超能力の存在と霊魂の実在 [超常現象]
霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある(2015年12月7日)
霊魂の実在を信じない人たち(武本昌三氏のホームページより)(2017年5月3日)
夢とはやはり不思議なもの [超常現象]
今の私は霊魂や予知夢の実在を知っているわけだが、不思議なことを自ら体験しなかったなら、その存在を疑ったにちがいない。私がいかに真摯にこれを記そうとも、読んでくださるひとのほとんどは思うはず、〈思い違いや錯覚、夢に似た情景に出会っただけ、・・・・・・〉ではないのかと。そうであろうと、これからも、このような記事を投稿してゆくつもりである。読んでくださる誰かのために役立つことを願いつつ。
「予知夢・・・・・・体験者にとっては真実なれども未体験者には絵空事」(2015年6月28日投稿)
「予知夢の実在を実証する方法」(2016年3月14日投稿)
「私が体験した予知夢・・・・・・故郷のバス停にまつわる思い出」(2016年11月21日投稿)
私が体験した予知夢……故郷のバス停にまつわる思い出 [超常現象]
故郷で過ごしていた二週間の間に、生家からかなりの距離まで幾度か歩いてみた。10分ほど歩くとバス停があり、バスが通過する時刻が表示されている。朝と昼過ぎそして夕方の、一日にわずか3回しか通らないのだが、聞くところによると、利用する者は極めて少ないとのこと。島根県は人口が少ないうえに、移動には自家用車を使うひとが多い。バスの運行停止も遠くはないという気がする。
じつのところ、そのバス停には忘れることのできない思い出がある。
およそ40年ほど前のことである。生家に帰省している間に用事ができて、出雲市内まで出かけることになった。その日は車の都合がつかなかったので、バスを利用することにしてバス停まで歩いた。
なかなか来ないバスを待っているうちに、いきなり奇妙な予感に襲われた。「東京の自宅で見た数日前の夢の場面が、もうすぐ起ころうとしている。」
私は急いで身体をまわし、バスが来るはずの方向を眺めた。開通したばかりの国道9号線が、緩やかに右方向へ曲がっており、その先は見えなかったが、すぐにバスが姿を見せると、カーブを回って近づいてきた。私は驚きと感動を覚えつつバスを見つめた。私が見ている情景は、数日前の夢そのものだった。
東京を発つ数日前の朝方、私は色のついている夢を見た。眼が覚めてからも鮮明に覚えている夢とはいえ(数十年が経った今でも、その夢は記憶に残ったままである)、何のへんてつもない夢であり、カーブの向こう側から現れたバスがこちらに向かって近づいてくる情景だった。夢には色がついており、近づいてくるバスはツートンカラーに塗られていた。
その数日後の故郷で、私は夢に見たのとまったく同じ情景を見ることになったのである。似ている情景ではなく、まったく同じ風景の中に表れたまったく同じ情景である。国道9号線が開通して間もないころであり、近づいてくるバスを取り巻く景観には馴染みがなく、バス停からの眺めは初めてのものだった。
このように書くと、読んだひとの多くは思うことだろう。「まったく同じ情景に出会ったつもりだろうと、実は似ていただけではないのか。誰にでも、この場面はどこかで見たことがある、と思えるような体験はあるのだから」
その意見を否定するつもりはないが、私がそれを正夢と考える理由がもうひとつある。
私は予知夢を2度も見ているのだが、その体験には際だって特徴的なところがある。2015年6月28日の記事「予知夢……体験者にとっては真実なれども未体験者には絵空事」にも書いたことだが、夢で見た情景が現れる直前に、いきなり予感に襲われている。いずれの場合も、その予感は不意に浮かんできて、「間違いなく、もうすぐ夢の情景が現れる」ことがわかったのである。そのように実に不思議な体験をしている私は、特攻隊員を主人公とする小説「造花の香り」(本ブログのサイドバーに小説の概要が記されている)の中で、主人公に予知夢を見る体験をさせている。
もしかすると、私と同じような体験を持つひとが、少なからずいるのではないか、という気がしている。このブログを読んで下さるひとが多ければ、なんらかの反響が得られるかも知れないのだが、読者数はまだ少ないのが現状であり、期待できそうにないのが残念である。
ついでに記すと、私は予知夢を見ただけでなく、霊に関わる不思議な体験をしている。そのために、私は超常現象や心霊に関わることに強い関心を抱き、関連する多くの書物に眼を通してきたし、このブログでも、その種の記事を幾度も書いてきた。それを列挙すると次のとおりである。
2015年6月28日 予知夢……体験者にとっては真実なれども未体験者には絵空事
2015年10月8日 淺田次郎の小説「降霊会の夜」を読んで
2015年12月7日 霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある
2016年3月14日 予知夢の実在を実証する方法
科学で説明できないことや科学と相容れないと思われる事柄に対して、多くのひとは拒絶反応を示す。 自ら体験するまでの私自身もそうであったのだから、霊魂に関わる話題を拒絶する人の気持ちはわかるのだが、調べてみればわかることを知らないままに過ごすことは、実にもったいないことである。 2015年12月7日の投稿記事「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある」に記したように、霊魂の実在は容易に知ることができる。
私が知る限りでは、「霊魂が実在することを知っている人のすべてが、それを知って良かったと思っている。」と言い切ることができる。
テレビ番組「世界超常能力TV……奇跡のチカラ真相!!」について [超常現象]
このブログで書いてきたように(注1)、私は幾度も不思議な体験をしている。その体験とそれが意味するところを知ろうとした過程を通して、霊魂が実在することも、夢で未来を知ることがあり得ることも知っている。そのような経緯があるので、テレビで紹介された事柄を頭から否定することはしないが、安易にそれを受け入れようとも思わない。それが真実であるとの保証がないからである。私は、「テレビ会社には、視聴者の興味を惹く番組を作るにとどまらず、信頼のおける調査機関に働きかけて真偽のほどを検証してもらいたい」と思っている。
放映されたごとき事象が真実であると判明し、多くのひとがそれを認める事態となれば、人類社会に有益な影響をもたらすに違いない。霊魂の死後存続を識ることにより、人生観や生き方が変わるはずである。刹那的な生き方をする者はいなくなり、犯罪や利己的な振る舞いが減る可能性がある。
シャーロック・ホームズの産みの親コナン・ドイルや、日本心霊科学協会を創設した浅野和三郎など、多くのひとが霊的な知識の普及と啓蒙に尽力してきたのも、それが人類にとって極めて有益な知見だからである。武本昌三氏(注2)はブログを通じて啓蒙活動に励んでおられるし、日本心霊科学協会(注3)は数十年にわたって心霊に関わる活動を続けている。このブログを読んでくださった方々が、それらのサイトを訪ねることで、新たな知見を得られるようにと願っている。
注1 すでに書いた霊に関わる記事の例
「浅田次郎の小説『降霊会の夜』を読んで」(2015.10.8)
「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある」(2015.12.7)
注2 武本昌三
元大学教授
精神世界に関わる啓蒙活動の拠点として、ホームページ「ともしび」を開設
注3 日本心霊科学協会
役員には4人の大学教授と3人の医療関係者が名を連ねるなど、霊に関わる団体としては異色な存在であり、そのホームページには、公益目的事業が次のように記されている。
(1)心霊的といわれる現象の学術的研究の振興と教育
(2)心霊知識の提供に関する事業
現在の理事長は防衛大学校名誉教授の大谷宗司氏である。
予知夢の実在を実証する方法 [超常現象]
未来に生じることを前もって夢で見るということは、現在の時間に関する概念からかけ離れたことであり、科学的に検証しようにも、そのための手段も手がかりもなさそうである。そうであろうと、昨年12月7日の記事「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある」と同様のやり方で(注)、予知夢の実在を実証できないだろうか。
霊魂の場合には、間接的な証拠を積み上げることにより、その実在を実証できるのだが、類似の手段で予知夢の実在を実証するためには、人為的な手段で予知夢を体験できなければならない。それができない限り、予知夢の存在を実証的に知ることは難しそうだが、間接的な証拠を積み上げる方法がなくはない。
私の限られた体験ではあるが、目覚めてから時間が経つと忘れる普通の夢と異なり、予知夢はいつまでも記憶に残る。そこで、超心理学の研究者に対して次のような提案をしたいと思う。
広く世間に対し、次の如き内容で協力を求める。「目覚めてからも鮮明に記憶する夢を見た場合、そのことを記録に残すのみならず、第三者にもそれを報せておく。その後で夢の情景を見るに至った場合には、詳細にそれを記録し、研究者に報告する。」
予知夢を体験するひとは少ないとはいえ、全国的にはかなりの人数となるはずである。上記のやり方により、数十例もの実例を集めることができれば、予知夢の実在を実証できる間接的な証拠となるはずである。それを論文にまとめたならば、世界的にも注目される、きわめて価値あるものになるだろう。
日本人にかぎらず、現代人の多くは、現状の科学と相容れない事象に対して否定的である。科学的な態度とも言えるが、科学万能思想に洗脳された結果とも言えよう。科学技術の世界に身を置いた人が超常現象を体験し、それを事実と受け止めざるを得なかった例は多く、幾つもの書物として著されている。社会的に信頼される立場にある人のそのような著作が、多くの図書館で蔵書になっている。眼を通されるようお勧めしたい。
注 霊魂の実在を知る簡単な方法
昨年12月7日の記事「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある」に記したように、間接的な証拠を積み重ねることにより、霊魂の実在を簡単に知ることができる。
朝日新聞に掲載された幽霊に関わる記事……武本昌三氏のブログより引用 [超常現象]
たまたまそのブログを眼にした私は、高い識見に裏付けられたその内容に惹かれ、しばしばそこを訪れるようになった。
そのブログ「ともしび」に、先月の朝日新聞に掲載された「被災地タクシー 幽霊を乗せて」なる記事が紹介されている。(2月17日の投稿記事)
武本昌三氏のブログ「ともしび」の紹介を兼ねて、以下にその記事を引用してみたい。
武本昌三氏のブログ「ともしび」より、2月17日の記事「幽霊を乗せて走った被災地タクシー」を引用
東日本大震災の最大の被災地・宮城県石巻市のタクシー運転手たちが体験した幽霊現象を、「朝日新聞」(2016.01.21)夕刊が、「被災地タクシー 幽霊を乗せて」というタイトルで大きく取り上げていた。サブタイトルが「死者への思い 大学生が卒論に」となっている。東北学院大学の社会学のゼミで工藤優花さんが卒論に「幽霊現象」をテーマに選んだというのである。工藤さんは3年生の時の一年間、毎週石巻に通い、客待ちをしているタクシー運転手をつかまえては「震災後、気になる経験はないか」と尋ねてまわった。100人以上に質問したが、多くの人は取り合わなかったり、怒り出したりした。それでも7人が、不思議な体験を語ってくれたという。そこには、こんな話もあった。
(50代の運転手の話)
震災後の初夏に季節外れのコート姿の女性が、石巻駅付近でタクシーに乗り込み、「南浜まで」と行き先を告げた。「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、その女性は、それには答えず、「私は死んだのですか」と震える声で言った。運転手が驚いて後部座席に目を向けると、そこには誰も乗っていなかった。
(別の40代の運転手の話)
夏の8月なのに厚手のコートを着た20代の男性客を乗せた。バックミラーを見ると、まっすぐ前を指している。繰り返して行き先を訊くと「日和山」とひと言答えた。しかしその日和山に到着した時には、後部座席にその男性の姿はもうなかった。
これらが、単なる「思い込み」や「気のせい」ではなかった証拠があるという。タクシーに誰かを乗せれば、必ずメーターは「実車」に切り替わり、記録が残る仕組みになっている。誰かを乗せて代金を受け取らなければ、運転手が代金を弁済しなければならない。運転手の中には、出来事を記した日記や、「不足金あり」と書かれた運転日報を見せてくれた人もいたらしい。興味深いのは、証言してくれた運転手たちが、みな恐怖心ではなく、幽霊に畏敬の念を持ち、大切な体験として心にしまっている、と工藤さんが伝えていることである。ある運転手は津波で身内を亡くしていた。「こんなことがあっても不思議ではない。また乗せるよ」と言う人もいた、と彼女は話している。こういう幽霊現象そのものは新奇ではないが、工藤さんがそれを大学の卒業論文にしたというのは、珍しいといえるかもしれない。 (引用おわり))
朝日新聞の記事によれば、幽霊に関わる卒業論文は、「呼び覚まされる霊性の震災学」なる書籍として、近いうちに出版されるという。
私が住む中部地方では、朝日新聞の記事タイトルは「震災の死「幽霊」から考える」となっているものの、内容は同じものである。私は霊の実在を知っているので、有り得ることとしてそれを受け止めたが、それを読んだ多くのひとにはどう思われただろうか。
このブログに幾度も書いてきたように、「霊」は決して不吉なものではなく、それに関わる知見は人生に大いに役立つものである。昨年10月8日の記事「淺田次郎の小説「降霊会の夜」を読んで」や10月29日の「人が生きる目的は幸せになることか?」、12月7日の記事 「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある」などを読んでもらえたらと思う。
武本昌三氏のブログ「ともしび」を訪れたことで、精神世界の一端に初めて触れ、人生観を新たにするひとも多いと思われる。訪問されるようお勧めしたい。
予知夢……体験者にとっては真実なれども未体験者には絵空事 [超常現象]
私には予知夢を見た体験がある。およそ40年も前に二度ほど体験したのだが、いずれの夢も今なお鮮明に覚えている。
電子書籍にした小説〈造花の香り〉(6月19日の〈喜多郎やモーツアルトをBGMに小説を書く〉参照)(本ブログの左側サイドバーに小説の概要を紹介してある)には、主人公が不思議な夢をみる場面がある。 主人公の森山良太は海軍に入る前の学生時代と、特攻隊要員に指名されてからの二度にわたって、鮮明な記憶として残る夢を見るのだが、それから間もなく、夢の内容とまったく同じ情景に遭遇することになる。この小説を読んでくださる方は、この部分を非科学的なものとして、違和感を憶えられるかも知れない。そのように危惧しながらも、あえてそれを書きいれることにした。そして、不思議な夢に関わる部分が私の体験に基づくことを、小説のあとがきに書きそえたのである。その部分を引用して以下に記す。
小説〈造花の香り〉のあとがきより引用
この小説には不思議な夢の話がでてくるのだが、実のところ、これは私自身の体験にもとづいている。
科学技術の世界に身をおいた者のひとりとして、科学と相いれない事がらを安易に受けいれるつもりはないが、主人公の良太と同様に、不思議な夢を二度にわたって体験したことにより、現在の科学知識では説明できない世界があることを、受けいれざるを得なくなったのである。
不思議な体験を有する人は思いの外に多そうである。学究あるいは科学技術に携わる人がそのような体験をしたとき、その探求に意欲を抱くにとどまらず、不思議な世界を世間に紹介し、人々の人生に寄与したいと願うのは自然なことと思われる。
図書館で調べてみると、そのような人の著作が少なからず見つかる。その著者が不思議な世界と真摯に向き合って著した書物であれば、単なる好奇心やオカルト趣味から離れて読むことができ、得られるところも多いはずである。とはいえ、超常現象や霊などに関する書物を安易に選ぶと、好奇心に導かれるままに、危険な所へ誘い込まれる惧れがないとは言えない。その種の書物をこれから読もうとされる方には、社会的に信頼される立場にある人の著作を、先入観をはなれて読んでいただきたいと思う。読む人ごとに受けとり方はさまざまであろうが、その読書が無駄に終わることはないはずである。(引用おわり)
40年ほど前のある日、旅先のバスで居眠りから覚めた私は、不思議な感覚におそわれた。「数日前に見た夢の情景が、もうすぐ目の前に現れようとしている」
その感覚は、極めて強い予感とも言うべき、まことに不思議な感覚だった。それから1分ほどが経ったとき、夢で見た光景が眼前に現れた。世の中には、よく似た情景や景観はいくらでもあるわけだが、そのときに現れた情景は、夢で見たものと同じであった。そのように確信できたのは、数日前に見た夢が極めて鮮明で、色彩も鮮やかであり、目覚めた直後だけでなく、数日が経ってもなお、その場に居合わせていたかのように、しっかりと記憶に残っていたからである。
その数ヶ月後に二度目の体験をした。帰省の準備をしていた東京の自宅で、めずらしく色のついた夢を見たのだが、故郷に帰って数日を過ごしたある日、その夢とまったく同じ情景を見たのである。それだけでなく、その情景を目にする直前に、その情景に遭遇することがわかった。一般的な表現をするなら、予感がしたと言うべきかも知れない。
世の中にはよく似た構図の絵画はいくらでもあるが、似てはいても明らかに異なっている。私が遭遇した情景は、夢の情景に似ているというより、夢で見た情景そのものだった。
予知夢を体験する人はそれほど珍しくはないようである。そのような体験者の間では理解し合えることだが、そうでないひとにとっては、とうてい信じることができないだろう。私には他にも不思議な体験があるのだが、現在の科学では説明できないどころか、あり得ないこととして否定されるような出来事である。私にとっては体験を通しての真実であろうと、科学では説明できない不可思議なことには違いなく、もしかすると、科学では永遠に説明できないのでは、という気がしている。解明すべく取り組もうにも、その手段が見つかりそうにないからである。とはいえ、そのような不可思議な世界が実在することを、実証的に、しかも簡単に確認できる方法がある。そのことを書けば長くなるので、日をあらためて記すことにする。
追記(2019.7.27)
今の科学では霊魂の存在を説明することはできないのだが、2015年12月7日に投稿した「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある」に書いたように、それが実在することを実証することは可能である。