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特攻隊要員の搭乗機を見送った日のこと [特攻隊]


  特攻隊員を主人公とする「造花の香り」(注1)を書き上げたとき、私はこの小説にあとがきを加えることにした。そのあとがきに、幼かった私が特攻隊要員たちの乗機を目撃し、強い印象を受けたことが記されている。その部分をここに抜き出してみる。

小説「造花の香り」のあとがきより引用
昭和二十年の春、日の丸をつけた暗緑色の飛行機が、数機ずつの編隊で飛来しては西に向かった。爆音が聞こえるたびに、私ははだしのまま庭にとびだし、超低空で頭上を通過してゆく機体をながめ、その姿が見えなくなるまで見送った。強い印象を残したその情景を、歳月を経てからもなお、おりにふれては思い出すことになった。この小説を書くために調べた資料によって、それらの飛行機は、鳥取県の美保基地から九州へ移動してゆく途上の、ほどなく出撃することになる特攻機であったと推定される。特攻機と意識して見送ったわけではなかったのだが、機体の色と形はもとより、操縦席をおおっている風防の形状さえも記憶に残り、耳の奥には轟々たる爆音がとどまっている。(引用おわり)

その情景を眼にしたのは出雲の農村であり、私がまだ7歳のときだった。それらの飛行機が特攻隊員たちの搭乗機だったと判断した根拠は、特攻隊に関わる書物の数冊に次のようなことが記されているからである。

<九州の宇佐航空隊で待機していた特攻要員たちが、米軍による空襲を避けるために美保基地へ移動して訓練し、昭和20年の3月末に宇佐へ帰還した。その後まもなく、南九州の出撃基地へ移動し、沖縄の海へ出撃していった。>

   私が幾つもの編隊を目撃したのはその時期(はだしのまま庭へとび出しても、寒さを感じない季節になっていた)であったし、私の家は美保基地から宇佐へ向かう経路にあたる。
   それらの飛行機は百メートルに満たない高度(私にはそのように見えた)(注2)で飛来した。どの編隊も私の真上を通過したから、近づいて来るときには風防の形が見えたし、通過する際には機体の形状と色がわかった。それだけでなく、翼の表面に多数の長方形の模様があることすらわかったが、それはおそらく、翼を構成する金属板の接合部分であったろう。
   私はそれらの機体を前側と下から、そして後ろ側から見たことになる。印象深く眺めたためであろうか、機体の形状が今も記憶に残っている。記憶しているそれを参考資料の写真や図面と比較した結果、私が見たのは海軍の九七式艦上攻撃機と思われるが、もしかすると、それと似ている零戦だったのかも知れない。3月の末に美保から宇佐へ移動した機種も九七式艦上攻撃機とされている。そのことも、目撃した編隊が特攻要員たちの搭乗機と推定する根拠のひとつになった。
   飛行経路を設定できる機器がなかったにもかかわらず、どの編隊も私の真上を通過したのだから、経路を示す目印が設定されていたに違いない。もしかすると、私の家の東方にある周囲5Kmあまりの湖が、通過すべき目標だったのかも知れない。飛行経路を指示する目標があったにしても、どの編隊もほとんど同じコースを飛んだ事実に、今更ながら驚きを覚える。編隊ごとに多少のずれがあっても、せいぜい翼の幅ほどだった。そう思えるほどに、すべての編隊が私の真上を通過していったのである。
   海軍の特攻隊員には、戦争の後半になって徴兵された学徒兵や予科練(注3)出身の少年兵が多く、充分な操縦訓練を受けることはなかったようである。それにしては、上記のごとくコース選定が正確だっただけでなく、どの編隊も整然とした隊形を保っていた。
   私の家を通り過ぎれば1000メートル足らずで日本海に達する。そこから先はひたすらに、海岸線に沿って九州へ向かうことになる。宇佐までの300Kmを、20歳前後の青少年たちは、どんな想いを胸に飛んだのだろうか。
  軍用機が頭上を通ることは珍しくなかったのだが(注4)、単機の場合が多く、2機以上の編隊はまれだったように記憶している。それだけに、数機づつの編隊が次々に飛来したその日は、幼かった私にとって極めて印象的で、そして興奮させられる日であった。そのためであろうか、長い歳月を経てからも、どうかしたはずみにその日の情景を思い出すことになった。

   特攻隊について調べているうちに、記憶に残るあの飛行機が、ほどなく出撃してゆく特攻機だったらしいと知った。やがて小説「造花の香り」に取り組むことになり、どうにかそれを仕上げたとき、かつて眼にしたあの飛行機のことを記したいと思った。今日の記事に引用した文章がそれである。わずか数行ほどのその文章に、私は搭乗員たちへの敬意と哀悼の想いを込めた。ここで言う敬意は、10月12日の記事「
愛国心を要求する国家は国民の愛国心を損なう」に記した意味での敬意である。
  今日の記事を書いたことにより、小説のあとがきに記した文章を補足することができた。これにより、当分は特攻隊に関わる記事を書く必要がなくなった、という気持ちになっている。

(注1) 造花の香り   
  特攻隊員を主人公とする小説であり、電子書店の forkn と DLmarket にて公開している。

   小説の前半は、東京の大学で学ぶ主人公が恋と友情に恵まれ、戦時ながらも充実した学生生活を送る様子を描く。後半では、徴兵された主人公の海軍航空隊での生活と、訓練の合間になされる婚約者との交流、および、特攻隊要員に選ばれてから出撃するに至るまでが描かれ、さらに、戦後における後日談が添えられている 。

2016年3月24日 追記
「防風林の松」とともに、この「造花の香り」もアマゾンの電子書籍(キンドル本)に登録してある。


2021年8月2日 追記

「防風林の松」とこの小説を、小説投稿サイト「カクヨム」と「小説家になろう」で読めるようにした。

 

(注2)異常な程に低空を飛んだのは、米軍機を警戒していたためと思われる。


(注3) 予科練  

海軍飛行予科練習生の略称である。15歳で志願した少年たちに厳しい訓練を施し、海軍航空隊の搭乗員に育成した。


(注4) 戦前の私が見た飛行機は、おそらく全て軍用機だったであろう。美保と九州の間を行き来した連絡機と思われるが、米軍機を警戒していたためであろうか、いずれも常に低空を飛んでいたように記憶している。


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