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思わぬ所で知人と出会う不思議なできごと [雑感]

本ブログで繰り返し書いた記事に、「思わぬ所で知人と出会った体験」がある。どういうわけか、私はそのような体験を繰り返すことになったが、偶然の出会いが重要な意味を持つテレビドラマが多いところをみると、そのような体験は珍しくないのかも知れない。
                                                   
私が繰り返し体験した不思議な出会いは、いずれも数学的な確率論で論じることはできない程に不思議なことであった。小説やドラマに描かれるだけでなく、そのような体験を書物などに記している著名人もいるのだから、少なからぬ人がそのような体験をしていると思われる。もしかすると、そのような出来事は単なる偶然の出来事ではなく、意味のある出来事かもしれない、と私には思われる。
                                                   
本ブログに書いてきたように、私には予知夢を見た経験が2回ある。霊魂が実在するとしか思えない体験もある。予知夢も霊魂の実在も今の科学では否定されるものだから、体験などを通してその実在を知った人以外の多くの人は、頭からそれを否定しようとする。そのような人が思わぬ場所で不思議な出会いをしても、たんなる偶然の出来事と考えるだろうが、不思議な出会いを幾度も繰り返したならどうであろうか。今の科学では説明できなくても、それを事実として受け入れることになろう。
                                                   
本ブログに投稿してきたように、私は不思議な出会いを繰り返してきた。それを思い出しつつ書いたのが次の記事である。 
                                         

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八十路にて詠む歌 72 [吾が詠みし歌]

我が家の狭い菜園に、小松菜と春菊にサラダレタスが育っています。伸びた葉だけを切り取るやり方で、欲しいだけの量を収穫しております。
                                                   
菜を摘みとるやり方が、古い歌をおもいださせました。高校時代の教科書に載っていた歌です。断片的な記憶をたよりにネットで調べてみたら、このような歌がみつかりました。70年前の高校生時代に、国語の教科者で目にしたのはこの歌だったように思います。
                                                   
   君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ (光孝天皇)
                                                   
というわけで、若菜を摘む歌を詠んでみましたが、これを読んだ人には意味不明な歌と思われるかも知れません。それとも、上記の歌や万葉集の若菜に関わる歌を思い浮かべてもらえるでしょうか。
                                            
   庭先の狭き菜園若菜摘む古の歌思い浮かべつ


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我が身の年齢を思い知らされたできごと [雑感]

人として未熟なせいであろうか、私には高齢者としての自覚に欠けるところがあるらしく、妻からも忠告されることがある。そんな私が86歳という年齢を思い知らされる事態になった。



かなり以前から、JAで玄米を購入して、家庭用の精米機を使い、玄米、二分搗き、七分搗き、白米など、用途と好みに合わせた精米度にしている。

 


年末に近い日に、いつものように20Kgの玄米を買い、袋を抱えて門を入ったのだが、玄関に続く緩やかなコンクリートの石段(高さ11cm)に躓き、こともあろうに後ろ向きに転んで尻餅をついた。

  


年が明けても腰に違和感があるため、病院で調べてもらったところ、腰椎を圧迫骨折しているという。20Kgを抱えたままで石段の下まで落ちたのだから、高齢でなくても骨折した可能性はあろうが、転んだのは明らかに年齢による衰えのせいである。数年前までは、JAの玄米は30Kg単位で販売されていたのだが、私はそれを抱えて歩くことができた。最近は20Kg単位で売られるのだが、私はそれを重く感じながら運んでいた。以前よりも体重が減っているのだから、あきらかに筋肉が減少しているのだが、私はそのことに意を向けなかった。



今回のことで妻から強く言い渡された、次に玄米を買うときからは、すべてを息子にまかせるように。慣れないコルセットを腰に付け、この記事を書きながら思う、玄米のことにかぎらず、年齢不相応のことをしていることが多々あるのかもしれないと。医師の言によれば、骨折した骨は順調に恢復し続けているので、コルセットの装着を終える日が近いとのことだが、これからは、年齢を意識しながら動こうと思っている。




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3月10日と3月11日 [雑感]

3月11日のテレビや新聞は、あの大震災を大きく取り上げる。13年が経ったとはいえ、まだ記憶に新しいのだから当然なのだが、その前日の3月10日はあの大震災をはるかに上回る10万人を越える犠牲者をだした東京大空襲があった日である。一夜にして原爆災害並みの犠牲者をだした空襲であり、人類史に残るできごとでありながら、今では話題にされることもない。
                                                    
2022年3月8日の本ブログに、「3月10日の東京大空襲と3月11日の東日本大震災」なる記事を投稿しているので、その記事をここに再掲したい。
                                                   
「3月10日の東京大空襲と3月11日の東日本大震災(2022.3.8)」再掲
                                                   
3月11日が近づくと、東日本大震災に関わる記事が目立つようになる。あの地震から11年が経ったとはいえ、その記憶が生々しいだけでなく、大災害が残した爪痕は大きく残っている。もしかすると、50年先にも原発事故の影響が残っているかも知れないのだが、多くの人にとって、災害は歴史上のできごとになり、切実な体験として記憶する人は少なくなるだろう。この国が77年前の3月10日に体験した、東北大震災よりはるかに大きな犠牲をもたらした災害が、ほとんどの人に思い起こされる事がないように。
                                           
昭和20年(1945年)3月10日の未明に、東京はアメリカによる大空襲を受け、ひと晩で10万人が犠牲になった。アメリカは犠牲者を多くするために、東京の中でも人口密度が高く、木造の住宅が密集している下町地域に、住宅を燃やすための焼夷弾を投下したのである。東京をはじめとする主要都市のほとんどが空襲され、全国の犠牲者は50万人以上(調査データによって差異あり)に達したという。日本軍も中国の重慶に対して無差別爆撃を行っているが、アメリカのそれは度を超している。戦時の狂気がもたらしたものとはいえ、原爆攻撃同様に、人道に反した行為である。
                                                                                                                                                  
広島や長崎の原爆災害については、今も平和式典が開催されているが、原爆と同等の犠牲者を出しながら、3月10日が近づいても、東京大空襲が話題になることはない。毎年3月9日か10日の朝日新聞「声」に、作家の早乙女勝元氏の東京大空襲に関わる投稿記事が載る。3月10日の東京大空襲を体験した早乙女氏は、大空襲の語り部として活動し続け、今月で90歳になられるという。今年はどんな記事を投稿されるだろうか。
                                                  
3月の朝日新聞の投稿欄「声」には、毎年のように、東京大空襲に関わる早乙女勝元氏の記事が掲載された。2022年5月に亡くなられたが、投稿回数は30回に及んだという。


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八十路にて詠む歌 71 [吾が詠みし歌]

きょうで東日本大震災から13年になりますが、3月10日は東京大空襲から78年になる日です。一夜にして10万人もの犠牲者という、人類史に記録されるべきできごとですが、今ではほとんど顧みられることもありません。福島の被災した原発の処理には今後40年を要すという。全国に散在する原発が、将来にわたって絶対に安全であると言えるでしょうか。
                                                    
    天災にまされる人災過去にあり戦争の傷原発の事故


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八十路にて詠む歌 70 [吾が詠みし歌]

家族の者はメールを多用していますが、私は通信手段としてのメールをほとんど使わず、ネット通販での使用が主な用途になっております。学生時代の仲間からは、ときおり新年会などの連絡がくるので、忘れがちながらもメールをチェックしているのですが。
                                                    
メールが多用されるようになり、ハガキや手紙が減ってきたという。その結果、郵便料金が引き上げられました。これほどまでに発達してきた通信手段ですが、おそらくは、これからも発展してゆことでしょう。
   早飛脚郵便今はメールの世明日の世をば思うこの頃


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