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淺田次郎の小説「降霊会の夜」を読んで [人生]

 淺田次郎の小説「降霊会の夜」を読んだ。タイトルからもわかるように、この小説は降霊会に関わる物語であり、霊としての人物が登場する変わった小説である。とはいえ、淺田次郎の小説に霊あるいは幽霊が描かれるのは珍しいことではない。直木賞を受賞し、映画にもなっている「鉄道員(ポッポ屋)」や、「椿山課長の七日間」あるいは短編の「角筈にて」など幾つもあげることができる。聞いたことも調べた事もないのだが、淺田次郎には霊に関わる体験があるのではないか。たとえ体験がなくても、多くの試料を参考にすれば書けるだろうが、自ら体験しないかぎり、そのような小説を幾つも書きたいとは思わないような気がする。
 降霊会の場面を描く小説で思い出されるのは、ノーベル文学賞で知られるトーマス・マンの「魔の山」である。これは私にとって懐かしい小説である。学生時代のある夏、夏休みに帰省しないままに、図書館で借りた「魔の山」を、人けの少なくなった寮の部屋にこもって、数日をかけて読み終えた。この長い小説の後半に、主人公のハンス・カストルプが降霊会に参加する場面がある。ハンスの目の前に戦死した従兄が姿を現すのだが、その様子が詳細に描かれている。私自身が不思議な体験(注1)をするのはそれから15年も後のことであり、当時は霊的なことには無関心だったが、小説のその場面を読みながら、作者のトーマス・マンは降霊会というものを体験したに違いないと思った。
 霊に関わる事柄を取り上げる著名な人も多い。元大学教授であり、大韓航空機撃墜事件の被害者遺族でもある武本昌三氏は、自身のホームページ(注2)と著作「天国からの手紙」を通じて、霊性に関わる知識を啓蒙すべく努めておられる。愛する者を失った人がこのホームページを訪れ、悲嘆の淵から救われることも多いようである。元福島大学教授の飯田史彦氏による「生きがいの創造」は、霊に関わる書物としてベストセラーになった。
 作家の佐藤愛子氏も、自らの体験を「私の遺言」(注3)に綴っているが、このような書物やホームページを見てもなお、非科学的な考え方として受け入れないひとが多いと思われる。しかしながら、それは「今の科学知識では説明できない」ということであり、将来においては常識的な知識になっているのかも知れない。今から200年前には絵空事と思われたであろうことが、その後の200年の間に数多く実現しているのである。
 不思議な体験を繰り返した私は、40年ほど前のある日、不思議の正体を多少なりとも知りたいと思い、日本心霊科学協会(注4)を訪ねた。会員には学者や医師が多く、当時の理事長は大学教授の板谷 樹氏であった。
 その日に初めてそこを訪ねた者は、私を含めてふたりであったが、初めてということもあり、私たちふたりは霊能者の前に座らされ、霊能者と手をつなぐことになった。
 私たちは個人的なことは何も話していなかったが、霊能者が口にしたのは、私たちが知っているそれぞれの身内の者で、すでに亡くなっている者の名前であった。私の横に並んでいる新規訪問者には、他にも驚くべき言葉がかけられた。「中村さん、あなたの名字はもとは◎◎ではありませんか。その◎◎家の・・・」
 私と同年配のその中村氏は、霊能者の言葉が真実であることを認めた。そこに至って、私は霊能力と霊魂の実在を認めざるを得なかった。こう書くと、「その中村氏は霊能者の仲間だったに違いない」なる声が聞こえてきそうだが、私に向けられた言葉を思えば、その霊能者には不思議な能力があったとしか思えないのである。
 日本心霊科学協会は今も活動しているので、興味があれば訪問されるようお奨めしたい。ネットで検索してみると、今の理事長は防衛大学校名誉教授の大谷宗司氏である。役員には4人の大学教授が名を連ねるなど、霊に関わる団体としては異色な存在である。
 私もそのひとりだが、今の科学で説明できないことを体験した人は、その不可思議のもとを知りたいと思うはずである。日本心霊科学協会に集う学者諸氏の多くは、何らかの不思議現象を体験しているのではないか。このような団体の活動により、霊魂の実在が広く知られるようになれば、人の生き方に、ひいては社会に良い影響を及ぼすと思われる。
 書物やテレビで語られる霊にまつわる話題の多くは、気味の悪い怪奇現象や得体の知れない出来事であり、霊に対する誤解を招くもとになっているようである。そのためであろうか、霊に関わる話題を毛嫌いするひとも多いが、生きている人間の本体が霊であり、霊そのものは不吉なものでは決してない。先にあげた飯田史彦著「生きがいの創造」は多くの図書館で蔵書になっている。これを読むことにより、眼から鱗が落ちた想いを抱くひとも多いと思われる。霊に関する知見を持てば、むしろ未来が明るいものに見えてくるはずである。その書物が「生きがいの創造」となっているゆえんであろう。
 不思議な体験を有する著名人は思いの外に多そうである。学究あるいは科学技術に携わる人がそのような体験をしたとき、その探求に意欲を抱くにとどまらず、不思議な世界を世間に紹介し、人々の人生に寄与したいと願うのは自然なことと思われる。図書館で調べてみると、そのような人の著作が少なからず見つかる。その著者が不思議な世界と真摯に向き合って著した書物であれば、単なる好奇心やオカルト趣味から離れて読むことができ、得られるところも多いはずである。とはいえ、超常現象や霊などに関する書物を安易に選ぶと、好奇心に導かれるままに、危険な所へ誘い込まれる惧れがないとは言えない。その種の書物をこれから読もうとされる方には、社会的に信頼される立場にある人の著作を、先入観をはなれて読んでいただきたいと思う。読む人ごとに受けとり方はさまざまであろうが、その読書が無駄に終わることはないはずである。

注1  6月28日の記事「予知夢……体験者にとっては真実なれども未体験者には絵空事」参照

注2  武本昌三氏のホームページ ともしび は、武本昌三を検索すればすぐに見つかる。

注3 佐藤愛子著 「私の遺言」
著者の霊的な体験にまつわることを記したもの。著者は自らの使命を、霊に関わる体験の公表を通して心霊世界の実相を伝えることとしている。

注4 公益財団法人日本心霊科学協会
  公益目的事業(ホームページより)
      (1)心霊的といわれる現象の学術的研究の振興と教育
      (2)心霊知識の提供に関する事業

    理事長 大谷宗司(防衛大学校名誉教授)

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