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IQテストは受けない方がよい? [教育]

私は小学生の頃に知能検査を受けたことがある。今のIQテストも同じようなものと思うが、これは何を目的にしたものだろうか。テストの結果が良かった生徒に対し、その結果が知らされたなら、その子供に自信を与えるであろうが、結果が悪かった子供に対しては、どのように伝えられるのだろうか。それとも、子供たちには結果が知らされず、教育上の参考資料にされるのだろうか。印象に残る試験だったからであろう、自分が受けた知能検査の内容を、私は今でもかなり覚えているのだが、その結果を知らされた記憶はない。


中学1年生の頃だったと思うが、同級生のAが言った。「Bはすごく頭がいいんだぞ」と。根拠を訊くと、「知能検査をBと並んで受けたけど、あいつはすごい速さで答えを書いていたんだ」と答えた。私は思った、そうであるなら、おそらくBは頭がいいのだろう、たしかに彼は利口そうに見える。


知能検査に際して、その意義が教師から説明された記憶はないが、同級生との間で上記のような会話があったのだから、生徒たちは「知能検査は頭の良さを測るものさしである」と認識していたことになる。「Bはすごく頭がいい」と言ったAは、隣席のBよりかなり劣っているように感じたことで、「自分は頭が悪いようだ」と思い込んだ可能性がある。


私の成績がまだ悪かった頃のことだが(付記参照)、そのことをさほどに気にかけていなかったように、自分の知能検査の結果にも無関心だった。私自身はそうであろうと、上記の同級生Aは知能検査を気にしていたようである。中学校を卒業するまでのAの成績は芳しいものではなかったらしいが、もしかすると、知能検査の成績を意識していたことが、悪い方向に作用したのかも知れない。そのような弊害がありそうなIQテストは、子供たちの害になっても益にはならないはずである。

 

2016年12月5日に投稿した「子供の心理と学校での成績・・・・・・注目すべき実験の結果」は、アメリカの小学校で行われた実験に関わる記事である。自分の能力を肯定的にみるよう暗示された生徒は、その後の成績が伸びてゆくことが、実験的に確かめられた事例である。IQテストにかぎらず学校で行われる試験は、子供達に大きな影響を及ぼすにちがいない。成績の悪い子供たちに対しては、よほどうまく向き合わなければ、本来ならば伸びて行くべき子供たちの芽をつぶすことになろう。


日本の教育現場では、教師たちの多くが過重負担にあえいでいるという。教師には、ひとりひとりの子供たちに向き合うだけのゆとりが無さそうである。アメリカから輸入する兵器に膨大な予算をさく自民党だが、教育に関わる予算をもっと増やして、教師にかかる負担を軽減すべきであろう。トランプの要求に応えるよりも、教育現場からの要望に応えてほしいものである。


付記

本ブログに幾度も投稿してきたように、中学1年生頃までの私は成績が悪かったのだが、3年生の頃にはかなり良くなっていました。


   成績劣等生から技術者までの道のり)(2015.8.23投稿)



青い部分をクリックすれば当該記事を読むことができます。


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ダム偏重の治水対策がもたらした災害 [政治および社会]

11月16日のMSNニュースに、ハーバービジネスオンラインの記事「肱川大水害で最大級の被害地域で見た、無治水の惨状。ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」が転載されている。筆者は牧田寛氏(著述家・工学博士とのこと)である。


この記事によれば、本年7月の西日本豪雨により、肱川(愛媛県)が氾濫して大きな被害がもたらされたのは、「ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」だという。暴れ川として有名な肱川でありながら、ダムに偏重した治水対策がおこなわれ、堤防がなおざりにされてきたことが、今回の災害をもたらしたという。記事の一部をここに引用させてもらう。


ハーバービジネスオンラインの記事「肱川大水害で最大級の被害地域で見た、無治水の惨状。ダム偏重による行政の倒錯と怠慢が生んだ人災」より一部を引用


・・・・・・肱川左岸を望むと、なんと堤防がありません。堤防の代わりに土饅頭(土を盛っただけのもの)が並んでいる箇所があります。堤防が破堤したとしてもここまで破壊されることはまずありませんので、この土饅頭は堤防の残骸ではありません。
  ・・・・・・肱川は暴れ川として有名な一級河川です。しかも治水機能を持つ多目的ダムが上流に二箇所あり、さらに支流に一箇所建設中です。そのような河川に無堤箇所などある訳がないのです。ダムを建設しても下流に近代的な大規模堤防が建設されていなければ、ダムは治水機能をまともに発揮できません。むしろ最悪の場合、ダム自身を守るための緊急放水によって下流は見殺しにされます。
・・・・・・ 度重なる中規模氾濫のために地元との同意の上で鹿野川ダムと野村ダムが、中規模洪水に対応した操作手順となり、大規模洪水への対応が限定的となっていることは広く報じられているとおりです。過去60年間、鹿野川ダム下流域の少なくとも20km近い区間で治水事業をまともに行ってきていない以上、ダムの治水機能は十分には発揮できません。極端なダム偏重治水事業の結果としてダム下流域の無治水状態が60年経っても解消されず、結果として本来ダムが担当すべき大規模洪水への対応を放棄したところに起きたのが平成30年7月7日水害すなわち肱川大水害と言えます。
 運悪く堤防完成が間に合わなかったのではなく、ダム建設のための治水事業という本末転倒によって菅田地区堤防完成が平成45年予定だったという行政の倒錯と著しい怠慢が原因と言って良いです。(参照:おおず市議会だより 2015年2月)
 しかも、平成23年9月水害だけでなく、過去に多数回、堤防治水などの不備による中規模氾濫が鹿野川ダム完成後に起きており、堤防、水門、排水施設の整備が火急の課題であることはわかりきっていたことです。
 にもかかわらず堤防、水門、排水施設の整備を怠り、治水のためのダム建設でなく、ダム建設のための治水と断じてよいほどの本末転倒なダム偏重治水行政を行っていたことについて、国土交通省、愛媛県の責任は極めて重大というほかありません。また、そのようなきわめて異常な肱川独特の治水事業にお墨付きを与えてきた「有識者」「学識者」の存在にも注目すべきでしょう。  (引用おわり)


ダムを作る代わりに堤防を作っておいたなら、9人もの死者をだした7月の災害は防げたはずである。


民主党政権が八ッ場ダムの建設を中止しようとした頃、最も有効な治水は堤防の整備であってダム方式ではない、との議論があった。その論拠には充分な説得力があると思ったのだが、極めて強力な建設推進派の力に押され、民主党政権の建設中止案は撤回される結果になった。


この国では公共工事が着手されると、多くの場合、それが無駄なものとわかっても中止されない。その例外と言えるのが、膨大な費用を費やしたあげくに、着工から37年が経過した2000年に中止された中海干拓事業(国営中海土地改良事業)である。あきらかに無駄なものと見なされるに至っても、工事は国によって押し進められ、膨大な費用を無駄にしてから中止された。


牧田寛氏は「本末転倒なダム偏重治水行政を行っていたことについて、国土交通省、愛媛県の責任は極めて重大というほかありません。また、そのようなきわめて異常な肱川独特の治水事業にお墨付きを与えてきた「有識者」「学識者」の存在にも注目すべきでしょう。」と書いたが、さらに言葉を加えてほしいと思う。「肱川のことにかぎらず、国は多くの過ちを犯してきた。そのような過ちを防ぐためにも、国民はまともな政治家を選び、政治をしっかり見張っていなければならない」

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ハヅキルーペの代わりに100円ショップの老眼鏡 [雑感]

近くのホームセンターに立ち寄ったところ、通路の目立つ場所に幾つものメガネが並べてあった。近寄ってみると、テレビのコマーシャルで見かけるハズキルーペである。その中の度の強いものを試用してみると、度の強い老眼鏡(細かな作業用に100円ショップで度の強い老眼鏡を買い、虫眼鏡の代わりとして使っている)に近いものだった。軽くてかけやすい利点はあるが、価格に見合う価値があるとはとうてい思えない。


テレビのコマーシャルに頻発するハズキルーペだが、異様に高価なこの拡大鏡を、どれほどの人が買うのだろうか。多量に売れていると思われるが、おそらくは買った人のかなりが、無駄な買い物をしたと後悔しているのではないか。アマゾンの口コミ評価には、そのような書き込みがあるに違いないと思い、アマゾンのサイトを訪ねてみた。


アマゾンを訪ねてみると、ハズキルーペに関わるカスタマーレビューには多くの書き込みがある。案の定と言うべきか、価格に見合う価値が無い製品として、最低レベルに評価する書き込みも少なくはない。広告につられて買ったことを後悔する人や、製造原価は500円程度と推定する書き込みも見られる。たしかに、ホームセンターに並んでいたハズキルーペは、1000円以下で売っても利益がでそうな製品だった。


機器の点検や故障修理は、可能であれば自分で行おうと思っている。そのような際に役立つのが、100円ショップで買った度の強い老眼鏡で、虫眼鏡よりも便利に使える。ハズキルーペがどんな新製品を出してこようと、多額の広告費を含む高額なその製品を買うことなく、これからも、100円ショップの製品を使おうと思っている。


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薩長に対する会津の遺恨と日本に対する中国と韓国の遺恨 [政治および社会]

11月2日に投稿した「会津藩の後裔は言う『明治150年と言うが、こっちは戊辰150年。悲しみに暮れる150年です』」なる記事で、明治維新に対する会津藩の末裔たちの思いを書いた。


理不尽かつ不当な扱いにより、塗炭の苦しみを与えられた会津人の思いは、150年を経てもなお、その末裔たちに遺されている。本来ならば、薩長藩閥政治の名残があった戦前のうちに、薩長側から謝罪すべきだったと思うが、そのような動きはなかったらしい。それどころか、薩長史観を全国民に押しつけ続け、あげくのはてに太平洋戦争の敗北に至ったのだが、この国には未だに薩長史観の残渣が多々ありそうである。社会が激変した戦後になっても、明治維新に関わった者たちの功が賞賛されるのみで、罪の面を見ようとする人は少ないらしい。そして、会津藩の後裔たちは、150年を経た今もなお、戊辰戦争にまつわるわだかまりを抱いている。


戊辰戦争は150年前のことだが、日本が中国に軍を進めて、中国人に多大な痛苦と損害を与えたのは、まだ70年あまり前のことであり、多くの被害者がまだ存命している。その中国では、日本軍を悪役にしたテレビドラマが繰り返し放映されてきたという。朝鮮が日本の植民地から解放されてから、まだ70年あまりである。会津藩の後裔が150年前の戊辰戦争にわだかまりを抱き続けていることを思えば、中国人や朝鮮人の日本に対する感情がいかなるものか、論じるまでもなかろう。


韓国で行われた先月の国際観艦式に、海上自衛隊の護衛艦は参加しなかった。韓国側から要請があり、自衛艦旗である旭日旗の代わりに、国旗である日章旗を掲揚するよう求められたため、観艦式への参加を見送ったわけだが、日本人の中には、韓国の要求に不快感を抱く者がいたであろう。ユダヤ人がカギ十字旗に対して抱く感情ほどではなかろうと、朝鮮人は旭日旗に不快感を抱くようである。そのような朝鮮人に対して一部の日本人は反発しているが、そのような日本人も、会津藩の後裔たちの思いは理解できるはずである(薩長史観を離れて明治維新を観ることができれば)。学校教育で、第二次世界大戦までの歴史をしっかり教えてきたならば、嫌韓・嫌中感情を抱く若い世代の人口が、さほどに増えることはなかったであろう。


日本に関わる近現代史に無知な日本人の増加は、近隣諸国との関係に悪影響を及ぼすだろう。中学や高校での歴史教育では、近現代史の部分はなおざりにされてきたわけだが、安全保障の観点からも、その部分をしっかり教えるべきだろう。その方が、自民党が望む愛国心教育よりも有益に思える。


かく言う私にも、中国や韓国・朝鮮に対する不満は多く、腹立たしく思うことも少なくはない。とはいえ、それらの国と良好な関係を築くことができなかったなら、先行きに不透明感が増している世界情勢の中で、日本は困った状況に陥るかも知れない。


トランプはアメリカファーストを呼号し、アメリカ本位の政策を推し進めようとしている。そのアメリカは昔から自分本位のやり方を通してきた。自民党はそんなアメリカに固執し続けるが、その傘がいつまでも頼りになるのだろうか。

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会津藩の後裔は言う「明治150年と言うが、こっちは戊辰150年。悲しみに暮れる150年です」 [雑感]

数十年にわたるNHK大河ドラマの中には、「翔ぶが如く」「八重の桜」「獅子の時代」「龍馬伝」など、明治維新にかかわるものが幾つもあった。今年は明治維新から150年ということで、林真理子原作になる「西郷どん」が放映されている。


例によってと言うべきか、放映中の「せごどん」も、西郷や大久保の功績を称揚する展開になっている。その功績に異論を唱える者はいないだろうが、称揚のみに終えてよいのだろうか、と思うひとも多いにちがいない。明治維新の過程で多くの血が流されたのだが、薩長史観を離れて観る歴史家によれば、無駄に流された血の多くに責任を負うべきは薩長側にあるという。


10月23日から朝日新聞夕刊に連載された「戊辰の敗者をたどって」は、朝敵とされたあげくに苦難の道を歩まされた150年前の会津藩と、その後裔たちが抱いている今の思いを取り上げている。その文中に、会津藩後裔の「明治150年と言うが、こっちは戊辰150年。悲しみに暮れる150年です」という言葉が紹介されている。敗者としての会津側に寄り添った記事だが、薩長側の非を責める文言はない。


明治維新から続いた藩閥政治は、山縣有朋が死んだ大正時代に終わったとされているのだが、昭和になっても薩長史観は幅をきかせていたようである。「戊辰の敗者をたどって」のなかに、〈・・・・・・昭和に入っても尋常小学校の国定教科書で、「会津は官軍にてむかった」「城中の者はたうたう力が尽きて降参した」と書かれた・・・・・・〉なる文章がある。


薩長軍による蛮行や人権蹂躙と、戦後に押しつけられた苦難に対する恨みが、会津藩の後裔たちに戊辰戦争へのこだわりを遺しているようである。その一方で、薩長側の後裔たちには、「偉大なる明治維新を成し遂げた薩長」との強い思いがありそうである。山口県出身の安倍首相は、8月に行った鹿児島県での演説で、「薩長で力を合わせて、新たな時代を切り開いていきたい」と言ったという。「戊辰の敗者をたどって」には、そのような安倍首相に対して、福島在住の作家星亮一氏の「一方的に会津に賊軍のイメージを植え付けた明治政府は間違っていたと、今の政府が認めたらいい。それも長州の首相がいる間に」なる言葉が記されている。


米軍普天間飛行場の辺野古移設問題では、多くの沖縄県民が反対しているのだが、自民党政府は移設工事を強行しようとしている。沖縄に過重な基地負担を押しつけ続ける安倍首相には、「会津人」たちの声に耳を傾ける度量があるのだろうか。

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