SSブログ

「もう歳だから」と愚痴る人には充実した余生の可能性がある [人生]

かなり以前のことですが、会社の先輩のひとりが「俺はもう歳だから」と言って私を驚かせました。私の一年先輩であり、そのときはまだ40歳になっていませんでしたが、物を置き忘れることが多くなったことなど、ずいぶん気にしていたようです。そのような先輩でしたが、それからの三十年余りを順調に過ごしました。
  年齢にともなう衰えを意識する人がいる一方で、世間的には老年と呼ばれる年代にありながら、「どういうわけか、歳をとったと言う気がしない」と言う人がいます。
百二歳で亡くなった妻の母親もそのひとりで、90歳に近くなっても口にしていたとのことです。「そんな歳寄じみたことはしたくない」
  私の母からその言葉を聞いたことはありませんが、80歳までは歳をとったという自覚がなかったように見えます。百歳を越えた今では、さすがに老いを強く意識しているようです。
  柴田トヨさんをご存じの方も多いでしょう。90代で詩作を始め、百歳ちかくになって出版した詩集「くじけないで」がベストセラーとなり、続いて出された「百歳」もベストセラーになりました。
私自身について言いますと、これからやってみたいことがありますので、そういう意味では歳寄だとは思っておりません。このブログにしてもまだ始めたばかりだし、新しい小説も書いてみたいし、父の歌集を作りたいし、新しいスピーカーも作ってみたいし・・・。
  もしかすると、年齢のわりに老いを自覚しない人は、やってみたいことを抱えているからではなかろうか。そして、いつまでも新しいことにチャレンジしたい気持ちがあるのは、好奇心と係わりがあるのではないか。この文章を綴っているうちに、そのような気がしてきたので、この次には好奇心についての記事を投稿することにします。
  このような文章を綴りましたが、「もう歳だから」と愚痴る人に対して、私は批判的な感情を抱いているわけではありません。もしかすると、そのような人は年齢を意識することにより、無駄に日を送らぬように気をくばりつつ、人生を充実すべく努めるかも知れません。その結果、まだ若いつもりで安易に日々を過ごす人よりも、好ましい余生を過ごす結果になりそうな気がします。最初に紹介した私の先輩は亡くなりましたが、良い人生だったという言葉を遺されたそうです。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0