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親の恩・・・・・・グライダー事故を振り返って思うこと [人生]

学生時代の一時期を、私は仙台郊外の寮で暮らした。数年前の秋、恒例になっているその寮の親睦会に参加し、数十年ぶりに先輩諸氏と再会したことがある。その際に、私と同室だった先輩のひとりから、私のグライダー事故にまつわる意外なことを聞かされた。


私がグライダー事故で重傷を負ったとの報せを受けて、父は駆けつけるようにして仙台まで来てくれたのだが、50歳でまだ若かったとはいえ、長い列車の旅に苦労したはずである。60年も昔のことで新幹線はなく、出雲からは一昼夜もの時間を要した時代であった。


うかつにも私は知らなかったのだが、仙台駅で父を迎えてくれたのが、寮で同室だったその先輩だったという。その先輩に向かって父が口にした最初の言葉は、「息子はまだ生きていますか」だったとのこと。先輩からそのことを聞かされたとき、私は父母と弟妹たちへの感謝の気持ちとともに、後悔の念をおぼえた。 


グライダー事故のことが家族の間で話題になることはなかったのだが、生前の父から一度だけ、「仙台に向かったあのとき、お前の骨を拾うことになるかも知れないと覚悟していた」と聞かされたことがある。父がどんな気持ちでその言葉を口にしたのか、まだ若かった私には慮ることができず、心配をかけたことを謝すこともなく、感謝の言葉も返さなかった。そのことを悔いる気持ちを抱きつつ、この記事を書いているところである。父はどんな気持ちで事故のことを口にしたのだろうか。霊能者を介して聞くことはできるだろうが(注1)、そんなことをしなくても、おそらくは20年以内にあの世で再会し、聞くことができるはずである。そのときは、諸々の思いをこめて、感謝の言葉を伝えたいと思う。


おそらくほとんどの人が、「親の恩」なる言葉を読んだり、聞かされたりしたはずである。読んだり耳にしたりした「親の恩」を、私は言葉の上ではすなおに受け入れていたのだが、むしろそれゆえに、そのことを深く考えようとはしなかった、という気がする。そうであろうと、人の心の内を慮る能力があれば良かったのだが、私にはそれが不足していたようである。


少年時代から小説に親しみ、登場人物たちの心境に思いを寄せる習慣を身につけていたなら、もう少しましな対応ができただろうか。今は小説を読むだけでなく自分でも書き(本ブログの左側サイドバーに概要を表示)、テレビではドラマも見るのだが、昔の私は理系の事象に対する興味が強く、小説などはさほどに読まなかった。小学生時代の私は成績劣等生だったにも拘わらず(注2)、電気に対して強い興味を抱き、ラジオや自動木琴演奏装置などに夢中になる少年だった。小説を読むことがあっても、登場人物たちの心境に思いを寄せる度合いは軽かったように思える。


父や母の恩を強く意識するようになったのは、小説を書くようになったからというより、やはり年齢によるものであろう。若くしてその域にある人もあろうが、未熟な私はそうではなかったということになる。難解な電気の参考書を読むかわりに、文系の書物に親しんでいたなら、あるいは、人の生き方について示唆を受ける縁に恵まれていたなら、若くして真の意味での親の恩を意識できたのかも知れない。


この記事を書いているうちに、「この記事がどこかの誰かに役立ってほしい」と願う気持ちになった。もしかすると、これもまた年齢のせいかも知れないのだが。



(注1)体験を通して霊魂の実在を識ることになった私は、霊に関する記事を幾度も投稿している。その幾つかを列挙しておく。



 霊魂の実在を信じない人たち(武本昌三氏のホームページ「ともしび」より)(2017年5月3日)




 (注2)小学生時代の私自身について、本ブログに幾度も記事を投稿している。その幾つかを、「教育カテゴリー」に投稿した記事と併せて以下に列挙しておく。





 理系人間と文系人間2016年7月27日)








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