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終戦記念日に思うこと [戦争犠牲者追悼施設]

日本の敗北によって戦争が終わったことを知ったのは、村の神社に近い畑道を歩いているときだった。畑で働いていた中年女性が、通りかかった知人に向かって声をかけた、「負けてしまったねー、戦争」と。私は昼食を終えてから出かけていたはずだが、母からも近所の人たちからも敗戦を知らされていなかった。私が国民学校2年生だった昭和20年8月で、ラジオのある家が少なかった頃である。天皇の「玉音放送」は正午に始まったようだが、それを聴いた村人はごくわずかだったと思われる。


いかにも無念そうな「負けてしまったねー、戦争」であったが、声の主は敗戦を知った直後であっても畑に出ていたことになる。いかに大きなショックを受けようと、そのために畑仕事を休むわけにはいかなかったのだろう。私の父を含めて村の男の多くが出征しており、女と子供が農作業の重要な担い手だった時代である。私がどんな目的でそこを歩いていたのか記憶にないが、敗戦を知ったその時刻は、8月15日の午後2時から5時の間だったと思われる。晴れた暑い日で、日暮れまでには時間がある時刻だった。


私がもう少し早熟であったなら、戦争に負けたことを知って動揺したかも知れないのだが、7歳だった私は格別の感慨を覚えなかった。とはいえ、畑道で耳にした「負けてしまったねー、戦争」なる声と口調は鮮明に記憶している。特攻隊のことは国民学校1年生時の担任教師から聞かされたのだが、その時の先生の表情と口調も、今なお鮮明に記憶している(注)。大人が悲壮な思いをこめて口にする言葉は、幼少の者にも強い印象を残すということである。


きょうは平成時代で最後に迎える終戦記念日であり、戦争による犠牲者の慰霊に尽くされた今の天皇にとっては、全国戦没者追悼式に臨まれる最後の式典となった。天皇の声を耳にしていると、語られる言葉の多くが官僚による作文であろうと、その声には心が込められていると感じた。安倍首相の言葉も基本的なところは官僚の作文によるのだろうが、私にはそれが空々しいものに聞こえた。安倍首相の過去から現在に至る言動と、政治に向き合うその姿勢が、私にそんな思いを抱かせる。


日本武道館で行われた式典に先だって、安倍首相は千鳥ヶ淵戦没者墓園を訪れたという。その墓園にはむろん存在意義があるわけだが、12日に投稿した記事「靖国神社に代わるべき施設について」に記したように、本来ならあってしかるべき「大きな墓標」を建立してもらいたいものである。それは、戦争犠牲者の追悼施設であるのみならず、あの戦争を忘れないための記念碑となり、非戦を願う祈念碑となり、不戦を誓ううえでの象徴的な施設となるはずである。


(注)特攻隊について
私が書いた小説「造花の香り」(本ブログの左側サイドバーに概要を掲示)のあとがきに、特攻隊の話を聞かされたときのことが記されている。昭和19年の10月で、私は国民学校の1年生だった。2015年10月16日に投稿した本ブログの記事「特攻隊要員の搭乗機を見送った日のこと」には、私が特攻隊員たちの搭乗機を見送った思い出が記されている。
             
             
             
             
             



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