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野良猫との出会いと付き合い [猫のこと]

まだ寒かった頃のある日、窓の外に小さな猫が現れ、必死に呼びかけるようになった。薄汚れて痩せこけた姿から、何かの事情で飼い主から餌がもらえなくなったらしいと思い、餌をやることにした。


次第に慣れて身体を触らせるほどになったはよいが、一向に我が家を離れようとしない。そんな状況がひと月も続いたので、どうやら野良猫で、飼い主の居ない猫と思われたが、念のためにネットで近隣の迷い猫に関する情報を調べた。世間には結構な数の迷い猫がいるようだが、私の家に来る猫を探している情報はなかった。情報源のひとつにしたのは「おおぶ地域ねこの会」のホームページである。


痩せこけて汚れていた猫は、白に茶色の混じったきれいな色になり、はげていた部分の毛も生えそろってきたし、身体も少しだけ大きくなった。そうこうするうちに、猫が異常な程の食欲を示すようになった。身体が小さいのでまさかと思ったが、妻の勘によれば妊娠していそうだとのこと。そうなればさらに困る事態になると心配していたところ、まる一日ほど姿をみせない日があり、次に現れた時には明らかに体型が変わっていた。妻が言うには子猫を産んだに違いないとのこと。


新たに猫を飼う気はないので、何とかしなければと思い、「おおぶ地域ねこの会」に協力をもとめたところ、わざわざ様子を見にきてくださった。まだ若いやさしそうなその婦人(以後Aさんと呼ぶ)を家に招き入れ、キッチンのドアを明けると、いつものように、その音を聞きつけた猫が10m先のガラクタ(空き家になっている家の軒下に積み上げられたガラクタ)の中から飛び出してきた。


餌にむしゃぶりついている猫の腹をなでたAさんによれば、「乳首の様子から判断すれば、子猫は4匹だと思われます」とのこと。1匹の野良猫だけでも面倒なのに、4匹もの子猫が産まれた。「おおぶ地域ねこの会」で引取先を探してくれるとのことだが、引き取り手が見つかるかどうかのあてはないとのこと。実に困った事態。さて、どうしたものやら。


子猫の離乳時期は3ヶ月後だという。それまでの期間をガラクタの中で過ごせるわけがないだろうと思い、丈夫なダンボール箱をビニールシートで覆い、雨をしのげる安住場所を作った。うまい具合に引っ越してくれるとよいのだが。

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漱石先生残暑御見舞い申し上げます [猫のこと]

しばらくご無沙汰しておりました。猫のミーコでございます。今日もこのブログを借りまして、吾が近況をお知らせします。
    
屋内で幸せに過ごした数年のあと、憧れの家の外に出させてもらい、屋外の散歩を日課としてから数年が経ち、今では日に2度3度、ときには4度も外界を、しっかり楽しんでおりまする。外出し始めて間もない頃は、もの珍しきこと数多あり、外の世界で数時間、退屈するひまなく過ごせしに、今ではすべてが見慣れた景色、好奇心を満たすものなどさらになく、家を出てからほどもなく、我がテリトリーを一巡すれば、家に帰りたくなりまする。家に入ればそこもまた、いつもの見慣れたものばかり、再び外へ出たくなり、家人にせがんで外出する次第。かくて家を出ること日に幾たびか、家人を煩わせておりますと、その煩わしさを軽減すべく、家人も智恵を働かせ、新しきダンボールの箱を置き、我が好奇心を刺激せば、その誘惑には逆らえず、思わず飛び込む箱の中。ダンボールの箱に身を納めれば、ぴったりサイズで心地よく、そのまま身を丸めておりますと、いつしか睡魔に襲われて、時間がたつのも忘れるままに、しばしの昼寝を楽しみおれど、やがて目覚めて見回せば、相も変わらぬ眺めのみ。


外の空気に触れたいと、窓辺によればすぐ目の前に、鳩が佇んでおりまする。鳩のわきには数羽の雀、鳩同様にこちらを見つめ、餌を待っておりまする。手が届きそうな距離ながら、ガラスを介しているゆえに、鳩も雀も悠然として、猫の私を見ておりまする。そんなある日の昼下がり、窓の外に出てみれば、すぐ目の前で雀と鳩が、撒かれた餌にむらがって、夢中でついばんでおりまする。考えるまでもなく雀も鳩も、我が家の餌にて生きており、我が仲間とも言える仲、雀も鳩も同様に、吾を仲間と思いきや、あわてることなく悠然と、餌をつついておりまする。吾は静かに背を向けて、いつものコースを歩いて行けば、いきなり飛び出すトカゲあり。なぜかは知らねどトカゲに向かい、吾が身体は猛然ダッシュ、トカゲの身体を押さえれば、すぐ目の前を飛び跳ねがら、吾が眼をつよく引くものあり。なぜかは知らねど吾はまた、飛びはねるものに猛然ダッシュ、押さえてみればこはいかに、たんなるトカゲの尻尾なり。急いであたりを見回せば、逃げるトカゲの姿あり、ふたたび猛然ダッシュして、トカゲに爪をたてんとて、両前足を伸ばせども、すでにトカゲは石の下、吾が楽しみは消えにけり。


暑さに強き吾なれど、猛暑の続く今日この頃は、涼をもとめてあちこちと、居場所を変えておりまする。そんな吾をば見かねてか、家人が手にした扇風機、吾に向けられし強い風、涼しくあれどいかんせん、涼しさに勝る不安感、吾は扇風機の風をさけ、涼を求めてさまよい歩き、廊下に良き場所探し当て、しばしの昼寝をむさぼれば、いきなり家人に抱き上げられて、春か秋を思わせる、涼しき部屋に連れ込まれ、テレビの前に置かれたり。さてはと画面に眼をやれば、案の定と言うべきか、吾が同胞たちが群がりて、遊んでいる姿の場面なり。


 ここ数年来のテレビには、猫に関わる番組ありて、家人に勧められて見ておりまする。家の周りを歩いてみても、吾が同胞の姿なく、会える機会はテレビのみ、吾は人にあらずして猫なるを、テレビで確認している次第。人間様の発明になる、テレビに感謝しておりまする。
    
久々にお伝えしました近況報告を、ここらあたりで終えると致します。猛暑続きの今日この頃なれど、空には秋の気配あり。暑さに耐える日もあとしばらく、皆様どうかお元気で。

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冬の野良猫 [猫のこと]

2015年9月2日の記事「漱石先生こんにちわ」に、思いがけなく猫を飼うことになった経緯を書きました。捨てられた子猫に餌をやったところ、庭に居つかれて飼うことになり、ついには家猫にしたのですが、それからすでに8年あまりになります。

いうまでもなく、我が家の猫も寒さを嫌います。エアコンの温風を求めて移動する。エアコンが止まっていればコタツに入りたがる。部屋に日ざしが入れば日ざしの中でひなたぼっこする。そんな猫が冬の屋外で生きるのは容易ではなさそうですが、現実には厳寒期の屋外に野良猫の姿を見ることがあります。

数年前の冬に帰省したとき、家に隣接する小屋の前を通りかかると、小屋の中のダンボール箱に猫が入っていました。よく見ると猫は3匹で、狭い箱の中に詰め込まれるようにして、しっかりと身を寄せ合っていました。その3匹はどんな関係にあったのだろうか。青森県の猿たちは群の仲間同士で固まることで、厳しい寒気に耐えるというが、単独で行動する猫たちも、冬を乗り越えるためには行動を共にするのだろうか。このブログの「小鳥たち」なるカテゴリーには、雀やインコに豊かな感情があり、たしかな記憶力を有することを書いてきました。猫には小鳥に勝る感情や智恵があるはず。単独行動を常とする猫であろうと、いざとなれば互いに協力し、寒気に耐えようとするのかも知れません。

真冬の出雲に滞在していた先頃、あの野良猫たちはどうしているだろうと思い、家の周りを探してみたのですが、どこにも猫の気配すらありませんでした。出雲の田舎であっても、行政からは「野良猫に餌をやらないように」との要請があります。野良猫が生き抜いてゆくには、随分と厳しい時代になったものです。


 


漱石先生明けましておめでとうございます [猫のこと]

明けましておめでとうございます。お久しぶりに御眼にかかります。猫のミーコです。昨日の続きをきょう生きて、明日はきょうの続きを生きる。そんな私の毎日ですが、近況をお知らせしたいと思います。

寒さ厳しき時期なれど、ときには外気を吸わねばと、家族の者に合図して、戸を開けさせて庭に出て、しばしの散歩を楽しめど、寒気を嫌う猫の身は、すぐにも暖気を恋しがり、窓辺によりて声をなし、家に入れてもらいます。

部屋の暖気を楽しみながら、窓の外を眺めれば、再び散歩をしたくなり、戸を開けるべく求めれば、家のあるじはブラシを手に、私の気持ちを逸らせます。散歩に勝る誘惑にのり、あるじの膝にてブラッシングを受け、しばしの快感に身をゆだねます。

暖かき膝の上にてまどろみながら、ブラッシングの心地良さ、暫しひたっておりますうちに、あるじの内なる心の声が、「もう終わりにする、膝から降りろ」と聞こえてきます。ブラッシングへの御礼もなさず、私が膝から飛び降りますと、あるじが奥さんに話しかけまする。

「ミーコにはテレパシーの能力があるらしい。心の中で降りろと言えば、すぐにミーコは飛び降りるんだ。今日に限らずいつものことだけど」「感情を持つ猫だから、思いを受けとる能力も、備えているんじゃないかしら」「動物は言葉を使えないから、テレパシーをその代わりにして、意思を疏通してるのだろうか」「テレパシーは心の働きだから、人と人との間だけでなく、人と猫との間でも、それができても不思議じゃないわ」

人間様とはめんどうなもの。やること為すこと考えることなど、いちいち理屈をこねたがる。膝から降りてほしいと望まれたから、私は床へと飛び降りた。人間様の気持ちがどうしてわかるのか、私にわかるはずもなく、問われたところで答えようがない。

寒さ厳しきこの季節、皆様方には変わりなく御健勝にてお過ごしになられますよう願いつつ、近況報告の筆を置きます。


漱石先生こんばんは  [猫のこと]

漱石先生こんばんは。9月2日の投稿記事で、私ミーコの半生を語らせてもらいましたが、今日は私の近況をお伝えします。

  「吾輩は猫である」の主役は猫なれど、ロバート・A・ハ インライン(注1)が書いた「夏への扉」(注2)なる物語は、猫のピートを準主役となすSFの小説。そのピートの行いを見習うごとく、次からつぎへと窓を巡りて、ガラスごしの景色をひたすら眺め、外での遊びを夢みることが、この春までの私の日課。窓ごとに、見える景色は変われども、昨日と今日に変わりなく、日ごとに募るは外界の、空気の匂いと土ざわりを、じかに触れてみたきこと。
 春のうららの昼下がり、庭の景色に惹かれるままに、アルミサッシに爪をかけ、諦めることなく引っ張れば、二重ガラスの重い戸が、徐々に徐々にと動くなり。
  あまりに久しきことなれば、恐るおそる庭にでて、しばらくそこにたたずめば、家族の者の声がして、迷子になったら困るとて、家の中へと戻されぬ。
  外界を恋う想いやみがたく、それから幾度も無断外出をして、我が想いを家族に認めさせ、監視されながらも庭へ出て、足裏の土の感触たのしむも、足をのばすに勇気なく、10メートル歩むも難かりき。
  それから幾度も庭に出て、庭の内のみうろつけば、いつしか家族も油断して、監視する眼を忘れたり。
  数年という歳月は、猫にとっての大昔、とはいえ記憶は確かにて、子猫時代の感触を、思い出しつつうろうろと、庭を歩いて三日目に、勇気を出して庭を出て、隣の菜園に踏み入れば、昔の記憶がよみがえり、野菜の匂いをかぎながら、しばし畑に留まれど、いつしか畑を踏み越えて、竹藪の中へと入る大冒険。今では外出するごとに、1時間余りも時間をかけて、心ゆくまで外界を、楽しむことができまする。
 外出を望めど出してもらえぬときは、家族の側に近寄りて、家族の身体に前足をかけ、声をかけながら押すことで、窓を開けさせる実力行使。これぞ私の得意わざ、しばしば実行しておりまする。
  子猫で無残に捨てられながら、危ういところで助けられ、今では家の内外で、よき猫生を楽しめり。私の家族の者たちは、猫を飼う気の無かりしに、今では私の存在を、貴重なものと思いおり。たまさか訪れ来たる吾が同胞たちと、ガラスごしにて対面すれば、吾も猫なることが思い出される。ガラスごしに見る猫たちの、良き毛色と色つやが、吾と同様に愛されて、幸せなること教えしも、流れる噂の数々に、悲しき猫の物語、吾が同胞には吾と同様に、幸多かれと願うのみ。


注1 ロバート・A・ハインライン(1907年7月7日 - 1988年5月8日)
  アメリカのSF作家であり、SF界の長老と呼ばれた。

注2 夏への扉
  ロバート・A・ハインラインによる小説で、猫が重要な役割をはたしているSF小説である。「きっこのブログ」で有名な、きっこさんの愛読書としても知られる。



漱石先生こんにちは  [猫のこと]

 漱石先生こんにちは。先生が飼われていた猫同様に、私もあわれな捨て猫でありましたが、今では立派な名前があって、家族たちからミーコと呼ばれています。
 漱石先生の猫とちがって、サビ色の私は雌猫で、家族の一員としてかわいがられております。今日はこのブログを借りて、そんな私の半生を語らせてもらいます。

  数年まえの9月のはじめ、生まれて間もなく捨てられて、野菜畑の中をうろうろと、母乳を求めて鳴きくらし、これまでかと思いし三日目に、乳の匂いを察知して、近寄り見ればこはいかに、皿いっぱいの牛乳が、夢かのごとくに置かれあり。
  その日からの一週間、皿の牛乳にて命をつなぎ、天の恵みとありがたく、思いしところあに図らんや、恵みは人間様からと知り、畑を出でて家に寄り、窓の前にて餌待ちすれば、皿の牛乳のみならず、柔らかくした煮干しまで、わが目の前に置かれたり。
ひと月ふた月と日が過ぎて、寒くなりはじめた初冬の日、庭に置かれし四角な箱を、ねぐらにせんとて入ってみれば、断熱づくりで防風完備、これはありがたやと我が住処とす。
  人の優しさを思うにつれて、ともに暮らしたいとの気持ちがつのり、勇気をだして家に入れば、たちまちのうちに追い出され、歓迎されざる我が身を知れり。とはいえ家に入りたく、窓の近くの木に登り、ひたすら中を窺うも、望みの叶わぬままに冬が来て、雪がちらつき始めた年末に、ようやく家に導かれ、人間様とその家の、暖かさとありがたみを存分に知る。
 それから幾つも年が過ぎ、私は人間様の上に立ち、あれやこれやと要求し、我が意のままに日を送っている次第。わがままなれども無邪気ゆえ、家族に心ゆくまで愛されて、幸せな日々を送るいま、いつしか私も知らぬ間に、ペットとしての役割を、立派にはたしておりまする。それが私にできる唯一で、貴重な家族への恩返し。猫と生れし命にも、幸運不運はあるめれど、如何なものなりや我が猫生は。


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