、社会に明るさと活気を取り戻すためにも、政権交代の可能性がある国にしたいものである。


付記1 撮像管

テレビカメラの中で、光学像をテレビ信号に変える役割をはたす真空管。今では超高感度カメラ用にのみ使われ、一般には半導体の撮像素子が使われている。

 

付記2  RCA社

テレビの歴史に名を残す会社で、撮像管やカラーテレビの方式など、主要な技術の多くを発明し、実用化した。アメリカで1919年に創立されたこの名門企業は、ビデオディスクの開発に係わる膨大な出費と、その商品化にともなう商業的な失敗により、1986年には姿を消す結果となった。RCA は Radio Corporation of America の略称である。
  この会社が出していた赤い表紙の RCA Review  には、撮像管に関わる論文も数多く掲載されていた。ひとり暮らしのアパートにそのコピーを持ち帰り、夜おそくまで読みふけったことが懐かしく思い出される。小説「防風林の松」を書くに際して、主人公に同様の体験をさせることになった。

 付記3
技術開発をチームで推進する場合の問題点(2015.8.27)
文部省・・・・・・・・至る所に紙の山あり(2016.11.1)
・インターネットで再会!・・・・・・自分がかつて開発した製品の写真に!(2016.11.6)




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