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91歳の現役ピアニスト [音楽およびオーディオ]

テレビでフジコ・ヘミングに関わる番組を見た。2月22日のNHK BS1で放映された「フジコ・ヘミング 魂のピアニスト心の旅 ショパンの面影探してスペイン・マヨルカ島」である。


NHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されたのは、今から24年前の2月だったという。私はその番組を見て、高齢のそのピアニストに興味をおぼえたのだが、その後におけるフジコ・ヘミングの活躍を、まったく予想することはできなかった。番組で披露された演奏は良かったし、すぐれた演奏家のひとりだとは思ったのだが。



私はその程度に受けとったのだが、NHKの番組は大きな反響を呼び、フジコ・ヘミングは人気ピアニストの一人となり、世界で活躍するに至った。その様子を伝えるニュースに接するたびに、フジコ・ヘミングの成功に祝意をおぼえ、高齢ながらの活躍に敬意と驚きをおぼえてきた。私より6歳ほど年上の91歳だという。



先日の番組「フジコ・ヘミング 魂のピアニスト心の旅 ショパンの面影探してスペイン・マヨルカ島」で、フジコ・ヘミングはショパンの数曲を弾いた。歩くときには手押し車につかまって、ゆっくりとしか歩けないらしいが、テンポの速いピアノ曲も弾きこなしている。



演奏を聴いていて、おかしなところがあると思っていたら、番組内でフジコ・ヘミングが言った、「何度もまちがっちゃった」と。その言葉を聞いて、以前に投稿した記事を思い出した。2016年1月11日に投稿した記事「浅田真央や羽生結弦もミスをすることがある・・・・・・ピアニストのミスタッチも大目に見よう」である。



フジコ・ヘミングに声援を贈りながら演奏を楽しむひとたちは、ミスタッチを気にしていないに違いない、私と同様に。フジコ・ヘミングにかぎらず、演奏のどこかでまちがえる演奏家は多いと思われるが、私はいっこうに気にしない。というより、ほとんどの場合、ミスタッチに気づかないのだが。



91歳のピアニストであるフジコ・ヘミングさん。まだまだ演奏を楽しみ、聴衆を楽しませてもらいたいものである。

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八十路にて詠む歌 20 [吾が詠みし歌]

先日の寒かった日に、窓ガラスの外側に蠅がとまっていました。一匹の虫とはいえ、こんな時期の虫には憐れみをおぼえます。異常な高温が続く夏のせいでしょうか、近年は蝶や蜂などの昆虫が減りました。冬の屋外に蠅が居るのも、もしかすると異常気象がもたらした結果かも知れません。


    いずこより来たりしものか厳寒の庭に迷える虫ひとつあり 


この歌を詠んだら父が17歳時に読んだ歌を思い出しました。2021年8月27日に投稿した、「父の歌集より 1」にあるこの歌です。         


    秋まけて咲く夕顔の花あはれ訪い来る虫もあらぬと思へば

                                                   

85歳の私ですが、17歳の父が詠んだ歌にも及ばない、という気がします。はたして、肩を並べうるときが来るのでしょうか。




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警察予備隊が創設された頃の思い出 [雑感]

私が書いた小説「造花の香り」(本ブログのサイドバー参照)は特攻隊に関わる小説だが、その終章は戦後の後日談である〈昭和26年の春)。そこには次のような文章がある。
                                                                                                                                               
「世界大戦が終ったばかりなのに、中国では内戦があったし、朝鮮でも戦争が起こって今も続いてる。どうしてかしら、つい最近の歴史からさえ学ばないで戦争を始めるなんて」
「歴史を学ぶ前に人間を学ぶべし、ということだろう。日本は民主主義の国に生まれ変わったが、政党や政治家を選びそこねたら、国民が犠牲にされるようなことがまた起こるかも知れない。立派な憲法があっても、平和を護るためには政治を見張る必要があるんだよ。政治のありようでどんなことが起こるか、俺たちは思い知らされたじゃないか」
「警察予備隊が作られたけど、あれは警察というより、軍隊にちかいものだと言うひとがいますよ。軍隊を持たないという憲法ができてから、まだ数年しか経っていないのに」
「ゆだんしていると、そのうちいつか、憲法そのものが変えられるかも知れないわね」
「憲法も法律だから、時代に合わせて改正される可能性はあるけど、国民がしっかり政治を見張っていれば、悪い方に変わることを防げるんじゃないかな」
                                                                                                                                                 
調べてみると、警察予備隊が創設されたのは、私が中学1年生だった昭和25年の8月である(朝鮮戦争に危機感を持ったアメリカ占領軍の指示による)。その2年後には保安隊に改編され、さらに2年後には自衛隊が創設されている。
                                                                                                                                                
私が中学生だった頃のことである。夕方に近い時刻に、家の前の道を軍服らしい服装をした男が歩いてくることがあった。その男は私の家から50mほどの所まで来ると、いつも(年に数回は見かけたように記憶している)脇道に入っていった。農作業をする人しか歩かない狭い畑道であり、夕方以降に歩く人はいない道だった。その様子を見ていた母が言った「あれは警察予備隊だよ」と。「警察予備隊員としての姿を村人に見られたくないために、人通りのない畑道を通って生家に向かって居るようだ」と母は言った。そうだとしたら、当時の警察予備隊員は肩身の狭い思いをしていたことになる。
                                                                                                                                                
戦後も数年しか経っていなかったその頃は、戦争を悔い、戦争を憎む感情が国中に満ちていたはず。そのような時代であって、軍備を禁止する現憲法が制定された直後だったから、警察予備隊に向ける国民の目は厳しかったと思われる。それから70年あまりが経ったいま、実質的には軍隊である自衛隊が、国民に違和感なく受け入れられている。

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田中元首相の言葉を思う [政治および社会]

朝日新聞のコラム「折々のことば」に、「戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない〈精神科医 中沢久夫氏の言葉〉」が紹介されている(2月4日の朝刊)
                                                   
その記事が、2019年9月19日に投稿した「田中角栄の言葉を聞かせたい国会議員たち」を思い出させた。
                                                   
田中角栄元首相は、新人の国会議員たちに語ったという「 戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」と。
                                                   
田中角栄が世を去って29年になるいま、戦争を知る政治家はいなくなり、田中角栄が危惧した状況になっている。本ブログ内の記事を検索してみたら、安倍元首相に関わる記事を52回も投稿しているのだが、そのほとんどが、安倍元首相の考え方や政治姿勢を批判する内容のはず。岸田首相が就任した頃には、政治の有りようが改善されるのではと期待していたのだが、早々に失望するに至った。政治をより良いものとするためには、やはり、日本を政権の交代が起こりえる国にしなければ、と思う次第である。あまりに長らく自民党政権が続いたために、政権が交代したなら、一時的に政治が停滞する可能性はあるのだが。

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