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感電事故からの生還・・・・・・教師やコーチの思い込みが招く事故 [雑感]

小学校6年生の頃、感電事故によって危うく命を失いそうになったことがある。2015年7月6日の投稿記事「電気は怖い・・・・・・感電事故の体験」は、その体験を書いたものである。「教師やコーチの思い込みが、ときには人の命を奪う可能性がある」例として、5年前に投稿したその記事を再掲することにした。

                                                   


「電気は怖い・・・・・・感電事故の体験(2015.7.6)」を再掲


 私はかつて感電事故を起こして、危ういところで助かったという経験がある。小学校6年生の頃であった。何のためであったのか、私は屋根の上にいて、目の前の2本の電線をくぐろうとしていた。左の手で電線を握り、続いて右手で電線に触れたとたんに強い電撃に襲われ、身体を自由に動かすことができなくなった。電柱と家を結ぶ電線は、被覆がすっかり劣化しており、芯線が露出していたのである。
 私は必死になって指を開こうとしたが、筋肉がけいれんして開くことができなかった。助けを求めて声を出そうにも、声は震えて言葉にならず、振り絞るような音を出せただけだった。
 その状態が数秒間ほど続いたであろうか、いきなり手が離れて身体が落ち、瓦の上に尻餅をついた。痛む左手を見ると、3本の指にえぐられたような傷があり、血が滲んでいた。
 左手で握っていた電線の位置が、右手側の電線よりも30cm以上も高かったため、ぶらさがった私の全体重が左手の指にかかり、開けなかった手を開かせたのだった。電線の位置がもう少し低くて身体がぶらさがらなかったなら、そして、左右の電線にかなりの高低差がなかったならば、私は助からなかったはずである。感電中の私の心臓は心室細動により、機能を完全に停止していたはずだから。
 不幸中の幸いと言える形で生還できた私は、70年に近い歳月を経たのちに、このような文章を綴ることになった。
                                                   


 その事故に遭う以前に、私はすでに感電を体験していた。
 4年生だった頃であろうか、私は理科クラブに入っていた。ある日のこと、担当教師は10名ほどの部員を宿直室につれて行き、全員に手をつなぐよう指示した。何が始まるのだろうと思っていると、その先生は電球をはずしながら、「電灯をともすための電気は100ボルトだから、感電しても危ないことはない。いい機会だから皆に感電を体験させてやる」と言い、先頭の生徒に指示して指をソケットに入れさせた。当然ながら、手をつないでいた私たち全員が、感電による異様な感覚を味わうことになった。
 理科クラブの私たちは、そのようにして感電を体験させられたわけだが、そのときの「100ボルトなら感電しても危険はない」という先生の言葉が、私の命を危機に追い込んだのだった。電線の下を通ろうとして片手で電線をにぎったとき、私はすでに感電していたのだが、100ボルトに危険はないと思い込んでいたので、もう片方の手を別の電線に伸ばしたのだった。身体に電流が流れる最も危険な状況であり、随意筋のみならず心臓もけいれんし、心臓としての機能を失うことになる。
 100ボルトどころか、たとえ十ボルトであろうと、状況によっては命を奪われることになる。電気に関わる安全教育は、小学生に対しても必要と思うが、正しい知識に基づくものでなければ、その教育は無になるだけでなく、生徒を危険にさらす可能性すらある。学校の先生が果たす役割は多々あるわけだが、恩師として慕われるのには、それなりの理由があってのこと。先生にはいつまでも、恩師であっていただきたいものである。(再掲おわり)


学校の体育の時間や運動部の部活で事故が発生するたびに、新聞やテレビで報道され、問題点が指摘されてきた。それでもなお、痛ましい事故が繰り返されている。指導者やコーチの思い込みや浅はかな考え方により、防げたはずの事故が防げなかったなら、その責を厳しく問うべきである。


私の感電事故も部活に起因したものだが、スポーツではなく理科教育に関わるものである。思い込みや浅はかな知識、あるいはゆだんによって引き起こされる事故は、教育の分野にかぎらない。私が事故を起こすとすれば、家庭内での事故(企業に勤務していた頃の先輩のひとりは、庭作業中に脚立から落ちたとのこと。私も脚立ごと倒れたことがある。)か自動車事故であろう。年齢を自覚しつつ自戒しなければと思う。



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