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高齢者にもやりたいことがある [人生]

後期高齢者とよばれるようになって数年が経ち、82歳になった。少年時代の私には、82歳といえば超高齢者に見えたものだが、今の自分をそのようには感じない。50年前には60歳以下だった平均寿命が、今では女は87.32歳で男は81.25歳ということだから、昔とは感覚が異なるのは当然だろう。母は102歳の長寿を生きてあの世へ旅立ったが、6人の兄弟姉妹は無事に高齢者の仲間になっている。医学の進歩と幸運に恵まれたおかげと感謝している。幾度も命の危機に遭遇した私には(付記1参照)、とくにその感が強い。


長男である私が最初にあの世へ行くのが望ましいと思うが、そのためには充分に長生きしなければならない。その間に、霊魂の実在が真実であることを、しっかり理解してもらうべく、さらに努力したいと思っている。同じ兄弟でありながらも、霊魂に対する見方はそれぞれであり、霊魂の存在を信じない者もいる。


2015年12月7日に投稿した記事「霊魂の実在を知る簡単な方法がある」にも書いたが、霊魂の実在を知ることは簡単である。そのような記事を読んでも科学万能思想から抜け出ることができない人は、それを真っ向から否定し、意を向けようとしない。そのような人が多いけれども、霊に関わることに興味を示す人もいる。かく言う私自身も、唯物論的な考え方をしておりながらも霊的なことに興味を抱いたひとりである。そのような私は不思議な体験をした(させられた?)ことにより、霊的真理に親しむに至った。


これまで書いてきたように、若い頃の私は唯物論に近い考え方をしている一方で、霊的な事柄に対して、かなり強い興味を抱いていたことも事実である。30代の中頃に幾度も不思議な体験をしたことにより、多くの精神世界に関わる書物に目を通しただけでなく、公益財団法人日本心霊科学協会を訪ねるに至った。そのようにして、霊魂の実在を確認できた私は、多くの人に霊的真理を理解してもらいたいと思い、このブログに幾度も関連する記事を投稿してきた(付記2参照)。


2019年11月24日の投稿記事「お薦めしたい書物……自分を知る力『暗示の帽子の謎を解く』」で紹介した「自分を知る力……暗示の帽子の謎を解く」なる書物のプロローグは、次のような文章で終わっている。少し長くなるが引用させていただく。


 魂の存在については、すぐには納得することができないという方もいらっしゃるかもしれません。その方は、これから本書で語られるのは、1つの可能性としての人間観、世界観であり、そこから生まれる生き方であると受けとめていただきたいのです。人間が魂の存在だとしたら、人生はどう見えてくるのだろう、どんな生き方ができるのだろうか、そう考えてみていただきたいのです。

 魂が秘める大いなる可能性を全開して生きるのが、本来の自分―。それを「真我」と呼びます。真我に近づくほど、私たちは様々な力を発揮できるようになります。
 最初はごくわずかしか現れていない魂の潜在力を引き出し、世界の法則に従って正しく使うことができれば、仕事でも、人間関係でも、社会への貢献でも、できることが増え、進化します。
 試練に強くなり、問題解決の力も、ものごとの具現力も大きくなって、それまで見えなかった未来をつくり出すことができるようになります。現在からは想像もできないことが可能になるのです。・・・・・・・・
 ・・・・・・・・生まれ育ちの中で、誰もが「暗示の帽子」をかぶり、いつの間にか自分になっていたのが私たち。それは、「最初の自分」(initial self)であり、真我とはほど遠い偽りの自分──「偽我」です。
 ・・・・・・・・重要なことは、すべての人生は例外なく(暗示の)帽子をかぶった偽我から始まる、ということです。たとえ、どれほど豊かな才能に恵まれようと、莫大な財産や高い地位を約束されていようと、何も持たざる人であろうと、そのことに何の違いもありません。・・・・・・・・
 自分を知る力とは、人間を知る力。そして、人間を知る力とは、世界を知る力にほかなりません。自分を知り、人間を知ることによって、私たちは、自分の中に複雑で予測不能な世界を生きる最大の手立てを手にすることになるのです。

 本書は、本当に人生を変えようと願っている人々のための本です。
 本書によって、1人でも多くの方が、自分を知る力を養い、「暗示の帽子」を脱いで、善我を育み、さらに真我――オリジナルな自分を発見してゆかれることを心から願ってやみません。


紹介した書籍は魂の存在を前提にしたものだが、霊的なことがらを信じない人にとっても、「人生をより良くするには如何にあるべきか」を知るうえで大いに参考になるはずである。


これまでに幾度も紹介した興味あるホームページに、元大学教授武本昌三氏のホームページ「ともしび」がある。幾つもの分野にわたる記事が記されているが、特にお薦めしたいのは、精神世界に関わる記事である。


82歳になったとはいえ健康で日々を送っている私には、まだなすべきことが残されているようである。きょうのタイトルは「高齢者にもやりたいことがある」だが、それよりむしろ、「高齢者にもやるべきことがある」とすべきかもしれない。この言葉に励まされつつ、これからの日々を送りたいと思う次第である。


付記1



付記2 霊魂の実在について書いた記事 



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健康長寿と薬 [身体と健康]

新聞の広告につられて「完全保存版 おとなの週刊現代」を買った。


表紙には「クスリの選び方、飲み方、減らし方、やめ方がわかる一冊」とあり、次のような惹句が並んでいる。「一緒に飲んではいけないサプリとクスリの危険な組み合わせ」「名医に聞いた『我が家の常備薬』」「クスリの危ない飲み方、選び方」「私はクスリと病院をかえて元気になった」「名医が飲んでいる『サプリ』『健康食品』」「生活習慣病『治るクスリ』『治らないクスリ』」「矢作直樹・東大名誉教授『クスリを飲むか、飲まないか その数値は人によって違う』」 

 

出版物としての形で提供されているだけでなく、記事には幾人もの医学部教授や医師が登場しており、名前と写真も掲載されているから、ネットの世界に見られる情報よりは信頼度が高いはずである。


102歳まで生きた私の母は、90代の中頃までは足早に歩き廻っていたのだが、最晩年には降圧剤など幾種類もの薬を飲んでいた。むろん医師からの指示によるものだが、もしかすると、降圧剤などは飲まない方が良かったのではないか、という気がする。今の私は若い頃と同じ血圧だが、80代だった頃の母も同様だった。晩年の母が歩行中に転倒し、入院したりするうちに弱ったのは、血圧を下げたためではなかったろうか。100歳に近い高齢者なら、多少は高い血圧の方が望ましいのかも知れない、という気がするのだが、はたしてどうであろうか。


本ブログにかつて書いたように、私は体調不良で受診した場合、カゼと診断されたら薬を断ることにしている。体がウイルスと戦うために体温を上げているのだから、解熱剤は飲まない方がよいはずだし、ウイルスには効かないはずの抗生剤を飲む必要はない。数十年も以前のことだが、カゼと診断した医師から注射されそうになり、慌てて断ったことがある。医師の収入は増えるだろうが、効果を期待できない注射(たんなるカゼに効果を期待できる注射薬はないはず)を受ける患者には、出費が増えるだけである。


「おとなの週刊現代」記載の記事が全面的に正しいとはかぎらないが、おおいに参考になる。信頼しているかかりつけの医師であっても、薬を処方されたとき、その効果と必要性について質問し、確認した方が良さそうである。

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カジノ解禁法がもたらす国家的損失 [政治および社会]

12月20日の「デジタル毎日」に、「カジノは断固阻止! 深刻な依存症と治安や風紀の乱れを招く」なる記事が載っている。それによれば、横浜市が誘致に乗り出した「カジノを含む統合型リゾート施設」に対して、立憲民主党・無所属フォーラムの江田憲司・衆院議員が反対運動を起こそうとしているという。


 そこには次のような文章がある。


   現在でもギャンブル依存症の患者が日本には約320万人いると言われ、先進国では最も多いとされている。カジノの影響は既存のパチンコや競輪、競馬、競艇などの比ではない。
 韓国視察の際、ギャンブル依存症対策センターの所長の話を聞いたが、カジノは他のギャンブルと比べて依存症になる率が非常に高く、10人のうち7人までが依存症になると話していた。
 米国のニューハンプシャー州でカジノ導入を検討した際の試算では、依存症の患者1人あたり、50万円超のコストがかかるという。仮に320万人の依存症患者が1000万人になれば5兆円のコストだ。
 政府も横浜市も経済波及効果が何千億円などということはしきりに強調する。しかしマイナスのコストの話は全くしない。どんな事業でもプラスとマイナスの費用対効果を分析するのは当たり前のことなのに、カジノに限ってはプラスの試算しかない。韓国では、カジノ導入で2兆円の効果はあったが、一方で、対策経費などで7.7兆円のコストがかかったという試算もある。・・・・・・・・
  賭博は古来、反社会的な勢力と結びつく。そして周囲に風俗店やヤミ金融を発生させる。・・・・・・・・


このような問題点は国会での審議でも取り上げられ、野党が反対したにもかかわらず、安倍政権は数の力で押し切った。利権がらみの政治をしてきた自民党にしても、あまりにも稚拙な立法である。


野党が猛抗議しているにも関わらず、カジノ解禁法が強行採決されたのは、2016年12月の衆院内閣委員会であり、委員長として審議を打ち切り、採決に踏み切ったのは、秋元司議員である。その秋元議員が、カジノ事業への参入を目指していた中国企業からの収賄容疑で逮捕された。


日本のギャンブル依存症者が本当に320万人であるなら、そして、「カジノを含む統合型リゾート施設」が実現した場合、深刻な社会現象が引き起こされる可能性がある。「韓国では、カジノ導入で2兆円の効果はあったが、一方で、(カジノ依存症対策などの)対策経費などで7.7兆円のコストがかかったという試算もある。」なる記事が真実ならば、自民党が主張した経済効果をはるかに上回る損失となる。


この国を住みよい国にするためには、利権がらみの政治に走り、日本を衰退の道に導いてきた自民党を罰し、政権の座から降りてもらわねばならない。政権運営に不慣れな野党に政権が移れば、政治がしばらく停滞する可能性がある。そうであろうと、将来の日本のためには、それを受け入れるべきであろう。

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日本心霊科学協会に集う学者たち [人生]

本ブログで幾度も取り上げてきた日本心霊科学協会は、大学教授や医師たちが理事を務めるなど、心霊に関わる団体としては珍しい存在である。Wikipediaにはどのように記されているのか調べてみたら、興味深いことがわかった。


Wikipediaの「日本心霊科学協会」には、「学術的研究活動」と題された項があり、次のような文章が記されている。


20世紀以降、科学技術は、人間を月に送るほど、また原子一つ一つを識別できるほど、急速な進歩を遂げた。PET(ポジトロン断層法)やMRI(核磁気共鳴画像法)などの技術により人間の大脳の構造や機能に関する知見は豊富になった。しかし人間の意識や思考、心の源泉は、未だ科学には解明できていない。謙虚な立場に立って、諸々の分野から学者、研究者、大学教員、企業人が集まり、学際的研究を継続している。研究成果は、公開月例講演会、心霊科学研究発表会、夏期講座などを通して広く社会に公開している。


その文章に続いて、研究に関わる大学教授たちの名前が列記されているのだが、興味深いのは、電気・電子工学・情報工学などの、電気に関わる分野の研究者が多く、8名の名前が記されている。そのうちの2名は、私も以前から知っている名前である。


思想・哲学・心理学・人間科学分野は計5名、生物学・農学・環境学分野と医学分野はそれぞれ4名づつとなっている。2名の名前が記されているのは、機械工学と文学と法学の分野であり、物理学者は1名である。


日本心霊科学協会に関わってきた学者や医師は、日本全体から見ればごく少数と言えるが、著名な学者を含めた27名の名前が見られるのだから、心霊に関わる団体としては異色な存在と言えるだろう。ことに興味深いのは、電気に関わる分野の学者が多いことである。


上記のWikipediaには名前がでていないが、電子レンジに使われるマグネトロン(真空管の一種)の発明者である岡部金治郎(東北大学の元助教授、大阪大学、近畿大学などの元教授 )も、霊魂の実在を主張した学者のひとりであり、関連する著作がある。霊魂の実在を説く書物を書いた電気関係の技術者は多く、生まれ変わりに関わる著作で著名な森田健氏(元富士通のコンピューター技術者)や、霊界に関わる著作の多い坂本政道氏(東大出身の電子工学者)、天外伺朗のペンネームで霊界に関わる幾つもの著作がある土井利忠氏(東京工業大学出身の電子工学者であり、元ソニーの社員)など、錚々たる顔ぶれである。


霊魂の実在を説く学者や技術者の中に、電気に関わる者が比較的に多いように思われる。どうしてだろうと思ったとき、学生時代の友人の言葉が思い出された。機械工学を学んでいた友人は言った、「俺は電気のように目に見えないものが嫌いだから、機械工学科を選んだのだ」と。


電気に関する理論と技術的な基盤は整備され、現代文明の基幹となる存在ではあるが、目に見えないだけでなく、その根源的なところは未解明のままである。そのような電気と同様に、霊魂の実在を実証することは簡単にできるけれども(2015年12月7日投稿の記事「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある」参照)、その本質は未解明のままである。霊魂の根源的なところは、おそらく永久に解明できないだろう、という気がする。


私のように子供の頃から電気に魅せられる人には、もしかすると、霊魂に興味を抱く傾向があるのかも知れない。電気もまた、子供のみならず大人にとっても、不思議で興味深いものだから。

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ノーベル物理学賞の中村修二氏のあだ名が「スレイブナカムラ」だった理由 [政治および社会]

12月16日に投稿した「将来の日本人ノーベル章受賞者」で言及した中村修二氏は、青色発光ダイオードの発明によってノーベル賞を受けたのだが、Wikipediaによれば、その発明に対して会社から与えられた報奨金は2万円だったという。アメリカに渡った中村氏からそのことを聞かされた研究者仲間たちは絶句し、あまりに低い対価に甘んじていた中村氏を、「スレイブ・ナカムラ」とあだ名したという。


今ではずいぶん変わっていると思われるが、かつての日本では、職務の中で大きな発明などの業績をあげても、ささやかな報奨金しかもらえないのが一般的だった。「その業務を行うために給料をもらっているのだから、それが当然である」と考えられていたのであろう。2015年8月27日の記事「技術開発をチームで推進する場合の問題点」に書いたように、私はかつて会社から報奨金をもらったことがある。ちょうど給料ひと月分に相当する金額だったから、ずいぶん嬉しかったものである。


私は撮像管(付記1)のビジコンに関わっていたのだが、他社がRCA社(付記2)とノウハウ契約を結んでいたのにたいして、私が勤務していた会社では外部から情報が入らなかった。RCAからの情報をもとに新製品を出す他社と渡り合うため、まだ入社して数年目だった私は、独力でビジコンの改良に取り組み、RCA社の製品を上回る感度が得られるようになった。その経験を書いた本ブログの記事を、付記3に列挙しておく。


 私の業績がなければ、おそらく数年後には、私の会社でのビジコン生産は終わっていたはずであり、数年後の新しい工場の建設も無かったことだろう。にも関わらず、私はむしろ冷遇されることになった。私が幾度も遅刻したことや、組合活動に積極的に参加していたこと(付記4)、上司に対する不満を口にしたこと(それを上司に告げ口されて、部長からきつく叱責されたこともあった)など、考えられる理由は幾つもあるが、数十年前の日本では充分にあり得たことであろう。小説「防風林の松」(私が初めて書いた小説であり、本ブログ左サイドバーにその概要を表示してある。アマゾンの電子書籍であるキンブル本になっている)の主人公は、しばしば会社に遅刻しながらも業績をあげるのだが、結果的には会社を去ることになる。遅刻を繰り返しながらも、仕事に執念を燃やす姿に、私自身の経験が幾分かは投影されている。


「スレイブナカムラ」なる言葉に、ひと頃しばしば聞かされた「社畜」なる言葉が思い出された。今になって思えば、私に対する給与ひと月分の報奨金も、あまりにも少なすぎる金額だったのではないか、という気がする。「技術立国日本」であり続けるためには、経営者の不当な超高額報酬を大きく削り、社員の報酬を上げてその努力に応え、さらなる努力を促すべきだろう。膨大な内部留保を積み上げ、経営者が超高額収入を得る一方で、社員が低賃金で働かされる社会は、長期にわたる自民党政治によってもたらされ、温存されてきた。この国で働く技能実習生(事実上は極端な低賃金で働かされる労働者)などの外国人や、極端に不利な条件で働かされている非正規労働者の賃金を大幅に増やして、社会に明るさと活気を取り戻すためにも、政権交代の可能性がある国にしたいものである。


付記1 撮像管

テレビカメラの中で、光学像をテレビ信号に変える役割をはたす真空管。今では超高感度カメラ用にのみ使われ、一般には半導体の撮像素子が使われている。

 

付記2  RCA社

テレビの歴史に名を残す会社で、撮像管やカラーテレビの方式など、主要な技術の多くを発明し、実用化した。アメリカで1919年に創立されたこの名門企業は、ビデオディスクの開発に係わる膨大な出費と、その商品化にともなう商業的な失敗により、1986年には姿を消す結果となった。RCA は Radio Corporation of America の略称である。
  この会社が出していた赤い表紙の RCA Review  には、撮像管に関わる論文も数多く掲載されていた。ひとり暮らしのアパートにそのコピーを持ち帰り、夜おそくまで読みふけったことが懐かしく思い出される。小説「防風林の松」を書くに際して、主人公に同様の体験をさせることになった。

 付記3
技術開発をチームで推進する場合の問題点(2015.8.27)
文部省・・・・・・・・至る所に紙の山あり(2016.11.1)
・インターネットで再会!・・・・・・自分がかつて開発した製品の写真に!(2016.11.6)




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将来の日本人ノーベル章受賞者 [政治および社会]

12月12日に投稿した「日本が経済大国であり続けるためには」の続きです。


ダイアモンドオンラインに掲載された、野口悠紀雄氏による「日本の国力がアジアで低下、このままでは韓国にも追い抜かれる理由」なる記事の後半に、次のような文章がある。


  「今世紀に入ってからのノーベル賞の受賞者数が、アメリカに次いで世界第2位になった」と報道された。これと、上で見た(日本の)大学・大学院の状況(イギリスの高等教育専門誌Times Higher Educationが公表した2019年9月、20年の「THE世界大学ランキング」では、日本でトップの東大ですら、中国、韓国、香港、シンガポールの大学よりもかなり低く評価されている。)は、あまりに乖離している。なぜだろうか?
 それは、ノーベル賞は、過去の研究成果に対して与えられるものだからだ。日本の研究レベルは、1980年頃には、世界のトップレベルにあったのだ。
 大学の給与で見ても、80年代から90年代にかけては、日本の大学の給与のほうが、アメリカより高かった。アメリカ人の学者が、「日本に来たいが、生活費が高くて来られない」と言っていた。そして、日本の学者は、アメリカの大学から招聘されても、給与が大幅に下がるので、行きたがらなかった。ノーベル賞に表れているのは、この頃の事情なのだ。ところが、給与の状況は、現在ではまったく逆転している。
 日本経済新聞(2018年12月23日付)によれば、東京大学教授の平均給与は2017年度で約1200万円だ。ところが、カリフォルニア大学バークレー校の経済学部教授の平均給与は約35万ドル(約3900万円)で、東大の3倍超だ。中には58万ドルを得た准教授もいる。アジアでも、香港の給与は日本の約2倍であり、シンガポールはさらに高いと言われる。これでは、学者が日本に集まるはずはない。優秀な人材は海外に行く。
 ノーベル賞は過去を表し、1人当たりGDPは現在を、そして大学の状況が未来を表しているのである。
 日本の給与が低いという問題は、大学に限られたものではない。2年前のことだが、グーグルは、自動運転車を開発しているあるエンジニアに対して、1億2000万ドル(133億円)ものボーナスを与えた。これは極端な例としても、自動運転などの最先端分野の専門家は、極めて高い報酬を得ている。
 世界がこうした状態では、日本国内では有能な専門家や研究者を集められない。トヨタが自動運転の研究所トヨタ・リサーチ・インスティテュートをアメリカ西海岸のシリコンバレーに作ったのは当然のことだ。
 最近では、中国の最先端企業が、高度IT人材を高い給与で雇っている。中国の通信機器メーカーのファーウェイは、博士号を持つ新卒者に対し、最大約200万元(約3100万円)の年俸を提示した(日本経済新聞、7月25日付)。朝日新聞(2019年11月30日付)によると、今年、ロシアの学生を年1500万ルーブル(約2600万円)で採用した。CIO(最高情報責任者)の年収は、日本が1700万~2500万円であるのに対して、中国では2330万~4660万円となっている。
 日本の経済力が落ちるから、専門家を集められず開発力が落ちる、そして、開発力が落ちるから経済力が落ちる。このような悪循環に陥ってしまっている。これは、科学技術政策や学術政策に限定された問題ではない。日本経済全体の問題である。この状態に、一刻も早く歯止めをかけなければならない。(早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問 野口悠紀雄)


自然科学部門のノーベル章受賞者は、たしかに過去の業績によって授賞しているのだが、その受賞者たちは必ずしも多額の研究費と飛び抜けて良い研究環境に恵まれていたわけではない。研究に対して強い情熱を抱き、執念を燃やして努力した結果がノーベル賞をもたらしたはずである。その典型的な例が、ノーベル化学賞を受賞した吉野 彰氏(元旭化成の社員)や島津製作所の田中耕一氏であり、物理学賞の中村修二氏である。中村氏の青色発光ダイオード開発は、昭和31年創業の日亜化学工業(徳島県)でなされたもので、多額の開発費を使える大企業ではなかった。


かつては「電子立国日本」なる言葉があった。半導体技術で世界の先端を行き、半導体製品で圧倒的なシェアを占めていた日本だが、今では韓国や中国の後塵を拝すに至っている。日本の会社が高収益を得ておりながら、社員の給与を抑制していたところ、韓国などの会社が日本の技術者たちに誘いかけ、高額の報酬を餌に技術情報を手に入れた。週末の韓国行き飛行機には、韓国に技術情報を与える目的で訪韓する技術者たちが乗っていたという。最高度の情報を得た韓国の企業は、価格を武器に急速にシェアを伸ばし、日本の企業を圧迫するに至った。


野口氏の主張に同意できるところもあるが、全面的には賛成できかねる。大学のレベルが相対的に低下した主な原因は、大学の教育研究環境と文部行政のあり方、そして、研究者を目指す学生たちの心理にあるのではなかろうか。官僚の世界と同様に、教育研究の世界にも、文部省の意向や、周りや上からの目線を気にする風潮がはびこっていないだろうか。大学の研究者にとって望ましいのは、他事にとらわれることなく研究に打ち込めることだろう。短期間に論文を発表しなければ評価されないような大学で、大きな研究成果は得られないだろう。


給与の改善や研究費の増額だけで改善できるとは思えないが、台頭する諸国に対応するためには、経費を苦にしないですむだけの研究費は必要である。国税の無駄使いを改善すれば、研究費の大幅な増額が可能であろう。トランプにおもねって費やされる巨額の軍備費。洪水対策には堤防強化がより有効であるにも関わらず、巨大な金額を注いでなされるダムの建設。ダムが存在しておりながら繰り返される洪水被害。膨大な費用を要す見込みとなった沖縄辺野古の埋め立て。不必要な「桜を見る会」に5000万円以上を国税から支出。利権がらみの自民党政治では、多くの税が無駄に使われていることだろう。


日本の今と将来に暗雲をもたらしてきた自民党には、政治を改革しようとの自覚がなさそうである。民主党政権には稚拙なところがあったにしても、「コンクリートから人に」なるスローガンには、賛同できるところがあった。政権の交代がなったなら、政権運営に不慣れなゆえに稚拙なところがあろうと、日本の将来にとって有益だろう。自民党政治で利益を得てきた大企業と富裕層には喜ばれないだろうが。


ここまで書いて投稿しようと思い、記事を読み返したら、タイトルから離れた内容になっている。私が言いたかったのは、「大学や企業の研究者たちが、研究や開発に情熱をもって取り組み、目標に向かって執念を燃やせるような環境を作ることが、ノーベル賞につながる成果をもたらすだろう」ということである。さらに、多くの高校生以下の少年たちが、将来の研究者を夢見るような社会風土となれば、日本にとってより好ましいことだが。



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日本が経済大国であり続けるためには [政治および社会]

きょう(12月12日)のダイアモンドオンラインに、「日本の国力がアジアで低下、このままでは韓国にも追い抜かれる理由」なる記事が掲載された。筆者は 早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問の野口悠紀雄氏(一橋大学や東京大学などの元教授)である。  

     

その記事は次のような文章で始まっている。


 世界経済が成長する中で、日本の生産性が低下している。このため、日本の相対的地位が低下する。
 シンガポールと香港が、1人当たりGDP(国民総生産)ですでに日本より高い値だ。近い将来に、韓国と日本の関係も逆転する。
 生産性向上の基礎となるべき高等教育の分野で、日本の落ち込みが著しい。
 経済力が落ちるから教育・研究が進まず、開発力が落ちる。そのため経済力が落ちる、という悪循環に陥っている。
 アジア諸国地域の1人当たりGDPを、日本を100とする指数で見ると、シンガポールと香港は、2000年代の初めには日本の6割程度だったが、シンガポールは00年代の中頃に日本を抜いた。現在では、日本の1.5倍を超えている。
 香港は14年に日本を抜き、現在では日本の1.2倍を超えている。ただし、どちらも都市国家(地域)であり、人口が少ないので、特殊なケースだと考えられるかもしれない。
 しかし、最近、新しい現象が生じている。それは、韓国や台湾が1人当たりGDPで日本に迫っていることだ。(図表が表示されているがここでは省略)
 ・・・・・・しかし、12年頃から、韓国の1人当たりGDPは再び日本に近づいている。18年に8割をこえた。IMF(国際通貨基金)の推計では、23年には日本の85%になる。韓国の最低賃金は、すでに日本より高くなっている。


記事には次のような文章がある。


  1人当たりGDPで、韓国は日本との差を縮めつつあるので、いずれ日本より高くなることが予想される。・・・・・・この予測は、多くの日本人が認めたくないものだろう。
  ・・・・・・日本はアジアで最初に工業化した国であり、1980年代には世界経済における地位が著しく向上した。その状況がいまでも続いていると考えている人が、日本には多い。しかし、現実の世界は、すでに大きく変わってしまっているのだ。
 韓国、台湾、シンガポール、香港は、70年代以降急速な工業化と高い経済成長率を達成した諸国・地域で、かつてはNIES(新興工業経済地域)と呼ばれた。それらの国や地域が、日本に追いつき、追い抜いていく時代になったのだ。


野口氏によれば、日本の1人当たりGDPが伸びないのは、生産性が向上しないからであるという。その原因は技術開発能力の低下にあるとして、技術開発能力の基礎となる高等教育の状況を各国と比較して、次のような記事を書いている。


 イギリスの高等教育専門誌THE(Times Higher Education)は、2019年9月、20年の「THE世界大学ランキング」を発表した。
 それによると、アジアのトップは中国の清華大学(世界23位)、第2位は北京大学(世界24位)、第3位はシンガポール国立大学(世界25位)、第4位が香港大学(世界35位)だ。やっとアジア第5位に、東京大学(世界36位)が登場する。そして、第6位の香港科学技術大学(世界第47位)、第7位の南洋理工大学(世界48位)と続く。アジアの大学で世界50位以内は、ここまでだ。日本第2位の「京都大学」は世界65位となっている。
 世界の上位200校に入る大学数は、中国が7校、韓国が6校、香港が5校、シンガポールが2校となっている。それに対して、日本は、東京大学と京都大学の2校のみだ。このように、大学の実力は、すでに、中国、韓国、香港、シンガポールに追い抜かれている。
 先端的な分野について見ると、日本の立ち後れは、さらに顕著だ。
 コンピュータサイエンスの大学院について、U.S. News & World Report誌がランキングを作成している(Best Global Universities for Computer Science)。それによると、世界第1位は清華大学だ。以下、第2位が南洋理工大学、第4位がシンガポール国立大学、第6位が東南大学(Southeast University)、第7位が上海交通大学、第8位が華中科技大学(Huazhong University of Science and Technology)となっている。
 このように、アジアの大学院が、世界トップ10位のうち6校も占めているのだ。ところが、それらはすべて中国とシンガポールの大学である。日本のトップは東京大学だが、世界のランキングは134位だ。まるで比較にならない状態だ。


野口氏の指摘に頷けるところはあるが、日本が停滞しているさらに大きな原因は、日本を覆っている沈滞ムードではなかろうか。若い世代が夢と希望を抱けるような、そして将来に明るい展望をもてるような社会にすれば、そして、信頼できる政治が行われるようになれば、社会に活力が戻ってくるのではなかろうか。日本を沈滞感におおわれた国にした自民党を、政権の座から追い出したいものである。


野口氏の記事はさらに続いているので、明日以降のブログで紹介したいと思う。


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憲法による規定を無視し、国会を軽視する安倍政権 [政治および社会]

きょう(12月11日)の朝日新聞に、「国会軽視『ない』尽くし」なる記事が掲載された。その記事は次のように書き出されている。


議論するための委員会を開かない。やりとりを深めるための資料を示さない。疑惑を向けられた政治家が国会に出てこない。9日に閉幕した臨時国会は、三つの「ない」に象徴される安倍政権の立法府軽視の姿勢が、際だった。
                                                 
安倍首相は先ごろの記者会見で、「国会から求められれば、説明責任を果たすのは当然」と語ったのだが、野党が参院規則に基づいて求めた首相出席の予算委員会の開催を、「桜を見る会」にかかわる追求を避けたいために、規則を無視して自民党は拒否した。
                               
憲法違反の立法をごり押ししたり、野党が憲法の規定に基づいて求めた国会開催を無視したあげく、国会を解散した安倍政権。公文書を改竄したり破棄したり、野党が求める資料の開示を拒否したりと、安倍政権には多くの問題があるのだから、「安倍退陣」を叫ぶ声が湧き上がってしかるべきだが、不思議なことにその声はささやかである。ときに応じて政権が交代する状況にあることが、この国の将来のために望ましいのだが。

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特徴のある声(続き) [雑感]

ネット通販で購入したエアコンを設置するため、以前に依頼した設置業者に電話をかけたところ、こちらの名前を告げなかったにもかかわらず、その業者は電話の主が私であることに気づいた。その記憶力に感心したことを記事にしたのが、11月16日に投稿した「特徴のある声」である。


古いエアコンをポンプダウン(冷媒ガスを空気中に放出させないために、室外機と室内機を結ぶ配管内の冷媒ガスを室外機に収納し、密封する作業。簡単な作業であり、やり方さえわかれば素人にもできる。)して取り外し、新しいエアコンを設置するための準備作業(室外機の傾きによるガス漏れを防ぐため、土をしっかり踏み固めるとともに、、コンクリートブロックの水平出しも行った)などを終えてから、設置業者に来てもらった。


2階の部屋に設置するため、長いはしごを使っての作業だったが、作業が捗るように準備しておいたので、設置作業は順調に終わった。そのためであろうか、見積もり金額よりも3000円ほど少ない料金が請求された。ネットで調べてみると、格安と言ってよさそうな金額である。


作業が終わってから聞いてみた、「先ごろ電話をかけたとき、声だけで私だとどうしてわかったのですか」と。業者の答えは予想どおりの「声の特徴でわかりました」であった。年に100を超える家を訪問し、2時間の間に少しだけ言葉を交わすような仕事をしておりながら、1年以上も前に会った顧客の声を記憶していたことに、私は感心するばかりである。それとも、私の声には余程の特徴があるのだろうか。家族の者に問うたところでは、変わった特徴はないということだが。


私がかつて勤務していた会社の工場長は、工場の従業員すべての名前と顔を憶えていると噂されていた。その工場には千人以上の従業員がいたと思われるから、噂が真実だったなら、並外れた記憶力の持ち主ということになろう。若い頃の私なら、そんな記憶力をうらやましく思ったであろうが、高齢者の仲間になった今では、並みの記憶力を維持できていることに、充分に感謝している。

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安倍政権の異常な政治・・・・・・責任を負うべきは国民 [政治および社会]

今日(12月3日)の朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」に、首相にあるまじき安倍首相の姿を嘆く記事が載っている。ここにその全文を紹介させてもらう。


朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」に掲載された記事


丁々発止の委員会質疑はNG。本会議で官僚答弁を読むだけならOK 。首相の”説明責任”が何ともみみっちい。


首相は国会を、国民を甘く見ている。目前の追求さえかわせば国民の怒りは冷める。モリカケの時のように、と。


責任は国民にも。巨大な数を首相に与えた責任だ。忘れない、ごまかされない。持続する民意こそ政治を動かす。


私はこの記事に全面的に同意する。それにしてもである、政権に関わる不祥事のたびに支持率は下がるけれども、わづか数ヶ月で恢復するとはどうしたわけか。安倍首相に国会と国民を舐めさせている責任は国民にある。「責任は国民にも。巨大な数を首相に与えた責任だ。忘れない、ごまかされない。持続する民意こそ政治を動かす。」

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