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永井荷風の想いと軍人の見識 [教育]

特攻隊に関わる小説「造花の香り」(本ブログのサイドバー参照)を書くに際して、山田風太郎や永井荷風などの日記にも眼を通した。戦時中における知識人の心理や戦争観を知りたいと思ったからである。

永井荷風の「断腸亭日乗」は日々の断片的な記録だが、ある日の日記につぎのようなことが記されている。「日本がアメリカと戦って勝てるわけがない。どうせ敗れるのだから、なるべく早く負けてしまう方がよい」

荷風は若い頃にアメリカやヨーロッパを訪れ、日本をはるかに上まわる工業力を目の当たりにしていた。その荷風には、「工業のレベルと資源の点でともに劣る日本が、欧米諸国を相手に戦って勝てるはずがない」というのが当然の見識だったわけだが、アメリカに戦いを挑んだ高級軍人たちにはどんな認識があったのだろうか。

連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を立案した山本五十六は、若い頃にはアメリカの駐在武官だったとのこと。山本五十六のほかにも、欧米諸国で駐在武官を勤めたあとで、軍の枢要な役割を担うことになった軍人は多かったはずである。

欧米諸国の実態を熟知していた山本五十六は、日米開戦に強く反対したと伝えられている。枢要な地位にあった軍人の中には、彼我の国力差を知悉していた者が少なからずいて、アメリカとの開戦に否定的だったはずだが、日本はあの愚かな戦争に踏み切った。

明治政府の目指した「富国強兵」が日露戦争の勝利をもたらしたわけだが(昭和初期までの日本は富国とは言えなかったが)、それによって国民の軍人に対する畏敬の念が強められた、と思われる。そのような風潮の中で、少年たちは高級軍人に憧れ、最難関校となった陸軍幼年学校や海軍兵学校などを目指した、と思われる(とくに、経済的な理由で高校や大学に進めない秀才たちにとっては、学費無料の士官学校や海軍兵学校は魅力的だったはず)。そこを無事に卒業できた者たちは、戦前の日本におけるエリート中のエリートとされるに至った。彼らは国のエリ-トであり、軍隊内でのエリートであった。

上記の文章に幾度も、私の推察ゆえに「・・・と思われる。」と記したのだが、さほどに外れてはいないであろう。そのようにして誕生したエリートたちには、自らを恃むところ大にして、独善的なところが多かったのではないか。典型的な学校秀才に権威と権力がそなわり、国民からは憧れの眼で見られる存在だった彼らの独善的な姿は、一般大学出身の士官に対して、士官同士でありながら上から見下ろすごとくに接し、鉄拳制裁すら辞さなかったところにも現れている。

軍人の任務は国を護ることだが、その彼らが政治に深く関わるようになり、ついには直に政治を動かすに至った。中国との戦争が泥沼にはまって、収束への目処もおぼつかないなかで、無謀にもアメリカに対して戦争をしかけた。軍人政府の中核を担っていた、エリート中のエリートとされた軍人達が、愚かな決断をしたのはなぜだったのか。「造花の香り」を書くに際して幾つもの書物を読んだが、開戦に至る経緯を明確に理解することはできなかった。開戦に至る過程を検証した書物を読むと、開戦に向けた決断は、「かくなる上はアメリカと一戦を交えるしかない」という感情に押されてなされたのではないか、という気がしてくる。高級軍人たちは教養と知性を備えていたはずだが、理性的ではなく感性的だったのかも知れない。それとも、戦前の軍隊組織にあっては、個々の理性が活かされにくかったのだろうか。

真珠湾攻撃の企ては、「長期戦ではアメリカに負けるが、緒戦の段階でアメリカに大きな打撃を与えて戦意を喪失させるなら、有利な条件にて講和に持ち込めるだろう」と判断してのことだったという。アメリカが先に手をだした戦争であっなら、そして緒戦で日本が圧倒的な勝利を収めたならば、講和に持ち込める可能性があったかも知れない。日本から仕掛けた戦争ならば、アメリカは勝つまで戦うに違いない、と誰も想わなかったのだとしたら、戦前の軍幹部たちの認識はまことに甘く、まともな人材がいなかったとしか思えない。

私には学校秀才を否定するつもりはないどころか、そのような人材のなかには、人類に貢献する可能性大なる人物がいるだろうと思っている。彼らが果たしうる役割に彼らの能力が適合すれば、人類社会への貢献を期待できるだろうが、軍隊においてはどうであろうか。学校秀才型の人物が軍の幹部養成学校に入り、厳しい教育の中で優秀なる成績をおさめたにしても、彼らは学者になるわけではなく、軍のエリートとして処遇されることになった。彼らは自らをエリートと自覚し、独善的にふるまう軍の幹部になっただけでなく、日本の政治を司って戦争へと導くに至った。日本が誤った道へ進んだ理由は幾つもあげられようが、非理性的ながら強いエリート意識をもつ者たちに政治を委ねたことが、最も大きな理由であろう。

戦後の政治を担ってきたのは、自民党とそれを支えてきた官僚である。日本をリードすべきエリートを自負している者たちには、戦前のエリートを反面教師にしてほしいものだが、どうしたわけか、政治と行政ともに、独善的・非合理的・反国民的なところがあまりにも多いと感じる。

戦前の過ちを悔い、その反省にたって進んできたこの国で、日本人が学ぶべき最も重要な歴史は、遠い過去のできごとよりも、明治から昭和にかけての歴史であろう。なかんずく、敗戦に至るまでの戦争の時代に関わる歴史は、中学校や高校でしっかりと教えるべきであろう。この国の政治をより良くしてゆくためにも、過ちを繰り返すことがないよう備えるためにも、そのようであってほしいものだが、それとはほど遠い状況にあるのが現実である。中学や高校の歴史教育では、時間切れによって昭和初期に関する授業はろくに行われていないという。それだけでなく、昭和初期における日本の過ちを教えたりすれば、「自虐史観にもとづく教育はまかりならん」との怒声を浴びせられる。まともな政治家とまともなマスコミ界が教育界とタイアップして、日本の将来のために役立つ歴史教育を目指すよう願っている。


 


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