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好奇心は人生を豊にする(パラグライダーのことなど私の体験) [人生]

 犬や猫を見ていると、思いの外に好奇心が強いことがわかります。犬や猫にも知的好奇心があるのでしょうか。それとも、生きるうえでの必要な能力のひとつが好奇心でしょうか。
  人間には強い好奇心があるとはいえ、その程度は人それぞれのようです。長じてから聞かされたのですが、幼い頃の私は玩具を壊す達人だったようで、動く玩具は数日の間に壊したとのこと。そのことを幾度も聞かされたことで、私の好奇心が強いのは幼児の頃からだったのだと知りました。中学生の頃に年上の従兄から聞かされたことがあります。「お前がまだ小さかったとき、俺のハーモニカを壊したことがある。どうして音がでるのか知りたかったらしく、ハーモニカをいじって壊してしまった」
  幼い頃の私は、動く玩具や音の出る玩具に強い関心を抱いたようですが、それは私に限ったことではなく、幼児が強い好奇心を示すのは一般的なことではないでしょうか。私のそんな幼児時代が話題になったのは、玩具を壊してもそれを禁止されなかったために、同じようなことが繰り返されたことで、周囲の者の印象に残ったということでしょう。もしかすると、私の好奇心がいまなお強いのは、玩具を壊しても叱られなかったために、本来の好奇心が損なわれないまま成長したせいかも知れない。そうであるなら、子供が好奇心に駆られてなした失敗は、大目に見てやったほうがよいと思う。その失敗をとがめられたり、そのような行為を禁止されたりしたら、好奇心にかぎらず才能の芽が伸びなくなるのではなかろうか。心理学に疎い私の素人的な考え方かも知れませんが、私にはそのように思えます。
  私は好奇心の強さで得をすることはあっても、それによって損をしたという記憶はなく、不都合なこともおこりませんでした。興味を惹かれるままに様々な書物に眼を通してきたし、中学生時代にはラジオの独学に挑戦し、その続きのようにして大学は工学部に入ったし、空を飛んで見たくてグライダーにも乗ったし、パラグライダーを試してもみた。パラグライダーを体験したのは50代に入ってからのことです。(付記参照)
 列記したことの全てが好奇心によるものとは断言できないものの、私にとってはそれに近い心の作用だという気がします。 私の知人のひとりは80代でありながら、電気に関わる発明にいそしんでおられます。業績を積んだ過去の仕事とは関わりの無いその対象に、好奇心に駆られるままに取り組んでおられるのでしょうか。かく申す私にしても、電気の分野に係わる好奇心は今なお旺盛ながら、今のところは新規なことにチャレンジしておりません。好奇心とは係わりがなさそうですが、これからも小説は書きたいと思っています。
  9月28日の記事「『もう歳だから』と愚痴りながらも、充実した人生を送る人」の中で、 「 もしかすると、年齢のわりに老いを自覚しない人は、やってみたいことを抱えているからではなかろうか。そして、いつまでも新しいことにチャレンジしたい気持ちがあるのは、好奇心と係わりがあるのではないか」と書きました。その記事で紹介した詩人の柴田トヨさんは、平成25年に101歳で亡くなられたが、この方が詩を作り始めたのは92歳のとき。98歳で第一詩集「くじけないで」を、そして100歳では第二詩集「百歳」を出版し、いずれもベストセラーになりました。息子さんから勧められて始めたとのことですが、90代での詩作開始はそれだけが動機になったとは思えません。そのようなチャレンジを後押ししたのは、好奇心に通ずる心の働きではなかったろうか。
先ほどは、幼児期での経験が好奇心の強さに影響するのではないかと書きましたが、これは単に私の推論に過ぎません。成長するにともなって好奇心が弱くなるひともあれば、成人後に好奇心が増大する人もあるでしょう。好奇心は気持ちの有りようの一部ですから、人生経験によって変化するのは当然かも知れませんが、年齢を重ねても好奇心を持ち続けたいものです。
好奇心がもとになって失敗することがあっても、失敗の原因は好奇心ではなく、浅慮な判断にあると言えます。良い意味での好奇心は人生に楽しみと生きがいをもたらすと思います。このブログを読んでくださったあなたが若い方であれば、お近くの高齢者の方にお奨めいただきたい。「まだまだやれることがいくらでもありますよ。せっかくの人生を楽しみましょうよ」


付記 1  パラグライダーの体験  
  名古屋に来てから数年後、パラグライダーを体験させてくれる「パラグライダー教室」があると知り、まだ50代だった私は申し込んでみました。
当日の集合場所に出向いてみると、意外なことに参加者の多くは若い女性であり、40歳以上と思われる参加者は50代の私だけでした。
  練習場となる岐阜県のスキー場は風がやや強かったのですが、向かい風であったためでしょう、飛ぶことになりました。
  数人が飛んでから私の番がきましたので、教えられるままにパラグライダーを装着し、風に抗って坂を走りくだると、どうにか離陸することができました。身体と地面の間に何もないためなのか、数メートルの高さがずいぶん高いものに感じられ、それ以上に高度をあげることに不安を覚えました。そのために、わずか数メートルの高さで斜面にそって飛び、さほどに距離を飛ばないままに着陸することになりました。それを数回繰り返して体験飛行は終ったのですが、「あのとき勇気を出してもっと高く飛べばよかった」という思いが残りました。とはいえ、今になって申し込んでも、年齢を理由に断られるかも知れません。高い空を自由に飛び回ることができたなら、さぞかし愉快で快適なことだろう。機会があれば飛んでみたい気持ちは今もあります。

付記 2  好奇心によって受けた負の体験
  好奇心が強いことで得をしたことがあっても損をしたことはないと書きましたが、書き終えてから思い出したことがあります。そのひとつは、7月6日の記事「電気は怖い……感電事故の体験」に書いた感電事故です。そこに記したように、私は小学生時代に感電して死にかけたことがあります。自宅の屋根の上で電線の下をくぐろうとしたとき、学校で体験させられた独特の電撃感(7月6日の記事に状況が記されています)を思い出し、もう一度それを確かめてみたくなりました。100ボルトには危険がないとの誤った教えを真に受けていた私は、故意に電線をにぎって電撃をたしかめた後、もう一方の電線にも手を伸ばしたのでした。
  好奇心に関わるもう一つの負の体験は、学生時代のグライダー事故です。空を飛びたい気持ちに押されて航空部にはいったのですが、事故によって退部する結果になりました。数時間も意識不明となっただけでなく、逆行性健忘症によって事故に至るまでの記憶が数時間ほど消えました。その経緯がどうであれ、好奇心による負の体験と言えるでしょう。

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