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不適切語が多用されていた数十年前の日本 [政治および社会]

大ベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」の中に、「小使いさん」なる言葉がある。今で言う学校用務員のことである。わたしの小学生時代にもそう呼ばれる人がいて、様々な用務をこなしていた。学校の運用に不可欠な存在ゆえに、立派な職業と言うべきだが、今になって思えば、実に不思議な呼称であった。
                                                   
個人の家庭に雇われて家事などに携わる人は「お手伝いさん」と呼ばれているが、私が幼少期を過ごした戦前には、下女あるいは下男と呼ばれていた可能性がある。漱石の小説の幾つかにも、その言葉があったように記憶しているから、下男や下女なる言葉は昔から使われていたのであろう。わづか70年あまり以前にはごく当たり前に受け入れられていたその言葉が、今の日本では忌避される言葉になっている。
                                                   
数十年前と今では考え方や受け止め方が大きく異なる事例が極めて多い。ここまで書いたらいくつかの書物のことが思い出された。高橋佳子という方が著された書物(たとえば「人生を取り戻す」「二つの扉」「ゴールデンパス」「自分を知る力」など)には、「三つのち」なる言葉が記されており、それが人の人生に決定的とも言えるほどに大きく関わっているという。「三つのち」とは、「血・・・・・・両親や家族から流れ込む価値観や生き方」「地・・・・・・地域や業界から流れ込む前提や習慣」「知・・・・・・時代から流れ込む常識や価値観」である。関連する書物を読めば、その深甚たる意味が理解できるのだが、上記の短い説明だけでもその概要は理解できるはずである。
                                                  
時代が変わって「知・・・・・・時代から流れ込む常識や価値観」が変わり、多くの言葉が不適切語になった。わずか数十年で「小使いさん」も「下女や下男」もなくなったのだから、これからも多くの事柄に対する価値観が変わって行くにちがいない。この国の政治も良い方向に変わってほしいものだが、正道をはずれた自民党が未だに支持され続けている。私には実に不思議なことに思えるのだが。


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