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海外旅行に憧れるわけ [雑感]

長期の連休が近付くたびに、新聞には海外旅行に関わる記事が目立つようになる。多額の費用を必要としながらも、多くの人が外国の景色や風物などを見聞したいと願い、出かけて行く。
                                                                                                                                               
ここまで書いて思い出したことがある。学生時代に暮らしていた寮で行われた寮祭で、私も歌を唄うことになった。そのとき私が唄ったのは、文部省唱歌の「海」だった。その1番の歌詞は〈海は広いな大きいな 月が昇るし日は沈む〉なのだが、私が唄ったのは2番の歌詞〈海にお船を浮かばせて 行ってみたいなよその国〉だった。自分にとって未知の外国を見たいという気持ちがあったからである。
                                                   
私は4回ほど海外に出かけているが、1回の旅行で数カ国を見たということもあり、訪れた外国は7カ国である。連休で海外旅行がテレビのニュースで報じられたときなどに、妻とこんな会話を交わしたことがある。「いくつかの国を見てくると、外国の様子をおおよそ知ったような気持ちになるから、海外へ出かけたいとはさほどには思わなくなった」
                                                   
私も妻の感想に同意したのだが、「さらに出かけるならばアフリカだな」と言った。そして続けた。「テレビでアフリカの光景を見る機会が多いから、アフリカには何度も行った事があったような気がするけれども」
                                                   
最近の大画面テレビは画質も勝れており、65インチテレビであっても、2m程度まで近付いて観ることができる。広大な山岳の景観。海外各地の観光地。アフリカの砂漠やサバンナの景観。いずれもテレビで幾度となく見てきた。臨場感に富んだその画面を、私も家族も大いに満足しつつ見ている。アフリカを訪れてサバンナを見たなら、すでに見慣れた場所を再訪したように感じることだろう。実際に訪れて見たい気持ちがなくはないが、大画面テレビを見るようになってからは、そんな気持ちが薄らいでいるのは確かである。
                                                   
人が海外旅行に憧れる主な理由は、好奇心があるからではなかろうか。テレビで外国の景観に接するうちに、それは見慣れたものになり、未知なものではなくなり、好奇心の対象ではなくなる。その結果、私と妻は先に記したような会話を交わしたのであろう。
                                                   
ノイシュバンシュタインの城内を歩けば、写真や映像を見る場合とは異なる感情になるし、ルーブル美術館でモナリザの絵やミロのビーナスの彫像を見れば、実物を見たという思いを抱くわけだが、すでに見慣れたものに再会しているように感じることも事実である。
                                          
このような文章を書いたけれども、私には未知の外国を見たいという気持が少しは残っている。私の好奇心はまだ健在ということであろうか。それはそれとして、多くの好奇心を満足させてくれるテレビに、私は大いに感謝している。


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