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教師が聖職者と呼ばれた時代 [教育]

教師だった私の父は、近所の人から声をかけられるときに「・・・センセ」と呼ばれていた。「・・・さん」と呼ばれるようになったのは、戦後もかなり経った頃からではなかったろうか。
                                                                                                                                                
私が戦前の教育を受けたのは国民学校2年生の夏までであり、それ以降は大学に至るまで戦後の教育を受けた。ほとんどの教育を戦後になって受けたわけだが、教師に対して尊敬の念を抱きつづけた。父だけでなく親類縁者にも多くの教師がいたのだが、教師に敬意を抱いたのはそのせいではなく、戦前の価値観が影響したように思われる。
                                                   
教師の役割が教科を教えるだけに留まらず、生徒の人格形成に寄与し、生き方を教える役割をも期待されていることから、戦前には教師を聖職者とする見方もあったらしい。教師の役割は昔と変わらないはずだが、最近の学校では先生を馬鹿にする生徒がいるようである。セクハラを責められる教師がいる世の中だから、教師の自覚も戦前とは変わっているのかもしれないのだが、子供たちの教師に対する向き合い方には、教師に対する父兄の態度が影響しているのであろう。モンスターペアレントが問題になる時代だが、私の少年時代には考えられなかったことである。
                                                   
日本人の公徳心が高い例として、町中のゴミが少ないことや、順番待ちの列が乱れないことなどがあげられている。町中に多くのゴミがちらばっているような国から来た人であっても、日本では安易にゴミを捨てないだろうし、列に並べばそれを乱すようなこともないと思われる。人の価値観や行動は、社会環境によって影響されるわけだが、教師に向けられる眼も、昔とはずいぶん変わっているようである。教師が聖職者と呼ばれることに違和感がない社会が、子供たちのために望ましく、社会にとっても好ましいと思うのだが。


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私が初めて歌を詠んだとき・・・・・・中学生時に歌を詠むことができた理由 [教育]

ブログで父の歌を紹介したことを契機に、「吾が詠みし歌」なるカテゴリーを設けて歌を詠んでおります。そんな私ですが、これまでは、歌とはほとんど関わらずに生きてきました。とはいえ、過去に数首ほど詠んだことがあります。これまでに詠んだ歌で記憶に残っているのは、60年前に書いた両親あての手紙に添えた歌(「父の歌集」2015.9.9)と、定年後に書いた小説「造花の香り」の中で、主人公に詠ませた2首の3首だけです。
                                                   
私が初めて歌を詠んだのは、中学2年生時の国語の授業を受けているときでした。先生に指示されて歌を詠むことになり、生徒はめいめいにノートに向かいました。どうしたわけか、私は苦もなく3首を詠むことができました。歌が詠めたら手を上げるよう求められ、私は3首の歌を読みあげたのですが、そのときの先生の表情を今でも憶えています。無言のままに私を見つめる先生の顔。
                                                   
その授業で歌を披露したのは私だけでした。歌を作れても披露しなかった者がいた可能性はありますが、いずれにしても、中学2年生時の私には、さほどに苦労することなく歌を詠むことができたことになります。
                                                   
ここまで書いたら、中学2年生の私に歌が詠めた理由らしいものに気づきました。中学生になった頃の私が、石川啄木の歌集を読んでいたことです。
                                                   
父の蔵書に現代日本文学全集(改造社)があり、その中の一冊に石川啄木の歌集がありました。歌にはほとんど興味を覚えなかったはずですが(というより、国語に興味をおぼえなかった)、その歌集の歌をかなり読みました。読んだ歌の幾つかをいまでも記憶しております。そのようにして短歌を知ることになった私には、稚拙な歌なら苦も無く詠むことができたのでしょう。
                                                   
ここまで書いたらさらに気づいたことがあります。歌に興味を覚えなかった私がどうして啄木の歌集を読もうとしたのか。もしかすると、好奇心にかられて啄木集を開いたのではなかろうか。私を理系の道に駆り立てたのは私自身の好奇心であろうが、啄木の歌集を開かせたのも、私の好奇心ではなかったろうか。そうだとすれば、私は好奇心に導かれて技術者になり、好奇心が遠因となってブログに歌を載せていることになりそうです。


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学校教育について [教育]

4月16日に投稿した「早生まれの人が損をしている現実」に関連する記事です。
                                                   
本ブログの「教育カテゴリー」には、偏差値教育に関わるものなど多くの記事を投稿してきました。「早生まれの人が損をしている現実」を書いたら、「学校教育のあり方について(2)  (2020.7.29)」と、その付記に列挙してある過去の記事を読んでもらいたくなりました。というわけで、その記事を再投稿します。
                                                   
「学校教育のあり方について(2)  (2020.7.29)」再投稿
                                                   
7月14日の投稿記事「学校教育あり方につのいて」の続きです。


 「学校教育のあり方につのいて」で、親野 智可等氏による「公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体 日本の一斉授業は本当にこのままでいいのか」なる記事を紹介したのだが、私はそこに記された考え方の多くに賛同する。
 中学1年生までは成績が悪かった私は、3年生時にはむしろ成績の良い生徒になっていた。そんな私が教育に強い関心を抱くようになったのは、まったく未経験だった小説の創作に取り組んでからである。
 小説「防風林の松」(本ブログの左サイドバーにて概要を紹介している。小説投稿サイトの「カクヨム」「小説家になろう」などで読むことができる)の序章は、次のような文章で終わっている。この小説の99%は創作だが、1%程度は私の体験に基づいている。
                                                   


 それにしても、人生とはほんとうに不思議なものだ。僕は中学校の一年生まで成績劣等生だった。その僕が、今は技術者としてこんな生き方をしている。あのオーディオ装置が僕の部屋になかったならば、そして、あの時期に僕が音楽につよく惹かれなかったならば、僕はどのような人生を歩むことになっただろうか。


 「防風林の松」は若い技術者を主人公とする恋愛小説だが、その第1章には次のような文章がある。主人公が友人と会食中に交わす会話の一部である。


 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」
「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」
「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。
「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」
 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。
 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」


 中学1年までの私は成績が悪かったのだが、偏差値教育の弊害がなかった時代だったからであろうか、自分の成績をさほど気にすることなく、そして、落ちこぼされることなく中学課程を終えることができた。本ブログの「教育カテゴリー」には、教育に関わる記事を幾度も投稿している。それらを以下に列挙しておく。読んでくださる方の参考になればと願っている。
                                                   


付記 過去に投稿した教育に関わる記事の幾つかを以下に列挙しておく





 



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早生まれによる不利から子ども救うには [教育]

「早生まれの人が損をしている現実(2023.4.16)に関連する記事です。



とくに小学校低学年において、早生まれの子どもは体力的にも知的にも圧倒的に不利な状況にある。1年ごとの年度で学年を構成しているかぎり、この状況が改善されることはない。今できるのは、現行制度のなかで早生まれゆえの不利を軽減することである。



スポーツの分野で活躍している人には、早生まれの人が少ないことがわかったという。小学生時代にその原因があるということだが、早生まれの人が不利な状況にあるのはスポーツの分野にかぎらないはず。小学校低学年で授業についてゆけず、そのまま落ちこぼされるような子どもがいる可能性がある。落ちこぼされないまでも、失った自信が生涯にわたって影響を及ぼし、ままならない人生を送る人がいるのかもしれない。



早生まれの子ども自身は、自分が不利な条件にあるとは意識していないと思われる。それを意識していなかろうと、不利な条件がもたらした好ましくない結果が、その子どもに劣等感をもたらし、人生に影響を及ぼす可能性がある。子ども自身にそれを防ぐことはできないのだから、親や教師が意を用いる必要がある。



ここまで書いたら、2016年12月5日に投稿した「子供の心理と学校での成績・・・・・・注目すべき実験の結果」を思い出した。子どもの心理が学業成績に及ぼす影響について書いたその記事を、ここに再掲することにした。



「子供の心理と学校での成績・・・・・・注目すべき実験の結果(2016.12.5)」再掲



子供たちの学校での成績は、心理的な要素によって大きな影響をうけるはずである。誰でも予想できることだが、そのことが小学校で実験によって確かめられたという。とはいえ、かなり以前にアメリカで行われたものであり、私が書物で読んで知ったのも、数十年も前のことだった。

  興味深いその実験と結果はつぎのようなものだった。

   ある心理学者がある小学校を訪れて、生徒たちに対してテストを行ったあと、学級担任に向かって告げたという、「このテストによって、これから成績が伸びるはずの生徒を知ることができました」と。

   心理学者は数人の子供の名前をあげたのだが、実のところは、それらは名簿から適当に選んだものであり、行ったテストも根拠のないものだった。にもかかわらず、そのとき名前をあげられた子供たちの成績は、それから次第に向上していった。

   そのような結果がもたらされた理由として、つぎのようなことが指摘されていた。心理学者の言葉を信じ込んだ担任教師から、「偉い先生が調べた結果、君はこれから成績が良くなることがわかった」と告げられた生徒は、自分は成績が良くなるはずだと思い込み、それによって実際に成績が良くなった。もうひとつ重要なこととして、心理学者から直接ではなく、担任教師を介して伝えられたことにより、より効果が強められる結果になった、と記されていた。

   きょうのブログにこんな記事を書いたのは、先頃読んだ「魂主義という生き方(高橋佳子著)」にも、この実験のことが紹介されており、印象深く読んだからである。この書物「魂主義という生き方」は、並の処世術やマニュアルとは次元を異にしたものであり、「人間が抱いている本当の可能性を引き出すこと」を主眼として、「誰しも抱いているはずの、この世に生まれてきた目的を、いかにしたら果たすことができるか」を指し示している。この書物には、人間の心がもつ力について記されている章があり、その一部に上記の実験に関わる文章が記されている。

   本当のところは、「魂主義という生き方」なる書物について書きたかったのだが、その紹介はもう少し先にのばすことにした。高度なテーマを扱いながらも難解ではなく、むしろ読みやすいとも言えるのだが、誤りなく紹介するには準備不足の感がある。というわけで、今日はその中の一節のみを紹介した次第である。   (再掲 おわり)



早生まれの子どもは体力的にも知的にも不利だが、子ども自身に対処するすべはない。対処する努力は親や教師に求められるわけだが、現実にはほとんど考慮されていないのではなかろうか。早生まれの子どもの不利な状況を軽減するために、親と教師がそのことを認識して子どもに向き合い、子どもの成長に及ぼす心理的な要素をも考慮すべきではなかろうか。




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早生まれの人が損をしている現実 [教育]

4月15日の朝日新聞スポーツ面に、「早生まれの子 離脱させないために」なる記事が掲載されている。その記事はこのように書き始められている。<子どもたちが新学年を迎えるこの時期、頭に浮かぶのは、生まれ月のスポーツへの影響だ。学年内の成長差が大人になっても続く。>
                                                                                                                                                 
その記事によれば、プロ野球の登録選手を生まれた月で分けたところ、4~6月は32%、7~9月は29%、10~12月は22%、1~3月は18%だという。Jリーグについては、33%、32%、19%、16%であり、統計的に圧倒的に有意な偏りがあるという。
                                                                                                                                                
小学生時代には、体力的に劣る早生まれの子は当然ながら不利なわけだが、その不利な状況が大人になっても続くのはなぜなのか。上記の記事によれば、東京農大の勝亦陽一教授(スポーツ科学)は、それを裏付けるデータを得ているという。小学生期に活躍する選手は4~9月生まれが多く、全国大会の出場チームの選手中、早生まれは6%しかいなかったという。野球をしている中学生に聞いたところ、4~6月生まれの58%がプロ選手になりたいと希望しているのに対して、1~3月生まれは41%だったという。「早生まれは十分な試合の機会がなく、劣等感を持ち、野球から離脱しやすい」と勝亦教授。
                                                                                                                                                 
解決の糸口について問われた勝亦教授は、「発育段階を考慮して、チームを二つつくるなど、編成を工夫してはどうか」「早生まれを下の学年に入れてみるなど、同学年以外の活動を増やす方法もある」「保護者にも、早生まれの子のスポーツ好きを維持し、伸ばす手立てがある」と答えている。
                                                                                                                                                 
早生まれの子どもたちが不利な状況に置かれるのは、スポーツだけには留まらない。本ブログに投稿した記事「偏差値教育の時代に大器が晩成できる可能性はあるのか(2015.10.2)」に、私は次のような文章を書いた。
                                                                                                                                                
<小学生に対して偏差値を適用した場合、知的な能力がゆっくり上昇する子供に比較して、早熟な子供が圧倒的に有利である。晩成型の子供と親を不安と自信喪失に追い込み、小器のままに終わらせる可能性がある。3月に生まれた子供と前年の4月に生まれた子供は、生育年数に1年ほどの差があるにもかかわらず同学年となる。小学生にとって1年の差が大なることを思えば、親や教師がそのことに配慮すべきだろうが、現実にはどうであろうか。偏差値教育の時代にあってはとくに、この点を考慮した教育がなされるべきであろう。さもなければ、「3月に生まれた子供は入学を1年ほど遅らせた方が得をする」ことになる。>
                                                                                                                                                
そのブログにはこのような文章もある。
                                                                                                                                                 
<  著名な物理学者であった長岡半太郎や、磁石の研究で有名な本多光太郎は、いずれも小学校時代の成績が悪かったことで知られる。初代の文化勲章受章者となった長岡半太郎だが、小学校では落第しているほどである。
  長岡半太郎や本多光太郎が今の世に生をうけていたなら、どんな人生を送ることになっただろうか。小学校で落ちこぼされたなら、その影響が後のちまで尾を引き、偉大な業績をあげる学者にはとうていなれないだろう。落ちこぼれと称される子供たちの中にも、長岡半太郎や本多光太郎に続く人材がいないとは限らない。今のような偏差値教育が続けられたなら、将来はノーベル賞を受けるに至るべき人材が、小学校での成績不良の影響により、未完の大器に終わる可能性がある。>
                                                                                                                                                 
スポーツや教育にかぎらず、問題点があっても放置されていることが多い。政治を正道からそらしている自民党が支持され続けるような日本だから、改善が望まれるところが多かろうとも、改善されずに放置されるのかもしれない。

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通知表をやめた小学校 [教育]

3月25日の朝日新聞に、「通知表をやめた小学校」と題されたインタビュー記事が載っている。記事には2つの大きな見出しがあり、「数値化は序列生む、個々の変化を見て成長につなげたい」「教え合う子ども、間違い気にせず発言増えた教室」とある。
                                                                                                                                                
神奈川県茅ヶ崎市の市立香川小学校は、2019年度を最後に通知表を廃止したという。新聞に掲載されているのは、その学校の校長である国分一哉氏へのインタビュー記事であり、次のように書き始められている。
                                                                                                                                                 
学年末。先生から手渡された通知表を手に、喜びの声をあげたり、こっそりとランドセルに隠したり。そんな子どもたちの姿が、各地の小学校の教室で見られる季節だ。でも、神奈川県の茅ヶ崎市立香川小学校には、3年前から通知表がない。なぜなのか。国分一哉校長に聞いた。
                                                                                                                                                
通知表を出すか出さないかは校長の判断で決めることができるといい、長野県伊那市の小学校は通知表がないことで知られているという。
                                                                                                                                                 
香川小学校が通知表を廃止するに至った決めては難だったのかと問われて,国分校長は「通知表が子どもの自己肯定感に強い影響をもつことと、教室に序列を生じる問題がある」と答えている。
                                                                                                                                                 
通知表廃止に対して保護者から疑問を呈されることもあったが、特に大きな問題にはなっていないという。
                                                                                                                                                
通知表の廃止によってどんな変化が起きたのかとの問いに、国分校長は次のように答えている。
「以前は、間違えているかもとびくびくしたり発言しなかったりした子も、物おじせず発言するようになりました。なぜそう考えたのか、みんなで話し合う授業も始まっています。自分で考えられる子どもを育てようと言われるようになりましたが、評価で序列がつくられる教室では、それは難しかったのではないかと感じます」「テストに点数を付けない先生も増えています。そうすると、点数で比べ合わなくなる。間違えた子はわからないことを聞き、できた子は間違えた子に教えている。先生が『答えでなくヒントをあげて』と言うと、一生懸命、教え方を考える。教える方も、教えてもらう方も、楽しそうです」
                                                                                                                                                 
先生たちの側における変化を問われた校長は、このように答えている。
「通知表をやめたというと、評価そのものをなくしたように受け止められますが、そうではありません。伝え方、通知の仕方を変えただけなんです。法令で定められた指導要録はつくっていますし、入試で小学校の成績が必要となれば用意できます」
「教員は通知表作成のための100時間超がなくなったが、むしろ、普段の授業や児童との関わりは、以前より大変になったかもしれません。しかし、そこに教育的効果があると信じられるから、教員もがんばれていると思います。保護者からも、今まで目にとめてこなかった子どもの作品や変化に気づけるようになったという話を聞いています。もっとも通知表をなくしてまだ期間が短い。長い目で見たら何も変わらなかったという結果かもしれません。でもそれなら、通知表がある意味は何なのか、問われるでしょう」
                                                                                                                                                 
国分氏は今春で定年退職だという。「校長として最後にやりたかったのは、教員が話し合い、主体的に決めていく学校作りでした」「香川小の教員たちはいま、来年度に向けて、通知表の取り組だけでなく、子どもを主語とした学校作りを議論しています」
                                                                                                                                                 
偏差値教育に対する疑問を幾度も取り上げてきた私だが(付記参照)、通知表すら廃止した学校があるとは予想もしなかった。茅ヶ崎市立香川小学校の取り組みが、子どもたちに役立つよう願わざるをえない。
                                                   
付記 本ブログに投稿した教育に関わる記事の例
・「必要は発明の母なり」に付け加える言葉(2015年8月19日)                                                   


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理系の道を選ぶ人 [教育]

 小説防風林の松(左サイドバー参照)の中に、次のような文章があります。

                                                                                                                      

「お前もおれも技術者になるわけだが」僕にビールを注ぎながら坂田が言った。「どんな奴だろうな、技術者になりたがるのは」
 僕は坂田と議論した。理科系と称される人は、どうしてそのような道を選ぶのか。
 人には好奇心があるから、理系の学問は誰にとっても興味深いはず。だが、理系の学問を学ぶには、系統的に知識を積み重ねてゆく必要があるため、欠かすことのできない知識のどこかに不足した部分があると、その先へは進めなくなることがある。そのようなとき、欠けている知識を補充した上で、さらに前に進もうと努めるような人が、理系人間と呼ばれるのではないか。その人たちがそれを理解したいという気持ちに駆りたてられるのは、理系の学問に適した才能に恵まれているからというより、理系の事象や学問に対する興味に強く背中を押されるからだろう。
 僕は自身の体験を語った。中学一年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。
 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」
「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」
 
私自身の体験を伝えたいという気持ちが、小説中にこのような文章を書かせました。上記の文章に「僕は自身の体験を語った。中学一年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。」とありますが、これは私自身の体験そのものです。中学時代の私が取り組んだのは、オーディオではなくラジオの勉強だったのですが。
                                         
理系の学科を苦手にした人のかなりが勘違いして、「理系の人間は頭が良い」と思っているようです。理系の事象に惹かれてその道を歩むのが理系人間であり、理系の道を進む上で必要な物理学や数学などに力を注ぐのが理系人間です。「造花の香り(左サイドバー参照)」は特攻隊に関わる小説ですが、その中に次のような文章を書きました。

                                                     

                                                                                                                                              

「ラジオって、とても難しそうだけど、どんなふうに勉強したんですか」
「中学の頃から勉強していたんだ。沢田式に言えば、好きこそものの上手なれだよ。やる気さえあれば誰にでもできるはずだよ。やる気というより、そういうのがほんとに好きだったらな」
「いくら興味があっても、頭がそれ程じゃなくて、数学が不得手な者には無理だろう」
「好きこそものの上手なれというのは、数学や物理を勉強する場合にも言えると思うよ。数学に興味があれば、数学の勉強に身を入れるだろうし、自分には数学が必要だと思えば努力するわけだよ。頭がいいから数学ができるというわけじゃないと思うな」
「俺の知ってる理科系のやつら、みんな頭が良さそうだがな」
「数学というのはな、勉強の途中で手を抜いたらそこから先に進めなくなるんだ。数学が不得手という奴の多くは、手を抜いたところの穴埋めをしなかったんじゃないかな。理系の者には数学が必要だから、たとえあと戻りをしてでも、知識の穴を埋めようとするわけだよ」
「現実に数学が不得手な俺には、何とも言いようがないよ。お前流に勉強すればいいんだろうが、俺には数学で努力する気がないからな」
「俺から見れば良太は頭のいいやつだが、数学が必要な仕事はしないつもりだから、数学にはあまり身をいれていないんだ。数学の成績が良いとは思えないけど、頭が悪いなどとは思っていないはずだよ、良太自身は」

                                                   


定年後の私は小説を書き(本ブログのサイドバー参照)、ブログに投稿し、今では歌も詠んでおります。私は典型的な理系人間と自認していたのですが、今は「中学時代の自分が文学に強く惹かれたならば、文学に関わる道を歩んだのかもしれない」と思っています。

                                         


小学校や中学校時代に強く惹かれたのが、私の場合には電気であり、ラジオだったことになります。文系の方に強く惹かれていたならば、数学や理科から遠ざかり、それらの科目についてゆけなくなり、自分は頭が悪いと思うに至ったのかもしれません。そして思ったことでしょう「理系人間は頭が良い」と。

                                         

                                         

本ブログには幾度も、教育に関わる記事を投稿してきました。「教育カテゴリー」に投稿した記事の幾つかを列挙しておきます。読んで頂けたらうれしいのですが。

                                                   

                                                  

・「必要は発明の母なり」に付け加える言葉(2015年8月19日)                                                   


              



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子供に向かって「おまえは頭が悪い」と言ってはならない [教育]

11月23日に投稿した「子供の学力が向上するとき」に関連する記事です。
                                                                                                                                               
たとえ冗談であろうと、小学生に「お前は頭が悪い」と言ったなら、その子は思い込むかもしれない「自分は頭が悪いんだ」と。そのような暗示にかかったならば、勉強に対する意欲が低下するかもしれず、たとえ努力しても、暗示の影響により、成績は悪いままになる可能性があろう。
                                                                                                                                               
2016年12月5日に投稿した「子供の心理と学校での成績」と、2018年11月26日の投稿記事「IQテストは受けない方がよい?」は、暗示によって生徒の成績が大きな影響を受けることについて書いたものである。
                                                                                                                                                
小学校の5年生か6年生だった頃のある日、友人の家を訪れところ、友人の母親が私に言った。「Aはできの悪い子だから、面倒をみてやってね」
                                                                                                                                                
その当時の私もAと変わらないレベルの成績だったはずである。にもかかわらず、私は深くは考えないままに「はい」と応えたのだった。Aの母親は自分の言葉が息子に与える影響を考えず、鈍感な私は安易に「はい」と応えたのだが、そのことがAにとって好ましからぬ結果をもたらしたかもしれない。成績が振るわないままにAは中学を卒業し、就職して村を出て行った。
                                                                                                                                               
数年前の秋に、喜寿を祈念して行われた同窓会で、その友人Aと数十年ぶりに再会したのだが、その数年後に他界したとの報せがあった。小学生時代の私が安易に口にした「はい」が、Aに悪い影響を及ぼしたかどうかわからないのだが、長い歳月を経た今になって、お詫びをしたい気持ちになっている。今となってはどうしようもないことだが。

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西澤潤一先生の講演 2 [教育]

昨日の続きです。
                                                                                                                                                
西澤研究室での研究について
                                                                                                                                               
黄鉄鉱を用いたダイオードの研究(特性を改善すべく表面にセルロイド膜をつけてみた)
・逆特性はセルロイド膜のオーミック抵抗
・順方向抵抗が下がるのはセルロイド膜にキャリアが飛び込むからと考え、ホットキャリアインジェクション理論を提唱した。これは後にフラッシュメモリーに用いられた。
                                                                                                                                                
研究が成功したらそこに留まらず、その先を考えること・・・・・・柳の下には何匹ものドジョウがいると思うべし。
                                                                                                                                                
研究費について
・最新型装置よりも手動型装置の方が役に立つことあり
・手作り設備に価値はあるが、15年かけて作り上げたとき、アイデアの多くはアメリカで実用化されていた。
                                                                                                                                                
通信技術について
・より高い周波数を用いる通信が望まれていた時代に、東北大学の八木秀次教授が言ったという「将来は光の利用が望ましい」
・西澤教授はPINフォトダイオードとアバランシェフォトダイオードの特許を得たが、その当時はオシロスコープすら所有していなかったので、実験もできなかった。
                                                                                                                                                
半導体レーザーについて
・不安はあったが特許出願した
・企業に協力を求めたがカネを出そうとしなかった
                                                                                                                                                 
研究への取り組み
・西澤博士の師である渡邊教授は、大家の論文であっても安易には受け入れなかった(定説を鵜呑みにするべからず)
・研究費を少しでも有効に使うために、測定器などは試用してから購入
・プリンシプルな測定器の方が、良い結果をもたらすことがある。
・光ファイバー、ピンチオフ現象などの話(メモ不正確につき省略)
                                                   
アイデアを思いついたらメモしておくこと、人は忘れるのだから。枕元にライトとペンを置いて寝るようにしている。
                                                                                                                                                
SIT(静電誘導トランジスタ)
 西澤教授発明になるSITが、様々な用途に使われるようになった。
                                                                                                                                                 
SIサイリスタ(静電誘導サイリスタ)(西澤教授発明)
・ON・OFF速度は700MHzに達し、大電力にも試用できるている。
・  20KHzまで効率99%以上になった(変圧器とPINダイオードは99%)
・電力伝送に使ってほしいものだが
                                                                                                                                                
日本における独創的研究
・日本では大学での研究成果目立つが、ドイツの場合も同様である。
・学生に教えるために頭の整理をすることが、着想することにつながるのではないか。
・文化勲章など学術賞の受賞者をみると、学術系は愛知県、芸術系は京都が多い。人が環境を創り、環境が人を創ると言えるのだろう。良い師から多くの優秀な弟子が出る。
・戦前には基礎研究の成果があっても工業化がうまくゆかなかったのだが、戦後にはその逆の傾向にある。
・研究成果の評価はいかにあるべきか、その重要性は大である。
・21世紀に向けて、新しい発想・新しい独創的な成果を望んでいる。
                                                                                                                                                
講演中に断片的に話された幾つかを、以下に書いておきます。
                                                                                                                                                 
IC(集積回路)について
・半導体技術がゲルマニュームによってスタートしたことは良かった。低温で処理できるために扱い易かったから。
・半導体材料としてのシリコンには、酸化膜によるパッシベーションが使える利点があった
・幾つもの要素を複合してなる製品の歩留まりは、構成する部品の歩留まりの積になる(90%と90%の組み合わせでは歩留まりは81%になる)。そのように考えるなら、集積回路の歩留まりは極端に悪くなるはずだが、実際にはそうはならなかった。既成概念にとらわれるべからず、と言える例である。要は不良原因をコントロールできるかどうかである。
                                                                                                                                               
電子計算機について
1946年に作られたENIACは真空管を使ったものであり、消費電力15KWであったが、その能力は現在の電卓にも及ばないものだった。
                                                                                                                     
 
エピタキシャル成長技術に関わる研究 (化学式を使った説明がなされたが、ここでは省略する)
                                                                                                                                                 
                                                                                                                                                
講演が行われたのは、西澤先生が60代の半ばだった頃であり、研究から離れ、東北大学総長として、将来の学術発展を考えておられたはずである。研究のあり方や人材育成のあり方を、熱を込めて語られた。様々な特許を取得されながらも、政府や業界からの理解が得られず、研究費がないために実験すらできなかった例を幾つも語られた。以前のこの国では、西澤先生にかぎらず、似たような事例は多かったことだろう。もしかすると、今でもありそうなことではあるが。

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西澤潤一先生の講演 [教育]

およそ30年前に、半導体分野の研究で有名な西澤潤一氏の講演を聴いたことがある。私が勤務していた大学での招待講演だった。
                                                   
休憩をはさんでなされた長い講演だったが、西澤先生は若い頃の講義を思い出させるように、大きな声で、はつらつとした言葉遣いで話し続けられた。その講演の要点を、私はなぐり書きでメモした。
                                                   
書類を整理していたらそのメモがみつかったので、あらためて読んでみた。興味深く読んだそのメモを、講演で話された順に印してみる。
                                                   
・半導体分野で韓国に追い越されたのは予想外だった。
・日本では先行者利益が得られない国である。一社でしか作っていない製品は売れない。布団乾燥機もその例である。
・レーダーの基幹技術であるマグネトロンと八木アンテナは日本人の発明だが、ものにしたのはアメリカだった。
・日本の給与は、金融・流通・物作り の順だが、この順序を変えるべきである。
・応用研究によって基礎研究が生かされ、価値を生む。
   ・トランジスタが発明された経緯
   ・ショックレイは応用研究しつつ基礎研究に貢献
・大発見と運
   ・東北大学での学生実験で見つかった異常現象が、マグネトロンの
    発明につながった
・小学生時代の長岡半太郎と本多光太郎はいずれも成績劣等生だった
・先生の影響
   ・東北大学の八木秀次教授や本多光太郎教授の門下生たちの活躍
   ・ノーベル賞受賞者のもとから、多くのノーベル賞受賞者がでているのだが、その人たちは先生の授賞前に弟子になった人たちである。
・学校の教科書に誤りが見られることがある(例;GaAs単結晶成長)
・新商品開発が成功する割合(アンケート調査の結果) 
 アメリカでは 0,6%、日本は 70%  だが、日本での成功率が高いのは、アメリカで成功したものを開発することが多いからである。真の新商品開発を目指したならば、日本での成功率は0,6%程度となる可能性あり。
・研究設備について
 他でやっていない独創的な研究を行う上で、手作りの設備が役に立つ。西澤研究室に配属された学生たちは、機器のガス配管作業も行うのだが、その経験は学生たちにも役立っている。大学院生も石英ガラスの加工などを行っている。
                                         
 
以上は、3時間に近い講演をメモしたものの前半である。講演の後半は研究に関わることが多く、ショックレイの理論の間違いを指摘されるなど、興味深く聴いたのだが、長くなるので続きは明日の記事にする。


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子供の学力が向上するとき [教育]

私が理系人間を自認したのは高校時代でした。小学生時代から電気に興味を抱き、中学時代には独学でラジオの勉強に励んだものです。好きなことに熱中したからでしょうか、中学1年生まで成績の悪かった私は、3年生になった頃には、むしろ成績優秀者のひとりになっていました。


高齢者の仲間に入ってからブログを開設し、その中のカテゴリーのひとつに「教育」を置きました。中学時代に急激に成績が向上した自分の体験が、読んでくださる誰かに役立つはずだ、と思ったからです。「教育カテゴリー」に投稿した記事には次のようなものがあります。

・「必要は発明の母なり」に付け加える言葉(2015年8月19日)                                                   


 ラジオについての独学が、私の学力向上を促したと思いますが、読書に慣れていたことも、大いに役立ったと思います。そのことを書いたのが次の記事です。


塾に通わせるよりも有効な学力向上対策(2017年2月2日)                                                 


中学生になるまで、私は自分の成績をさほどに気にしていませんでした。戦後間もない頃であったし、偏差値教育もなされていなかった頃でした。親から責められたこともなく、周囲にも成績で悩む友達はありませんでした。ラジオの勉強に取り組むことができたのは、悪い暗示(自分は頭が悪い、自分には才能が無いなど)による催眠にかかっていなかったからでしょう。小説「防風林の松」(左のサイドバーにて概要を紹介)の99%は創作ですが、その中に、私の体験(成績劣等生からの脱却)を書き込みました。主人公が友人との会食中に交わす会話です。


小説「防風林の松」より

   ・・・・・・・・・・僕は自分自身の体験を語った。中学一年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。

 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」

「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」

「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」

「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。

「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」

 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。

 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」

                                                                                                                                               

私の小学生時代に偏差値教育がなされていたら、私は落ちこぼれのままだった可能性があります。本ブログで幾度も、偏差値教育に対する疑問を書いてきました。つぎの記事はそのうちの2つです。




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学習塾に通わせるよりも読書の楽しみを教える方が良さそうだ [教育]

6月4日の投稿記事「人間は誰もが理系人間?」を書いたとき、以前に投稿した「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(2015.9.24)」を読み返してみました。その結果、それを書いたときの気持ちがよみがえり、本ブログの初期に書いたその記事を再掲したくなりました。
                                                   
子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(再掲)
                                                   
 先日の記事「ブログを書くことは楽しい!?」の中で、小学生時代の私が作文を苦手にしていたことを書きましたが、そんな私でも本を読むことは好きでした。
 小学校4年生の秋に肝臓を患い、数週間ほど学校を休んだことがあります。病床についてまもなく、父から一冊の書物を渡されました。昨年帰省したおりに自宅に持ち帰り、今は手元にあるその書物を調べてみると、昭和3年3月に改造社から発行されたもので、「現代日本文学全集第三十三篇 少年文学集」とあります。著者15人による作品45篇が収録されており、文語調で読みにくい「小公子」や、アンデルセンの「おやゆび姫」など、幾つかの翻訳ものもあります。 
  病気から恢復するまでの数週間、私はその本を読んで過ごしましたが、これが私の読書事始めであり、読書の楽しみを知るきっかけになりました。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や「杜子春」、鈴木三重吉による「古事記物語」などを印象深く読みましたし、長編の「小公子」を苦労しながらも読みおえました。
 この記事を書こうとして、久しぶりにその書物を開いてみたら、小さな活字で三段組に印刷されており、どのページも文字で埋め尽くされています。それだけでなく、どの作品にも漢字が異様なほどに多用されていますが、すべての漢字にふりがなが付けられています。漢字にふりがなが付いていようと、この本を読むこと以外にやれることがあったなら、小学4年生の私は眼を通そうとはしなかったに違いない。今の私にはそのように思えます。
その頃の私の家にはラジオすらなかったので、病床にあっては読書しかできない状況でした。今のようにテレビがあったなら、もっぱらテレビを見て過ごすことになり、書物を開こうとはしなかったでしょう。あるいは、父か母が適切な手をうって、読書に導いてくれたのでしょうか。いずれにしても、小学生時代に読書の味を覚えたことは、私の人生に大いに役立っているはずです。
 8月23日の投稿記事「成績劣等生から技術者までの道のり」で、鉱石ラジオや自動木琴演奏装置から始めて、ついには真空管ラジオの独学へと進んだことを書き、勉強ができないにも拘わらずそのようなことができたのは、私が偏差値教育に毒されていなかったからであろうと書きました。今も無論そのように思っているのですが、今日のブログを書いているうちに、さらに気づいたことがあります。もしかすると、書物を読み慣れていたことが、難解な参考書(注)に取り組む勇気を与えてくれたのではないか。そうだとすれば、小学校4年生で病気になったことはむしろ幸運なできごとであり、私が成績劣等生から抜け出せた要因のひとつは、病床で読んだ文学全集にあったということになります。
  典型的な理系人間と呼ばれるひとであろうと、多くの読書を通じてそこに至っているはず。どのような分野で生きてゆくにしろ、文章を読む能力はきわめて重要なものです。小学生の頃から読書に親しんでいたなら、中学校や高校で学ぶうえでそれが役立ち、ひいてはその後の人生を益することになるでしょう。もしかすると、中学生になってから塾に通わせるよりも、小学生時代から読書に親しませておく方が、はるかに好ましい結果をもたらすかも知れません。
  誤解のないようにつけ加えると、学習塾の存在価値を否定するつもりはありません。学ぶことの意義を塾で知る可能性があります。子供の個性に合わせて教える塾もあるでしょう。目標を呈示して意欲を高め、努力を促す塾もありそうです。とはいえ、学校に加えて学習塾で学ぶ生活は、子供たちには過酷に過ぎると思います。子供たちにとって望ましいのは、学校の授業で充分な学力を得ることでしょう。そのための下地を養ううえで役立つことのひとつが、小学生時代に書物に親しむことではないか。私にはそのように思えます。
 私の場合は数週間も床に臥すことになり、仕方なしに本を読み始めた感がありましたが、読書の喜びを教えてくれた父には感謝せずにはいられません。随分と待たせることになりましたが、父の歌集(9月9日投稿の記事「父の歌集」参照)をまとめることで、その恩返しをしたいと思う次第です。
                                          
 
(注) 難解な参考書
  ここで言う難解な参考書は「NHKラジオ技術教科書」です。8月23日の記事「成績劣等生から技術者までの道のり」にでてくるその書物は、中学生だった私には難解でかなりの努力を強いましたが、どうしても理解したいという気持ちが強かったため、苦労しながらも苦になることはなく、むしろ楽しみながら学ぶことができました。
  自分にとって本当に面白いもの、あるいは強く惹かれるものであれば、苦労を押しても挑戦できるのだと思います。子供にそのようなこと、あるいは書物を呈示できたなら、親としての役割の大きな部分を果たしたことになる、と言えそうな気がします。


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人間は誰もが理系人間? [教育]

私は自分を典型的な理系人間だと思っていましたが、定年後には小説を書き、今ではこうしてブログを書いております。人には理系人間的なところと文系人間的なところが共にある、ということでしょう。小学生時代に理系の事象に強く惹かれたことが、私を技術者に導き、理系人間と自認させるに至ったのだと思います。小学生時代の私がもっと文学に親しみ、電気にまさる魅力をおぼえていたなら、文学の道を歩んだ可能性があります。


私は初めて書いた小説「防風林の松」(本ブログのサイドバーにて概要を紹介)の中に、次のような文章を書きました。主人公が友人との会食中に交わす会話です。


小説「防風林の松」第1章より引用

                                                                                                                                        ・・・・・・・・僕は自分自身の体験を語った。中学一年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。

 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」

「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」

「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」

「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。

「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」   

 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。

 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」(引用終わり)


上記の文章中に、「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」なる文章があります。この文章は、新聞か雑誌に掲載されていた記事(偏差値教育と詰込み教育の問題を取り上げた記事でした)に触発されて書いたものです。その記事を読み、まったくその通りだと思いました。好奇心に駆られて様々な事象に興味を示す子どもには、理系人間に通じるところがありそうです。というより、人間は誰もが理系人間的な要素を持っている、と言えそうです。


小説「防風林の松」は私が初めて書いた小説です。技術者を主人公とするこの小説には、私自身の体験を少しだけ書き込んであります。中学一年生までは成績劣等生だったこと、そして、そこから抜け出すうえで、電気に対する興味(ラジオなど)が役立ったことです。偏差値教育の影響を受けずにすんだことも、私にとって幸いなことでした。そんな私の体験が役立つかもしれないと思い、本ブログの「教育」カテゴリーに、幾度も記事を投稿してきました。その幾つかをここに列挙しておきます。

・「必要は発明の母なり」に付け加える言葉(2015年8月19日)                                                   











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学校教育のあり方について(2) [教育]

7月14日の投稿記事「学校教育あり方につのいて」の続きです。


「学校教育のあり方につのいて」で、親野 智可等氏による「公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体 日本の一斉授業は本当にこのままでいいのか」なる記事を紹介したのだが、私はそこに記された考え方の多くに賛同する。


中学1年生までは成績が悪かった私は、3年生時にはむしろ成績の良い生徒になっていた。そんな私が教育に強い関心を抱くようになったのは、まったく未経験だった小説の創作に取り組んでからである。


小説「防風林の松」(本ブログの左サイドバーにて概要を紹介している。小説投稿サイトの「カクヨム」「小説家になろう」などで読むことができる)の序章は、次のような文章で終わっている。この小説の99%は創作だが、1%程度は私の体験に基づいている。


 それにしても、人生とはほんとうに不思議なものだ。僕は中学校の一年生まで成績劣等生だった。その僕が、今は技術者としてこんな生き方をしている。あのオーディオ装置が僕の部屋になかったならば、そして、あの時期に僕が音楽につよく惹かれなかったならば、僕はどのような人生を歩むことになっただろうか。


「防風林の松」は若い技術者を主人公とする恋愛小説だが、その第1章には次のような文章がある。主人公が友人と会食中に交わす会話の一部である。


 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」
「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」
「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。
「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」
 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。
 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」


中学1年までの私は成績が悪かったのだが、偏差値教育の弊害がなかった時代だったからであろうか、自分の成績をさほど気にすることなく、そして、落ちこぼされることなく中学課程を終えることができた。本ブログの「教育カテゴリー」には、教育に関わる記事を幾度も投稿している。それらを以下に列挙しておく。読んでくださる方の参考になればと願っている。


付記 過去に投稿した教育に関わる記事の幾つかを以下に列挙しておく






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学校教育のあり方について [教育]

7月7日のMSNに、東洋経済ONLINEの記事「公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体 日本の一斉授業は本当にこのままでいいのか」が紹介されている。筆者は教育評論家の親野 智可等氏である。かなり長い記事だが、少しでも多くの人に読んでもらいたいと願って、ここで紹介させてもらうことにした。


  公立の数学の授業を見て感じた「悲惨さ」の正体 日本の一斉授業は本当にこのままでいいのか(東洋経済ONLINE  親野 智可等 2020/07/07 より)
 
 コロナ禍をきっかけに、私たちの生活や仕事などいろいろな面で見直しが行われている。この機会に、小中学校の授業のあり方も見直す必要があると思う。なぜなら、日本でずっと行われてきた授業スタイルの“限界”が明らかになっているからだ。
 日本では、1学級最大40人の児童・生徒の集団に対して、1人の先生が一斉授業を行うというスタイルが基本だ。こういった授業でいちばん問題なのが、児童・生徒たちの学力格差が非常に大きいということだ。
 とくに、算数・数学の授業でそれが顕著だ。公立の小中学校の場合、同じ年齢の児童・生徒の集団とはいっても、算数・数学における学力格差は非常に大きい。例えば5年生の児童に「円の面積」を教えるとしよう。中には、塾などで学習済みですべて完璧に理解している子もいる。一方、基礎的なかけ算やわり算さえおぼつかない子もいる。足し算や引き算さえできない子がいることもよくある。
 こういった子どもたちを相手に一斉授業を行う先生は、どのレベルに焦点を当てて進めればいいだろうか? もし学力上位の子たちに焦点を当てて進めれば、当然、大多数の子を落ちこぼすことになる。だから、多くの場合、学力が「中位の下」か「下位の上」くらいのところに焦点を当てて進めることになる(「中位の下」とか「下位の上」などという言葉は好まないが、ほかに適当な表現が見当たらないので使用する)。

 さて、これでも「下位の上」より学力が低い子たちには難しくて理解できない。でも、さらにレベルを下げてしまうと、時間がかかりすぎて進度が遅れることになる。すると、1年間で教科書を終わることができなくなる。だから、先生はこれらの子たちが理解していないことがわかっていても、授業を次に進めていかなければならないのだ。
 これらの子たちには、その子の学力に応じた個別な指導が必要なのだ。でも、先生にはそれを行う時間がない。先生たちはつねに超多忙で、やるべきことが山のようにあり、そういう個別な指導をする時間が取れないのだ。
 もし、無理に時間を取るとしたら休み時間ということになるが、それだとその子たちは友達と遊ぶことができなくなる。そういった子たちの中には、休み時間に友達と遊んだりおしゃべりしたりするのが楽しみで学校に来ている子たちも多い。それを奪うことになってしまうのだ。それに、有り体に言えば、休み時間にちょっと指導したくらいでその子たちが追いつくということも、ほとんどの場合期待できない。
 それに、先生にとっても、休み時間に個別な指導をしていると、次の授業の準備ができなくなるという問題がある。体育で使う跳び箱の準備も、理科の実験の準備も、社会で使う映像資料の準備もできない。提出された宿題のチェックもできなければ、家庭からの連絡帳を読んで返事を書くこともできない。
 子ども同士のソーシャルディスタンスや換気の具合に目を配ることも、トラブルに対応することもできない。気になる子とコミュニケーションを取ることもできないし、先生とおしゃべりしたくて寄ってくる子も追い返さなければならない。
 こういったことで、授業時間以外に個別指導をする時間は取れないのだ。しかし、考えてみれば、肝心な授業の時間にそういった子たちをわからないまま放置しておいて、別の時間に教えるというのがそもそもおかしいのだ。とはいっても、そういった子たちに対して授業時間に個別指導していたら、授業を進めることができないし、ほかの子たちを放置することになる。
 つまり、学力格差が大きい子たちに一斉授業を行うことは無理なのだ。無理というより、私は子どもの人権を無視した非人道的行為だとさえ思う。それを強く感じたのは、以前、公立中学で中3の数学の授業を参観したときだ。
 内容は「二次方程式の解き方」で、生徒たちがそれについて、アクティブラーニングよろしく、積極的に発言して話し合いながら、解法を見つけていくという授業だった。だが、見ていて悲惨で、先生も生徒たちもかわいそうに思った。そして、その悲惨さはとくにその先生の能力が低いことによるものではなく、日本の授業スタイルが持っている本質的な問題点によるものだと感じた。
 40人近い生徒がいたが、塾で学んで完璧に理解している子たちがいる一方、わり算やかけ算ができない子もいた。わり算やかけ算はできるけど、因数分解はできないという子もいた。また、因数分解はできるけど平方根がわからないという子もいた。こういったことは、授業の指導案の個別カルテに記載されていたので、参観者にはわかったのだ。
 授業についていけない生徒たちは、わからないまま座っているだけだった。一部の子たちは積極的に発言したりして、一見盛り上がっているように見えたが、その話し合いに本当についていけている子は3分の1もいなかったと思う。学力格差が絶大な中での、こういった一斉授業の「話し合い」は、生徒にとっても先生にとっても不幸だと感じざるをえなかった。
 昨今こういった「話し合い」の授業が、「アクティブラーニング」という美名の下に、さらに増えてきているという実態もある。百歩譲って一斉授業を受け入れたとしても、先生がわかりやすく教えてくれるならまだしもだが、こういう子どもたち同士の話し合いを中心にした授業だと、余分な要素が入りすぎてゴチャゴチャするので、何が何だかわからないまま座っている子たちが増えるだけなのだ。
 だが、本当は学力下位の子たちにも適切な指導ができる方法があるのだ。しかも、休み時間ではなくちゃんとした授業時間に行えて、各自の学力ニーズに応じた個別学習ができる方法だ。それは、IT活用の個別学習だ。
 これは、すでに民間の塾や通信教材においては普通に行われている。主に「専用タブレット」「iPad」「androidの端末」などを使う教材で行い、中にはIT教材と紙の教材を組み合わせたものもある。また、子どもの学力や目標に応じて基礎学力コースや中学受験コースを選べるものもある。
 各社の教材による違いはあるが、だいたいは最初に動画やアニメーションによる解説があって、学習内容をわかりやすく説明してくれる。円の面積が、なぜ「半径×半径×3.14」で求められるのか、非常にわかりやすく教えてくれるのだ。子ども同士の話し合いだとごちゃごちゃしてわからなかった子にも、これならわかりやすい。
 次に基礎的な練習問題、応用問題と進む。わからなくなったらまた最初の解説を見ればいい。気兼ねなく何度も見ることができて、文句を言われることもない。先生、親、友達だとこうはいかなくて、微妙に「まだわからないの?」的な雰囲気を感じてしまうところだが。
 練習問題も各自のつまずきや理解度に応じて、その子に必要な問題が出てくる。解けなかった問題を繰り返し解けるので、確かな定着が可能になるのだ。これは時間と労力の面でコスパがよい。一斉授業や紙の教材だとこうはいかなくて、その子にとってはすでに必要ない問題が何問も出てきて、本当にその子に必要な問題はちょっとしか出てこないということがよくある。
 やる気を高める工夫も怠りない。ゲーミフィケーション要素を取り入れて、ゲーム感覚で学べるものや、スモールステップでリトルサクセスを積み重ねてやる気を高めるものもある。随所で子どもの頑張りを褒める言葉が出てきたり、達成率が数字やグラフで確認できたりなどの工夫も見られる。これらの工夫が子どものやる気を高めてくれる。こういった数字やグラフを保護者が見れば、学習の進捗を知ることもできる。
 私自身も中学・高校と数学が超苦手で、6年もの長きにわたって、数学の授業中はよくわからないまま座っていた。同級生たちの話し合いは完全に意味不明で、先生の説明もよくわからなかった。今思い起こしてもあの膨大な時間のロスがもったいなく感じられる。あの無駄に過ごした時間に、今あるようなIT教材で学ばせてもらえていたら、私の数学への苦手意識ももう少し何とかなったのではないかと思う。
 この機会に、学校もこういったITを活用した個別学習に舵を切るべきだと強く思う。もし話し合いをするなら、クラス内のルール変更、トラブル解決、イベントの運営方法、時事問題などの話題について行えばよい。こういう話し合いなら、学力差は関係ないので誰でも積極的に参加できる。
 それに、こういった話題について民主的な話し合いを行う経験は、ぜひたくさん行うべきだとも思う。こういう話し合いなら、学力差は関係ないので、誰でも積極的に参加できる。
 今までの学校は、教科の学習で最大40人の一斉授業が当然とされてきた。日本の教育予算はOECD37カ国の中で最下位で、先生の数が少なすぎて個別対応ができなかったし、ITを活用する環境も機運もなかった。だから、一斉授業を行うしかなかったのだ。でも、今ではIT活用の環境もあるし、機運も醸成されてきた。だから、この機会に個別学習に大きく舵を切っていくべきだ。
 それは新型コロナへの対策にもなる。つまり、今後、新型コロナ危機の第2波が来たときも、子どもの学習権を保障することができる。第2波が来たとき、また学校が大量のプリント宿題を子どもとその親たちに押しつけるなどということは絶対に許されない。




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宮城まりこについて書かれた武本昌三氏による記事 [教育]

武本昌三氏のホームページ「ともしび」に、「肢体不自由児たちの教育について考える」なる記事が投稿された。本日30日に投稿されたその記事を、ここに引用させてもらうことにした。


武本昌三氏のホームページ「ともしび」の記事「肢体不自由児たちの教育について考える」を紹介


 肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を設立した宮城まり子さんが、先日、悪性リンパ腫のために亡くなった。彼女は1927年3月21日生まれだが、亡くなった日は彼女の93歳の誕生日でもあった。この宮城まり子さんを偲んで、元中学校教員の藤原孝弘氏が、朝日新聞の「声」欄(2020.03.27)に、「教育とは まり子さんに教わった」と題する一文を寄せている。そのなかで氏は、こう書いている。

 《40年ほど前、教員を志していた学生時代、ゼミの仲間とねむの木学園に見学に行った。まり子さんの音楽の授業はすさまじいものだった。
 障害のある身体のリハビリも兼ねて、楽器をたたかせたり、踊らせたりしようとまり子さんがリードするのだが、全身から「あなたたちはそのままで素晴らしい」「私はあなたたちを心の底から愛している」という思いがほとばしる。その心に応えて生徒さんたちが動かない身体を必死に動かそうとする。少しでも出来ると、全身で喜びを爆発させる。
 見ていた僕らは泣けて泣けて仕方がなかった。人が人を信じ、愛することのすごさと、それは必ず相手に伝わるという絶対の信頼とを教えて頂いたのだと思う・・・・・・》

 肢体不自由の教え子たちを愛し信じ切っているまり子さんの姿勢、すさまじい音楽の授業、少しでも出来ると全身で喜びを爆発させている子どもたち、そして、それを見て、人が人を信じ愛することのすごさに、「泣けて泣けて仕方がなかった」という見学者たち、――教育とは何か、そして特に、肢体不自由児たちにはどう向き合うべきかという人間のあり方の原点を深く考えさせられるような一場面である。
     

 私も、この藤原氏と同じように、40年ほど前、「泣けて泣けて仕方がなかった」体験をしたことがある。札幌駅前のデパートの会場で肢体不自由児たちの絵の展覧会を見た時のことであった。何気なくふと入った展覧会場であったが、画用紙の上に鮮やかな原色で力いっぱいに描き出されている絵の一枚一枚を見ているうちに、涙が止めどもなく流れ出してきた。自分でも意外であった。まわりの人々のなかでは恥ずかしい気持ちもあって、一度絵の前から離れて少し気を落ち着かせてからまた絵を見始めたのだが、どういうものかすぐに涙がはらはらと落ちてしまう。一枚一枚の絵から生命が躍動する強力な磁力が迫ってくるようで、それに圧倒されて、感動というよりもただ涙だけが流れ出るのである。

 私は、それまで、国内だけではなく、アメリカやヨーロッパのいろいろな美術館で数多くの名画にも接していたが、感動することはあっても、涙を流したことは一度もなかった。この投書の「泣けて泣けて仕方がなかった」というのを読んで、そのことを改めて思い出した。肢体不自由児たちは、肢体の一部に不自由があるかもしれないが、人の本性である魂はあくまでも健全・無瑕疵で、決して不自由ではない。奮い立てば奇跡のような才能も発揮する。あの絵を描いた肢体不自由児たちも、おそらく、宮城まり子さんのように、「あなたたちはそのままで素晴らしい」「私はあなたたちを心の底から愛している」という愛の人たちに囲まれていたのであろう。だからこそ、あの子たちは、むしろ「肢体自由児」以上に、のびのびと力強く、純粋無垢な命の輝きを画用紙の上に散りばめることが出来たのではなかったかと、いまの私は、当時の体験を振り返っている。


できることなら「ともしび」を訪れ、高邁とも呼べる多くの記事に眼を通してもらいたいものである。




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哲学教育を重視するフランス [教育]

朝日新聞の1面に、哲学者鷲田清一氏による「折々のことば」なる欄があり、毎日掲載されている。3月21日に掲載されたのは、フランスの大学入学資格試験問題に関する記事である。それをここに引用させてもらうことにした。日本の高校教育でも、政治や哲学を重視してもらいたいものである。


朝日新聞の「折々のことば」(3月21日)より引用


「自分の権利を擁護することは、自分の利益を擁護することだろうか?」「自分自身の文化から自由になれるだろうか?」・・・・・・・・フランスの大学入学資格試験問題

フランスの知人に、貴国ではなぜ高校で哲学教育を重視するのかと質問したら、「例えば公務員。誰もが幸福に暮らせる社会をめざす者が、幸福の何たるかを考えたことがなければどうなる」との当然すぎる返答。ちなみに2017年の記述式問題は右(本文では上記)のごとし。しかもこれ、理系の問題。哲学研究者、坂本尚志の『バカロレア幸福論』から。(引用おわり)


日本の高級官僚と呼ばれる者には東京大学出身者が多い。東大の入試に合格したのは、難しい問題(難しい問題であろうと、正解があることがあらかじめわかっている)の正解を見いだす能力にたけた者たちである。そのような東大出身の官僚たちのどれだけが、「誰もが幸福に暮らせる社会をめざすべき者」として、「幸福の何たるかを」真に考えているのだろうか。社会に貢献するためというより、自分が将来に得るであろう利益のために、東大を目指す者も多いと思われるのだが、そうであろうと、官僚となったからには国民のために働いてもらいたいものである。


日本の中央官庁は、省益あって国益なしと揶揄されてきた。モリトモ・カケ問題の醜態を思うと、安倍政権が長く続いているうちに、「高級官僚」の中には、自らの利益のために政権に寄り添う者がでてきたようである。


2020年度(令和2年度)からは大学入試制度が変わることになっている。今までの大学入試センター試験に代わる「大学入学共通テスト」では、これまでの試験が記憶重視だったのに対して、考える能力も試されるという。それによって、学生たちの学び方と考え方に好ましい影響があればよいのだが。フランスでは理系学部の入試に、「自分の権利を擁護することは、自分の利益を擁護することだろうか?」「自分自身の文化から自由になれるだろうか?」 なる問題が出されたという。官僚や政治家などを目指す日本の受験生たちが、このような問題に向き合って入学する時代になれば、将来展望が明るくなりそうな気がするのだが、政治や経済に関わる学部であっても、このような設問はなされないような気がする。


高校で哲学教育を重視する理由を問われたフランス人は答えたという、「例えば公務員。誰もが幸福に暮らせる社会をめざす者が、幸福の何たるかを考えたことがなければどうなる」と。学校教育で重視すべき事柄は多々あるわけだが、政治や哲学に関わる教育も、もう少し取り入れてほしいものである。 

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池上彰氏は言う「新聞を読むことは主体的にものを考えるきっかけになる」 [教育]

2月17日に投稿した「新聞と書物に親しむ藤井聡太7段」なる記事で、とくに若い世代にとって、新聞や書物に親しむことの価値が大なることを書いた。その記事にタイミングを合わせたかのように、2月19日の朝日新聞に、「新聞を受験・教育の場で」なる池上彰氏へのインタビュー記事が掲載された。


ニュースを読み解き、活用する力を養い、認定するものとして、「ニュース時事能力検定試験」なるものがあるという。31の新聞社と放送局が主催して行われるようである。その試験は年に4回行われ、次回は6月23日だという。その試験を紹介する朝日新聞の記事(2月19日朝刊)の中に、新聞やテレビで活躍している池上彰氏へのインタビュー記事が載っている。その中に次のような池上氏の言葉がある。


《現行の大学入試センター試験に代わる新テストでも、文章を読ませた上で、その中に出てくるグラフや表を使ってさらに考えさせる問いかけがあります。これは新聞を読んでいるとつく力です。
  「今の若い人はインターネットで短い記事しか読まない。長い記事を読む力が急激に弱っている。」という教育現場の問題意識があります。大学で学んだり研究したりするには長い文章を読む力がないと困るという意識があるので、試験の文章が実に長くなったのです。この前も新テストの2回目の試行テストを実施しましたが、解いた人たちは「文章が長くて時間が足りなかった」と言っている。
  しかし今、その力が求められている。普段新聞を読んでいるといくらでも解けます。活字に対しては主体的に取り組まないと、実りを得ることができない。新聞を読むことは主体的にものを考えるきっかけになると思います。》


引用した池上氏の言葉は、2月17日に投稿した本ブログの記事「新聞と書物に親しむ藤井聡太7段」と、主張するところはほぼ同じである。19日に掲載されたインタユー記事は前編であり、次週に後編が載るようである。朝日新聞は全ての図書館が置いているので、多くの人にその記事を読んでもらいたいと願っている。

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新聞と書物に親しむ藤井聡太7段 [教育]

天才少年棋士の藤井聡太7段に関する記事が、しばしば新聞に掲載されるようになって1年以上になる。


かなり以前の朝日新聞に載った対談記事によれば、藤井君は新聞をよく読んでいるとのこと。読んだ記事についても語っていたが、中学生とは思えないレベルの発言であり、新聞読者としてのレベルは並みの大人に勝っていそうに思えた。もしかすると、新聞をまともに読まないらしい麻生財務相より、藤井君の方が知的には勝っているのではないか、と思えるほどである。


記者からの質問に応える中学生時代の藤井君は、「望外の結果」とか「僥倖と言えるような勝ち方」などと、中学生とは思えない言葉を使っていた。国語の授業で得られるレベルを遙かに超えたその言葉遣いは、小学生の頃から読書に親しんでいたからにちがいない。


朝日新聞に載った対談記事によれば、藤井君は小学生の頃から新聞を読んでいるようである。ニュースの入手先も主に新聞だという。テレビやネットから得られる断片的な情報よりも、考えながら受け取ることが可能な新聞を情報源とする藤井君に対して、高齢者の私は賛辞を贈りたい気持になる。馬鹿なネトウヨが増えたのは、テレビやネットからの断片的な情報しか見ない怠け者が増えたからではないのか。藤井君はニュースと将棋に関するもの以外、テレビを見ないというのだから、今どきの若者とは思えない生き方である。多くの人には無理な生き方であろうが、新聞や書物に親しむことは、その気になれば簡単にできることである。


藤井君が小学生時代から新聞や書物に親しんでいたことを知って、このブロブに書いた記事「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(2015」年9月24日投稿)」を思い出した。中学2年生から3年生の頃、私はラジオの勉強に夢中になった。友人から借りた「NHKラジオ技術教科書」に挑戦し、真空管ラジオの動作原理を理解できるに至ったのだが、中学1年生までの私の成績はむしろ悪い方だった。そんな私が「NHKラジオ技術教科書」に挑戦しようという気持になれたのは、偏差値教育に毒されていなかったことと、小学生時代に読書に親しんでいたからではないか。私は成績劣等生から抜け出して、後には大学の工学部に進学するに至ったのだが、そのことを振り返って書いたのが、「子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(2015」年9月24日投稿)」と、2015年8月23日に投稿した「成績劣等生から技術者までの道のり(私の体験)」である。


活躍めざましい藤井聡太7段について書き始めたら、新聞と読書を勧める記事になった。じっくりと活字に眼を通すことができず、スマホやパソコンからしか知識や情報を得ない人も多いようである。スマホやパソコンに時間を費やせるのであれば、活字に向かう時間もあるはず。断片的な情報しか得ようとしないのは、忍耐力が足りないからか?。考えながら読むことができない怠惰な者か?。若い世代が新聞や書物から離れるならば、将来の日本は、物事を短絡的にとらえる国民が多い国になりそうである。にも拘わらず、麻生財務相は若者に新聞を読まないよう勧める(2018年6月26日の記事「麻生財務相は新聞を読まない?」参照)。そんな麻生太郎バカ大臣には、すぐにも政治の世界から去るようお勧めしたい。


書いているうちに、自民党の政治家を批判する記事になった。近づきつつある選挙で、投票率が高くなることと、まともな政治家が選ばれることを願っている。

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IQテストは受けない方がよい? [教育]

私は小学生の頃に知能検査を受けたことがある。今のIQテストも同じようなものと思うが、これは何を目的にしたものだろうか。テストの結果が良かった生徒に対し、その結果が知らされたなら、その子供に自信を与えるであろうが、結果が悪かった子供に対しては、どのように伝えられるのだろうか。それとも、子供たちには結果が知らされず、教育上の参考資料にされるのだろうか。印象に残る試験だったからであろう、自分が受けた知能検査の内容を、私は今でもかなり覚えているのだが、その結果を知らされた記憶はない。


中学1年生の頃だったと思うが、同級生のAが言った。「Bはすごく頭がいいんだぞ」と。根拠を訊くと、「知能検査をBと並んで受けたけど、あいつはすごい速さで答えを書いていたんだ」と答えた。私は思った、そうであるなら、おそらくBは頭がいいのだろう、たしかに彼は利口そうに見える。


知能検査に際して、その意義が教師から説明された記憶はないが、同級生との間で上記のような会話があったのだから、生徒たちは「知能検査は頭の良さを測るものさしである」と認識していたことになる。「Bはすごく頭がいい」と言ったAは、隣席のBよりかなり劣っているように感じたことで、「自分は頭が悪いようだ」と思い込んだ可能性がある。


私の成績がまだ悪かった頃のことだが(付記参照)、そのことをさほどに気にかけていなかったように、自分の知能検査の結果にも無関心だった。私自身はそうであろうと、上記の同級生Aは知能検査を気にしていたようである。中学校を卒業するまでのAの成績は芳しいものではなかったらしいが、もしかすると、知能検査の成績を意識していたことが、悪い方向に作用したのかも知れない。そのような弊害がありそうなIQテストは、子供たちの害になっても益にはならないはずである。

 

2016年12月5日に投稿した「子供の心理と学校での成績・・・・・・注目すべき実験の結果」は、アメリカの小学校で行われた実験に関わる記事である。自分の能力を肯定的にみるよう暗示された生徒は、その後の成績が伸びてゆくことが、実験的に確かめられた事例である。IQテストにかぎらず学校で行われる試験は、子供達に大きな影響を及ぼすにちがいない。成績の悪い子供たちに対しては、よほどうまく向き合わなければ、本来ならば伸びて行くべき子供たちの芽をつぶすことになろう。


日本の教育現場では、教師たちの多くが過重負担にあえいでいるという。教師には、ひとりひとりの子供たちに向き合うだけのゆとりが無さそうである。アメリカから輸入する兵器に膨大な予算をさく自民党だが、教育に関わる予算をもっと増やして、教師にかかる負担を軽減すべきであろう。トランプの要求に応えるよりも、教育現場からの要望に応えてほしいものである。


付記

本ブログに幾度も投稿してきたように、中学1年生頃までの私は成績が悪かったのだが、3年生の頃にはかなり良くなっていました。


   成績劣等生から技術者までの道のり)(2015.8.23投稿)



青い部分をクリックすれば当該記事を読むことができます。


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