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「必要は発明の母なり」につけ加える言葉 [教育]

小学校五年生の頃だっただろうか、数人の友人たちとしゃべっていたとき、そのうちのひとりが言った。「必要とされる物がみんな発明されてしまったので、残念だが、なりたくても発明家になることができない」
  その頃の田舎には、ラジオすらない家が多く、テレビや洗濯機の存在も知ることはなかった。パソコンはむろん携帯電話やカーナビなども、この世にはまだ存在していなかった。そんな時代の小学生が、すでに発明すべき物はないのだと言ったのである。実のところ、私はその言葉を聞いて、もしかするとそうかも知れないと思ったのだった。
その友人は比較的に若くして亡くなったから、パソコンを個人が使う今のような時代を知るよしもなかったろうが、テレビを楽しみ、車の利便に浴することはできた。その友達の存命中に、小学生時代の話題について語り合ったなら、どんな会話になったことだろう。
 かつての私の友と同じような想いを抱く子供は、今の日本にいくらでもいるような気がする。そんな子供たちに伝えたいと思う。「これからも、たくさんのものが発明されるだろう。君も立派な発明家になれるかも知れないよ」
  「必要は発明の母なり」と言う。その言葉に異存はないが、私はさらにつけ加えたいと思う。「とはいえ、発明がなされてから、その必要性が理解される発明もある」
そのような発明がなされるのは、偶然の結果か、あるいは誰かが夢を追い続けた結果ではなかろうか。夢を追い続けるそのひとは、どうしてその夢を抱いたのか。気がかりなのは、偏差値教育の中からは、そのようなひとが育ちにくいのではないか、ということである。
私が書いた「防風林の松」(電子書籍として、forkn と DLmarket にて公開中の青春小説・恋愛小説)の中に、次のような文章がある。主人公が友人と交わす会話の一節である。

小説「防風林の松」より引用
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。・・・・・・」
「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。
「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」
 ・・・・・・坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」 (引用おわり)

「お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな」は、まさに私自身のことである。もっとも、私の場合はオーディオ装置ではなくラジオだったが。中学1年生まで成績劣等生だった私が、大学まですすんで技術者になれたのは、時代が少し早かったために、偏差値教育の犠牲にならずにすんだからだと思っている。

2016年4月12日 追記
小説「防風林の松」の公開先を、アマゾンの電子書籍であるキンドル本に変更した。
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