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特攻隊員たちの笑顔に思う [特攻隊]

8月24日の朝日新聞夕刊に、「戦火の下それでも笑った」なる記事が掲載された。切り抜いておいたその記事には、出撃30分前に撮られたという特攻隊員たちの写真が載っている。8人の隊員たち全員が、にこやかな笑顔を見せている。悲壮感など微塵も感じさせない笑顔である。
                                                   
その写真にはつぎのような説明がつけられている。
                                                   
米軍が沖縄に上陸し、爆弾を積んだ戦闘機で敵艦に体当たりする「特攻」が拡大する中、8人の特攻隊員が出撃する30分前に記念写真におさまった。知覧特攻基地(鹿児島県)で撮影した本社写真部員は、隊員(左から2人目)に「御両親様 昭和二十年五月十八日十九時二十分頃 沖縄島周辺にて戦死す。十四時三十分出発前書す」と紙切れに走り書きされた「遺書」を託されたという。
                                                   
国民の戦意高揚が叫ばれていた戦争末期、出撃に際して見せる特攻隊員たちの笑顔も、戦意高揚に利用されたのだろう。敗色濃厚だったその頃は、「一億総特攻」「本土決戦」などと、狂気とも呼べる言葉が呼号されていた。異常な心理状況にあったその頃、国民のかなりが、特攻隊員たちの笑顔を真に受けたのではなかろうか。
                                                   
戦後に刊行された学徒兵たちの遺稿や、生き残った特攻隊員たちの著作を読んで、特攻隊員たちが遺した写真の笑顔は、遺される家族たち愛する者に見せるための笑顔だったのではないか、と思った。そのことを書いたのが、2021年1月17日に投稿した記事「特攻隊員の心情」と、2021年2月20日の投稿記事「特攻隊員穴沢利夫少尉の笑顔」である。
                                         
「特攻隊員の心情(2021.1.17)」には次のような文章を印した。
                                                   
特攻隊員たちが遺した手紙や遺書には、「名誉ある特攻隊員に選ばれたことを喜んでいる」「祖国を救うために悠久の大義に生きることにしたゆえ、悲しまないでくれ」など、遺族の悲しみを和らげるための言葉がならんでいる。角田和男著「修羅の翼」には、出撃前夜の宿舎で苦悩する姿を見せていた特攻隊員たちが、次の日は、明るい笑顔を見せながら出撃したと記されている。その笑顔は報道カメラマンによって写真に残され、遺族たちも眼にすることになった。その笑顔は、見送る戦友たちだけでなく、遺してゆく愛する者たちへも向けられていたのではなかろうか、「自分は死の恐怖におびえることなく、祖国を救うために、名誉ある使命を果たすべく出撃する。悲しまないでくれ」と。
                                                   
戦争の記憶が遠くなった今でも、特攻隊に関わる記事が新聞に掲載される。終戦記念日には武道館にて、全国戦没者追悼式が挙行される。数十年先にははたしてどうであろうか。いつの日か、国による追悼式が行われなくなる時代が訪れるだろう。憲法が平和憲法でなくなるときが到来するかもしれない。そのような日に備えて、反戦平和を祈念する象徴的な施設を建立すべきではないか。これまでに幾度も、そのような思いで投稿した記事がある。次に列挙するのはその幾つかである。

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