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庭に植えたブルーベリーの苗木 [雑感]

随分以前から朝はパン食ですが、ブルーベリージャムを塗るのを習慣にしたのは、10年くらい前からでしょうか。たっぷり塗って食うので、340g入りのジャムをしばしば買うことになります。というわけで、庭にブルーベリーの木を植えることにしました。


インターネットで調べた結果、土質と環境に適していそうなラビットアイ系の品種を選ぶことにしました。ラビットアイ系のブルーベリーは、品種の異なる樹を少なくとも2本植える必要があるというので、育てやすくて味も良く、実が大きくてたくさん採れるという、ブライトウェルとパウダーブルーを植えることにしました。


81歳とはいえ、この程度の作業に息子の助けは不要と思い、ひとりでチャレンジすることにしました。堅い粘土質の庭に直径80cmで深さ30cmの穴を2つ用意するために、ツルハシ(庭木を植えたり野菜ようの菜園を作るため、随分以前に購入したもの)で土を砕き、スコップで掘りあげるのですが、思っていた以上の労力を要しました。それ以上に苦労したのは、苗木を植えるための土作りです。


ブルーベリーは排水性のよい土を好むので、粘土質の土には大量の籾殻を混ぜる必要があります。幸いなことに、JAの営農センターが無料でわけてくれるので、ブルーベリー用だけでなく、ナガイモ栽培用に使えるほどの量をもらってきました。


ブルーベリーは強い酸性土壌を好むので、土にピートモスと籾殻を加え、酸度がPH4.5~5の土を作りました。穴掘りより遙かに苦労することになりましたが、数日をかけて植え付けの準備ができました。籾殻だけでなく菜園の土(有機質を多量に含んでいる)も加えたので、苗木を植える位置は庭面より20cm近く高くなっています。意図して高くしたのは、むろん排水を良くするためです。


40リッター入りのピートモスを4袋買ったのだが、それでもなお不足しているので、苗木からはなれた部分のPHは6のままにして、硫黄を加えておきました(ネットの記事を参考にして、土30リッターに硫黄40g)。ブルーベリーの根が伸びる数ヶ月先には、硫黄を加えた部分のPHは4.5程度になるはずです。


ホームセンターや苗木農園などを探し回って、ブライトウェルとパウダーブルーを入手し、どうにか無事に植えることができました。うまくいったとしても、来年は収穫量を抑え、木の成長を優先させるので、本格的に収穫できるのは再来年からになります。思ったよりも苦労したわけですが、大きな楽しみができました。

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日本が三流国になる危険性 [政治および社会]

本日3月24日の東洋経済オンラインに、作家であって書評家の印南敦史による、 「日本人は「人口減」で起こる危機を甘く見ている・・・・・・最低賃金を上げ、自ら変わらねばならない 」なる記事が掲載されている。日本在住30年のイギリス人であるデービッド・アトキンソン氏(国宝・重要文化財の補修を手がける小西美術工藝社社長として、日本文化をサポートしている)の著作 『日本人の勝算』(東洋経済新報社)の書評だが、一読に値する記事である。


 アトキンソン氏はこれまでにも自著を通じて日本の将来を案じてきたが、今回の『日本人の勝算』には、これまで以上の緊張感がみなぎっているように思えるという。


印南敦史による『日本人の勝算』の書評は長いので、東洋経済オンラインの記事を読んでもらいたいのだが、文章の一部をここに引用させてもらうことにした。


『日本人の勝算』のまえがきに、このような文章が記されているという。

  人口減少と高齢化が進む日本には大変厳しい未来が待ち構えています。これは脅しでもなんでもなく、人口動態などのデータを冷静かつ客観的に分析すれば見えてくる、ほぼ確実な日本の未来です。

今すぐにでも対応を始めないと、日本は近い将来、三流先進国に成り下がることは確実です。いや、下手をすると、日本は三流先進国どころか途上国に転落する危険すらあるのです。(引用おわり)


日本国内に蔓延しているのは、「今までの仕組みを微調整して対応すればなんとかなる」というような、その場しのぎの楽観論ばかりであり、10月に予定されている消費税の引き上げについても同じだという。「社会保障の負担が重く、税収を増やさなければいけない。そのためには、税率を上げる必要がある」と説明されているが、アトキンソン氏の目には「固定観念にとらわれた、非常に次元の低い理屈」としか映らないという。日本の消費税の税率が他の先進国に比べて安いのは事実だが、消費税の課税対象となる消費、そしてそれを増やすために不可欠な日本人の所得をいかにして上げるかが、この問題の根本の議論であるべきで、たった2%の税率の引き上げなど、些末な話でしかないという。大きなパラダイムシフトが起きている以上、今までにない、もっと根本的かつ大胆な政策が求められている、とアトキンソン氏は主張しているという。


アトキンソン氏はさらに主張する。
高齢化に伴って社会負担が増える一方で、給料をもらっている世代は激減する。だとすれば、その税負担のために生産年齢人口の給料を増やすことが必須となる。所得増加を実現するには生産性向上が必要条件であり、これが大きな政策転換になるということである。低迷している日本の生産性を上げるには、最低賃金を引き上げるべきである。最低賃金を引き上げたとしても、日本人の実力をもってすればなんの問題も生じないはずである。


アトキンソン氏によれば、最低賃金の引き上げには6つのメリットがあるという。

① 企業規模拡大
② デフレ改善
③ 女性活躍
④ 格差社会の是正
⑤ 最低賃金と地方再生
  国土が狭いうえに交通網が整備されている日本でありながら、最低賃金を都道府県ごとにバラバラに設定したら、労働者は最低賃金の低いところから、最も高い東京に集中してしまって当然で、事実そうなっている。この悪循環から脱却するためにも、最低賃金を全国一律にすることを真剣に検討すべきだとアトキンソン氏は言う。

⑥ 最低賃金引き上げは「少子化対策」にもなりうる

 アトキンソン氏は言う。
日本の社会は厳しく、懸命に仕事をしてももらえる給料は少なく、楽しみもあまりない。そして、老後の生活も不安だらけだ。そんな中、今の社会制度に対する抵抗として子どもをつくらない選択をしている人も相当数いるはず。最低賃金を引き上げ、その最低賃金のすぐ上の層にも段階的な効果が出れば、少子化問題も緩和されるのではないか。


『日本人の勝算』(東洋経済新報社)の書評を書いた印南敦史は、著者に強く賛同しているようである。日本の現状を思えば、そして将来展望の暗さを思えば、多くの人が賛同するのではないか。政治と経済のあり方を変えないと、日本は本当に三流国になるかも知れない。経営者が高額の給料を得ておりながら、従業員の賃金を抑え、非正規従業員を増やしてきた日本。カルロス・ゴーンや孫正義に似た考え方の経営者が多い日本。将来のために望ましい政治が行われない日本。省益を国益に優先する官僚と、自分と自党の利益を優先する政治家。


ときおり政権交代がなされてきたならば、これほどひどい国にはならなかったのではないか。安倍政権に対する支持率は40%だという。支持する理由の第一は「他よりは良さそうだから」だという。安倍政権のどこに「良いところ」があるのだろうか。


東洋経済オンラインの記事「日本人は「人口減」で起こる危機を甘く見ている・・・・・・最低賃金を上げ、自ら変わらねばならない 」を、多くのひとに読んでもらいたいと願っている。

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北朝鮮と中国および日本の独裁政治 [政治および社会]

政権交代のない独裁国家では、権力と官僚機構がともに腐敗し、国民のほとんどを不幸にする。共産党支配の国はいずれも独裁政治であり、その全てに深刻な人権問題がある。その中国では全国人民代表大会が開かれ、不正ワクチンなど人々が苦しむ問題の解決や生活の向上をアピールしているというが、それとはかけ離れた現実があるという。


それを伝える朝日新聞の記事(3月14日朝刊 延与光貞記者による署名記事)は、「中国ワクチン被害 届かぬ母の声」と題され、副題は「子救うための要求悪いことですか」となっている。質の悪いワクチンがたびたび問題になってきた中国で、狂犬病ワクチンの被害を受けた子供の親たちが、救済を求めて北京で陳情や抗議をしたところ、その多くが地元に連れ戻され、少なくとも7人が拘束されたという。


陳情中に拘束された被害児童をもつ母親は、拘束される前に語っていたという。「子供を救うために要求や交渉をするのは悪いことなんでしょうか。他に方法がないのに」と。その母親は北京に向かう前に、地元当局から「もうすぐ全国人民代表大会が始まる。SNSでの発言を控え、ほかの家族と活動するな」と警告されたが従わなかったという。


多くのワクチン被害者への救済措置はとられず、被害者たちが自費での治療に苦労しているにも拘わらず、政府の疾病予防管理センター担当者は言ったという「中国のワクチンは世界最高レベルだ」と。


中枢権力に忖度する政治組織の末端当局が、地元の住民の不満や問題点を押さえつけてきたことは、これまでしばしば報道されてきた中国の実態である。独裁国家ならありそうなことだが、民主国家であるはずの日本でも、政権に配慮した忖度政治が行われている。実質的に数十年にわたって政治を担ってきた自民党だが、独善的で狭量な安倍一強政権が続いているうちに、独裁国家的な状況に陥ったようである。


中国や北朝鮮と異なり、この国には制度上にはまともな国政選挙があるのだが、実に残念なことに、投票率は久しく低迷したままである。昭和55年までは70%前後で推移していたのだが、平成時代は55%前後の数値が続いている。スウエーデンでは20代の投票率が80%台であるのに対して、日本の20代の投票率は30%を少し上回るだけである。


若い世代の政治離れも、少子高齢化とともに日本の将来を暗いものにする、と言えるのではないか。将棋の藤井聡太7段ほどではなくても(2月17日投稿の記事「新聞と書物に親しむ藤井聡太7段」参照)、若い世代にもっと新聞を読んでもらいたいものだが、国民が新聞を読まないように願っている麻生太郎のような馬鹿者(2018年6月26に投稿した「麻生財務大臣は新聞を読まない?」参照)が、かつては首相を勤め、今は長らく財務相でい続けている。


20代の若者たちの多くには健在の親がいるはず。近づきつつある選挙を前に、家族で政治について語り合い、子供たちに投票を促してもらいたいものである。


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統計が国民を欺く道具に使われるとき [政治および社会]

3月12日の朝日新聞朝刊に、編集委員原真人氏による署名記事「統計不正 本来問われることは何か」が載っている。


記事の冒頭に、吉田茂元首相にまつわるエピソードが紹介されている。マッカーサー(日本が占領統治されていた当時の連合国軍最高司令官)から、「日本の統計はいいかげんだ」と責められた吉田は言ったという、「もし日本の統計が正確だったらむちゃな戦争などしなかった」と。吉田の孫である麻生太郎財務相が、自著の中に書いている話だという。


原真人氏による記事は、このような文章で締めくくられている。
《統計は事実や実態を知るための道具だ。ただし意図すれば事実をゆがめ、国民をあざむく道具にも早変わりする。
  冒頭の吉田茂のジョークには重大な事実誤認がある。日本軍は、日米の資源量や工業生産力に大きな開きがあるデータをかなり正確につかんでいた。対米戦争に勝てないことをわかっていたのだ。
  にもかかわらず開戦方針に都合のいいデータだけを取り出し、勝てるはずのない戦争に国民を引きずり込んだ。
  正確さだけが統計の価値を決めるわけではない。それを国民国家のために生かそうという使い手の誠実さがあって初めて、統計は生きる。》


原真人氏が言いたいことは、記事の中程に記されている次の文章にある。

  ・・・・・・・・、野党が(厚労省の統計不正問題の)事実確認に力を入れるあまり、本来問われるべき問題が陰に隠れてしまったのかもしれない。
  その問題とは、安倍晋三首相が統計のもつ危うさを無視し、国民受けのために都合よく利用してきたことである。・・・・・・
  ところが都合のいいデータだけを取り出し、並べ立て、「成果」や「果実」だと宣伝するのが首相の得意わざだ。
  
原真人氏はその例として、安倍首相がアベノミクスの成果としている有効求人倍率をあげ、それが欺瞞であることを指摘している。そして、安倍首相の自画自賛が繰り返されるうちに、国民の意識に「アベノミクスは成功」とすり込まれていく、と危惧している。


2月2日に投稿した本ブログの記事「安倍首相の年頭所感は嘘だらけ。人気ブロガー・きっこが一刀両断」は、人気ブロガーであるきっこさんによる、安倍首相糾弾記事を紹介したものである。朝日新聞の記事ときっこさんのブログの記事を、多くのひとに読んでもらあいたいと願っている。


原真人氏やきっこさんの指摘に対して、安倍首相はまともに反論できないだろう。そんな安倍政権に対する支持率は41%程度であり、意外な程に高い。この国には、愛国心のない国民が多いと言うことであろうか。

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3月10日の人災と3月11日の天災 [政治および社会]

3月11日の東北大震災は記憶に新しいが、3月10日に起こった大災害を記憶している人は少ない。1945年3月10日未明の東京大空襲は、一夜にして、東日本大震災をはるかに上回る10万人もの犠牲者を出した。全国の空襲による犠牲者は、原爆被災以外だけでも20万人以上に達したのだから、アメリカによる無差別爆撃は、人類史に残る暴虐と言えるだろう。


本日3月10日の朝日新聞声欄に、作家の早乙女勝元氏による投稿記事が、例年通りに載っている。その記事「形見の衣服 桜を覆った3・10」には、早乙女氏(東京大空襲・戦災資料センター館長)の思いがこめられている。昨年の3月10日の本ブログには、「早乙女勝元氏の投稿記事を読んで」なる記事がある。


きょうの朝日新聞には、東京大空襲にかかわる長い記事が載っている。編集委員福島申二氏による署名記事「炎の記憶 下町に刻まれた日」である。その記事によれば、戦時のアメリカ軍は、一般人が暮らす街を効果的に焼き払うため、戦前の日本の長屋街に似たものを作り、焼夷弾による実験をしたという。原爆攻撃と同様に、ヒューマニズムからかけ離れた行いである。


アメリカの戦略爆撃を主導したカーチス・ルメイ将軍に対して、佐藤栄作内閣は勲一等旭日大綬章を授与している。航空自衛隊の育成に協力してくれた功績に対する授賞とのこと。勲一等は天皇の親授が通例にもかかわらず、昭和天皇は拒絶したという。保守系政治家たちと昭和天皇の間には、人間として大きな隔たりがあると言えよう。


「炎の記憶 下町に刻まれた日」の後半に、次のような文章がある。
 
  新聞にも痛烈な反省がある。国が言うままに精神論で尻をたたき続けた。さらに、「火と闘って殉職」「死の手に離さぬバケツ」といった類いの「防空美談」をさかんに報じたのも新聞だった。
    東京大空襲に続いて名古屋、大阪なども空襲を受ける。直後の3月20日、本紙社説は「空襲に打克つ力」と題してこう言うのである。「われらもまた本当に爆弾や焼夷弾に体当たりする決意を以て敵に立ち向かおうではないか」。同じ新聞の後輩として胸がきしむ思いがする。


福島氏の記事は、日本軍が中国で繰り返した無差別爆撃や、アメリカによるベトナム爆撃に触れたあと、次のような文章で締めくくられている。


・・・・・・・東京の下町はいまも「炎の記憶」を静かにとどめている。供養の碑や地蔵にはきょう、様々な思いが捧げられることだろう。
  炎の記憶は世界の幾多の地に刻まれている。空襲を、戦争を、鳥の目ではなく地べたの人間の目で考える日にしたい。


明日の3月11日は、記憶に新しい東北大震災の日である。地震国のこの国では、大正時代の関東大震災もときおり話題になるのだが、あの戦争に関してはどうであろうか。戦争に関わる記憶は失われようとしているが、早乙女勝元氏はいまもなお、東京大空襲の記憶を留めるべく努力している。その思いが将来に受け継がれるよう願わざるを得ない。


この国の政治家は、戦争が終わって20年も経たないうちに、カーチス・ルメイに叙勲している。まともな政治家を選ぶとともに、しっかりと政治を見張ってゆきたいものである。

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安倍首相は言った。「私は森羅万象を担当している」 [政治および社会]

安倍首相の発言がネットの世界に物議を醸している。その例として、2019年2月9日のLITERに掲載された記事「『私は森羅万象を担当している』安倍首相の“神宣言”は無教養なだけじゃない! 東条英機と同じ“肥大化した万能感”」の一部を引用させてもらう。


「私は総理大臣ですから、森羅万象すべて担当しておりますので」
  安倍首相が国会で言い放ったこの発言が、大きな話題を呼んでいる。Twitterでは「森羅万象」がトレンド入り、「#森羅万象担当大臣」や「#森羅万象内閣」などのハッシュタグとともに、こんな投稿が相次いでいるのだ。

〈ついにゴッド宣言〉
〈現人神、平成にもいたんだねぇ〉
〈安倍総理がついに地震や台風など森羅万象を司る神であらせられることを自白される〉〈森羅万象を司る神なら四島返還など簡単なはずなのにねえ〉
〈移植云々サンゴマンになったり森羅万象ゼウスマンになったり、結局安倍さんはどうなりたいのですかね。てか、森羅万象を司っているのに何で嘘つくの?〉

  森羅万象とは「宇宙間に存在する数限りない一切のものごと」(『広辞苑』第7版)の意。それを「担当している」と自称するのだから、「すわ全知全能の神にでもなったつもりか!」と突っ込まれるのも当然だろう。

  いったい安倍首相はどういう意図で、こんな「神宣言」とも言えるような発言を行ったのか。改めて振り返ってみよう。
 ・・・・・・・・安倍首相はまたもや平然とこう答えたのだった。
「あの、総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しておりますので、あの、報告書をですね、まあ様々な、これ日々様々な報告書がございますが、それを全て精読する時間はとてもない、わけでございますし、世界中から、で起こっている、まあ電報等もあるわけでございます。ということはご理解いただきたい、とこう思います」
 ・・・・・・・・どうしてこの文脈で「森羅万象」という単語が出てくるのか意味がわからないが、実は、安倍首相が国会で「森羅万象」という言葉を口にするのはこれが初めてではない。


「政府の裁量労働制データ改ざん問題」や、森友・加計学園問題に関して追求されたときにも、安倍首相は「政府が取り扱っている森羅万象全てを私が説明できるわけでは当然ないわけでございますから」と発言したという。LITERAの記事には、「安倍首相はどうも「森羅万象」という言葉を“いっぱいやることがあるからチェックしきれないんだよ、許してね」という文脈で使っているらしいのだ」と記している。


その記事はさらに続いて、安倍首相の傲慢な姿勢をついている。

   ・・・・・・・・
  2017年の防衛大学卒業式では「警戒監視や情報収集に当たる部隊は、私の目であり耳であります」「諸君のなかから最高指揮官たる内閣総理大臣の片腕となって〜」などと訓示して、明治天皇が軍に下した「軍人勅諭」さながらの言い回しで話題になった。
  なにより忘れてはならないのは、2015年安保国会での党首討論で言い放った「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」だろう。言うまでもなく、安保法制は多数の憲法学者から違憲という指摘がなされ、法案の中身もめちゃくちゃな代物だった。ところが、そうした批判に対し安倍首相は「総理大臣なんだから正しい」と断言、まさしく“俺こそが法だ”という法治主義の根幹を揺るがす発言だった。
  ほかにも、安倍首相はことあるごとに「私が最高責任者」と繰り返すが、昭和史研究の第一人者である作家・保阪正康は、この安倍首相の口癖を、日本を狂気の戦争に駆り立てた東条英機と同じものだと分析している。  ・・・・・・・・
  こうした安倍首相の迷言の数々を振り返ってみると、いま、ネット上で話題になっている「森羅万象を担当している」なる発言も、これらとまったく同じ“天皇気取りの独裁者気質”“肥大化した万能感”からきていることがよくわかるだろう。そして、この安倍首相の歪んだ意識こそが、国会を軽視し、言論を平気で弾圧する“民主主義の破壊者”というしかない暴挙を生み出している。
 そういう意味でも、わたしたちはこの発言を笑うだけですましてはならない。この政治家を一刻も早く総理大臣の椅子から引き摺り下ろし、「森羅万象を担当している」ということが勘違いであることを知らしめる必要があるだろう。(編集部)


紹介した記事が全て正しいのか検証してはいないが、安倍首相に傲慢なところはたしかにあるし、国会を軽視し、民主主義を踏みにじっていることは事実である。「この政治家を一刻も早く総理大臣の椅子から引き摺り下ろし、「森羅万象を担当している」ということが勘違いであることを知らしめる必要があるだろう。」なる言葉に、多くのひとが同意するに違いない。

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マツダのデミオに乗り替えてから1年 [車]

昨年の3月からマツダのデミオに乗っているのだが、それまでの古いワゴン車にくらべると、あまりの進化に感心するばかりである。明るいLEDヘッドライトとワイパーは、オートの設定を適切に選んでおけば、最も都合の良い条件で動作してくれる。運転中に携帯電話がかかってくると、ハンドルに付属しているボタンを押せば、携帯電話に触ること無く、運転しながら通話ができる。様々な安全装備が備わって安全性が高くなり、それに伴って自動車保険料も安くなった。言うまでもないことだが、ワゴン車とは比較にならないほどに燃費が良い。そんなデミオに乗り替えて1年になったので、その感想を書くことにした。


元気で暮らしている80代の私だが、雨の夜の運転には不安がある。オプションで選んだ「アダプティブLEDヘッドライト」のおかげで、その不安がかなり和らいでいる。雨の夜にかぎらず、ロービームでの走行時には気を遣うわけだが、「アダプティブLEDヘッドライト」の絶妙な照射コントロールに扶けられている。


ときおり訪ねる図書館では、狭い場所に駐車しなければならず、ワゴン車を停める場合には随分と気を遣ったものだが、コンパクトカーのデミオに「360度ビュー・モニター」を付けたので、気楽に駐車できるようになった。モニターに映し出されるのは、車体に取り付けられた4個のカメラより下の情景だけだが、障害物の近くで車を動かしたり、狭い場所に駐車する場合、この「360度ビュー・モニター」は大いに役に立つ。今ではどのメーカーの車にも、類似の機能がオプションになっている。


デミオに乗って、コンパクトカーの小回りがきく利点を強く感じる。行きつけの図書館にかぎらず、駐車スペースが狭い駐車場も多いので、小回りできる車の方が使いやすい。安全上の不安さえなければ、軽乗用車も勝れた選択肢だろう。私の故郷は島根県の出雲だが、自動車事故が少ないこともあってか、スーパーなどで見かける車の多くは軽乗用車である。


私が選んだデミオは1300CCのガソリン車だが、4人乗車でかなり急な坂道を苦もなく上ることができた。信号の少ない知多半島のバイパス道を、60Km/hで走り続けても、意外なほどに静かであった。おそらくは他社のコンパクト車も、今ではデミオと同等の性能かも知れないのだが。


田舎町の風情がある名古屋市の郊外地とはいえ、家から4Km以内に、イオンモールをはじめとするスーパーが7カ所もあり、大きなホームセンターが3ヶ所にある。というわけで、買い物などは近場ですますので、走行距離の短い「ちょい乗り」がほとんどである。燃費が悪くなるだけでなく、エンジンオイルが劣化しやすい条件(車のメーカーがシビアコンディションと呼ぶ使用条件)であり、半年毎のオイル交換が推奨されている。コンパクトカーのデミオとはいえ、多くの場合ふたり乗りでの平均燃費は、昨年の春からずっと12Km/L程度である(満タン法にて)。厳冬期になっても変わらないので、エンジンなどの摩擦抵抗が減少してきたのかもしれない(当初はエンジンブレーキが効き過ぎる状況にあったが、最近は改善されている)。暖かくなってからの燃費がどうなるのか、期待しているところである。


走行距離3Km程度のちょい乗りでの燃費は,せいぜい8Km/L(燃費計にて)だが、知多半島を半田市まで走る機会があり、17Kmの距離(往復35Kmだが、行き先で数時間ほど車を停めていた)を走ったところ(行程の6割ほどは信号の少ないバイパス道路)、ふたり乗車で18.3Km/Lだった(出発前に燃費計をリセットしておいた)。今どきのコンパクトカーにしても、かなり優れた燃費である。


デミオを候補に選ぶ前に、マツダ車について調べたのだが、悪く評価する理由にマツダコネクトの性能をあげる人が少なくなかった。さらに調べてみると、近年のマツダコネクトは改良されて問題がないとの意見も少なからず見られた。私が購入したデミオは2017年11月にマイナーチェンジされたものだが、今のところはマツダコネクトに不満はない。それどころか、性能を改善すべく努めた技術者たちに賛辞を贈りたいと思う。カーナビも使い易いし、「この先に右折専用レーンがあります」「この先にカーブがあります」などと、適切に注意してくれる。最近のカーナビなら当然のことかも知れないのだが、古いカーナビしか識らなかった私には、とてもありがたいデミオのカーナビである。


マツダのカタログによれば、運転に際しての姿勢が楽になるよう設計したとのことだが、デミオはハンドルが運転者に正対していない(コンパクトカーにかぎらず、ハンドルに正対していない車はむしろ多いようだが)。ワゴン車から乗り換えた当初は違和感があり、座席の左側に身体を寄せて運転していたのだが、いまではかなり慣れてきた。その程度の不満はあるにしても、買い替えて良かったと思える車である。デミオを選ぶに至った経緯は、2018年1月30日の投稿記事「車の買い換え・・・・・・ワゴン車からデミオへ」に書いてある。


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