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パラグライダー……空を飛ぶことへの憧れと私の体験 [雑感]

  日本には羽衣伝説があります。敦煌の莫高窟には数多くの飛天が描かれており、日本でも法隆寺金堂の壁画など、いくつもの寺院に飛天が描かれてきました。
   太古から人類は飛ぶ鳥に憧れ、大空を飛翔することを夢見たことでしょう。レオナルド・ダビンチが残したスケッチには、ハンググライダーやヘリコプターを想わせるものがあり、それには簡単な説明が添えられているようです。
   江戸時代の1785年に、飛行にチャレンジした日本人がいました。幸吉という備前の国の表具師で、その事績が書き残されています。以下に引用するのは、幸吉に関するWikipediaの記事の一部です。

Wikipediaより引用
……幸吉は空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを熱心に研究した。「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出す。それを人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけた。
   表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作した。試作を繰り返し1785年(天明5年)夏、旭川に架かる京橋の欄干から飛び上がった。風に乗って数メートル滑空したとも、直ぐに落下したとも言われる。河原で夕涼みをしていた町民の騒ぎとなり、即座に岡山藩士によって取り押さえられた。時の藩主池田治政により岡山所払いとされた。この出来事は同時代の漢詩人菅茶山の著書『筆のすさび』にも言及されている。
  ……1997年(平成9年)(没後150年余り?)には旧岡山藩主池田家当主の池田隆政より、幸吉の岡山所払いが許されている。(引用終わり)

   幸吉の好奇心とチャレンジ精神は愛でられるどころか、その行為によって処罰されたとのこと。時代の空気に染められた、いわば強く洗脳された状態のもとでは、それが正当な判断だったということでしょう。幸吉の行為が褒められ、周りからの協力がなされていたなら、ジョージ・ケイリーの研究に60年以上も先駆けて、飛行装置を実現できたかも知れません。

   ライト兄弟によるエンジンつき飛行機の実験が成功する以前に、英国のジョージ・ケイリーやドイツのオットー・リリエンタールがハンググライダーに似たものを作り、飛行実験を繰り返していました。飛ぶことに執念を燃やしていたのでは、と思えるほどの取り組み方です。
   飛行機に乗りさえすれば幾らでも飛べる現代であっても、鳥のように飛びたいとの気持ちを抱く人は多い。そのような想いがハンググライダーやパラグライダーを生み出し、多くのひとが空を飛ぶ、今のような時代をもたらしたのでしょう。
   私も空を飛びたいと想ったひとりです。私が学んだ大学には航空部があったので、けがをして退部するまでそこに所属していました。
   転職して名古屋に移ってから数年が経った頃、書店で手にした雑誌にパラグライダー教室のことが出ており、体験飛行もできるとありました。そのパラグライダー教室は名古屋市にあったので、私はすぐに電話をかけて、体験飛行を申し込みました。
   そのようにして、私はパラグライダーを体験することになりました。昨年の10月1日の記事「好奇心は人生を豊にする(パラグライダーのことなど私の体験)」に、そのときの様子を付記として記しましたので、その部分を以下に引用してみます。

2015年10月1日の記事「好奇心は人生を豊にする(パラグライダーのことなど私の体験)」の付記より引用
  名古屋に来てから数年後、パラグライダーを体験させてくれる「パラグライダー教室」があると知り、まだ50代だった私は申し込んでみました。
当日の集合場所に出向いてみると、意外なことに参加者の多くは若い女性であり、40歳以上と思われる参加者は50代の私だけでした。
  練習場となる岐阜県のスキー場は風がやや強かったのですが、向かい風であったためでしょう、飛ぶことになりました。
  数人が飛んでから私の番がきましたので、教えられるままにパラグライダーを装着し、風に抗って坂を走りくだると、どうにか離陸することができました。身体と地面の間に何もないためなのか、数メートルの高さがずいぶん高いものに感じられ、それ以上に高度をあげることに不安を覚えました。そのために、わずか数メートルの高さで斜面にそって飛び、さほどに距離を飛ばないままに着陸することになりました。それを数回繰り返して体験飛行は終ったのですが、「あのとき勇気を出してもっと高く飛べばよかった」という思いが残りました。とはいえ、今になって申し込んでも、年齢を理由に断られるかも知れません。高い空を自由に飛び回ることができたなら、さぞかし愉快で快適なことだろう。機会があれば飛んでみたい気持ちは今もあります。 (引用終わり)

   まだ若かった頃にパラグライダーがあったなら、私はそれに夢中になったかも知れない。このような文章を記していると、パラグライダーで飛んでみたくなります。
   自分と地面の間に何も無い場合には、100メートル程度の高さから見下ろしても、それより遙かに高い所に居るように感じられます。まさに鳥になった気分で、日常を離れた感覚を味わうことができるはずです。今日の記事を読んでくださった方にお勧めしたいところですが、全く危険がないとは言い切れません。それでも飛んでみたいという方は、近くのパラグライダースクールなどに相談されたらよいでしょう。体験飛行で飛ぶ程度であれば、危険なことは全くないと思います。


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