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「宮城まりこについて書かれた武本昌三氏による記事」を再掲 [人生]

本ブログで幾度も紹介した記事に、武本昌三氏(元大学教授)のホームページ「ともしび」の記事がある。その中に「宮城まりこ」について書かれたものがあった。そのことを思い出して読み返してみたら、ここに再掲したくなった。2020年3月30に投稿した「宮城まりこについて書かれた武本昌三氏による記事」である。
                                         
「宮城まりこについて書かれた武本昌三氏による記事(2020.3.30)」の再掲
                                          
武本昌三氏のホームページ「ともしび」の記事「肢体不自由児たちの教育について考える」を紹介


 肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を設立した宮城まり子さんが、先日、悪性リンパ腫のために亡くなった。彼女は1927年3月21日生まれだが、亡くなった日は彼女の93歳の誕生日でもあった。この宮城まり子さんを偲んで、元中学校教員の藤原孝弘氏が、朝日新聞の「声」欄(2020.03.27)に、「教育とは まり子さんに教わった」と題する一文を寄せている。そのなかで氏は、こう書いている。


 《40年ほど前、教員を志していた学生時代、ゼミの仲間とねむの木学園に見学に行った。まり子さんの音楽の授業はすさまじいものだった。
 障害のある身体のリハビリも兼ねて、楽器をたたかせたり、踊らせたりしようとまり子さんがリードするのだが、全身から「あなたたちはそのままで素晴らしい」「私はあなたたちを心の底から愛している」という思いがほとばしる。その心に応えて生徒さんたちが動かない身体を必死に動かそうとする。少しでも出来ると、全身で喜びを爆発させる。
 見ていた僕らは泣けて泣けて仕方がなかった。人が人を信じ、愛することのすごさと、それは必ず相手に伝わるという絶対の信頼とを教えて頂いたのだと思う・・・・・・》

 肢体不自由の教え子たちを愛し信じ切っているまり子さんの姿勢、すさまじい音楽の授業、少しでも出来ると全身で喜びを爆発させている子どもたち、そして、それを見て、人が人を信じ愛することのすごさに、「泣けて泣けて仕方がなかった」という見学者たち、――教育とは何か、そして特に、肢体不自由児たちにはどう向き合うべきかという人間のあり方の原点を深く考えさせられるような一場面である。
     


 私も、この藤原氏と同じように、40年ほど前、「泣けて泣けて仕方がなかった」体験をしたことがある。札幌駅前のデパートの会場で肢体不自由児たちの絵の展覧会を見た時のことであった。何気なくふと入った展覧会場であったが、画用紙の上に鮮やかな原色で力いっぱいに描き出されている絵の一枚一枚を見ているうちに、涙が止めどもなく流れ出してきた。自分でも意外であった。まわりの人々のなかでは恥ずかしい気持ちもあって、一度絵の前から離れて少し気を落ち着かせてからまた絵を見始めたのだが、どういうものかすぐに涙がはらはらと落ちてしまう。一枚一枚の絵から生命が躍動する強力な磁力が迫ってくるようで、それに圧倒されて、感動というよりもただ涙だけが流れ出るのである。

 私は、それまで、国内だけではなく、アメリカやヨーロッパのいろいろな美術館で数多くの名画にも接していたが、感動することはあっても、涙を流したことは一度もなかった。この投書の「泣けて泣けて仕方がなかった」というのを読んで、そのことを改めて思い出した。肢体不自由児たちは、肢体の一部に不自由があるかもしれないが、人の本性である魂はあくまでも健全・無瑕疵で、決して不自由ではない。奮い立てば奇跡のような才能も発揮する。あの絵を描いた肢体不自由児たちも、おそらく、宮城まり子さんのように、「あなたたちはそのままで素晴らしい」「私はあなたたちを心の底から愛している」という愛の人たちに囲まれていたのであろう。だからこそ、あの子たちは、むしろ「肢体自由児」以上に、のびのびと力強く、純粋無垢な命の輝きを画用紙の上に散りばめることが出来たのではなかったかと、いまの私は、当時の体験を振り返っている。


できることなら「ともしび」を訪れ、高邁とも呼べる多くの記事に眼を通してもらいたいものである。 (再掲おわり)

                                                   


私が記憶している宮城まりこは、昔のラジオ番組で「毒消しやいらんかね」を歌っていた歌手である。調べてみたら、NHKの紅白歌合戦に8回も出演した歌手であり、女優であって監督でもあったという。そしてなにより、あの「ねむの木学園の宮城まりこ」であった。

                                                   


Wikipediaの「宮城まりこ」には<上皇明仁・上皇后美智子とは皇太子・皇太子妃時代から40年の親交があり、両者は度々ねむの木学園やねむの木学園の美術展を訪問して宮城まり子と対面し、非常に懇意だった。>なる文章がある。明仁上皇と美智子上皇后に対して、あらためて敬意を覚える次第である。


 







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