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幸福度ランキング 日本とコスタリカ [政治および社会]

サッカーワールドカップでの対戦相手だったコスタリカは、英国のシンクタンクが発表する地球幸福度指数が高く、4回連続で1位に輝いたという。日本はと言えば、最近では50位くらいまで上がってきたようだが、数年前までは60位以下だった。先進国の中ではだんとつの最低ランクである。
                                                                                                                                               
独裁国家はいずれも幸福度ランキングが低いが、独裁国家ゆえに政権の交代はない。日本は先進国でありながら幸福度が低い不思議な国である。長期にわたって幸福度が低く、社会に停滞感があり、将来に対して明るい展望がないにもかかわらず、政権交代がない不思議な国である。政権が交代すれば、しばらくは政治や経済が混乱するかもしれないのだが、そうであろうと、時に応じて政権が交代しなければ、政治は劣化するだろう、今の自民党政治のように。
                                                                                                                                                
wikipediaによれば、コスタリカは憲法によって常備軍を持たず(1948年に常備軍隊廃止)、予算の多くを教育と国民福祉に回しているという。教育と医療に国家予算の多くをあて、教育費は20%以上だという。公立学校は高校まで無償、公立の病院の診察費も無料だという。政治や教育などにおける様々な指標が、幸福度ランキング1位にふさわしい。
                                                                                                                                               
国軍を持たないことにした中米のコスタリカとパナマは、周辺国との間に国防上の懸念がありながらも、諸外国との外交手段によって、国の安全を保っている。国防費に膨大な予算を費やす代わりに、教育や福祉に予算の多くをまわしている。憲法9条を持つ日本は、岸田首相の指示により、防衛費を倍増するようだが。
                                                   
ロシアから侵略されているウクライナは、多くの国からの支援を受けつつ、ロシアに対抗している。この現状は、これからの国防を考える上での参考になりそうである。自国優先の膨張主義国家に対しては自制を促すだろう。平和国家を指向し、国が侵略された場合には各国からの支援が受けられるよう、平時から外交努力を重ねておくこと。それが最も有効な国防手段となるのではなかろうか。
                                                   
日本の幸福度ランキングが上位になるのは、果たしていつのことになるのだろうか。自民党的な政治が続くのであれば、ずいぶんと先のことになりそうだが。


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八十路にて詠む歌 12 [吾が詠みし歌]

近くの消防署に設置された防災スピーカーから、時おり大きな声が聞こえてきます。月に1回の同報無線の定期試験放送などですが、大音量のその言葉は、建物などでの反響音が重なるためなのか、ほとんど聞き取ることができません。
                                                   
    家並み越え役所の言葉聞こえけり同報無線の歪める言葉  
                                                   
同報無線の音声については、本ブログで取り上げたことがあります。その記事「防災放送の音声が聞き取りやすくなる日(2021.9.2)」は、次のような文章で終わっています。
                                                   
かつてのソニーやカシオは幾つもの、新規な製品を世に送り出し、社会に大きな貢献をしてきた。防災無線に関わっている企業が、音声を聞き取りやすい製品を開発したならば、国内はもとより海外諸国にも、喜んで受け入れてもらえるはずである。もたもたしていると、中国や韓国の企業が、個人の家に設置可能な受診装置を開発し、日本企業の出る幕がなくなる日が来るかもしれない。天災がますます多発しそうな時代にあって、日本の防災機器を作る会社には、大いにがんばってもらいたいものである。
                                                   
防災機器以外の分野でも、大いに頑張ってほしいものですが。


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子供の学力が向上するとき [教育]

私が理系人間を自認したのは高校時代でした。小学生時代から電気に興味を抱き、中学時代には独学でラジオの勉強に励んだものです。好きなことに熱中したからでしょうか、中学1年生まで成績の悪かった私は、3年生になった頃には、むしろ成績優秀者のひとりになっていました。


高齢者の仲間に入ってからブログを開設し、その中のカテゴリーのひとつに「教育」を置きました。中学時代に急激に成績が向上した自分の体験が、読んでくださる誰かに役立つはずだ、と思ったからです。「教育カテゴリー」に投稿した記事には次のようなものがあります。

・「必要は発明の母なり」に付け加える言葉(2015年8月19日)                                                   


 ラジオについての独学が、私の学力向上を促したと思いますが、読書に慣れていたことも、大いに役立ったと思います。そのことを書いたのが次の記事です。


塾に通わせるよりも有効な学力向上対策(2017年2月2日)                                                 


中学生になるまで、私は自分の成績をさほどに気にしていませんでした。戦後間もない頃であったし、偏差値教育もなされていなかった頃でした。親から責められたこともなく、周囲にも成績で悩む友達はありませんでした。ラジオの勉強に取り組むことができたのは、悪い暗示(自分は頭が悪い、自分には才能が無いなど)による催眠にかかっていなかったからでしょう。小説「防風林の松」(左のサイドバーにて概要を紹介)の99%は創作ですが、その中に、私の体験(成績劣等生からの脱却)を書き込みました。主人公が友人との会食中に交わす会話です。


小説「防風林の松」より

   ・・・・・・・・・・僕は自分自身の体験を語った。中学一年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。

 僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」

「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」

「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」

「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。

「本を一冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」

 その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。

 坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」

                                                                                                                                               

私の小学生時代に偏差値教育がなされていたら、私は落ちこぼれのままだった可能性があります。本ブログで幾度も、偏差値教育に対する疑問を書いてきました。つぎの記事はそのうちの2つです。




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八十路にて詠む歌 11 [吾が詠みし歌]

石川啄木の歌を読んだ頃(2022.11.18)」を書いたことにより、先日の歌に続いてこのような歌が出てきました。
                                                                                                                                                   
       若き日に親しみかりし啄木の歌に親しむ八十路にありて

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八十路にて詠む歌 10 [吾が詠みし歌]

昨日投稿した「石川啄木の歌を読んだ頃(2022.11.18)」を書いたら、このような歌が出てきました。

                                                    


      啄木の歌に出会いし遠き日を思い出しつつ歌を詠む日々




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石川啄木の歌を読んだ頃 [雑感]

「日本は世界で最も詩人が多い国?(2022.11.16)」の中で、「80代の半ばで歌を読み始めた私だが、歌についての知識といえば、中学と高校時代の国語の授業で学んだことだけである」と書いた。それは事実ですが、小学校6年生から中学校1年生の間のどこかで、石川啄木の歌集「一握の砂」を読んだことがあります。
                                                   
子供を学習塾に通わせるより読書の楽しみを教える方がよさそうだ(2015.9.24)」に書いたように、小学校4年生の秋に肝炎を患った私は、父に勧められるまま「現代日本文学全集第三十三篇 少年文学集」なる書物を読みました。それが契機になって、私は本を読むようになり、父が所有していた「現代日本文学全集」に納められていた作品の幾つかを読んだのですが、その中に、石川啄木の「一握の砂」がありました。今でも記憶に残っているのは、「たわむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」と「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」です。その他にもたくさん読んだはずですが、断片的にしか思い出せません。
                                                   
短歌に興味がなかった12歳当時の私が、どんな経緯で「一握の砂」を読んだのか、いまでは全く記憶にありません。たまたま手にした書物を開いたら、極端に文字の少ないページが眼に入り、興味を惹かれて読んだのでしょうか。そうだとしても、飽きっぽいうえに怠惰な性格の私が、多くの歌に眼を通したことに、不思議な感があります。そうとは意識しないまま、短歌の魅力に惹かれていたのかもしれない。とはいえ、自分で歌を詠んでみたいとは思わず、80代になってようやく詠み始めることになりました。若い頃から歌に親しんでいたなら、父との貴重な時間を共有できたはず。もったいないことをした、という気持ちを強く覚えます。父は16歳の頃から歌を詠み、手書きの歌集を遺していたのだから。


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日本は世界で最も詩人が多い国? [雑感]

ベストセラーになった「サラダ記念日」の著者俵万智さんは、歌の結社「心の花」に所属しているという。歌人の多くはそのように、グループに加わって修練を積んでいるようです。
                                                                                                                                                
私の父は十代から歌を詠み(本ブログのカテゴリー「父の歌集」で26回に分けて投稿)、手書きの歌集を遺しましたが、歌の基本は書物から学んだものと思われます。80代の半ばで歌を読み始めた私ですが、歌についての知識といえば、中学と高校時代の国語の授業で学んだ程度です。著名な歌の幾つかを授業で学び、その感覚をつかんだことで、まったくの素人であっても歌を詠むことができる。歌を詠むに適した形式があり、その形式に日本語が適合しているからでしょう。
                                                   
新聞の短歌や俳句の投稿欄には、数多くの人が投稿しているようです。外国の新聞に詩の投稿欄があるのかどうか知りませんが、いずれにしても、日本は世界で最も詩人の多い国と思われます。その人たちが俳句や歌に親しむもとになったのは、中学や高校の国語教育ではなかろうか。80代の半ばにして歌を詠み始めた私ですが(本ブログのカテゴリー「吾が読みし歌」に投稿)、先に書いたように、歌の基本は国語の授業で学びました。
                                                     
日本の文化にも様々な特徴があるわけですが、世界で最も詩人が多いことも、特徴のひとつと言えそうです。

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八十路にて詠む歌 9 [吾が詠みし歌]

温暖化の影響でしょうか、近年は蝶や蜂が激減しているようです。以前にはたくさん見かけたトンボですが、最近はめったに姿を見せません。久々に庭を訪れた一匹のトンボは、いかにも孤独そうな姿に見えました。
                                                                                                                                                   
      とんぼうのひとつのみにて庭にあり孤独な姿いとおしきかな


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偶然の出会いについて書かれた記事 [人生]

パソコンを開いてみたら、「武田修宏氏『偶然はすごいですね』北九州から帰京の新幹線で今季2点目決めたカズと遭遇」なる記事があった。 日刊スポーツ新聞社の記事(2022/11/13 12:27)である。
                                                                                                                                               
本ブログでは幾度も偶然の出会いに関わる記事を投稿してきたのだが(この記事の末尾に列挙)、関連する記事として、きょうは日刊スポーツ新聞社の記事を転載させてもらうことにした。
                                                   
                                                                                           
日刊スポーツ新聞社の記事「武田修宏氏偶然はすごいですね』北九州から帰京の新幹線で今季2点目決めたカズと遭遇」より
                                                   
 サッカー元日本代表FWで解説者、タレントの武田修宏氏(55)が13日、ブログを更新。前日12日に北九州でのサッカー教室を終え、帰京する途中の新幹線に、鈴鹿ポイントゲッターズFWカズ(三浦知良、55)が乗り込んできて偶然、一緒になったと報告した。
 カズは同日、三重県鈴鹿市内で行われた日本フットボールリーグ(JFL)FC大阪戦で今季2点目のゴールを決めていた。
 武田氏はブログの冒頭で「昨日は北九州でサッカー教室 昼食タイムにYouTubeで鈴鹿の試合をチェック 偶然に三浦カズ選手のゴールをタイムリーに見られました」と、サッカー教室の合間に、カズのゴールをYouTubeの生配信で見たと説明。その上で「サッカー教室を終え小倉から新幹線で約5時間かけて帰京途中に名古屋で(中略)新幹線の同じ車両に なんと試合後のカズさんが」と、試合を終えたカズが、名古屋駅から乗り込んできて再会したとつづった。
 武田氏は、大好きな映画「男はつらいよ」のTシャツに、白とオレンジが混在した色のジャケットを着たカズと、新幹線の車内で撮ったツーショット写真をアップし「いろいろと巡り合わせ 偶然はすごいですね」と感慨深げにつづった。
                                                   
おそらく、ほとんどの人が、このような偶然の出会いを経験していることだろう。なかには私のように、幾度もふしぎな出会いを経験する人がいると思われる。私は自分が体験した偶然の出会いを、つぎのように本ブログに幾度も投稿している。
                                                   
偶然の出会いに関する記事


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八十路にて詠む歌 8 [吾が詠みし歌]

庭で作ったサツマイモを全て収穫しました。試し堀をしたときには、まずまずのできばえと思ったのですが、結果的には期待していた量の半分しか収穫できませんでした。とはいえ、久々に、たっぷりとサツマイモを味わうことができます。来年は今年の経験を生かして、充分に満足できる結果を得ようと思います。
                                                   
戦争中や戦後の食糧難の時代には、サツマイモは貴重な食糧であり、米の代わりになる主食でした。そんな時代に、私の生家でもサツマイモを作っていました。栽培していた品種は農林1号でしたが、その薯は甘みが少なく、少年時代にはさほどにうまいとは思いませんでした。懐かしい農林1号と比べれば、庭で作った「紅はるか」と「紅あずま」はずいぶん甘く、主食というよりお菓子の仲間を思わせます。
                                                   
      代用の主食でありしさつまいもいつしか成れり嗜好食物 


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カンガルー革の靴 [雑感]

昨日の「 スーパーでの買い物に要する時間」に関連する記事です。
                                                                                                                                               
「スーパーでの買い物に要する時間」に書いたように、私がスーパーで買い物をするときは、15分程度の所用時間です。スーパーでの買い物だけでなく、自分の衣服や靴を買う際にも、さほどに時間をかけない方です。
                                                                                                                                               
私は衣服や靴に対してあまり関心がないので、妻に強く勧められるまで買おうとは思わない。というわけで、私が靴を買うのは、せいぜい5年に一度くらいなものです。店に入ってから靴を選び終えるまでに、以前の私は10分ほどのことがしばしばでした。好みのデザインで価格もあまり高価でなければ、試しに履いて不満がなければそれを買っていました。安易な買い方かもしれないのですが、買い物に付き合ってくれた妻からは、批判らしい言葉はありません。
                                                   
そんな私ですが、5年ほど前に靴を買った際には、かなりの時間をかけました。おそらく、店内に30分程度は居たでしょう。
                                                   
候補に選んだ靴のひとつはカンガルー革製で、デザインも好みに合っていただけでなく、なぜか半額になっていました。試しに履いて店内を歩いた結果、柔らかい履き心地のその靴が気に入って、買うことにしました。
                                                   
その靴を履きはじめて数日後、路面が荒れた凹凸のある道を歩いたところ、足の裏ではっきりと、路面の凹凸が感じられました。半額で売られていたのは、靴底が柔らかいためだったと思われます。普通の舗装道路を歩いているかぎり、少しも問題はないので、それからの5年あまりを、満足しつつ履いております。
                                                   
ものぐさな私のことゆえ、みかねた家族が手入れをしないかぎり、靴をみがくことすらしないのですが、カンガルー革のその靴は、5年半が経った今も傷や皺がなく、立派に役立ってくれております。カンガルー革が勝れているためなのか、たまたま良い皮の靴を買ったためなのか、次に買う際に備えて、今のうちに調べておこうと思います。


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スーパーでの買い物に要する時間 [雑感]

年金生活に入ってからは、スーパーでの買い物を主に私が担当している。妻が書いたメモを見ながら買い物をするのだが、店内の商品配置は記憶しているので、すぐに選び終えることができる。目玉商品に惹かれて、メモにない商品を買うこともしばしばだが、そうであっても、品物を選ぶための時間は15分もかからない。
                                                                                                                                               
妻が買うときは(車を運転する私も同伴するのだが)、多くの商品を見ながら店内を回って、買うべきものを選ぶことになる。当然ながら私がひとりで買う場合より時間がかかる。妻がどんなに時間をかけても、私はいささかも不満を覚えない。妻はそのような買い方をするものだと思い、それを当然なものと思っているからであろう。
                                                                                                                                               
東京五輪組織委員会委員長だった森喜朗元首相の、「女が多く加わると会議が長くなる」なる発言が問題にされ、委員長を辞任する結果になった。森元首相の度重なる失言を苦々しく思っていた私だが、「女が多くなると会議が長くなる」なる発言は、軽率な言葉とはいえ、大騒ぎするほどの失言とは思えなかった。軽率な言葉であろうと、元首相が自分の考えを述べたのだから、その言葉をとらえて辞任を迫る前に、「女の委員が増えて議論が深まるのであれば、むしろ好ましいではないか」と主張してほしかったと思うのだが。
                                                                                                                                                
買い物に要する時間について書き始めたら、予想外な文章を書くことになった。


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人はみな愚者の一面持つらしき、プーチン、ヒトラーそして・・・・ [政治および社会]

次の文章は、10月15日に投稿した「八十路にて詠む歌 5」を転記したものである。

                                                  



 戦前の日本は、当時のエリート中のエリートだった高級軍人たちにより、最悪の道に導かれる結果になった。ドイツ国民が熱狂的に支持したヒトラーは、膨大な悲劇と痛苦をもたらした。プーチンはもっともらしい口実を掲げて、多大な悲劇と損害を作り出し続けている。ヒトラーやプーチンより罪が軽いとはいえ、悪政によって国民に負担を強いる政治家は少なくない。独善的かつ狭量に見えた、そして統一教会に関わっていた安倍元首相も、私には立派な政治家とは思えない。生きながらえて、自らがなした政治の行く末を見届けてもらいたかった、と思う。

 国を導く立場にある者にも、思いの外に愚かな人間が多いようである。おそらく、どんな人にも愚かな一面がある、ということであろう。

 

  人はみな愚者の一面持つらしき吾に住む愚者の数いかなるや


                                                   


国を導く者たちには、リーダーとしての能力に加えて、高潔な人格と高い識見を有することが望まれるが、プーチンやトランプや・・・に限らず、後半の部分が欠落した者が多いようである。

                                                   


日本がアメリカに宣戦布告した昭和16年の12月8日、作家の永井荷風は日記「断腸亭日乗」に書いた、「アメリカと戦って勝てるわけがない。どうせ負けるのだから、この国にとって望ましいのは、少しでも早く負けることである」と。(永井荷風の想いと軍人の見識 2017.1.6)

                                                   


真珠湾奇襲作戦の成功に歓喜した日本人が多かったとき、永井荷風のように受けとる日本人もいた。「元特攻隊員による戦記『修羅の翼  零戦特攻隊員の心情』を読んで(2020.11.27)」に書いたように、アメリカとの戦争が始まったとき、ある海軍大尉が言ったという「この戦争には、万に一つの勝ち目はない」と。そのような軍人も少なくはなかったであろうが、軍の組織内では力を持ち得なかったと想われる。

                                                   


プーチンの愚行を止めるために、ロシア国民に反旗を翻えしてもらいたいものである。日本を長期衰退に導いた自民党を、そして、様々な悪政を行い、統一教会がらみの問題も抱える自民党を、未だに支持する人が多い。日本の政治を良くするためには、ときに応じて政権を交代させることだが。

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八十路にて詠む歌 7 [吾が詠みし歌]

父の手書きの歌集には、16歳から38歳までのの歌が記されています(本ブログのカテゴリー「父の歌集」参照。26回にわたって投稿)。歌を読み始めた頃の父はむろん初心者だったわけですが、少年時代の父が詠んだ歌に、私はみずみずしい魅力を覚えます(父の歌集より 1~3参照)。歌を詠むうえで、年齢や経験を云々することはなさそうです。というわけで、題名を「高齢の初心者が詠む歌」から「八十路にて詠む歌」に替えることにしました。八十路は80歳を意味しますが、ここでは80代という意味で使っています。90代になっても詠みたいと思いますが、その場合の題名は「九十路(ここのそじ)にて詠む歌」になります。
                                                                                                                                                 
      砂山に跡を残して行くがごと吾が人生の足跡いかに
                                                                                                                                                 
父が17歳で詠んだ歌に、「砂山に長くつづける下駄の跡消されで残ることのしたしさ」があります(「父の歌集より 1 2021.8.27 」 参照)。「八十路にて詠む歌」を詠もうとしたらその歌が思い出され、上記の歌が出てきました。


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