雀のたしかな記憶力 [小鳥たち]
言葉を交わす鳥たち [小鳥たち]
チームワークで生きる雀たち [小鳥たち]
雀の世界も少子高齢化 [小鳥たち]
子育てに励む雀の姿 [小鳥たち]
雀の子育て時期は5月の中頃には終わっていたのですが、昨年の7月20日に投稿した記事「猛暑の時期に巣立った雀」に書いたように、昨年は7月頃に雛を育てている雀がいました。今年も6月に入ったいま、かなりの親雀が巣に餌を運んでいます。
雀や鳩も考える動物 [小鳥たち]
猛暑の時期に巣立った雀 [小鳥たち]
<冬から春にかけて餌をやるようになってから、すでに十年以上になります。まもなく雀の子育ては終わりますから、今年の餌やりはそこまでにして、自然界の餌で生きてゆける年末の頃まで、雀たちには自活してもらいます。与える餌を減らしてゆくと、いつの間にか雀は来なくなります。雀たちはこの餌場を覚えており、12月の末になるともどってきます。>
鳥たちが交わしている言葉 [小鳥たち]
雀たちにも個性がある [小鳥たち]
ヒヨドリのツバメ返し [小鳥たち]
酒を飲むインコ [小鳥たち]
かなり以前のことですが、娘がインコを飼っていたことがあります。よく馴れており、家の中を自由に飛び回っていました。
あるとき、指先に酒をつけて差し出したところ、インコはどう思ったのか、それを舐めました。その様子がおもしろくて、同じようにしてさらに差し出したところ、どういうわけか、インコはいくらでも舐めました。
アルコールには特有の匂いがあるにも拘わらず、インコは拒絶するどころか、むしろ積極的に舐めました。とはいえ、さすがに不安になって舐めさせるのを中断したところ、インコは離れてゆきましたが、なんと、よたりながら歩いていました。鳥の脳は人と異なるにしろ、アルコールによって影響されることには変わりがないのでしょう。
酒を飲んだそのインコは、ふらつきながら歩いていましたが、それでもふつうに羽ばたいて、カーテンレールまで飛びました。時間が経ってから気がつくと、インコはしっかりとした足取りで床を歩いていました。どうやら、インコにはアルコールを代謝する能力が備わっているようです。植物の種子などを餌にする野生のインコは、発酵してアルコールを含むようになった種子なども餌にできるわけです。
インコが欲しがるだけ酒を与えていたら、はたしてどんな結果になったのか。インコの健康に影響がないのであれば、実験してみたいところですが、いまは飼っておりません。
ここまで書いてから、もしやと思って「鳥類 アルコール」で検索したところ、参考になるものが幾つも見つかりました。意外なことに、インコなどは好んで酒を飲むようですが、決して好ましいことではないとのこと。さきほどは、もういちどインコに酒を飲ませてみたいと書きましたが、たとえ機会があろうとも、そんな実験はしないことにします。
少子化問題は雀の世界にもあるらしい [小鳥たち]
〈…………今年の5月にも、数組のつがいが雛をつれてきましたが、去年までとは明らかな違いが見られました。兄弟のいない雛は、餌をねだるに際して羽根を振るわせないようです。雛が羽根を振るわせるのは、他の雛に先駆けて餌をもらうためであり、兄弟雛が無い場合には、その必要がないということでしょう。生をうけて数週間の雛にも、それだけの判断力がそなわっていることになります。
もしかすると、本能的に見える動物たちの振る舞いのなかには、判断力や智慧にもとづくものがあるのかも知れません。雀の雛の振る舞いを見て、そんな想いを抱きました。〉
今年も巣立ったばかりの雛鳥が来ておりますが、今のところは一羽だけです。兄弟の雛鳥がいないからでしょう、親鳥から口移しで餌をもらうとき、羽根を振るわせることはありません。
雀の世界に昨年から異変があったらしく、巣立つ雛鳥が激減しています。今年も3月の末頃には20羽以上の雀が来ていましたから、例年より少ないとはいえ、数が大きく減ってはいませんでした。それにしては巣立った雛鳥が少なすぎます。雀の世界にも顕著な少子化の時代が訪れたのでしょうか。
昨年7月14日の記事「雀たちには住宅難の時代」は、次のような文章で終わっています。
〈今年は雀の雛が少ないらしいことを先に書きましたが、そのほかにも異変が見られます。例年ですと5月の中頃までに子育てを終えるのですが、今年はまだ巣立ったばかりの雛が来て、親から口移しで餌をもらっています。最初に書いたコンクリートの柱の中には、まだ雛がいるのかも知れません。雀の世界に異変でもあったのでしょうか。そういえば、蜂や蝶もほとんど姿を見せません。異常な気象の影響が、小鳥や虫たちの世界にも及んでいるのではないか。そんな気がする今日この頃ではあります〉
もしかすると、今年も雛が巣立つ時期が遅れているのかも知れません。そういえば、今年も蝶や蜂の姿が見られません。近所の情景に変わったところは見られませんが、虫たちにとっては、何らかの環境変化があったようです。もしかすると、そのような変化が雀にも影響を及ぼしているのかも知れません。
昨年からいきなり雛鳥が減ったのだから、原因がわかる可能性があります。日本野鳥の会に問い合わせてみることにします。
ファーストペンギンとしての雀 [小鳥たち]
朝ドラのことはともかくとして、ファーストペンギンの資質をもつ者が得をするのは、ペンギンや人間にかぎらず、多くの動物について言えるでしょう。
スズメの群に餌をやり始めた頃のことです。餌をまくと、しばらくしてから一羽の雀が舞いおりる。その雀が餌をついばむ様子を見てから、仲間たちが次々におりてくる。それでもなお、木の枝から離れることができない雀もいる。ためらっていたその雀が餌とりに加わる頃には、地面の餌は少なくなっている。
今では雀たちもすっかり慣れているはずですが、餌を撒いたときに見せる反応には、雀ごとにかなりの個体差があります。窓を開けるとすぐに地面に降りたって餌を待ち受けるもの、餌が撒かれてから降りてくるもの、しばらく様子を見てから降りるもの。
餌をついばんでいる雀にさらに餌を与えるときも、見せる反応には個体差があります。窓を開けると驚いて飛び立つ雀がいる一方で、体に餌がふりかかっても動じることなく、せっせと餌をついばみ続ける雀もいます。後者の雀が悠然として見えるのは、ほかの雀たちより勇気があるからではなく、判断力に勝れているからだと思われます。背中に当たったものが餌だということを、瞬時に判断できるようです。
雀が見せる個体差は、素質の差というよりも、経験の差によるのかも知れません。いま訪れる20羽あまりの群は、数年前から餌をもらっている雀と、昨年の春に巣立った雀よりなっているはず。いまは恐るおそる餌とりに加わっている雀も、経験を積み重ねるうちに、餌が背中にふりかかろうが、悠然とついばむようになる可能性があります。
昔から、年長者に敬意をはらう習慣があるわけですが、理由のひとつは、積み重ねた経験に価値があるから、ということでしょう。長寿社会になっても人生は100年ほどにすぎない。年長者の経験を活かすことにより、自分の人生だけで学ぶより、はるかに多くのことを学べるはず。学校教育はまさにそういうことでしょう。とはいえ、これからは、人生経験の重要性が薄れてゆきそうな気がします。それが社会の進化の結果であれば良いのですが。
雀の群は幾つものグループが集まったものらしい [小鳥たち]
観察していると面白いことがわかります。餌をやらない午前中から7羽の雀が来ています。時間が経つと11羽に増え、餌をやる4時頃には16羽まで増えます。どうやら、7羽と4羽および5羽の三つのグループが集まって、16羽の群になっているようです。
いつもの年と同じであれば、餌が極端に乏しくなる3月頃には、30羽ほどの雀がやって来るはずです。数本の木に群がるほどの数とはいえ、それもまた、小さなグループが幾つも集まったものと言ってよいでしょう。
子供の頃の故郷では、雀が数百羽の大群となり、いっせいに旋回を繰り返す様が見られました。そのように大きな群であろうと、小さな群が幾つも集ったものであり、大群を作る以前には、それぞれのグループごとに餌を漁っていたことでしょう。庭を訪れる雀を見ていると、そのように思えてきます。
ここには鳩も来ますが、鳩同士での縄張争いが続いています。餌をもらえる状況にありながらも、自然界での厳しい生き方は変わらないようです。雀はといえば、餌がまかれると声で報せ合います。自然界で雀が生き抜くうえで、そのような習性が役立った、ということでしょう。鳩や雀に餌をやり、その習性を観察してみるのも、案外におもしろいものです。
スズメの記憶力 [小鳥たち]
7羽のスズメたちには夕方だけ餌をやるようにして、できるだけ自分で餌を探すよう促していますが、やがて日に数回の餌まきとなり、ついには要求されるままに幾度も応じることになります。
自然界に餌が失われる頃になると、スズメの必死さが伝わってくるようになります。スズメの代表が窓際まできて、家の中を覗くようにしながらホバリングするので、その要求には応えざるを得ません。そのような行動を見せるのだから、スズメには思いの外に智恵がありそうです。6月16日の記事「雀の雛にも智慧がある」には、生れて間もないスズメの雛にすら、意外なほどの判断力がそなわっているらしいと書きました。親鳥ともなれば、それなりの智恵があるのは当然かも知れません。
餌やりが終わるのは雛育てが終わる5月ですが、それから半年後には餌をもらえる家を訪ねてきます。それだけでなく、どの窓から餌が撒かれるのかさえ記憶しております。
6月20日の記事「インコの気持ち」に、「インコには、孤独のつらさや憎しみの感情など、思いの外に豊かな感情がありそうです」と書きました。娘が飼っていたインコを通して、インコが豊かな感情を有することを知ったのでした。インコを飼ったりスズメや鳩に餌をやったりしたことで、鳥の感情や記憶について知ることになり、このような記事を書くことになりました。
6月20日の記事「インコの気持ち」は、次のような文章で終わっています。「インコには、孤独のつらさや憎しみの感情など、思いの外に豊かな感情がありそうです。庭にやってくる小鳥たちも、しばしば感情をあらわにします。小鳥にすらそのような感情があるのですから、犬や猫はむろんのこと、牛や豚にも豊かな感情があるはず。ベジタリアンと呼ばれる人たちのなかには、動物たちが見せる喜怒哀楽の感情に心を動かされ、肉食ができなくなったひとがいるのかも知れません。私はさほどに肉を好まないので、牛や豚の肉がなくても苦にはなりませんが、ベジタリアンになれる自信はありません。動物性蛋白源を魚に限ったら?……さて、どうしたものやら。」
この文章を綴ったあとも、私は肉食を続けています。さて、どうしたものやら。
カラスとは挨拶を交わすことができる [小鳥たち]
私に顔を向けることもなく近づいてきたカラスに向かって、私は「カア」と呼びかけてみた。カラスにしてみれば、私の声はカラスの鳴き声とは似て非なるものだったはずだが、カラスは私に顔を向けると「カア」と声をあげ、そのまま私を見ていた。カラスが見せた様子から、それは明らかに私への応答だった。犬や猫も呼びかけに対して反応するが、その日のカラスに匹敵するほどの応え方ではない。
野生のカラスはどんな気持ちで私に応えたのだろうか。呼びかけた私に餌を期待したのか。そのカラスは声で応えたあとも数秒間だけ私を見ていたから、その可能性は否定できない。そうだとしたら、そのカラスは餌付けされていたのか。それとも、餌になるものを人間が捨てることを知っており、それを期待していたのだろうか。
そのときの様子を思い返すと、カラスは餌とは関わりなく反応したような気がする。カラスには予想外に高度の判断力があり、私の「カア」なる声がカラスの声とは異なっていようと、それを自分に対する呼びかけと理解して、声を返してくれたのではないか。いずれにしても、私と挨拶を交わしたカラスは首をまわすと、何事も無かったかのようにアスファルトの上を歩いて行った。私は、カラスと意志が疏通したかのような、奇妙な感覚を抱きながら見送った。
人間との交流がほとんどないはずの野生のカラスが、呼びかけに対して明確に応えたのだから、カラスには知性と呼べるようなものが備わっているのかも知れない。野生のイルカと人は交流することができるとのこと。害鳥として嫌うことなく付き合えば、カラスとも面白い交流が期待できそうな気がする。
もしもカラスを飼っている方がおられて、たまたまこのブログを読んでくださったなら、感想を寄せていただきたいものである。
雀たちには住宅難の時代 [小鳥たち]
不思議に思ってよく見ますと、コンクリートに小さな穴がありました。幅が3センチたらずで、長さは5センチたらずに見える穴ですが、雀はその中に入ったのでした。穴の中がどの程度の広さかわかりませんが、雀はそんな所に巣を作ったのです。
雀が意外な場所に巣を作った例がまだあります。ある日のこと、雛のために餌を持ち帰る雀を眼で追っていますと、驚いたことに、近所のアパートの換気扇用フードに入りました。そんな所に巣を作れたのですから、そのアパートの調理器はガスではなく、おそらくIHヒーターでしょう。
コンクリートの柱にしろ換気扇用フードにしろ、昔の自然界には存在しなかったものです。雀の世界は住宅難の時代なのかも知れませんが、それにしても、よくぞ見つけたものと思います。
今年は雀の雛が少ないらしいことを先に書きましたが、そのほかにも異変が見られます。例年ですと5月の中頃までに子育てを終えるのですが、今年はまだ巣立ったばかりの雛が来て、親から口移しで餌をもらっています。最初に書いたコンクリートの柱の中には、まだ雛がいるのかも知れません。雀の世界に異変でもあったのでしょうか。そういえば、蜂や蝶もほとんど姿を見せません。異常な気象の影響が、小鳥や虫たちの世界にも及んでいるのではないか。そんな気がする今日この頃ではあります。
やっかみ屋のヒヨドリ [小鳥たち]
ある日のこと、冬の時期にはヒヨドリも餌に苦労しているだろうと、バナナの皮をきざんで投げてみました。ヒヨドリはすぐにそれを見つけてついばみましたが、数日が経つと、投げ与える餌を空中でくわえるようになりました。みごととしか言いようがないほど、すばしこい身のこなしようです。
それから間もなく、餌をついばむ雀を見ておりますと、いきなりヒヨドリが雀に襲いかかりました。実際には雀たちの上をすれすれに飛んだのですが、まるで襲いかかるように見えました。雀たちを追い散らしたヒヨドリは、すぐ近くの木にとまり、悠然としています。
ヒヨドリはそのようにして、しばしば雀を脅しつけるのですが、自分よりも大きな鳩に対しても、ときおり同じようなことをします。鳩や雀の餌をヒヨドリは食いませんから、餌を狙っての行動ではありません。その振る舞いは、餌をもらっている雀や鳩をやっかみ、意地悪をしているように見えます。それとも、雀や鳩を驚かし、あわてて逃げる姿を楽しんでいるのでしょうか。いずれにしてもヒヨドリは、思いの外に高度な感情を有しているようです。動物学者の世界では、すでに知られていることでしょうか。
鳩の不思議な振る舞い……鳩にも高度な判断力? [小鳥たち]
ガラス戸を開けても逃げないので、手のひらに餌を載せてさし出すと、鳩はおそるおそる近づいて、手に接するところまで来ましたが、餌をついばもうとはしないのです。
ためしに餌を階段に置き、その上で手のひらを拡げてみました。もちろん手のひらにも餌があります。すると驚いたことに、鳩は私の手の下に頭をさしこみ、意外なほどの力で私の手を持ち上げ、階段に置かれた餌をついばみ始めました。
この場合の鳩の心理はいかなるものでしょう。掌の上に首をのばせば、そのまま捕まえられる虞がある。手の甲の側なら少しは安全だろう。まさかとは思いますが、鳩のそんな心理を想像させる振る舞いでした。餌をやり始めて1年以上が経ち、鳩がすっかり馴れた頃のことでした。動物心理に詳しいひとに、鳩の心理について伺ってみたい気がします。
インコの気持ち [小鳥たち]
ある年の夏、私は妻と旅行にでました。娘は会社に出勤しますし、学生である息子はアパート暮らしで、昼間の家で過ごすのはインコだけです。
旅行を終えて10日ぶりに家に帰ると、インコの振る舞いが変わっていました。妻の肩にとまったまま、離れようとしないのです。そのような状況が翌日まで続きましたが、私の肩には来ませんでした。そのインコに私が嫌われていたからでしょう。
それまでに、そのインコに対して私はしばしば実験をしていました。紙筒を作ってインコを通り抜けさせたあと、もういちど紙筒に入れ、通り抜ける寸前に前方を塞いで、どのような行動をとるのか観察したり、部屋の明かりを消した場合の反応を見たりなど、インコにとっては迷惑だったであろう実験の数々です。そのようなある日、部屋の中を歩いていた私の足に、いきなりインコが噛みつきました。親指からは血がにじみ、かなりの痛みがありました。不快な実験をする私に対して、インコが怒りの感情を表したのでしょうか。とはいえ、インコが本気で噛めば、その程度ですむはずがありません。インコにしてみれば、軽く噛んだつもりだったのでしょう。
インコには、孤独のつらさや憎しみの感情など、思いの外に豊かな感情がありそうです。庭にやってくる小鳥たちも、しばしば感情をあらわにします。小鳥にすらそのような感情があるのですから、犬や猫はむろんのこと、牛や豚にも豊かな感情があるはず。ベジタリアンと呼ばれる人たちのなかには、動物たちが見せる喜怒哀楽の感情に心を動かされ、肉食ができなくなったひとがいるのかも知れません。私はさほどに肉を好まないので、牛や豚の肉がなくても苦にはなりませんが、ベジタリアンになれる自信はありません。動物性蛋白源を魚に限ったら?……さて、どうしたものやら。