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靖国神社に代わるべき施設について [政治および社会]

8月15日の終戦記念日には、今年も自民党の議員たちが靖国神社を訪れるにちがいない。議員たちの個人的な信条によるものゆえ、その事実を伝える新聞も、批判がましいことは書けないだろう。


靖国神社に参拝する人たちも、「あそこは戦死者の慰霊と顕彰のための神社であり、戦争犠牲者一般のための施設ではない」と認識しているはずである。空襲などによる膨大な犠牲者を含む、全ての戦争犠牲者のための追悼施設を、この国は作ろうとしなかった。そのことに、多くの人が疑問を抱いていると思われ、かく言う私もそのひとりである。


2015年8月15日のブログに、「靖国神社に代わる追悼施設とは」なる記事を投稿し、2017年8月15日にはそれを再投稿している。今でもその考えに変わりがないので、くどいようだが、その記事をそのままここに載せることにした。
    
2015年8月15日の記事「靖国神社に代わる追悼施設とは」を再掲


  終戦記念日のきょうは全国戦没者追悼式が行われ、日本武道館からのテレビ中継があった。戦後も70年を経て、参加した遺族6000人のほとんどは高齢者である。
  白木の標柱に記された「全国戦没者之霊」なる文字を見ながら、私はあらためて思った。戦後の70年を経てもなお、戦争犠牲者を慰霊するための国立の施設は存在しない。靖国神社は戦死者を祀るとともに、戦死者を顕彰するためのものであり、原爆や空襲による犠牲者などは対象にしていない。靖国神社は本来の追悼施設とはなりえないことになる。
  靖国神社に代わる追悼施設を作るべしとの声があるけれども、それだと戦死者しか祀らない施設を新たに作ることになる。新たに作るのであれば、戦災による犠牲者をも含めた追悼施設でなければならず、それは靖国神社に代わるものではないはずである。
  靖国神社に代わるものとして、無宗教の追悼施設を作ろうとする案が提唱されている。それに対しては、追悼施設が無宗教ではあり得ないとの異論がある。
  戦争犠牲者を追悼するための施設はいかにあるべきか。それに対する私の見解を、終戦記念日のブログに書くことにした。
  戦争による犠牲者のための追悼施設を墓標と見なし、国立の慰霊施設として作ること。それが私の提案である。犠牲者が如何なる宗教を信じていたにしろ、そして追悼する人が如何なる宗教を信じているにしろ、その墓標を前にすることは可能である。ここで言う墓標は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑のごとき墓とは異なるもので、戦争犠牲者を悼むための象徴的な施設である。
  あの戦争の犠牲者を追悼するための施設は、あの戦争を忘れないための記念碑でもあり、非戦を願う祈念碑であって、不戦を誓ううえでの象徴的な施設でもある。遠い将来にわたって、日本人が過去を振り返り、不戦を誓い続けるうえでの象徴。そのような象徴たるべき墓標の建立こそが、戦争で犠牲になった人々の霊を慰め、その犠牲を無にしないための、最も望ましいあり方ではなかろうか。
このような考えを持つに至ったのは、小説「造花の香り」(本ブログの左側サイドバーにて概要を紹介)を書いているときだった。8月10日の記事「靖国神社の英霊たちが望むところは」にも引用したが、 特攻隊員を主人公とする「造花の香り」(アマゾンの電子書籍であるキンドル本として公開中)の中に、次のような文章がある。出撃基地で待機中の主人公が、親友に遺すノートに記した言葉である。


「造花の香り 第六章」より引用
…………今日は一緒に出撃する仲間たちと散歩にでかけ、辺りの景色を眺めながら雑談のひとときを過ごした。
 …………靖国神社を話題にしたとき、出撃に際して交わされる「靖国で会おう」という言葉は、気持を通い合わせるうえでの合言葉の如きものだと仲間が言った。軍とは関わりのない忠之にも理解できると思う。俺の隊にはキリスト教徒がいるのだが、その仲間ですら言うのだ。自分は靖国神社に祀られるつもりは全くないが、出撃に際しては靖国で会おうという言葉を口にするかも知れない。かく言う俺自身の気持を言えば、その言葉を残して出撃することになろうと、神社に留まるつもりは少しもない。神社の中に閉じこもっているより、俺の家族とお前や千鶴の気持にいつでも応えられるよう、宇宙の中で自由に羽ばたいていたいと思う。俺自身は靖国神社を必要としないが、家族にとっては靖国神社が俺の墓標の如き存在になるだろう。俺が英霊として崇敬されていることを確認できる場所にもなるだろう。それは俺の場合に限らないわけだが、キリスト教徒の場合にはどうであろうか。殉国の至情に燃えているその仲間のことを思えば、国に命を捧げた者のための象徴的な墓標は、靖国神社のほかにも必要ではないかと思う。日本人が過去を振り返り、未来を考えるためにも、空襲の犠牲者などをも対象にした、大きな墓標をしっかりと打ち建てるべきではないか。これを記しているうちに、俺はその実現を強く願うに至ったのだが、忠之はどう思うだろうか。  (引用おわり)


  作中の文章「これを記しているうちに、俺はその実現を強く願うに至ったのだが、忠之はどう思うだろうか」は、小説を書いているときの私自身の気持ちであった。
  このブログを読んでくださった方々は、はたしてどんな感想を抱かれるだろうか。共感してくださるにしろ、反発されるにしろ、少しでも多くのひとに読んでもらえるよう願っている。さらには、 8月10日の記事「靖国神社の英霊たちが望むところは」も併せて読んでいただきたいと思う。


 この記事を読んでくださったあなたは、如何なる感想をお持ちでしょうか。主旨に賛同していただけるなら、友人や知人の方々に、このブログの趣旨をお伝え願いたく、宜しくお願いします。


世界各地に戦勝記念碑はあっても、敗戦記念碑なるものは少ないと思われるが、未曾有の惨害と甚大な犠牲、そして、それがもたらした悲劇と悲しみを思えば、この国には巨大な追悼施設があってしかるべきではないか。その施設はあの戦争を忘れないための記念碑であり、非戦を願う祈念碑であって、不戦を誓ううえでの象徴的な施設でもあるはず。そのような施設が未だに存在しないことが、私には不思議なことに思われる。


付記


小説「造花の香り」を書くうえでの参考資料によって、特攻隊員の中には幾人ものキリスト教徒と幾人もの朝鮮人がいたことを知った。「彼等とその遺族は望んでいないにちがいない、靖国神社に祀られることを」と思った私は、小説の主人公に前記のような文章を書かせた。



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