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理系人間は頭が良いと思うのは勘違い [教育]

ある雨の日に、文系の教授を助手席に乗せて走ったことがある。信号が青になって走りはじめたとき、その先生曰く「面白いものですね、走り始めると同時に雨脚が強くなる」

雨粒は地面に向かって動いているわけだが、空間にある雨滴の密度(1立方メートル内の雨滴の数)はどこをとってもほぼ同じである。フロントガラスが垂直に設置され、その面積が1㎡であれば、毎秒1mの速さで走るなら、その間にウインドウに付着する雨滴の数は、ウインドウが横切った1立方メートルの空間にある雨滴の数に等しい。毎秒2mで走れば付着する雨滴は2倍になる。これはフロントガラスが垂直にとりつけられている場合に言えることだが、それが斜めに設置されていても、付着する雨滴の数は速度が上がれば多くなる。

関わる仕事の分野にもよるであろうが、理系人間には上記のような考え方をする人も多いと思われる。気体を扱う分野や半導体などの固体電子工学に関する理論では、個々の分子や電子を扱うのではなく、分子や電子の統計的な密度を考慮する。そのような分野の知識を有す人なら、フロントガラスに付着する雨粒についても、前記のような考え方ができると思われる。

40年も前のことだが、雨の日に会社の先輩を助手席にのせたことがある。その先輩曰く「雨の中を歩いているときは、歩こうが走ろうが同じように濡れるのに、車の場合は速さによって窓に付く雨粒の数が変わる。どうしてだろうな」

歩く人の場合と同様に、車の屋根に落ちる時間あたりの雨粒は、車の速度に関わらず一定である。フロントガラスについても同様だと思ったその先輩は技術者であったが、固体電子工学に関わる私(私が関わった撮像管は真空管の一種だが、その光電変換は固体電子工学に基づいている)とは異なる分野であったため、前記のような考え方には思い及ばなかったようである。

雨粒に関わる疑問を口にする同乗者に向かって、私が前記の理屈をもって回答したなら、その同乗者は勘違いすることだろう、「この人はずいぶん頭の良いひとだ」と。私がそのように回答できたのは、頭が良いからではなくて、考え方を知っていたからに過ぎないのだが。文系を自認するような人が口にする「理系の人は頭が良い」と言う言葉も、そのような勘違いから出た言葉であろう。フロントガラスに付着する雨粒のこと以外にも、勘違いをもたらす事柄は多いのだから。

理系人間と文系人間は興味を抱く対象や関わる仕事が異なるために、発揮される才能も異なるわけだが、両者の間に頭の程度に差があるとは思えない。先日の記事「理系人間と文系人間」を併せて読んでくださるならば、私の言わんとするところを理解していただけると思う。

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