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戦争犠牲者の慰霊碑がない日本という国 [政治および社会]

鳥取地震として知られる大地震は、戦争中の昭和18年9月10日に発生した。多くの死者と大きな損害を被りながら、慰霊碑も記念碑も存在しないままに80年が過ぎようとしている。それを憂えた鳥取の市民有志が、慰霊碑の建立を目指して活動し始めたという。

                                                                                                                                                 


大震災や原爆災害など、多大な犠牲者をだした災害では、犠牲者のための慰霊碑が建立されている。そうでありながら、あの戦争による犠牲者のための国立慰霊碑は存在しない。  

                                                                                                                                                


最も必要とされる慰霊碑が存在しないことが、私にはじつに不思議なことに思えるのだが、国民の多くは疑問に思っていないようである。とはいえ、国立の慰霊碑がないことに、以前の私もさほどに疑問を抱かなかった。疑問を抱くようになったのは、小説「造花の香り」(左のサイドバーにて概要を紹介)を書いてからである。少し長いが、「造花の香り」の文章をここに引用する。特攻隊の出撃基地で待機中の主人公が、親友に書き遺す文章の一部である。

                                         


・・・・・・・・・・・・俺の隊にはキリスト教徒がいるのだが、その仲間ですら言うのだ。自分は靖国神社に祀られるつもりは全くないが、出撃に際しては靖国で会おうという言葉を口にするかも知れない。かく言う俺自身の気持を言えば、その言葉を残して出撃することになろうと、神社に留まるつもりは少しもない。神社の中に閉じこもっているより、俺の家族とお前や千鶴の気持にいつでも応えられるよう、宇宙の中で自由に羽ばたいていたいと思う。俺自身は靖国神社を必要としないが、家族にとっては靖国神社が俺の墓標の如き存在になるだろう。俺が英霊として崇敬されていることを確認できる場所にもなるだろう。それは俺の場合に限らないわけだが、キリスト教徒の場合にはどうであろうか。殉国の至情に燃えているその仲間のことを思えば、国に命を捧げた者のための象徴的な墓標は、靖国神社のほかにも必要ではないかと思う。日本人が過去を振り返り、未来を考えるためにも、空襲の犠牲者などをも対象にした、大きな墓標をしっかりと打ち建てるべきではないか。これを記しているうちに、俺はその実現を強く願うに至ったのだが、忠之はどう思うだろうか。                                          

                                         


というわけで、幾度も本ブログで書いてきたのが、次に列挙するような記事である。

 

                                        


                                          


                                          

                                          









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