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浅田真央や羽生結弦もミスをすることがある……ピアニストのミスタッチも大目に見よう [音楽およびオーディオ]

   ピアニストとして活躍している日本人に、若い辻井伸行や高齢のフジ子・ヘミングがいる。
このふたりに共通しているのは、デビューに至るまでの経緯があるにせよ、多くのファンがいることである。             
  そのようなフジ子・ヘミングだが、ネットの世界ではミスタッチが多いと執拗に指摘されている。演奏家のそのようなミスを責める人たちは、どんな気持ちで音楽を聴いているのだろうか。私はフジ子・ヘミングに好意的とはいえファンではないが、その演奏に対して不満はない。意識を集中して聴いていないためなのか、耳が良くないためなのか、ミスタッチのことなど全く気にしないで、ショパンの曲やチャイコフスキーの協奏曲などを聴くことができる。チャイコフスキーのピアノ協奏曲はライブ録音だから、録音に際して録り直しはしていないはずである。
   フジ子・ヘミングへの不満を記した中に、「ラ・カンパネラのテンポが遅くて聴くに耐えないのは、フジ子・ヘミングには速く弾く能力がないからだ」なる文章があった。私には納得できない文章である。指揮者によって交響曲などの演奏時間に差があるように、リストが作成した楽譜にどんな速度が指示されていようが、演奏者の解釈には幅があってもよいはずではないか。演奏者ごとに解釈の相違があってこそ、聴く者には楽しみが増すのではないか。私はフジ子・ヘミングのラ・カンパネラを聴いて、もっと速く弾いてほしいと思ったことはない。
   辻井伸行に対しても、たくさんの賞賛の言葉がある一方で、批判的な言葉が幾つもある。そのような言葉を読んで、私はフジ子・ヘミングの場合同様に違和感を覚えた。その演奏が気に入らないというのであれば、それ以降は聴かなければよいだけのことである。演奏家の欠点をあげつらうことは、その演奏を好むひとの感性を否定し、貶めることでもある。ネットの世界でそのような言葉を公表することに、どんな意義と目的があるのだろうか。
数十年も昔のことだが、ある作曲家がテレビの番組で、「歌謡曲を音楽と呼ぶのはおこがましい」といった主旨の発言をした。音楽に深く携わるひとたちには、私のような素人とは異なる感性の持ち主もあろうが、私はその言葉に違和感を覚えた。様々な音楽を聴く私には、演歌の中にも気に入ったものがある。演歌もジャズもクラシックも、さらには、シンセサイザー曲やタンゴや映画音楽も、私にとっては音楽である。音楽に対する感性はひとそれぞれであり、演奏家に対する好みもひとそれぞれのはずである。

  天才的な演奏家やスポーツ選手であろうと、ときにはミスをおかすであろう。フィギュアスケートの浅田真央や羽生弓弦ですら、ジャンプで幾度も転倒することがある。そのようなミスをしたときであっても、彼らは見ている者に感動をもたらす。音楽の演奏においても同様に、ささやかなミスに気をとられることなく、その楽曲に耳を傾ければよいのだ、と私は思う。コンサートの聴衆は審査員ではないのだから、おおらかな気持ちで聴けばよいではないか。聴衆とともに演奏家自身が楽しめるような雰囲気があってこそ、理想的な演奏会になると思うのだが。
 
フジ子・ヘミングに関わる記事が眼についたので、興味を抱いて読んでみたところ、演奏技術に稚拙なところがあると記されていた。それではというわけで、フジ子・ヘミングや辻井伸行のネット世界での評判を調べてみると、私には不思議に思える記事がたくさんあった。そのことが今日の記事を書かせるに至った。



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