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雀のたしかな記憶力 [小鳥たち]

カテゴリー「小鳥たち」に投稿する久しぶりの記事です。
                                                                                                                                               
年末から春にかけて、雀や鳩に餌をやっておりましたが、2年前から雀も鳩も近寄らなくなりました。野良猫を地域猫に登録し、餌をやるようななったためです。庭に居着いたその猫が、近付く雀や鳩を狙うため、まったく姿を見せなくなりました。
                                                                                                                                                
地域猫として屋外で暮らしていた猫を、この冬から家の中に入れたのですが、屋外での暮らしが好ましいのか、日に数度は外へ出たがります。猫がときおり庭をうろつくために、雀も鳩も姿を見せませんでした。
                                                                                                                                                
数日前のことです、室内からよく見える庭はずれのフェンスに雀がとまっておりました。数年前の、餌をねだって待機していたときと同様な姿でした。
                                                                                                                                                 
雀用の餌が残っていることを思い出し、撒いてみました。ためらうことなく餌をついばんだ雀は、一目散に飛び去りましたが、すぐに戻って餌をついばみました。5月の中旬ですから、巣には巣立ちの近い雛がいるはずです。
                                                                                                                                                
それ以来、餌を求めて来るようになりましたが、訪れる雀は3羽だけです。一羽だけで子育てをしている雀がいるのでしょうか。いずれにしても、その雀たちは数年前に餌をもらっていたことを憶えていたことになります。
                                                   
雀について投稿した過去の記事を検索したところ、14回も投稿しおりました。「小鳥たち」のカテゴリーには、ヒヨドリや鳩に関わる記事も投稿しております。
                                                                                                                                                 
雀について書いた過去の記事
                                          
スズメの記憶力(2015.12.15)


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言葉を交わす鳥たち [小鳥たち]

8月31日の朝日新聞「リレーオピニオン欄」に、「小鳥の鳴き声にも『文法』」なる記事が掲載された。京都大学の鈴木俊貴特定助教(動物行動学を専門とし、鳥類のコミュニケーションを通じ、言語の進化原理を探求しているという)からの聞き書き記事である。切り抜いておいたその記事の一部を、ここに引用させてもらうことにした。
                                                   
 小鳥のシジュウカラは鳴き声を複雑に使い分けます。天敵を見つけて周囲に警戒を呼びかけるとき、ヘビなら「ジャージャー」、タカでは「ヒーヒー」。私はこうした鳴き声一つ一つに意味があるのではないかと考え、「シジュウカラ語」を研究しています。
 シジュウカラに、録音しておいた「ジャージャー」を聞かせてみると、地面を見たり茂みをのぞいたり、まるでヘビが潜む場所を探すかのようにふるまいます。では、「ジャージャー」を聞いたとき、彼らはヘビの姿を思い描いているのでしょうか。・・・・・・シジュウカラも「ジャージャー」を聞くと、ただの小枝をヘビと見間違えてしまうことがわかりました。鳴き声が視覚的なイメージにつながっている証拠です。
 観察の過程で、鳴き声に「文法」があることもわかってきました。天敵であるモズの剥製を木の枝に置くと、逃げるのでなく、仲間を集めて追い払おうとすることがあります。その号令は「ピーツピ・ヂヂヂ」。「ピーツピ」(警戒しろ)と「ヂヂヂ」(集まれ)は単独でも使われますが、これらを組み合わせて鳴くのです。その結果、仲間のシジュウカラはモズを追い払うべく警戒態勢で集まってくる。一方、「ヂヂヂ・ピーツピ」と逆にすると、正しく意味が伝わらない。語順も重要なことがわかりました。
 シジュウカラの言葉がわかるのは、私だけではありません。周りで暮らすスズメやメジロ、ヤマガラなどの鳥たちも、シジュウカラ語を学習し、理解しているのです。外国人と共に生活していると、彼らの言葉がわかるようになるのと似ているかも知れません。・・・・・・
                                                   
本ブログのカテゴリー「小鳥たち」には、庭を訪れる鳥(スズメ、ハト、ヒヨドリ、メジロ)について書いた記事がある。鳥たちが交わしている言葉(2017.6.8)」は、庭を訪れるスズメやハトが交わす言葉について書いたものである。「インコの気持ち(2015.6.20)」は、小さなインコにも寂しさを感じる感情があるらしいことを書いた。「鳩の不思議な振る舞い・・・・・・鳩にも高度な判断力?(2015.6.22)」では、ハトが示す不思議な判断力について書いた。本ブログのカテゴリー「小鳥たち」には、上記の他にも「雀や鳩も考える動物(2018.2.9)」や「雀の雛にも智慧がある(2015.6.16)」など多くの投稿記事がある。
                                         
小鳥たちにも言葉があり、感情がある。食肉用として飼われている豚や牛には、小鳥に勝る豊かな感情があるはず。テレビなどで紹介される飼育環境はあまりにも過酷なものに思える。人の人権を蹂躙するような人間がいるのだから、動物愛護の精神に欠ける飼育者も少なくはなさそうである。せめてその飼育環境だけでも改善してほしいのだが

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チームワークで生きる雀たち [小鳥たち]

これまでは、餌が乏しくなる年末頃からスズメが集まってきて、3月には最大30羽近くまで増えていましたが、この冬には10羽ほどしか集まりませんでした。昨春の子育て時期に野良猫が現れ、餌をついばむ雀や鳩をねらうようになったので、それからは、雀も鳩も寄りつかなくなりました。この冬は2月に入ってからようやく、スズメが姿を見せるようになりましたが、例年より少ない10羽ほどです。
                                                   
                                                   
餌を撒いても、えさ場のそばのフェンスには、常に2羽ほどの雀がとどまっています。ある程度餌をついばんだ雀がフェンスに移ると、フェンスにいた雀が地面におりて餌をついばむ。まかれた餌がなくなるまでそれが続くのだから、フェンスに止まっている雀は猫の動きを見張っているようです。
                                                   
今では、猫は離れた場所から雀を見つめているだけで、以前のように雀に向かって突進するようなことはありません。猫のほうでも、襲っても無駄であるとわかったのでしょう。
                                                   
餌を撒くと、それを知った雀が仲間に声で知らせます。山鳩は縄張りを主張しますが、雀はチームワークで餌にありつき、危険を回避しています。そうであろうと、訪れる雀は例年の3分の1になりました。全国的に雀の数は激減しているようですが、チームワークで生き残ってほしいものです。
                                                   
これまでに投稿した雀に関する記事を、ここに列挙しておきます。「小鳥たち」のカテゴリーには、雀の他に鳩やインコにヒヨドリなどの記事もあります。鳥に関わる記事は少ないのですが、この記事を書くに際して振りかえってみたら、雀の記事だけで10回を超えております。典型的な三日坊主の私ですが、ブログを開設してから間もなく6年になります。
 
                                                   
雀に関わる投稿記事
スズメの記憶力(2015.12.25)


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雀の世界も少子高齢化 [小鳥たち]

雀が全国的に減っているとのこと。そうであろうと、冬になると我が家には多くの雀が訪れ、餌をねだります。前年までは、最も数が増える2月から3月には30羽程度でしたが、今年は多くても20羽ほどと、例年の7割ほどの数でした。


4月になると雀の子育てが始まり、5月に入ると雛が巣立つのですが、数年前から子育ての時期が遅れがちになり、巣立つ雛の数も減ってきました。以前には、ひとつがいの親鳥が2羽の子雀をつれてきましたが、最近は巣立つ子雀が1羽の場合が多いようです。今年も数つがいの親鳥が巣に餌を運んでいますが、巣立った子雀はまだ数羽しか見ておりません。


私の少年時代には、身近な所に幾つもの雀の巣があり、一つの巣だけで4羽から5羽の雛が巣立ったものです。春に子育てする雀の場合、草の実はまだ少ないので、餌は主に虫と思われます。昔の畑には餌となる蝶の幼虫などがいくらでもおり、雀も子育てに苦労しなかったでしょう。殺虫剤が使われる今の野菜畑に餌はなく、耕作放置の畑や道端の草などに餌を求めざるを得ないのだから、雀たちには生きにくい時代です。私が与える餌はインコなどの小鳥用の餌に玄米を混ぜたものですが、雀の雛にとって好ましい餌と言えるだろうか。もしかすると、育つ雛の数が少ないのは餌が不適切なせいではなかろうか。最近になってようやく、そんな気がしてきました。


来年からは、4月に入ると徐々に餌を減らして、自然界に餌を求めるよう仕向けるとしましょう。とはいえ、虫などが少ないために、必死になって餌をねだりに来るかも知れません。雀の雛に適した餌について、ネットから情報を得ておいたほうが良さそうです。


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子育てに励む雀の姿 [小鳥たち]

冬の雀に餌を与えるようになってから、すでに10年以上になります。最初の数年は冬の間だけにして、4月になればやめていたのですが、4月のある日、巣に餌を運ぶ雀に気づいてからは、雀の子育てが終わるまで餌を与えることにしました。


今年も例年通りに、5月の連休が終わると巣立ったばかりの雛が姿を見せました。雛鳥は親鳥とともに行動し、しばらくの間は親鳥から口移しに餌をもらいます。見ておりますと、親鳥と並んで地面におりる雛と、木の繁みから出ないで、親鳥が運んでくる餌を待つ雛がいます。雛が隣にいれば効率よく餌を与えることができるのに、そうしないのはなぜでしょうか。親鳥が選んだやり方なのか、雛鳥が地面に降りることを拒んでいるためなのか、興味のあるところです。
  
雀の子育て時期は5月の中頃には終わっていたのですが、昨年の7月20日に投稿した記事「猛暑の時期に巣立った雀」に書いたように、昨年は7月頃に雛を育てている雀がいました。今年も6月に入ったいま、かなりの親雀が巣に餌を運んでいます。


餌やりをしばらく忘れていると、親雀たちがずらりと並んで待つのですが、そのうちの数羽が窓辺に来て催促します。


庭に餌を撒きますと、雀たちはけたたましい声で仲間に報せ、いっせいに餌をついばみ、巣に運びます。7回ほどついばむなり巣に向かう雀もあれば、30回以上ついばんでから巣に向かう雀もいます。巣で待つ雛の事情によるものなのか、親鳥の個性によるものなのか、興味あるところです。


このブログもきょうから4年目に入ります。最近は「政治および社会」の項に投稿することが多いのですが、開設直後に投稿した記事は、10回のうちの4回が「小鳥たち」になっております。というわけで、4年目に入るきょうは雀について書くことにしました。

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雀や鳩も考える動物 [小鳥たち]

年末から訪れ始めた雀が、いまでは20羽を超えるまでに増えました。もっとも数が増える3月の末頃には、例年通り30羽ほどになるでしょう。鳩は一年を通して餌を求めてきますが、以前より数が減って3羽だけです。ヒヨドリとムクドリにメジロも、しばしば庭を訪れて餌をとります。ヒヨドリとメジロには砂糖水をやることがありますが、ムクドリには、庭に捨てた生ゴミや、玄米を精白した際にできる糠でがまんしてもらいます。名古屋市に隣接する地域でありながら、セキレイやカワラヒラにカラスも訪れるなど、思いの外に多くの鳥を見ることができます。


なるべく自活してほしいので、餌をやるのは夕方になってからにしたいのですが、待ち切れない雀や鳩が餌を催促することがあります。雀の場合には、窓の外でホバリングしたり、窓枠に近寄って、窓を嘴でつついて催促します。鳩は庭に降りるための階段の最上段に来て、ガラス越しに部屋の中を覗きこみます。


鳩は自分の姿を見せて餌をねだるのですが、きょうは空腹をアピールする行動をしてみせました。ガラス越しに鳩を見ている私の目の前で、鳩は餌をついばむ真似をし始めました。餌もゴミもない板の上で、餌をついばむ行動を繰り返すことに、餌を催促する以外の目的はないはずです。


刻んだリンゴの皮を投げると、ヒヨドリは空中でそれを咥え取ります。野球の選手が大きく打ち上げられたボールの落下点を予測するように、リンゴの皮がどんな軌跡を描くのか、ヒヨドリには予測できるということです。


以前に投稿した記事「インコの気持ち(2015年6月20日投稿」に書いたように、小鳥たちにもあきらかに感情があります。餌をねだる姿や餌のとり方を見ておりますと、小鳥たちにも考える能力があるとしか思えません。もしかすると、動物学者にはよく知られていることかも知れないのですが。


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猛暑の時期に巣立った雀 [小鳥たち]

5月14日の記事「雀たちにも個性がある」は、次のような文章で書き始められています。


<雀の世界はいまが子育ての時期です。巣で待つ雛に餌をやるため、親鳥が餌をねだりにくるのですが、こちらが気づかないでいると、窓際まで来て催促します。窓の近くで家の中を覗いたり、窓の外でホバリングしたりと、いじらしいほど懸命に餌をねだります。>


そして次の文章で終わっています。
 <冬から春にかけて餌をやるようになってから、すでに十年以上になります。まもなく雀の子育ては終わりますから、今年の餌やりはそこまでにして、自然界の餌で生きてゆける年末の頃まで、雀たちには自活してもらいます。与える餌を減らしてゆくと、いつの間にか雀は来なくなります。雀たちはこの餌場を覚えており、12月の末になるともどってきます。>


今年はどうしたわけか、7月になっても子育てに励む雀が多く、餌やり期間が二ヶ月あまりも延びました。全国的な現象なのか、この地方だけのできごとなのか、あるいは、餌やりを続けてきたことによる、私に関わる雀だけに生じたできごとなのか。山階鳥類研究所にでも問い合わせたくなりました。


私の家の近くには小さな川があり、雑草が生い茂っています。猫じゃらしなどの実も多く、たくさんの虫もいるはずです。期間が延びた雀への餌やりも、ようやく終わりそうです。先ごろ巣立った雛たちも、餌がなくなる12月の末には、群れの仲間とともに帰ってくることでしょう。


鳥たちが交わしている言葉 [小鳥たち]

比較的に高等な猿や犬も言葉を使えないわけですが、声の出し方を使い分けることによって、意思の表示や情報の伝達手段にしています。雀や鳩に餌をやっておりますと、雀などの小鳥ですら、囀り方を駆使して情報のやりとりをしていることがわかります。人間のようには言葉を使えなくても、小鳥たちにも声は重要な情報伝達手段です。


雀に餌をやるようになってから、雀の声についていくらか分かるようになりました。猫などが現れたときに発せられる警戒音、餌がまかれたことを仲間たちに報せる声、雛が親鳥に餌をねだる声、親鳥が人間に餌を催促する声。雀たちの世界では、それ以外にも多くの言葉があるに違いない、と私には思われます。


山鳩は特有の声で縄張り宣言します。互いに縄張りを主張しながら、同じ餌場で私たちから餌をもらうわけだから、しばしば争いが起きます。後から来た鳩が、餌をついばんでいる鳩に向かって突進するのですが、その際に短い威嚇音「クーッ」を発します。すぐに決着がつく場合もあれば、争いの場をフェンスに移し、羽を拡げて「クーッ」と声を発しながら相手に迫り、威嚇し合うこともあります。5月の初め頃には、雄から雌への求愛の声を聞くことがあります。威嚇する場合の声に似てはいますが、声のトーンが低く抑えられています。これまで見てきたかぎりでは、山鳩は雀ほどには声を使い分けていないようです。雀や鳩に勝る能力を有する鳥は、おそらくもっと多彩な声の使い分けをしていることでしょう。


インコや九官鳥は人の声をまねることができても、仲間同士で言葉を交わすことができません。インコなどよりはるかに高度な知能をもちながら、チンパンジーやボノボなど類人猿は、人間の言葉をまねることができない。そんな類人猿の中には、記号などを使って会話に近い意思の疎通ができたり、手話による簡単な会話ができた例もあるようです。そこまでできるようになったということは、もしかするといつの日か、人間とチンパンジーやボノボの間で会話を可能とする通訳機ができるのではないか、と想わされます。

雀たちにも個性がある [小鳥たち]

雀の世界はいまが子育ての時期です。巣で待つ雛に餌をやるため、親鳥が餌をねだりにくるのですが、こちらが気づかないでいると、窓際まで来て催促します。窓の近くで家の中を覗いたり、窓の外でホバリングしたりと、いじらしいほど懸命に餌をねだります。


雀たちが公平に餌を採れるよう、なるべくむらがないように撒きますと、雀たちは群がってついばむのですが、餌の採り方には個性があります。狭い範囲にとどまってついばむ雀と、あちらこちらと動きまわる雀がいます。餌を6回ほどついばむと巣に向かって飛ぶ雀もあれば、20回ほどもついばんでから巣に向かう雀もいます。行動の違いが経験にもとづくものか、あるいは雀の性格によるものなのか、いずれにしても個々の雀はかなり個性的です。窓の外でホバリングするのは特定の雀と思われますが、他の雀たちより勇気や知恵があるというより、餌をもらった経験が多いため、そのような行動をとるようになったのでは、という気がします。親鳥の中には、ここを訪れるようになって数年になる雀と、去年の春に巣立った雀がいるはずです。


冬から春にかけて餌をやるようになってから、すでに十年以上になります。まもなく雀の子育ては終わりますから、今年の餌やりはそこまでにして、自然界の餌で生きてゆける年末の頃まで、雀たちには自活してもらいます。与える餌を減らしてゆくと、いつの間にか雀は来なくなります。雀たちはこの餌場を覚えており、12月の末になるともどってきます。



ヒヨドリのツバメ返し [小鳥たち]

2015年6月30日の記事「やっかみ屋のヒヨドリ」に、庭を訪れるヒヨドリのことを書きましたが、この冬にも姿を見せて、4月の半ばまで来ておりました。刻まれたバナナやリンゴの皮を求めてくるわけですが、砂糖水も大好物のようです。


先の記事にも書きましたが、ヒヨドリは餌をついばんでいる雀や鳩の上をすれすれに、それを脅しつけるようにして飛ぶことがあります。驚いた雀は飛び上がりますが、すぐにもどって餌をとります。鳩はすでに慣れたようで、体をかすめるヒヨドリに動ずることなく餌を採り続けます。ヒヨドリは2メートルほどの距離からその様子を眺めていますが、しばらくすると、再び雀たちを驚かせます。その様子を見ていると、ヒヨドリが雀たちを驚かせることを楽しんでいるとしか思えません。雀も鳩もヒヨドリを恐れていないことは明らかですから、互いにゲームでもしているかのようです。


それにしても感心させられるのは、ヒヨドリのすぐれた運動能力です。庭から飛び立ったヒヨドリは、フェンスの隙間を飛び抜けてゆくことがあります。フェンスの隙間は11cmしかないのですが、うまく羽をすぼめてそこを通り抜けます。刻んだリンゴの皮を投げると、信じられないほど急速に身を翻し、空中で皮をくわえることができます。故郷の村で暮らしていた頃には、飛びながら虫をとる燕をしばしば眼にしたものです。投げられた餌をとるヒヨドリの身のこなしには、燕返しを思わせるところがあります。

酒を飲むインコ [小鳥たち]

かなり以前のことですが、娘がインコを飼っていたことがあります。よく馴れており、家の中を自由に飛び回っていました。

あるとき、指先に酒をつけて差し出したところ、インコはどう思ったのか、それを舐めました。その様子がおもしろくて、同じようにしてさらに差し出したところ、どういうわけか、インコはいくらでも舐めました。

アルコールには特有の匂いがあるにも拘わらず、インコは拒絶するどころか、むしろ積極的に舐めました。とはいえ、さすがに不安になって舐めさせるのを中断したところ、インコは離れてゆきましたが、なんと、よたりながら歩いていました。鳥の脳は人と異なるにしろ、アルコールによって影響されることには変わりがないのでしょう。

酒を飲んだそのインコは、ふらつきながら歩いていましたが、それでもふつうに羽ばたいて、カーテンレールまで飛びました。時間が経ってから気がつくと、インコはしっかりとした足取りで床を歩いていました。どうやら、インコにはアルコールを代謝する能力が備わっているようです。植物の種子などを餌にする野生のインコは、発酵してアルコールを含むようになった種子なども餌にできるわけです。

インコが欲しがるだけ酒を与えていたら、はたしてどんな結果になったのか。インコの健康に影響がないのであれば、実験してみたいところですが、いまは飼っておりません。

ここまで書いてから、もしやと思って「鳥類 アルコール」で検索したところ、参考になるものが幾つも見つかりました。意外なことに、インコなどは好んで酒を飲むようですが、決して好ましいことではないとのこと。さきほどは、もういちどインコに酒を飲ませてみたいと書きましたが、たとえ機会があろうとも、そんな実験はしないことにします。


少子化問題は雀の世界にもあるらしい [小鳥たち]

昨年の6月16日に、「雀の雛にも智恵がある」なる記事を載せています。その記事は次のような文章で終わっています。

…………今年の5月にも、数組のつがいが雛をつれてきましたが、去年までとは明らかな違いが見られました。兄弟のいない雛は、餌をねだるに際して羽根を振るわせないようです。雛が羽根を振るわせるのは、他の雛に先駆けて餌をもらうためであり、兄弟雛が無い場合には、その必要がないということでしょう。生をうけて数週間の雛にも、それだけの判断力がそなわっていることになります。
 もしかすると、本能的に見える動物たちの振る舞いのなかには、判断力や智慧にもとづくものがあるのかも知れません。雀の雛の振る舞いを見て、そんな想いを抱きました。

今年も巣立ったばかりの雛鳥が来ておりますが、今のところは一羽だけです。兄弟の雛鳥がいないからでしょう、親鳥から口移しで餌をもらうとき、羽根を振るわせることはありません。

雀の世界に昨年から異変があったらしく、巣立つ雛鳥が激減しています。今年も3月の末頃には20羽以上の雀が来ていましたから、例年より少ないとはいえ、数が大きく減ってはいませんでした。それにしては巣立った雛鳥が少なすぎます。雀の世界にも顕著な少子化の時代が訪れたのでしょうか。

昨年7月14日の記事「雀たちには住宅難の時代」は、次のような文章で終わっています。
今年は雀の雛が少ないらしいことを先に書きましたが、そのほかにも異変が見られます。例年ですと5月の中頃までに子育てを終えるのですが、今年はまだ巣立ったばかりの雛が来て、親から口移しで餌をもらっています。最初に書いたコンクリートの柱の中には、まだ雛がいるのかも知れません。雀の世界に異変でもあったのでしょうか。そういえば、蜂や蝶もほとんど姿を見せません。異常な気象の影響が、小鳥や虫たちの世界にも及んでいるのではないか。そんな気がする今日この頃ではあります

もしかすると、今年も雛が巣立つ時期が遅れているのかも知れません。そういえば、今年も蝶や蜂の姿が見られません。近所の情景に変わったところは見られませんが、虫たちにとっては、何らかの環境変化があったようです。もしかすると、そのような変化が雀にも影響を及ぼしているのかも知れません。

昨年からいきなり雛鳥が減ったのだから、原因がわかる可能性があります。日本野鳥の会に問い合わせてみることにします。


ファーストペンギンとしての雀 [小鳥たち]

今ではかなり知られる「ファーストペンギン」という言葉。ヨーロッパで使われ始めてからも百年に満たないのに、明治時代初期の物語であるNHKの朝ドラに出てきたので、多くの人が違和感を覚えたようです。

朝ドラのことはともかくとして、ファーストペンギンの資質をもつ者が得をするのは、ペンギンや人間にかぎらず、多くの動物について言えるでしょう。
  
スズメの群に餌をやり始めた頃のことです。餌をまくと、しばらくしてから一羽の雀が舞いおりる。その雀が餌をついばむ様子を見てから、仲間たちが次々におりてくる。それでもなお、木の枝から離れることができない雀もいる。ためらっていたその雀が餌とりに加わる頃には、地面の餌は少なくなっている。

今では雀たちもすっかり慣れているはずですが、餌を撒いたときに見せる反応には、雀ごとにかなりの個体差があります。窓を開けるとすぐに地面に降りたって餌を待ち受けるもの、餌が撒かれてから降りてくるもの、しばらく様子を見てから降りるもの。
餌をついばんでいる雀にさらに餌を与えるときも、見せる反応には個体差があります。窓を開けると驚いて飛び立つ雀がいる一方で、体に餌がふりかかっても動じることなく、せっせと餌をついばみ続ける雀もいます。後者の雀が悠然として見えるのは、ほかの雀たちより勇気があるからではなく、判断力に勝れているからだと思われます。背中に当たったものが餌だということを、瞬時に判断できるようです。

雀が見せる個体差は、素質の差というよりも、経験の差によるのかも知れません。いま訪れる20羽あまりの群は、数年前から餌をもらっている雀と、昨年の春に巣立った雀よりなっているはず。いまは恐るおそる餌とりに加わっている雀も、経験を積み重ねるうちに、餌が背中にふりかかろうが、悠然とついばむようになる可能性があります。

昔から、年長者に敬意をはらう習慣があるわけですが、理由のひとつは、積み重ねた経験に価値があるから、ということでしょう。長寿社会になっても人生は100年ほどにすぎない。年長者の経験を活かすことにより、自分の人生だけで学ぶより、はるかに多くのことを学べるはず。学校教育はまさにそういうことでしょう。とはいえ、これからは、人生経験の重要性が薄れてゆきそうな気がします。それが社会の進化の結果であれば良いのですが。



雀の群は幾つものグループが集まったものらしい [小鳥たち]

  餌をもらいにくる雀が増えてきました。先月の半ば過ぎには7羽でしたが、今では16羽になりました。
   観察していると面白いことがわかります。餌をやらない午前中から7羽の雀が来ています。時間が経つと11羽に増え、餌をやる4時頃には16羽まで増えます。どうやら、7羽と4羽および5羽の三つのグループが集まって、16羽の群になっているようです。
   いつもの年と同じであれば、餌が極端に乏しくなる3月頃には、30羽ほどの雀がやって来るはずです。数本の木に群がるほどの数とはいえ、それもまた、小さなグループが幾つも集まったものと言ってよいでしょう。
   子供の頃の故郷では、雀が数百羽の大群となり、いっせいに旋回を繰り返す様が見られました。そのように大きな群であろうと、小さな群が幾つも集ったものであり、大群を作る以前には、それぞれのグループごとに餌を漁っていたことでしょう。庭を訪れる雀を見ていると、そのように思えてきます。

ここには鳩も来ますが、鳩同士での縄張争いが続いています。餌をもらえる状況にありながらも、自然界での厳しい生き方は変わらないようです。雀はといえば、餌がまかれると声で報せ合います。自然界で雀が生き抜くうえで、そのような習性が役立った、ということでしょう。鳩や雀に餌をやり、その習性を観察してみるのも、案外におもしろいものです。




スズメの記憶力 [小鳥たち]

  6月16日の「雀の雛にも智慧がある」に書いたように、12月の半ばになるとスズメが餌をもらいにきます。今年も10日ほど前から来ていますが、今のところはまだ7羽だけです。ひと月たてば10羽以上になり、3月には30羽ほどになるでしょう。ということは、2月頃までは自然界にかなりの餌があるということです。
   7羽のスズメたちには夕方だけ餌をやるようにして、できるだけ自分で餌を探すよう促していますが、やがて日に数回の餌まきとなり、ついには要求されるままに幾度も応じることになります。
  自然界に餌が失われる頃になると、スズメの必死さが伝わってくるようになります。スズメの代表が窓際まできて、家の中を覗くようにしながらホバリングするので、その要求には応えざるを得ません。そのような行動を見せるのだから、スズメには思いの外に智恵がありそうです。6月16日の記事「雀の雛にも智慧がある」には、生れて間もないスズメの雛にすら、意外なほどの判断力がそなわっているらしいと書きました。親鳥ともなれば、それなりの智恵があるのは当然かも知れません。
  餌やりが終わるのは雛育てが終わる5月ですが、それから半年後には餌をもらえる家を訪ねてきます。それだけでなく、どの窓から餌が撒かれるのかさえ記憶しております。
  6月20日の記事「インコの気持ち」に、「インコには、孤独のつらさや憎しみの感情など、思いの外に豊かな感情がありそうです」と書きました。娘が飼っていたインコを通して、インコが豊かな感情を有することを知ったのでした。インコを飼ったりスズメや鳩に餌をやったりしたことで、鳥の感情や記憶について知ることになり、このような記事を書くことになりました。
  6月20日の記事「インコの気持ち」は、次のような文章で終わっています。「インコには、孤独のつらさや憎しみの感情など、思いの外に豊かな感情がありそうです。庭にやってくる小鳥たちも、しばしば感情をあらわにします。小鳥にすらそのような感情があるのですから、犬や猫はむろんのこと、牛や豚にも豊かな感情があるはず。ベジタリアンと呼ばれる人たちのなかには、動物たちが見せる喜怒哀楽の感情に心を動かされ、肉食ができなくなったひとがいるのかも知れません。私はさほどに肉を好まないので、牛や豚の肉がなくても苦にはなりませんが、ベジタリアンになれる自信はありません。動物性蛋白源を魚に限ったら?……さて、どうしたものやら。」
  この文章を綴ったあとも、私は肉食を続けています。さて、どうしたものやら。



カラスとは挨拶を交わすことができる [小鳥たち]

かなり以前のことである。バス停でバスを待っていると、雨上がりの路上にカラスがいて、散歩でもしているかのように歩いていた。

私に顔を向けることもなく近づいてきたカラスに向かって、私は「カア」と呼びかけてみた。カラスにしてみれば、私の声はカラスの鳴き声とは似て非なるものだったはずだが、カラスは私に顔を向けると「カア」と声をあげ、そのまま私を見ていた。カラスが見せた様子から、それは明らかに私への応答だった。犬や猫も呼びかけに対して反応するが、その日のカラスに匹敵するほどの応え方ではない。

野生のカラスはどんな気持ちで私に応えたのだろうか。呼びかけた私に餌を期待したのか。そのカラスは声で応えたあとも数秒間だけ私を見ていたから、その可能性は否定できない。そうだとしたら、そのカラスは餌付けされていたのか。それとも、餌になるものを人間が捨てることを知っており、それを期待していたのだろうか。

そのときの様子を思い返すと、カラスは餌とは関わりなく反応したような気がする。カラスには予想外に高度の判断力があり、私の「カア」なる声がカラスの声とは異なっていようと、それを自分に対する呼びかけと理解して、声を返してくれたのではないか。いずれにしても、私と挨拶を交わしたカラスは首をまわすと、何事も無かったかのようにアスファルトの上を歩いて行った。私は、カラスと意志が疏通したかのような、奇妙な感覚を抱きながら見送った。

人間との交流がほとんどないはずの野生のカラスが、呼びかけに対して明確に応えたのだから、カラスには知性と呼べるようなものが備わっているのかも知れない。野生のイルカと人は交流することができるとのこと。害鳥として嫌うことなく付き合えば、カラスとも面白い交流が期待できそうな気がする。

もしもカラスを飼っている方がおられて、たまたまこのブログを読んでくださったなら、感想を寄せていただきたいものである。 



雀たちには住宅難の時代 [小鳥たち]

家から200メートルほど歩くと国道があります。10日ほど前のこと、国道に入るべく信号待ちしておりますと、コンクリートで作られた信号柱のなかほどに、しがみつくようにして雀がとまりました。おかしな所になぜとまるのだろうと思った次の瞬間、雀の姿が消えました。
 不思議に思ってよく見ますと、コンクリートに小さな穴がありました。幅が3センチたらずで、長さは5センチたらずに見える穴ですが、雀はその中に入ったのでした。穴の中がどの程度の広さかわかりませんが、雀はそんな所に巣を作ったのです。
 雀が意外な場所に巣を作った例がまだあります。ある日のこと、雛のために餌を持ち帰る雀を眼で追っていますと、驚いたことに、近所のアパートの換気扇用フードに入りました。そんな所に巣を作れたのですから、そのアパートの調理器はガスではなく、おそらくIHヒーターでしょう。
 コンクリートの柱にしろ換気扇用フードにしろ、昔の自然界には存在しなかったものです。雀の世界は住宅難の時代なのかも知れませんが、それにしても、よくぞ見つけたものと思います。
 今年は雀の雛が少ないらしいことを先に書きましたが、そのほかにも異変が見られます。例年ですと5月の中頃までに子育てを終えるのですが、今年はまだ巣立ったばかりの雛が来て、親から口移しで餌をもらっています。最初に書いたコンクリートの柱の中には、まだ雛がいるのかも知れません。雀の世界に異変でもあったのでしょうか。そういえば、蜂や蝶もほとんど姿を見せません。異常な気象の影響が、小鳥や虫たちの世界にも及んでいるのではないか。そんな気がする今日この頃ではあります。



やっかみ屋のヒヨドリ [小鳥たち]

 さほどに広くはない庭ですが、ヤマモモやキンモクセイなどがあります。冬にはその庭木にときおりヒヨドリが来ます。
 ある日のこと、冬の時期にはヒヨドリも餌に苦労しているだろうと、バナナの皮をきざんで投げてみました。ヒヨドリはすぐにそれを見つけてついばみましたが、数日が経つと、投げ与える餌を空中でくわえるようになりました。みごととしか言いようがないほど、すばしこい身のこなしようです。
 それから間もなく、餌をついばむ雀を見ておりますと、いきなりヒヨドリが雀に襲いかかりました。実際には雀たちの上をすれすれに飛んだのですが、まるで襲いかかるように見えました。雀たちを追い散らしたヒヨドリは、すぐ近くの木にとまり、悠然としています。
 ヒヨドリはそのようにして、しばしば雀を脅しつけるのですが、自分よりも大きな鳩に対しても、ときおり同じようなことをします。鳩や雀の餌をヒヨドリは食いませんから、餌を狙っての行動ではありません。その振る舞いは、餌をもらっている雀や鳩をやっかみ、意地悪をしているように見えます。それとも、雀や鳩を驚かし、あわてて逃げる姿を楽しんでいるのでしょうか。いずれにしてもヒヨドリは、思いの外に高度な感情を有しているようです。動物学者の世界では、すでに知られていることでしょうか。

鳩の不思議な振る舞い……鳩にも高度な判断力? [小鳥たち]

 寒い冬の日、部屋から庭へ降りるための階段に、餌まち顔の鳩が来ていました。
 ガラス戸を開けても逃げないので、手のひらに餌を載せてさし出すと、鳩はおそるおそる近づいて、手に接するところまで来ましたが、餌をついばもうとはしないのです。
 ためしに餌を階段に置き、その上で手のひらを拡げてみました。もちろん手のひらにも餌があります。すると驚いたことに、鳩は私の手の下に頭をさしこみ、意外なほどの力で私の手を持ち上げ、階段に置かれた餌をついばみ始めました。
 この場合の鳩の心理はいかなるものでしょう。掌の上に首をのばせば、そのまま捕まえられる虞がある。手の甲の側なら少しは安全だろう。まさかとは思いますが、鳩のそんな心理を想像させる振る舞いでした。餌をやり始めて1年以上が経ち、鳩がすっかり馴れた頃のことでした。動物心理に詳しいひとに、鳩の心理について伺ってみたい気がします。

インコの気持ち [小鳥たち]

 娘がインコを飼っていた20年あまり前のことです。そのインコはよく馴れており、家の中を自由に飛び回っていました。
 ある年の夏、私は妻と旅行にでました。娘は会社に出勤しますし、学生である息子はアパート暮らしで、昼間の家で過ごすのはインコだけです。
 旅行を終えて10日ぶりに家に帰ると、インコの振る舞いが変わっていました。妻の肩にとまったまま、離れようとしないのです。そのような状況が翌日まで続きましたが、私の肩には来ませんでした。そのインコに私が嫌われていたからでしょう。
 それまでに、そのインコに対して私はしばしば実験をしていました。紙筒を作ってインコを通り抜けさせたあと、もういちど紙筒に入れ、通り抜ける寸前に前方を塞いで、どのような行動をとるのか観察したり、部屋の明かりを消した場合の反応を見たりなど、インコにとっては迷惑だったであろう実験の数々です。そのようなある日、部屋の中を歩いていた私の足に、いきなりインコが噛みつきました。親指からは血がにじみ、かなりの痛みがありました。不快な実験をする私に対して、インコが怒りの感情を表したのでしょうか。とはいえ、インコが本気で噛めば、その程度ですむはずがありません。インコにしてみれば、軽く噛んだつもりだったのでしょう。
 インコには、孤独のつらさや憎しみの感情など、思いの外に豊かな感情がありそうです。庭にやってくる小鳥たちも、しばしば感情をあらわにします。小鳥にすらそのような感情があるのですから、犬や猫はむろんのこと、牛や豚にも豊かな感情があるはず。ベジタリアンと呼ばれる人たちのなかには、動物たちが見せる喜怒哀楽の感情に心を動かされ、肉食ができなくなったひとがいるのかも知れません。私はさほどに肉を好まないので、牛や豚の肉がなくても苦にはなりませんが、ベジタリアンになれる自信はありません。動物性蛋白源を魚に限ったら?……さて、どうしたものやら。


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