特攻隊員穴沢利夫少尉の悲恋に想を得た小説 [小説]
特攻隊に関わる小説を読んで [小説]
小説「防風林の松」をカクヨムに投稿 [小説]
カクヨム(小説投稿サイト)に小説「造花の香り」を連載 [小説]
「きっこのブログ」を読んで [小説]
‥‥そんなワケで、同じ小説でも、中学校で初めて読んだ時と、社会人になってから読み返した時と、結婚して子どもを持ってから読み返した時では、それぞれ印象が違ってくると思う。これは、最初に読んでから二度目に読み返すまで、二度目に読んでから三度目に読み返すまでに、いろんな人生経験をして、いろんな知識を得て、自分が成長したからだ。一方、文末の注解をじっくりと読み込んだ上でその小説を読み返すということは、この10年も20年も掛けて得る「いろんな知識」を、簡単に得られるお手軽な方法なのだ。だから皆さんも、ひと昔前の小説を読む時には、なるべく注解がびっしりと書き込まれた改定版を選び、じっくりと読み込んでみてほしい。そうすれば、たとえ何度も読んだことがある作品でも、必ず新しい世界が見えてくると思う今日この頃なのだ。(引用おわり)
きっこさんは「解説記事から得た知識とそれに触発された意識をもって再読すれば、その小説から新たなものを得ることができる」と言うが、私は「一度読んだ小説を読み直すくらいなら、別の小説を読みたい」ので、小説を読み直したことがない。とは言え、心のどこかで再読の価値に気づいてはいるような気がする。そのような気持ちが、小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバー参照)の第一章に、次のような文章を書かせたのだと思う。
「お前は漱石をほとんど読んだじゃないか、高校に入ってすぐの頃に」
「この家には漱石のものが揃っていると聞いて、千鶴さんからこれを借りたんだ。いいもんだぞ、小説を読みなおしてみるのも」
「小説もいいけど、ほどほどにしておけよ。軍事教練に時間をとられるうえに、年限を短縮して卒業させられるんだから」
「俺には小説が薬になるけどな、頭を柔らかくしておくための」
「薬もほどほどがいいんだよ、過ぎると毒になるから」と良太は言った。
心待ちにしていた千鶴の足音が、部屋の前の階段から聞こえた。・・・・・・ (引用おわり)
芥川賞と直木賞 [小説]
新幹線車内での隣席者との会話 [小説]
<ある大学の心理学教室が「新幹線の東京駅で隣席同士になった乗客が、大阪に着くまでに会話を交わすとすればどんな場合か」を調べた。その結果、乗り合わせてから1分以内にどちらかの側が話しかけたなら、そのあと大阪に着くまでの間に、隣客同士で会話を交わすことがある、ということがわかった>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「僕のことはもういいよ。それよりも、絵里さんがボーイフレンドを見つけるための方法を考えようよ」
「教えてもらえるとうれしいですけど」絵里が再びにこやかな笑顔を見せて言った。「どうしたらいいんでしょう、早く見つけるためには」
コーヒーカップを口にはこんだ絵里は、唇をかるく触れただけですぐにそれを離した。僕はそんな絵里を見ながら、絵里のために役に立ちそうな話をしてやろうと思った。
「だいぶ前に新聞か雑誌にでていた話なんだけどな、これは。東京駅で新幹線に乗ってから、隣り合った乗客同士がどんな会話をするのか調べたんだよ。大学の心理学研究室だったと思うけどな、それをやったのは」
僕がいきなり話題を変えたので、絵里はとまどったような表情を見せた。
「調べてみたらわかったんだよ、どんな条件があれば乗客同士で話をするかってことが。それがどんな場合なのか想像できるかい」
「そうねえ……私が新幹線に乗ってる場合を想像して……」
・・・・・・・・・・
「そうね、ずっと並んでるのに、話なんてしないわね」
「隣り合ってる人のどちらかが、先に座席についているわけだよな。そこへ隣の人がくるわけだ。それでさ、一分以内にどっちかの人が隣へ声をかければいいんだよ。ちょっと声をかけるだけでいいらしいよ。そうするとだよ、それから後で互いに話をすることがあるんだってさ。隣り合ってから一分以上も話をしない場合には、大阪までお互いにひと言もしゃべらないそうだよ」
「そういうことだったの。そう言われてみれば、わかるような気がする、その話。おもしいことを研究するわね、大学の先生も」絵里は感心したように言った。
「案外とおもしろいよな、心理学の研究というのも。とにかく、そういうわけだからさ、男と女の間だって、出会ってから一週間なのか、あるいは半年なのかわからないけど、その間にきっかけを作ればいいと思うよ」
「あ……やっとわかったわ。どうしてそんなことを話してくださるのかと思ったら、そういうことなの」絵里は明るい笑顔を見せた。「その話をもっと早く聞いておけば、ボーイフレンドができてたかも知れないわね。でも良かったわ、いま聞かせてもらったから、今後の参考にさせてもらいます」 (引用おわり)
結核が小説のテーマになった時代 [小説]
歌詠みではない者が歌を詠むとき その2 [小説]
良太さんは私や出雲の御家族のことを想うあまりに、写真であろうと特攻機の道づれにはできなかったのだ。良太さんは写真を持って行く代わりに、私が作った造花を身につけて行かれた。私の匂いをしみこませ、良太さんと初めて結ばれた日に渡したあの造花。
出撃の二日前に書かれた手紙には、おわりの部分に歌が記されていた。その歌を千鶴は心のなかで読みかえした。
枯るるなき造花に勝る花ありや愛しき人の香ぞしのばるる
三鷹での良太との一夜が思い出された。良太への想いがわきおこり、千鶴の胸を満たした。良太さんはこの写真や造花を見ながら私を想い、あのことを思い出されたのだ。あのことは、三鷹で一夜を共にしたことは、良太さんのためにもほんとうに良かったという気がする。明け方の光のなかで眺めた良太さんの寝顔は、とても安らかで幸せそうだった。寝顔に触っていると眼を覚まされ、私の手をにぎって笑顔を見せられた。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
「造花に勝る花ありや・・・・・・良太らしい歌だよな」と忠之が言った。
「法事のあとで、戦争を防ぐためにも歴史を学ぶべきだと話し合ったわね。岡さんはあのとき、歴史には造花に通じるところがあるとおっしゃったわ」
「良太の歌を読んだばかりだったから、こじつけみたいな言い方をしたけど」と忠之が言った。「もしも歴史の記録に偽りがあったなら、後世の人間はそこから誤ったことを学ぶわけだよ。歴史としての造花は飾り物ではなくて、貴重な人類の宝物なんだ。その造花にはしっかりと、本物の香りを持たせなくちゃな」
・・・・・・・・
「・・・・・・あの戦争がどんなものだったのか、それを一番よく知っている俺たちには、戦争を心の底から憎む気持を、歴史の中に残しておくという役割があるんだ。戦争の犠牲者や遺族たちの悲しみも、特攻隊員たちの想いも、歴史のなかにしっかり残しておこうじゃないか、二度と戦争を起こさせないために」
ほんとうにその通りだ、と千鶴は思った。あの戦争を体験し、戦争がもたらす悲しみを痛切に味わった私たちには、後世の人に対して歴史上の責任があるのだ。岡さんが言われたように、歴史としての造花には、ほんものの香りを持たせなくてはならない。その香りが私たちの今の気持を伝えるはずだ。戦争を心の底から憎んでいる私たちの気持を。 (引用おわり)
ここに引用したのは、良太の婚約者だった千鶴が特攻基地の跡を訪れ、良太の妹や良太の親友と語り合う場面である。
歌詠みではない者が歌を詠むとき [小説]
・・・・・・・・・・・・
「そうかも知れないわね」桜を見あげて千鶴が言った。「私たちはあのような時代に生れ合わせて、あのように関わり合いながら生きたんですよね」
いつのまにかふたりは歩みをとめて、桜の前に佇んでいた。千鶴の視線に誘われるまま、忠之は桜の梢に眼をやった。風が吹きぬけたのか、梢のあたりがいきなり揺れた。
揺らめく若葉を眺めていると、良太の歌が思い出された。
時じくの嵐に若葉散り敷くも桜な枯れそ大和島根に
その歌は、良太が遺したノートに記されていた。その歌を詠んで間もなく、良太は沖縄の海をめざして出撃したのだった。
治安維持法なる一法律が、思想と言論の自由をこの国から失わせることになった。政治への関与を強めはじめていた軍部が、いつのまにか政治そのものを動かすに至った。きな臭い匂いに気づきながらも、戦争が起こることなどよもやあるまいと思っていた国民は、巨大な渦に引きこまれるようにして戦争へ導かれ、ついにはその濁流にのまれた。
人々は激浪に翻弄されながらも懸命に生きようとした。森山良太と浅井千鶴そして岡忠之は、そのような時代に青春の日々を過ごした。 (引用おわり)
私が書いた小説について・・・・・・一人称の小説と三人称の小説 [小説]
初めて書いた小説「防風林の松」(本ブログの左側サイドバー参照)は、主人公の視点で書かれた一人称小説です。主人公の視点に縛られた書き方しかできないことに、ときおり不満を覚えることはありましたが、4月9日に投稿した「小説の神様に扶けられつつ書いた小説」に記したようにして、さほどに時間をかけることなく、長編の恋愛小説を書き上げました。
そのようにして書いた「防風林の松」ですが、私には不安がありました。「この小説のほとんどは創作によるものだが、一人称の小説であるだけでなく、主人公は開発に関わる技術者だから、主人公を作者である私に重ねて読む人がいるかも知れない。」
というわけで、「防風林の松」のあとがきに、次のような文章を加えました。
「防風林の松」のあとがきより一部を引用
・・・・・・この小説は一人称で書かれているために、読んでいただいた知人の中には、主人公を私に重ねる人がいたようである。この小説には私自身の体験も入っているが、それはせいぜい1パーセントである。その1パーセントとは、中学1年生までの私が成績劣等生だったこと、ラジオに興味を抱いて独学したことが、成績向上に役立ったと思われること、電機会社に三鷹市から通勤していたこと、仕事に関わる資料や原書を持ち帰り、夜おそくまで読みふけったこと、会社にしばしば遅刻したことである。・・・・・・(引用おわり)
上記のようなあとがきを付してからも、原稿を読んでくださった知人や友人の中には、「この小説は君の体験に基づくものか」と聞く人が幾人もいました。私は一人称小説をたくさん読んでいますが、主人公を作者に重ねて読んだことはありません。「この小説は君の体験に基づくものか」と問いかけてきた知人たちも、名前を知られた作家による一人称小説を読んだときには、主人公と作者を重ねることはないと思われます。まったくの素人が一人称の小説を書いたなら、自伝小説として憶測される可能性があるということでしょう。
特攻隊に関わる小説「造花の香り」(本ブログの左側サイドバー参照)は、最初から三人称形式で書くことにしていました。「造花の香り」には、主人公なみの人物が複数人ありますので、三人称でしか書けそうになかったからです。とはいえ、結果的には一人称小説的な要素をもつ小説になりました。主人公である良太の視点で書かれたところは、良太を主人公とする一人称小説、そして、恋人である千鶴の視点で書かれたところは、千鶴をヒロインとする一人称小説、と見なされるかも知れません。そうであろうと、そのような形で書くことができたのは、三人称の形式を選んだからであり、書き方としては成功したと思っています。志賀直哉の代表作である「暗夜行路」は三人称で書かれていますが、実質的には一人称小説と見なされています。実質的には一人称小説であろうと、「暗夜行路」の主人公は「私」ではなく、「時任謙作」であるべきでしょう。「造花の香り」を書いた私にはそのように思えます。
小説の神様に扶けられて書いた小説 [小説]
まったくの素人でありながら、私は長編の恋愛小説を書き、それを電子書籍として公開しております。むろん動機があって書き始めたわけですが、最初のうちは筆が進まず、原稿用紙数枚分を書くのに10日を要すほどでした。ところが、ひと月あまりを経ると筆が走るようになり、思いがけない速さで書けるようになりました。定年を迎える前のことでしたから(最終的に改訂したのは定年後)、液晶画面に向かうのは主に土曜日と日曜日でしたが、書き始めてから100日ほどで、草稿と呼べるものを書き上げました。「あたかも筆が走るかのように書けたこと」は、私にとって不思議な体験のひとつですから、最初に書いた小説「防風林の松」 (このブログの左サイドバー参照)のあとがきに、次のような文章を加えることにしました。
小説「防風林の松」のあとがきより引用
・・・・・・小説を書くに際しては、プロットなるものを考えるなど、あらかじめ構想を練るのが一般的なやり方らしいが、私はまったく行き当たりばったりに書き進めていった。才能に恵まれているとは思えない私が、小説の作法も学ばないままに開始したので、原稿用紙二十枚分を書くのにひと月を要した。
書きはじめてからひと月あまりは、遅々として筆が進まなかったが、五月の連休に入った頃から、自分でも驚く程の速さで書けるようになった。政治を風刺する小説を書きたかったにもかかわらず、物語が進むにつれて、政治に関わる記述はむしろ少なくなった。 (引用おわり)
特攻隊に関わる小説「造花の香り」(左側のサイドバー参照)を書いた際にも、「防風林の松」の場合と同様の経験をしております。最初のうちは遅々として筆が進まなかったのですが、書き始めてからしばらく経つと、走る筆に引きずられるようにして書いていました。多くの参考資料に眼を通す必要があったので、創作をしばしば中断したのですが、原稿用紙にすれば900枚に及ぶ草稿を、およそ半年ほどで書き上げました。(改訂する過程で削減した結果、最終的には原稿用紙400枚ほどの小説になりました。)
どのような目的で記す文章であれ、まずは心のうちで文案を練るわけですが、「筆が走る」状況のもとでは、文案を練る過程を経ることなく、言葉が湧きでるように浮かんできます。私はそのようにして、小説にはまったくの素人ながら、長編の小説を書き上げることができました。
私には不思議に思える体験ですが、もしかすると、小説を書く人が普通に体験するようなことかも知れません。創作に熱中し続けていると、その目的に即した能力が活性化するのでしょうか。「好きこそものの上手なれ」なる言葉は、「熱中し続けていると、その目的に即した能力が向上する」と言い換えることができそうです。とはいえ、私の場合には、書き始めてからひと月ほどで筆が走るようになりましたから、修練を積んだゆえの結果とは言えそうにありません。もしかすると、俗に言うところの「小説の神様」が、必死になって書いている私を扶けてくださったのかも知れません。理系の分野でも、研究や開発などに熱中しておりますと、思わぬときにアイデアがひらめくことがあります。どんな分野であれ、何かの目的に向かって熱中している人には、その目的を果たすのに即したアイデアが与えられるのでしょう。与えてくださるのは神様なのか、自分自身の潜在意識あるいは潜在能力によるものなのか分かりませんが、小説を書いていたときを振り返ってみますと、神様の扶けがあったのかも知れないという気がします。
筆に引かれながら書いた草稿ですが、読み直してみると稚拙なところが多く、大幅に改訂せざるを得ませんでした。というわけで、改訂を幾度も繰り返すことになりましたが、物語のすじを変えたいと思ったことはありません。走る筆を追いかけるようにして書いた小説が、しっかりと小説の体をなしていたことになります。どうやらやはり、小説の神様が存在し、素人の私を扶けてくださったようです。もしかすると、小説にかぎらず、「思い切ってチャレンジし、諦めることなく努力し続けるなら、目的を達成できる可能性は十分にあり得る」ということかも知れません。
「永遠のゼロ」に対するクチコミ評価を見て [小説]
14日に投稿した〈小説「造花の香り」に対する批判を聞いて〉に続く記事である。
アマゾンのサイトを訪ね、小説「永遠のゼロ」に対するクチコミ評価を見ると、ベストセラーだけあって、じつに多くの書き込みがある。総数1769件(11月18日の時点)のうち、この小説を最高と評価するのは1034件(58%)、最低とする評価は233件(13%)である。小説に対する受け取り方は様々であるにしろ、ひとによって評価が極端にばらついている。
高い評価と最低評価を読み比べてみると(適当に抜き出したものをそれぞれ10件ほど)、評者たちは「永遠のゼロ」が確かに有する一面を取り上げ、自分なりの基準で評価している。(クチコミ評価としてはそれでよいと思う。)
その結果として、最高から最低までの評価がくだされているわけだが、高低の評価いずれもが私には納得できるものである。評者たちが取り上げている「永遠のゼロ」の側面については、それぞれの評価があてはまると思えるからである。
クチコミを読んでその感想を書こうと思っていたのだが、きょうのブログはここで終えることにする。「私の感想を読んでもらうより、アマゾンのサイトを訪ねてもらい、「永遠のゼロ」に対するクチコミ評価を読んでもらった方が良さそうだ」と思うからである。「永遠のゼロ」を読まれた方のみならず未読の方も、多様なクチコミを興味深く読むことができると思う。
小説「造花の香り」に対する批判を聞いて [小説]
まったくの素人でありながら、私は小説にチャレンジし、ふたつの作品を電子書籍として公開しているのだが、無名の作者による小説を読もうとするひとはなさそうである。最近になって、このブログの左サイドバーに小説の概要を表示したけれども、ブログを訪れてくださる人が少ないので、さほどの効果は期待できそうにない。
思いを込めて、そして心血を注いでなした小説だから、少しでも多くのひとに読んでもらいたいもの。そんな気持ちで幾人もの知人に原稿を贈った。中学や高校時代の友人にはごく限られたひとにしか贈らなかったのだが、そのうちのひとりは読んだあと、元同級生だった仲間たちに回してくれた。そのおかげで、思いがけず多くの仲間に読んでもらえることになり、とてもありがたく、感謝している次第である。
10月28日のブログに、「傘寿の同級生が50人も集まった中学校の同窓会」なる記事を書いたが、その同窓会で、数人の仲間から「読んだぞ、あの小説を」と聞かされた。作者たる私は無条件に嬉しく、感謝しつつそれを聞いたが、そのうちのひとりが「造花の香り」についての感想を口にした。「特攻隊に関わる小説なのに、主人公の思考は戦後の視点にたっているみたいだ。そこが「造花の香り」の問題点だと思う」
私は「造花の香り」を書くにあたり、主人公を戦前の一般的な青年たちとはやや異質な人物にした。「やや異質」とはいえ、当時の日本に少なからず存在したはずの青年だと思っている。内向的であり、思索的であって付和雷同することなく、戦時の社会を冷静に眺めることができた青年。そのような青年が戦前の日本にも少なからず存在していたことは、特攻隊員たちが遺した書簡や日記などから推察できる。
私は言った。「戦前であっても、作家の永井荷風は日記の中に、〈日本がアメリカと戦って勝てるはずがない。どうせ負けるのだから、一刻も早く負けた方が日本のためになる。〉と書いている。戦時中にそんな日本人すらいたくらいだから、小説の主人公のような学生は少なからず存在していたはずだ」
10月11日に投稿した「特攻隊員上原良司が遺した言葉」で紹介した上原良司は、必勝を固く信じていた日本人が多かった戦前の時代にあっても、日本が敗北に至ることを確実視しており、「全体主義国家である日本が、国民の自由を保証する国と戦って勝てるわけがない」と遺書に記している。学徒出身の航空士官だった林尹夫の遺稿集「我が命月明に燃ゆ」によれば、林尹夫もまた、日本が戦争に勝てるとは思っていなかったようである。
多くの学徒兵がその真意を知られることなく戦死したわけだが(検閲を免れ得るとわかっている場合にしか、遺書にも真意を記すことができなかったはずである。)、上原良司や林尹夫のような思考の持ち主も、かなりの比率でいたのではと思う。小説「造花の香り」の主人公である良太も戦争に疑問を抱き、敗戦を必至なものと見なしながらも、上原良司とは異なり、特攻隊の意義を前向きにとらえようとする。これまでに読んだ幾つもの遺稿が(注)、そのような学徒兵が実在していたはずだ、と私に思わせる。
29日のブログに投稿した「三笠宮に関する新聞記事を読んで」にも書いたが、先頃逝去された三笠宮に対する追悼記事(朝日新聞10月28日朝刊)によれば、昭和天皇の弟宮であって陸軍の軍人でもありながら、戦中にあっても極めてリベラルな思考を持ち続けられ、陸軍のあり方を痛烈に批判しておられたという。三笠宮が戦時にあってもリベラルであり得たのは、皇族であったがゆえではなく(言論と思想の自由が抑圧されていた戦前の日本で、日本軍が中国で行った略奪や虐殺さらには強姦などを公然と批判し得たのは、三笠宮が皇族であったからにほかならないのだが)、備えておられた知識と資質によるものだった、と言えるのではないか。特攻隊で出撃していった数多くの学徒兵たちの中には、戦時の思潮に深く染められていた者も、染まらない部分を持ち合わせていた者もいたはずである。
小説「造花の香り」を「戦後の視点で書かれた小説ではないか」と批判する声に対して、私は以上のように応えるのだが、批判する声を否定するつもりはない。特攻隊を扱った小説「永遠のゼロ」はベストセラーになったが、その小説に対しても、賛否の両論がともに多いとのことである。その小説を読んでいる私はそのことを知り、さもありなんと思った。小説をどのように受け止めるかは、読む人ごとにそれぞれであろう。
(注)学徒兵の遺稿
学徒兵たちの遺稿集は幾種類も刊行されているが、その幾つかは今でも各地の図書館の蔵書になっている。私が利用する図書館は、昭和24年に発刊された「きけわだつみのこえ」の初版を蔵している。
完璧主義者は損をする可能性がある [小説]
「小説と彫刻とPCプログラム」より
パソコンのホーム画面にしているMSNのサイトに、「仕事が遅すぎる人に共通する残念な考え方 すべての仕事は必ずやり直しになると心得よ」なる面白い記事が出ていた。東洋経済オンラインというサイトからの引用記事で、時間を効率良く使って仕事を進めるための心得が説かれている。筆者の中島 聡氏は、元マイクロソフト社の伝説的プログラマーであり、Windows95の開発に関わった技術者とのこと。「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である」なる著作もあるという。
その文章の一部をここに引用させていただく。
東洋経済オンラインの記事「仕事が遅すぎる人に共通する残念な考え方 すべての仕事は必ずやり直しになると心得よ(中島 聡)」の一部を引用
…………コンピューターのプログラムに潜む誤りであるバグを多少無視して、とりあえず大枠を作ったものを「プロトタイプ(試作品)」と言います。…………
プログラムに限らず、大抵の仕事の全体図は、実際にやってみないと描けません。企画書という紙の上だけで考えても大抵思ったとおりになることはないのです。みなさんもそういう経験がおありでしょう。ですからプロトタイプの作成に速やかに入り、ある程度まで作ったうえで、どのくらいの難易度かを考えつつ仕事を進めていくのが賢いやり方です。
プロトタイプを作らず愚直に細部を突き詰めていった場合、締め切り間際になって「ここは設計から作り直さなければならない」という事実に気づくことがあります。そうなると危険です。締め切り間際では、大枠の設計を変更する時間もないので、完成品はろくでもないものになります。…………
よくこういった話を、石膏の彫刻の例を出して説明することがあります。石膏を削って胸像を作るとき、いきなり眉毛の一本一本にこだわって細い彫刻刀を使う人はいません。そんなことをしても、後になって全体のバランスがおかしくなって失敗するだけです。普通はまず大きく輪郭を粗削りするところから始めます。つまりプロトタイプを作るとは、そういうことなのです。
仕事が遅くて終わらない人が陥る心理として、「評価されるのが怖い」というものがあります。自分の仕事がどう評価されるのかが怖くて、できるだけ自分の中の100点に近づけようとしてブラッシュアップを繰り返します。しかしブラッシュアップすればするほど、もっと遠くに100点があるような気がして、いつまでたってもこのままじゃ提出できないという気持ちになります。そして、こうして時間をかければかけるほど、上司からはクオリティを期待されているような気がして、恐怖に拍車がかかります。このループに陥る人の状態を「評価恐怖症」と言います。評価恐怖症にかかった人は、自分の中での100点満点を目指すあまり、本来なら終わる仕事も終わらなくなります。…………粗削りでもいいから早く全体像を見えるようにして、細かいことは後で直せばいいのです。そうした気持ちでいれば、評価恐怖症でいることも、あまり大したことではないとわかるはずです。あなたはプロトタイプを最速で作るべきなのであって、細かいところは後から詰めて考えればいいのです。
……想像してみてください。最初から100%の完成度のものを作るなんて、可能でしょうか?大抵の仕事は、終わったときは満足していたとしても、時間が経つと修正したくなるものではないでしょうか?……どんなに頑張って100%のものを作っても、振り返ればそれは100%ではなく90%や80%のものに見えてしまうのです。言い換えれば、100%のものは、そんなに簡単に作れるものではありません。だから世の中のアプリ開発者は、配信後も長い時間をかけてアップデートを繰り返し、少しでもいいものを提供できるように努力しています。
つまり最初から100%の仕事をしようとしても、ほぼ間違いなく徒労に終わるわけです。なぜなら後から再チェックすると、直すべき箇所が次々に見つかっていくからです。……(引用おわり)
上記の文章の続きに、中島氏が開発に関わったWindows95は、3500個ものバグを残したままに発売されたと記されている(深刻なバグは修正してあったとのことである)。そうであろうと、それは世界に大きなインパクトを与え、歴史に名を残すOSとなった。
たとえ「評価恐怖症」でなくても、仕事を進める過程で細部にこだわるあまり、余分な努力をすることがあるだろう。完璧主義の人の多くは日常生活の中でも、些細なことにとらわれるまま、時間を無駄にしている可能性がある。中島氏による上記の文章は、そのような人にとっても参考になりそうである。
例えにあげられた彫刻の話を読んで、ミラノで見た未完成の彫刻(ミケランジェロのものだったと思うが、記憶が定かではない)を思い出した。白い大理石に刻まれていたのは、体のポーズがどうにかわかる程度の粗削りであった。それが未完成に終わっていたのは、作者がその段階で中止すべきと判断したからであろう。粗削りの段階で終えたことにより、無駄な労力を費やさずにすんだことになる。
小説を創作する場合の草稿も、プロトタイプと言ってよさそうである。私が初めて書いた小説「防風林の松」(注1)は、そのあとがきに記したように、構想を練ることもなく、動機に押されて書き始めたものである。構想はなくても目的はあったので、筆の赴くままに書き進め、書き上げてから改訂することにした。その結果は原稿用紙で500枚を超える草稿になったが、改訂を繰り返すたびに短くなって、400枚でどうにか完成するに至った。拙い草稿に繰り返しては手を加え、納得できる形に仕上げたわけだが、小説については素人である私には、最も適したやり方だった、と思っている。
特攻隊員を主人公とする「造花の香り」(注2)もまた、走りたがる筆に引かれるままに書き進めた結果、900枚に及ぶ草稿になったが、改訂を重ねて400枚程度の作品に収まった。「防風林の松」とともにこの小説も、アマゾンの電子書籍であるキンドル本になっている。
「小説を書くにはプロットなるものを作成し、構想を練ってから書き始めるべきである」という文章を読んだことがある。それが一般的な小説の作法であろうと、80歳に近い素人の私には、気持ちに押されるままに書き進めた草稿を、じっくりと改訂するやり方でしか書くことができない。これからもそのやり方で書きたいのだが、果たしてどんな結果になることやら。
注1 「防風林の松」
私が書いた最初の小説であり、アマゾンの電子書籍(キンドル本)になっている。
〈小説の概要〉松井滋郎は中学一年生まで落ちこぼれだったが、今は電機会社で技術者として働いている。独学で取り組んだ電気の勉強が、中学生だった滋郎に自信をもたらし、大学を経て技術者へと導く結果になったのだった。
仕事と恋と友情に恵まれ、充実した日々を送っていた滋郎は、同僚の妹に惹かれるままに、心の迷路に迷い込んでゆく。滋郎は仕事に情熱を燃やしながらも、上司に対して反発心を募らせる。そのような滋郎が自らの未熟さを思い知らされ、退職して新たな道に進まざるを得なくなるときがくる。
新たな道を歩んだ滋郎の現在の姿が、かつての恋人との関わりをからめて、序章と終章に描かれている。
注2 「造花の香り」
特攻隊に関わる小説ながら、ベストセラーになった「永遠のゼロ」とは異質な恋愛小説であり、テーマも大きく異なっている。アマゾンの電子書籍(キンドル本)になっている。
〈小説の概要〉 東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子が前半に描かれ、後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、さらに、特攻隊要員に選ばれてから出撃するに至るまでが描かれる。序章と終章は戦後における後日談であり、この小説のテーマを集約的に表している。
無名作者の小説を読んでくださった出版社の編集者 [小説]
多くの場合、「当社は持ち込み原稿を受け付けておりません。新人賞に応募してください」なる文書とともに返されてきましたが、ある出版社から返送された原稿には感想文が添えられていました。意外にも、そしてありがたいことに、長編の「造花の香り」を通読して頂けただけでなく、便せん2枚の感想文を賜わりました。
その手紙には、「興味ぶかく読むことはできたけれども、出版することはむつかしい」とありましたので、その理由を聞いてみたくて電話をかけました。
理由を聞いてみると、「良く書けている小説だと思うが、出版に関わる状況が厳しいために、無名作者のものを出版することは難しい」ということでした。そして、「あなたの身内に特攻隊で戦死された方はいますか」と問われました。
その問いかけが意味するところは、「作者の身内に特攻隊で戦死した者がいたのであれば、小説を売るうえでの話題になり、無名作者の小説であっても売れる可能性が見込める」ということでしょう。
私の身内に特攻隊員はいないし、出征していた父も無事に復員することができたから、個人的には戦争の悲劇と関わりがありません。私は後期高齢者と呼ばれる齢とはいえ、話題になるほどの高齢者ではないから、年齢が売り込みに役立つとも思えません。
無名の作者であって、話題となる要素にも乏しかろうと、心血をそそいで仕上げた作品ゆえに、少しでも多くのひとに読んでもらいたい。どうしたものかと考えた末、もうひとつの小説「防風林の松」とともに電子出版することにしました。
というわけで、 forkN と DLmarket なる電子書籍プラットフォームに出品したのですが、案の定と言うべきか、膨大な電子書籍の中にうずもれて、売れる気配は全くみられませんでした。forkNとDLmarket で売れているのはマンガとライトノベルであって、「防風林の松」や「造花の香り」のような純文学系の小説は、どうやら見向きもされないようです。
しばらく様子を見た結果、出品先をアマゾンの電子書籍であるキンドル本に変えることにしました。「アマゾンのキンドル本には、自由に感想などを記入できるカスタマーレビュー欄がある。無名作者の小説であろうと、高い評価のレビューが書き込まれたなら、純文学系の小説であっても注目されるかもしれない」と期待してのことです。
というわけで、「防風林の松」と「造花の香り」をキンドル本にしました。原稿を読んでくださった知人や友人たちからは、望外な評価を頂戴していますが、キンドル本にしてからひと月が経っても、カスタマーレビューを書いてくださった方は一人もありません。
芥川賞を受賞した小説が売れるのだから、純文学に親しむひとはまだ多いはず。原稿を通読してくださったあの編集部員さんの、「興味ぶかく読むことができた」「良く書けている小説だと思う」なる言葉を信じて、あきらめることなく様子を見ようと思っています。
「防風林の松」と「造花の香り」をアマゾンの電子書籍(キンドル本)にしました [小説]
「防風林の松」は私が初めて書いた小説です。小説の主人公同様に、私も中学生まで成績劣等生でありながら、電子技術分野の技術者になりました。私自身のそのような体験が盛り込まれているとはいえ、物語のほとんどは創作されたものです。
「造花の香り」を書くに至った経緯は、そのあとがきに記したとおりですが、その一端をこのブログに書いたことがあります。昨年10月16日の記事「特攻隊要員の搭乗機を見送った日のこと」です。
キンドル本にはそれぞれ次のような説明文をつけました。
防風林の松
電機会社の技術者として働く松井滋郎は、かつては落ちこぼれの中学生だった。興味に駆られて取り組んだ電気の勉強が、滋郎に自信をもたらし、大学を経て技術者へと導く結果になったのだった。
仕事と恋と友情に恵まれ、充実した日々を送っていた滋郎は、同僚の妹に惹かれるままに、心の迷路に迷い込んでゆく。滋郎は仕事に情熱を燃やしながらも、上司に対する反発心を募らせてゆく。そのような滋郎が自らの未熟さを思い知らされ、退職して新たな道に進まざるを得なくなるときがくる。
新たな道を歩んだ滋郎の現在の姿が、かつての恋人との関わりをからめて、序章と終章に描かれている。
造花の香り
戦争の時代を生きた青年たちの物語である。特攻隊に関わる小説ながら、「永遠のゼロ」とは異質の恋愛小説であり、テーマも大きく異なっている。
東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子が前半に描かれ、後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、さらに、特攻隊要員に選ばれてから出撃するに至るまでが描かれる。序章と終章は戦後における後日談ながら、小説が有する複数のテーマが集約的に示されている。
いずれの小説も長編のため、表示される文字の少ないスマホでは読みにくいかも知れません。無料ソフトのKindle for PC などをダウンロードして、パソコンで読んで頂けたらと思います。
「永遠のゼロ」の兄弟編 [小説]
あの小説を読んで、私はその続編あるいは兄弟編を読みたくなった。というわけで、私なりに次のような物語を考えてみた。「永遠のゼロ」は戦記物語風の小説だが、兄弟編たるこの物語は、久藏が海軍に入る前から始まる恋愛小説である。ここでは便宜上、主人公たちの名前を久藏と松乃にしたが、もしも誰かが実際に書くとすれば、異なる名前を用いることになるだろう。
工作機械の技術者である久藏は兵役を免除され、婚約者である松乃との将来を夢みつつ、新兵器の開発に携わっている。
工場に配属されている将校たちの理不尽ともいえる振る舞いや、伝えられる戦況の異様な様が、久藏に強い疑念を抱かせる。日本軍はガダルカナル島から転進したが、実のところは惨憺たる負け戦だったようだ。太平洋のあちこちで日本軍が玉砕していることを思えば、この国が敗北への道を辿りつつあることは疑いようがない。この戦争をこのまま続けてよいのだろうか。
戦争に対する疑問を口にした久藏は、会社の仲間たちから非国民あつかいされ、駐在している軍人からは苛烈な制裁を受ける。
工場を解雇された久藏は徴兵検査を受けさせられる。甲種合格となった久藏は、陸軍をさけて海軍を志願する。
海軍に入った久藏は航空隊に配属される。東京に近い谷田部の航空隊ということもあり、訓練の合間の外出日には、松乃との逢瀬のひとときを楽しめる。
戦況が急迫する昭和20年の春、久藏たちは特攻隊への志願をせまられる。
特攻隊要員となった久藏は、そのことを隠して松乃との交際を続けるのだが、やがてそれを知られることになる。
松乃は久藏に結婚をせまるが、松乃の将来を想う久藏にしりぞけられる。そのようなふたりに結ばれる日が訪れ、松乃に束の間の喜びをもたらす。
久藏は出撃基地への進発を命じられ、一泊だけの外泊許可を得る。松乃と一夜をともにした久藏は、松乃の幸せな人生を願いつつ、南九州の出撃基地へ向かう。
これではまるで、 私が書いた「造花の香り」(アマゾンの電子書籍として公開中)の二番煎じと言えそうだが、背景や状況の設定が異なっているので、それなりに面白い作品になり得ると思う。自分で書くとそれこそ二番煎じになり兼ねないゆえ、才能ある誰かに書いてもらえたらと思う。「きょうのブログを読んでくださったあなたは、このような小説を書いて見たいと思いませんか」
下書を読み直しているうちに、文章を少し追加したくなった。
小説にたいする好みは人それぞれであり、 「永遠のゼロ」に100パーセント満足するひともあれば、その読書を楽しみながらも、私のように続編あるいは兄弟編を期待するひともあるはず。もしかすると、不満を抱いたひとすらあるのかも知れない。そう思ってアマゾンの書籍カテゴリーを覗いてみると、案の定というべきか、最高の評価から最低のそれまで、じつに様々なクチコミ評価が寄せられている。
それらの評価にざっと眼を通してみたが、私と類似の不満を抱くひとは見当たらなかった。もしかすると、続編や兄弟編を期待する私は例外的な読者かも知れない。そうであろうと、私はここでもう一度くり返す。「きょうのブログを読んでくださったあなたは、兄弟編あるいは続編のごとき小説を、自分なりに書いて見たいと思いませんか」
「永遠のゼロ」は百田尚樹氏の処女作である。結果的にはベストセラーになったその作品も、多くの出版社に断られたあと、ようやくにして太田出版社から出版されたとのこと。兄弟編が百田尚樹氏によるものであればともかく、そうでなければ出版は容易ではなさそうである。
幸いなことに、今は電子書籍として簡単に公開できる時代である。たとえ無名であろうと臆することなく、兄弟編に挑戦し、公開していただきたいものである。そのような小説が公開されたなら、ぜひ読ませていただいて、このブログに感想を書きたいと思う。
「永遠のゼロ」と「造花の香り」 [小説]
電子書籍にした小説「造花の香り」(アマゾンのキンドル本として公開中)も、ゼロ戦で出撃する特攻隊員を主人公にしているが、この小説では主人公たちの心象風景を重視している。この小説の前半は主人公の学生時代であり、戦時下ながらも青春を謳歌し、勉学に励んでいる様子が描かれる。主人公が海軍に入ってからの後半は、当然ながら軍隊生活を描くことになるわけだが、その合間になされる婚約者との交流が、むしろ重要な部分を占めている。そのような小説ということもあり、主人公たちの心象風景に深入りすることになったが、主人公が特攻要員に指名されてからは、その傾向がさらに強まった。
小説を書き進めるためには、特攻隊員たちの胸中に少しでも近づく必要があるため、彼らが遺した多量の遺書や遺稿を読んだ。戦前の空気を7年あまり吸い、その匂いを多少は知っている私だが、遺されたものをいかに読んでも、彼らの心情を垣間見ることしかできなかった、という気がしている。
特攻隊員たちは多くの遺書や遺稿を遺しているが、そこに綴られている文字は、彼らが記したかった言葉の一部に過ぎないだろう。記すことができなかった、あるいは、記すことを許されなかったであろう多量の文字が、行間や文字の隙間に隠れているはずである。見えないその文字を読み取らねば、特攻隊員たちの真の想いに近づくことはできないだろう。
ここに「造花の香り」から文章を引用したい。出撃を目前にした主人公の良太が、婚約者の千鶴にあてた手紙を書いているとき、不意に強い不安に襲われ、自問自答する場面である。
「造花の香り 第六章」より引用
…………ふいに良太は不安に襲われた。良太は記したばかりの文字を眺めた。心をこめて記した言葉ではあっても、自分の本心を表したものではなさそうな気がした。……
…………もしかすると、この手紙だけでなく家族や忠之たちにも、偽りの言葉を遺したことになりはしないだろうか。
良太は思った。苦悩や悲しみについては記そうとせず、むしろそれを隠そうとしてきたわけだが、偽りの言葉は記さなかったつもりだ。千鶴に遺す手紙はこれでよい。千鶴が受ける悲しみを、多少なりとも和らげるためのものだから。
それにしても、今になってこんな不安を覚えるとはどうしたことか。自分なりに考えるべきところは考えつくし、覚悟をかためていたはずではないか。
もしかすると、俺の心の底には、胸中のすべてを伝えたいという気持ちがあって、それがこのような不安をもたらしたのかも知れない。確かに、俺はこれまで、手紙にしろノートにしろ、自分の悲しみや悩については少しも記さなかった。そのようなことは書き遺さなかったが、ノートや手紙を受け取った者たちは、俺の気持を推しはかり、理解してくれることだろう。俺は心をこめて書きつづればよいのだ、少しでもそれが役に立つことを願って。
良太は便箋をおさえてペンを握りなおした。…… (引用おわり)
喜多郎やモーツアルトをBGMに小説を書く [小説]
小学生時代の私は成績劣等生だった。そんな私が大学を出て電子技術分野の技術者になり、年金生活をしている今では小説を書いている。ここに至る人生は、自分なりに努力した結果ではあるにしろ、それ以外の要因に負うところが大だった、との思いがある。理系人間の私が小説を書いたわけだが、その動機にしても、私の内側ではなく外側から来て、私に小説を書かせることになった。
ある日いきなり、私は思い立って液晶画面に向かい、小説を書き始めることになったが、そこに至るいきさつは、最初に書いた長編小説〈防風林の松〉のあとがきに記してある。
特攻隊員を主人公とする、長編の恋愛小説〈造花の香り〉は、この小説を書きたいとの思いに駆られて書いたものである。この小説にもあとがきを付し、書くに至ったいきさつなどを記した。
村上春樹の〈ノルウェイの森〉にはあとがきがあり、「僕は原則的に小説にあとがきをつけることを好まないが、おそらくこの小説はそれを必要とするだろうと思う」と書き出されている。
村上春樹にかぎらず、小説にあとがきをつける作家は少ないようだが、私は前記の作品を仕上げた後で、どうしてもあとがきをつけたくなった。素人である私がそれを書くに至った動機を、読んでくださる人に伝えたい、との思いが強かったからである。
〈ノルウェイの森〉のあとがきによれば、村上春樹はビートルズを聴きながら作品を仕上げたとのことだが、私の場合はビートルズではなく、喜多郎やモーツアルトがBGMになる。ブログのタイトルが〈喜多郎をBGMに小説を書く〉となったゆえんである。(注)
〈防風林の松〉と〈造花の香り〉はいずれも、読んでくださった人たちからは望外な評価を頂戴する結果になった。そのような声に励まされ、いくつかの出版社に原稿を送ったのだが、新人賞への応募を奨める書状とともに、いずれの社からも送り返されてきた。
私はいわゆる後期高齢者である。そんな私に新人賞への応募はそぐわない。とはいえ、心血を注いで成したこの小説を、なるべく多くの人に読んでもらいたい。そのように思案して思い及んだのが、思い切って電子書籍にすることだった。
慣れない作業に苦労はしたが、縦書きで読んでもらえるように、原稿をEPUB形式にしたうえで、forkn と DLmarket に出品することができた。
forknあるいはDLmarketのサイトで、〈防風林の松〉と〈造花の香り〉を検索すれば、これらの小説が簡単に見つかる。
比較的に短い序章を試し読みすれば、いずれの小説もその容貌がかいま見えるはずである。 EPUB形式に対応したアプリ(フリーソフトのAdobe Digital Editionsなど)が入っているパソコンやスマートホンであれば、いずれの小説も縦書き表示で読めるが、そのようなアプリが入っていなくても、横書き表示で読むことはできる。
作者の私は高齢ながら、小説の主人公たちは20歳前後の青年である。これまでに読んでくださったのは、30代から70代の人たちだが、私としては、もっと若い人たちにも読んでもらいたいと願っている。若い読者に共感していただければ、創作の苦労はむしろ喜びとなる。そうなるようにと願いつつ、今日のブログを書き終える。
追記(2016年4月10日)
ふたつの小説はいずれも、現在はアマゾンの電子書籍であるキンドル本になっている。
注 ブログのタイトル
本ブログは「喜多郎をBGMに小説を書く」なるメインタイトルでスタートしたが、数ヶ月後に現在のタイトルに変更している。(2017年7月13日 追記)