SSブログ

衰退してゆく日本を救うためには・・・・・・池澤夏樹氏の言葉に思う [政治および社会]

1月10日に投稿した「子供たちの未来を食い物にする日本という国」は、朝日新聞に掲載された池澤夏樹氏の「国の未来を食い物に」に触発されて書いた記事である。


1月9日の朝日新聞夕刊に掲載された、池澤夏樹氏による記事「国の未来を食い物に」は、このような文章で締めくくられている。
 《出産や育児、教育の現場から遠いところに地歩を占めた男どもが既得権益にしがみついて未来を食い物にしている。彼らは日銀短観四半期より先は見ないようにしている。原発のような重厚長大産業に未来がないことを敢えて無視し、女性を押さえつけ、子供の資産を奪い、貧民層を増やしている。
 2016年の「保育園落ちた日本死ね」というブログの言葉はこの異常な国家の姿への呪詛だった。
  事態は変わっていない。》


池澤氏の記事は、平成時代がどんなものかを振り返って書かれたものだが、日本が抱える問題点は、それより以前の昭和時代に始まっている、と言えるだろう。さらに言うなら、明治以来の薩長藩閥政治によって植え付けられた国民の意識に問題があるのではないか。「お上」の方針に疑問を抱くことなく、素直に従うべく教育された国民は、周辺の諸国民とともに辛酸をなめる事態に至った。そんな体験を経た結果として、戦後は民主主義社会になった。戦前とは様変わりした世になってから数十年は、選挙での投票率が高かったのだが、今では信じられないほどに低い投票率になっている。


今の日本は多くの憂鬱な問題を抱えているが、その責を負うのは長らく政権を担ってきた自民党である。立憲民主党などの野党に弱点があろうと、政権交代がもたらす効果に期待すべきであると思うのだが、自民党に対する支持率が40%であり、他党を引き離している。若い世代に自民党支持者が多いという。長らく政権を担い続けてきた自民党に対して、若い世代は「お上意識」を抱いているのだろうか。


学校教育の場で教えてほしいものである、「幸せな人生を生きたければ、政治をしっかり見張ること」と。アメリカなど他の国ではやっていることだが、自民党支配のこの国では、偏向教育として糾弾される可能性がある。


政権におもねって公文書すら改竄される国である。朝日新聞などがその非をあばいても、国民が政治の過ちを裁断しなければ、政治の改善は進まないだろう。衰退してゆく日本を救うためには、たとえ一時的な停滞や混乱が予想されても、政権を適宜に交代させる必要がある、と私は思う。

nice!(0)  コメント(0) 

沖縄県に独立を促しているのか、自民党政府は [政治および社会]

1月6日に投稿した記事「戦争の時代を生きた青年たちの声が聞こえる。『幸せな人生を生きたければ政治を見張れ』」は、朝日新聞に掲載された福島申二記者による記事「上からの弾圧より怖いのは」を紹介したものである。 その記事の後半は次のような文章になっている。
 
  ・・・・・・もうひとつ、応召して水兵になった横須賀海兵団時代の句(渡辺白泉の句)も忘れがたい。〈夏の海水兵ひとり紛失す〉
 海に落ちるかして水兵が行方不明になったのだろう。それを「紛失」と表すことで、人がモノのように扱われる非情さを万の言葉にも増して暗示する。
 去年の秋以降は、国会の審議にこの1句を思い出すことが多かった。
 外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法の改正は、粗雑と拙速をきわめる審議に終始した。新たな法には、自分がそうしろと言われたら耐えられないようなことを、他人(外国人)には求める冷ややかさが垣間見えている。
 ・・・・・・国会審議の過程で、凍死、溺死、自殺などで3年間に69人もの実習生が死亡していることがわかった。だが、そのことへの見解を問われた首相は「私は答えようがない」と突き放した。白泉の詠んだ「水兵ひとり紛失す」の非情さが重なるのは、このあたりの政官の姿勢だ。

福島記者の「外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法の改正は、粗雑と拙速をきわめる審議に終始した。新たな法には、自分がそうしろと言われたら耐えられないようなことを、他人(外国人)には求める冷ややかさが垣間見えている。」なる文章は、外国人労働者の受け入れに関わるものだが、沖縄に対する自民党政府は、沖縄の同胞たちに対しても同様に、冷ややかに過ぎると私には思える。


2017年5月7日に投稿した「朝日新聞の記事に想う・・・・・・基地すべて押しつけおかばおのが身は安泰なるか日本(やまと)の国は(中村文子)」なる記事でも、沖縄県民が呼ぶ「ヤマトンチュウ(沖縄以外の日本人をさす)」が、沖縄に対して冷ややかに過ぎることを書いた。


表だって話題になることはないものの、沖縄には独立を希望する人が少なくはないという。自民党が沖縄に対していまのような態度をとり続けたなら、沖縄県民の不満はさらにたかまり、独立運動が活発になるかも知れない。そうなれば、尖閣諸島問題や竹島問題どころの話しではなくなる。そんな事態になったとき、保守系の政治家たちはどんな態度にでるのだろうか。


きょうのタイトルは「沖縄県に独立を促しているのか、自民党政府は」だが、沖縄に無関心な日本人に対しても、同様の問いかけをしてみたい、という気がする。

nice!(0)  コメント(0) 

色弱を矯正できるメガネ [身体と健康]

2018年12月25日に投稿した「白内障手術を受けて」のなかで、術後の眼では、それまで白く見えていたはずのものが青みがかって見えるようになったと書いた。それは私にかぎらず、白内障手術を受けた人のほぼ全ての人が体験することらしい。高齢になると眼の水晶体が黄色みを帯びるようになるため、青い光に対する感度がやや低下する。手術によって透明なレンズが挿入されると、色彩感覚が若い頃にもどり、青い光に対する感度が高くなる。高齢になれば程度の差はあっても、誰もが色弱になるということである。充分な視力をもつ高齢者であろうと、青い光に対する感度は低下しているわけだが、色を補正するレンズのメガネを使えば、色を正常に視ることができるはずである。


そのような色弱補正用のレンズが市販されているのではと思い、ネットで調べてみたら、幾つかのメーカーで作られていることがわかった。高齢者用としてではなく、色弱の人のためのものである。色弱であろうと日常の生活で苦労することはないと思われるが、そのメガネを使えば、微妙な色彩を扱う業務にも従事できるのだという。


私が大学に進学したのは60年あまり以前だが、当時は色覚異常と判定された人には選べない進学先が幾つもあった(理系の学部や色彩を扱う学部など)。最近はどうであろうかと思い、ネットで調べてみたら、今では進学先どころか職業についても、かなり自由に選べるようである。大正時代から色覚検査で使われてきた石原式色覚異常検査表なるものは、軽度の色弱をも検出可能な方式ゆえに、それによって異常と判定されても、日常生活に支障を来すどころか、職業を自由に選べる場合が多いようである。


耳や鼻の感度が人によって異なるように、正常な色覚の所有者と呼ばれる人であろうと、一人ひとりの色彩感覚にはばらつきがあるのではなかろうか。そうであるなら、多少の色覚のずれがあろうと、問題のない場合が多かろう。私が若かった頃には、理系の学部に進みたくても進めなかった人が多かったはずだから、石原式色覚異常検査表というものは、多くの人を悲しませてきた、ずいぶんと非人情な存在だった、と言ってよさそうである。


右眼はまだ視力が1.0なので、医師からは白内障手術を受ける必要はないと言われているが、どうせ受けることになるのであれば早い方が良さそうに思える。今年中の涼しい時期に受けようと思っている。 それまでの期間を、80年あまりをかけて色弱になった眼で世の中を見ておきたい、と思う。手術を受けた後で黄色味を帯びたメガネを使いさえすれば、手術前の感覚に簡単に戻ることはできるのだから、気にするほどのことでもないが。 


nice!(0)  コメント(0) 

子供たちの未来を食い物にする日本という国 [政治および社会]

1月9日の朝日新聞夕刊のコラム「終わりと始まり」に、「国の未来を食い物に」なる記事が掲載されている。筆者は作家の池澤夏樹氏である。ひとりでも多くの人にこの記事を知ってもらいたいがため、文章の一部を引用しつつ、記事を紹介したいと思う。

その記事はこのような文章で書き始められる。
 
   日本は少しずつ衰退してゆくという印象はどこから来るのか。
  平成が終わると聞いて振り返れば、この30年はずっと微量の出血が続いてきたような気がする。フクシマの汚染水に似ている。
   経済について言えば、最初にあぶく景気があったがそれはすぐにはじけた。余禄に与ってはしゃいだ人は国民の何割くらいいたのだろう。
  それ以来、政治は明らかに劣化、格差の拡大を止められなかった。倫理の面でも、現政権ほど虚言と暴言を放出する閣僚たちは記憶にない。これが今も一定の支持を得ているところがすなわち劣化である。 ・・・・・・・・・・
  人々はSNSなどを通じて思いを述べるようになったが、それは思いであって考えではない。その結果、反知性主義が世を席巻し、世論はネトウヨとブサヨの二極に分かれた。


日本が衰退してゆく印象の主原因である少子と高齢化に対して、日本の政治は全く無策であったとして、池澤氏は公的教育費の少なさを例にあげている。公的教育費の対GDP比率は、日本は3.47%であり、世界で114位だという。北欧諸国は軒並み7%台、37位のフランスは5.46%、59位のアメリカは4.99%とのこと。防衛予算が増やされ続ける一方で、教育は犠牲にされたままである。


池澤氏は続ける。
・・・・・・・・いつから、どうして、日本はこれほど子供たちへの出費をケチるようになったのだろう?教育費は未来への投資である。・・・・・・教育は長期的な国力を養う。
  今、日本の教師たちは雑務に追われ、残業を強いられ、肝心の子供たちと過ごす時間を削られている。本来は最も創造的であるはずの仕事なのにその余裕がない。・・・・・・
  女性の社会進出を測る「ジェンダーギャップ指数」で日本は149カ国の中の110位。
・・・・・・・・
  更に、「債務残高の対GDP比」という統計を見ると、先進国中で日本は236%と断トツの1位。アメリカの108%の倍を超える。・・・・・・・・
  国債というのはつまり次世代からの借金である。・・・・・・今のように怪しげな信用の上に立って借金を増やすのは、子供の資産の強奪ではないか。いずれ必ず到来する彼らの困窮を前提にして現世代が浪費を重ねているのではないか。

 

長いその記事は、以下のような文章で終わっている。


  以上三つの統計から見えるこの国のかたち。
  出産や育児、教育の現場から遠いところに地歩を占めた男どもが既得権益にしがみついて未来を食い物にしている。彼らは日銀短観四半期より先は見ないようにしている。原発のような重厚長大産業に未来がないことを敢えて無視し、女性を押さえつけ、子供の資産を奪い、貧民層を増やしている。
  2016年の「保育園落ちた日本死ね」というブログの言葉はこの異常な国家の姿への呪詛だった。
   事態は変わっていない。


本ブログの「政治および社会」カテゴリーに書いてきた主張と重なる部分が多い。私は池澤夏樹氏の主張に全面的に同意する。池澤氏は言う「教育費は未来への投資である。・・・・・・教育は長期的な国力を養う」と。2018年11月26日に投稿した本ブログの記事「IQテストは受けない方がよい?」に書いたように、日本の教育現場では、教師たちの多くが過重負担にあえいでいるという。教師は多忙をきわめ、残業するだけでなく、自宅に仕事を持ち帰らねばならない場合も多いようである。学校でのいじめによる自殺が後を絶たないのだが、教師にもっとゆとりがあれば、防げた場合も多かったのではなかろうか。膨大な軍事費をアメリカのために使わず、税金の無駄遣いをなくせば、教育関連の予算を大幅に増やせるはずである。トランプの要求に応えるよりも、教育現場からの要望に応えてほしいものである。

nice!(1)  コメント(0) 

戦争の時代を生きた青年たちの声が聞こえる。「幸せな人生を生きたければ政治を見張れ」 [政治および社会]

今日の朝日新聞に掲載された記事「上からの弾圧より怖いのは」を読んで、少しでも多くの人にこの記事を知ってもらいたくなった。その記事を読んだ人の多くは考えさせられるはず、日本の政治と社会の現状について、そして、これから先のこの国について。というわけで、その一部を抜粋しつつ記事を紹介させて頂こうと思う。


上田市には「檻の俳句館」なる建物があり、その隣には、昨年の2月に序幕された「俳句弾圧不忘の碑」があるという。上記の記事は、そこを訪れた朝日新聞編集委員の福島申二氏によるものである。福島氏が特に書きたかったのは、安倍政治の問題点をつく後半の文章であろう。


・・・・・・俳句弾圧とは、時局にそむく作品をつくったとして、1940年代に治安維持法違反容疑で俳人が相次いで捕らえられた事件をいう。「俳句弾圧不忘の碑」の説明文によれば少なくとも44人が検挙された。
 碑には弾圧を受けたうち17人の句が刻まれている。・・・・・・渡辺白泉の名は知らなくても、この句は知っているという人は多いのではないか。〈戦争が廊下の奥に立っていた〉
 ・・・・・・もうひとつ、応召して水兵になった横須賀海兵団時代の句も忘れがたい。〈夏の海水兵ひとり紛失す〉
 海に落ちるかして水兵が行方不明になったのだろう。それを「紛失」と表すことで、人がモノのように扱われる非情さを万の言葉にも増して暗示する。
 去年の秋以降は、国会の審議にこの1句を思い出すことが多かった。
 外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法の改正は、粗雑と拙速をきわめる審議に終始した。新たな法には、自分がそうしろと言われたら耐えられないようなことを、他人(外国人)には求める冷ややかさが垣間見えている。
 ・・・・・・国会審議の過程で、凍死、溺死、自殺などで3年間に69人もの実習生が死亡していることがわかった。だが、そのことへの見解を問われた首相は「私は答えようがない」と突き放した。白泉の詠んだ「水兵ひとり紛失す」の非情さが重なるのは、このあたりの政官の姿勢だ。


「檻の俳句館」の館主はフランス出身の俳人マブソン青眼氏で、金子兜太を師と仰ぎ、「俳句弾圧不忘の碑」の建立に尽力したという。その青眼氏は言う。「上からの弾圧だけではない。下からの弾圧がこわい。まわりの眼が気になって、怖くなって、自分の自由を自分であきらめる。自分で自分の檻を作っている」
 
「上からの弾圧より怖いのは」なる長い記事は、次のような文章で締めくくられている。


 大げさな話ではない。職場や地域など日常の中での「空気」の圧力は誰にも経験のあることだろう。政治色を嗅ぎ取られる意見や表現は、近年とみに息苦しさが増している。メディアもまた自己規制という「檻」を内部に抱えている。
 碑も館も、ささやかな存在だ。しかし訪ねてみると、それらの句が過去のものではなく、今という時代と深く切り結んでいるということに気づかされる。油断してはならない、という声を遠くから聞く。


今書き終えた最後の言葉が、私が書いた小説「造花の香り」(本ブログの左側サイドバーにて概要を紹介)を思い出させた。その小説には、表紙の下部にこのような言葉が記されている。「戦争の時代を生きた青年たちの声が聞こえる。『幸せな人生を生きたければ政治を見張れ。我らが如き悲劇を繰り返すな』」


戦前の日本の空気を、それも戦時中の空気を吸っている私は、福島記者が記した「碑も館も、ささやかな存在だ。しかし訪ねてみると、それらの句が過去のものではなく、今という時代と深く切り結んでいるということに気づかされる。油断してはならない、という声を遠くから聞く」という文章に共感をおぼえる。ここまで書いたところで、当初に決めていたタイトルを、表記のような言葉に替えることにした。

nice!(0)  コメント(0) 

三浦雄一郎の行動に喝采できる人 [人生]

三浦雄一郎氏は86歳の身でありながら、南米最高峰アコンカグアに登頂して、スキーでの滑降を目指している。新聞やテレビの報道でよく知られていることだが、最近の報道によれば、同氏には90歳でのエベレスト登頂願望があるという。心臓の手術を受けた身体でありながら、80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎氏である。予想外のことを成し遂げるかも知れない。


高齢社会となった今、三浦雄一郎の存在は多くの人の励みになると思われるが、その一方で、それと比較して、自らの不幸を嘆く人も多いにちがいない。とはいえ、後者の人たちと同様な境遇にありながらも、三浦雄一郎氏に喝采の思いを抱く人も多いはず。先日投稿した記事「『最高の人生のつくり方』なる最高の書物」で紹介した書物を読んだ人なら、そのような思いを抱く可能性があると私は思う。


かく言う私は81歳になったのだが、やりたい事ややらねばならない事が多々あって、さらにがんばりたいという気持がある。若いときから努力して、なすべきことを成しとげてきた人ならば、のんびりと余生を楽しみたいと思うのかも知れないのだが、そうではない私は、これまで怠惰に過ごしてきたゆえに、やり遺してきたことが多いということであろうか。三浦雄一郎の存在が励みになるのは、私のような意識を持つ人であろう。


4月1日には新しい年号が発表されるという。平成時代最後の年が明けてまだ3日とはいえ、1年の1%に近い時間はすでに過ぎている。怠惰な性分で三日坊主になりがちな私だが、やりたいことがあれば、さっさと開始しなければならない、という気持になっている。


nice!(0)  コメント(0) 

81歳はまだ若い?・・・・・・魅力あるブログを目指してがんばります [雑感]

当ブログを訪問してくださいます皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうか宜しくお願い申し上げます。


ブログを開設した2015年の初夏には、すでに後期高齢者と呼ばれる年齢でしたが、年始の挨拶を記しております今は81歳になっております。高齢であり、典型的な三日坊主でもありながら、ブログの記事は書き続けることができ、この記事は320回目の投稿になります。


長編小説にチャレンジした際には(本ブログ左側サイドバーに概要の紹介記事あり)文字通りに心血を注いだのですが、それとくらべるならば、ブログの記事は気楽に書いております。とは申しましても、決して安易な気持で書いているわけではありません。それどころか、読んでくださる方の時間が無駄にならず、少しでも役に立ってほしいと願いつつ、心をこめて書いております(とくに「身体と健康」「人生」「教育」カテゴリー)。そうであろうと、独善的で読んでもらうに値しない記事があるかも知れません。そのような記事がありましたなら、遠慮なく批判のコメントを寄せて頂きたいと願っています。


2017年1月17日に投稿した「スピーカーケーブルによって音質が変わる?……オーディオの科学と迷信」のように、5000人を超える人に読んでもらえた記事もありますが、読者が100人以下の記事がほとんどです。当ブログを目当てに訪問してくださる方は、今のところまだ20人程度にすぎず、たまたま検索によって見つけた記事に興味を抱かれ、眼を通してくださる方が多いようです。


訪問者の少ないブログですが、私の思いをくみ取ってくださる方が少しでも増えるよう願いつつ、今年も記事を投稿し続けようと思っています。魅力あるブログを目指してがんばりますので、本年もどうか宜しくお願い致します。


nice!(1)  コメント(0)