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小説の神様に扶けられて書いた小説 [小説]

まったくの素人でありながら、私は長編の恋愛小説を書き、それを電子書籍として公開しております。むろん動機があって書き始めたわけですが、最初のうちは筆が進まず、原稿用紙数枚分を書くのに10日を要すほどでした。ところが、ひと月あまりを経ると筆が走るようになり、思いがけない速さで書けるようになりました。定年を迎える前のことでしたから(最終的に改訂したのは定年後)、液晶画面に向かうのは主に土曜日と日曜日でしたが、書き始めてから100日ほどで、草稿と呼べるものを書き上げました。「あたかも筆が走るかのように書けたこと」は、私にとって不思議な体験のひとつですから、最初に書いた小説「防風林の松」 このブログの左サイドバー参照のあとがきに、次のような文章を加えることにしました。

小説「防風林の松」のあとがきより引用
 ・・・・・・小説を書くに際しては、プロットなるものを考えるなど、あらかじめ構想を練るのが一般的なやり方らしいが、私はまったく行き当たりばったりに書き進めていった。才能に恵まれているとは思えない私が、小説の作法も学ばないままに開始したので、原稿用紙二十枚分を書くのにひと月を要した。
 書きはじめてからひと月あまりは、遅々として筆が進まなかったが、五月の連休に入った頃から、自分でも驚く程の速さで書けるようになった。政治を風刺する小説を書きたかったにもかかわらず、物語が進むにつれて、政治に関わる記述はむしろ少なくなった。  (引用おわり)   

特攻隊に関わる小説「造花の香り」左側のサイドバー参照を書いた際にも、「防風林の松」の場合と同様の経験をしております。最初のうちは遅々として筆が進まなかったのですが、書き始めてからしばらく経つと、走る筆に引きずられるようにして書いていました。多くの参考資料に眼を通す必要があったので、創作をしばしば中断したのですが、原稿用紙にすれば900枚に及ぶ草稿を、およそ半年ほどで書き上げました。改訂する過程で削減した結果、最終的には原稿用紙400枚ほどの小説になりました。

どのような目的で記す文章であれ、まずは心のうちで文案を練るわけですが、「筆が走る」状況のもとでは、文案を練る過程を経ることなく、言葉が湧きでるように浮かんできます。私はそのようにして、小説にはまったくの素人ながら、長編の小説を書き上げることができました。

私には不思議に思える体験ですが、もしかすると、小説を書く人が普通に体験するようなことかも知れません。創作に熱中し続けていると、その目的に即した能力が活性化するのでしょうか。「好きこそものの上手なれ」なる言葉は、「熱中し続けていると、その目的に即した能力が向上する」と言い換えることができそうです。とはいえ、私の場合には、書き始めてからひと月ほどで筆が走るようになりましたから、修練を積んだゆえの結果とは言えそうにありません。もしかすると、俗に言うところの「小説の神様」が、必死になって書いている私を扶けてくださったのかも知れません。理系の分野でも、研究や開発などに熱中しておりますと、思わぬときにアイデアがひらめくことがあります。どんな分野であれ、何かの目的に向かって熱中している人には、その目的を果たすのに即したアイデアが与えられるのでしょう。与えてくださるのは神様なのか、自分自身の潜在意識あるいは潜在能力によるものなのか分かりませんが、小説を書いていたときを振り返ってみますと、神様の扶けがあったのかも知れないという気がします。

筆に引かれながら書いた草稿ですが、読み直してみると稚拙なところが多く、大幅に改訂せざるを得ませんでした。というわけで、改訂を幾度も繰り返すことになりましたが、物語のすじを変えたいと思ったことはありません。走る筆を追いかけるようにして書いた小説が、しっかりと小説の体をなしていたことになります。どうやらやはり、小説の神様が存在し、素人の私を扶けてくださったようです。もしかすると、小説にかぎらず、「思い切ってチャレンジし、諦めることなく努力し続けるなら、目的を達成できる可能性は十分にあり得る」ということかも知れません。


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