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メーテルリンクの『青い鳥』(武本昌三氏のホームページ「ともしび」より) [人生]

武本昌三氏のホームページである「ともしび」の、「随想集・・・・・・生活と文化をめぐる随想」なるページに、「メーテルリンクの『青い鳥』」と題された記事ががあります(2009.04.01投稿)。興味深いこの記事を、「ともしび」の紹介を兼ねて引用させていただきます。有名な「青い鳥」ですが、この作品にこれほどに深い意味が隠されていることを知りませんでした。


メーテルリンクの『青い鳥』(武本昌三氏のホームページ「ともしび」より)
 メーテルリンクの『青い鳥』は、貧しい木こりの子どものチルチルとミチルが、幸福の象徴である「青い鳥」を求めて冒険の旅に出る物語です。「思い出の国」では、すでに亡くなっている祖父母と再会し、「未来の国」では、これから地球に生まれてくる弟とも出会います。作者のメーテルリンクはベルギー生まれで、法律を学んだ後、文学を志した詩人・劇作家ですが、クリスマスのための童話を頼まれて、1906年にこの戯曲を書きました。1910年には、ノーベル文学賞も受賞しています。

  このメーテルリンクの『青い鳥』が、私のホームページ「学びの栞」(B)36-fで取り上げているコナン・ドイルの『人類へのスーパーメッセージ』(講談社、1994年)にも出てきます。この「スーパーメッセージ」は、コナン・ドイルが自分の死後、霊界から送ってきた通信の一部を紹介したものですが、そのなかで、『青い鳥』について、次のように触れているところがあります。

  《こちらの世界から、著名な作家のインスピレーションがどこから来ているのかを見ていると、じつに興味深いものがあります。メーテルリンクの『青い鳥』を思い出します。その本の中に、子供たちが地球に戻るべく名前を呼ばれるのを待ちながら、みんなが集まっている場面があります。
  それぞれの子供は袋を持っていて、その袋には、地球に持ってかえる贈物や知識だけでなく、自分が患うことになる百日咳や狸紅熱といった病気も、きちんと包まれて入っています。子供たちは、星の海を “父なる時”の船に乗って渡り、地球で待っている母親のところに帰ろうとしているのです。》(pp.264-265)

  これは、いうまでもなく、人間がこの世に誕生するのは、時を選び、親を選んで、地上で体験すべきこともすべて了解し納得したうえであることを示しています。しかし、通常はこういう霊的真理は容易には理解されることがありません。そのことをよく知っているコナン・ドイルは、ですから、このような話を、「ただのおとぎ話だと言う人もいるでしょう。しかし、ここには、大変な真実が述べられているのです。それはおそらく、宇宙存在から降りてきたか、作者の自我の前意識のレベルから出てきたものでありましょう」と、つけ加えているのです。この地上で、人間があらわす偉大な業績は、しばしば、霊界からの導きによるものであることがシルバー・バーチの霊訓などによっても示唆されていますが、メーテルリンクが、このような作品を書くことができたのも、決して例外ではないことを、コナン・ドイルも伝えたかったのでしょう。

  コナン・ドイルが例にあげているこの場面は、『青い鳥』の第5幕第10場「未来の国」にあります。改めてここで検証するために、その該当部分を岩波少年文庫『青い鳥』(末松氷海子訳、2004年)から再現してみましょう。未来の国へ行ったチルチルとミチルが、その翌年、チルチルとミチルの弟として生まれてくることになっている「一人の子」に会う場面から、ト書きを省略して、会話の部分だけを引用してみます。未来の国のその子は、広間の奥から走ってきて、まわりに沢山いる子どもたちを掻き分け、チルチルの前に出て、挨拶をするのです。

  一人の子 チルチル、こんにちは!
  チルチル あれっ! どうしてぼくの名前、知ってるの?
  その子  こんにちは! 元気かい? ねえ、ぼくにキスして! ミチルもね。ぼくがきみたちの名前を知ってたってふしぎじゃないよ。だって、ぼく、きみたちの弟になるんだもん。たったいま、きみたちが来てるって聞いたから・・・・・ぼく、広間のずっと奥にいて、夢中になって考えてるところだった。ぼくはもう準備ができてるって、母さんに言ってね。
  チルチル なんだって? ぼくたちのところへくるつもりかい?
  その子  そうだよ。来年の復活祭直前の日曜日にね。ぼくが小さいうちは、あんまりいじめないでね。今から二人にキスできて、とってもうれしいよ。父さんに、こわれたゆりかご直しておいて、って言ってよ。ぼくたちのうちっていいとこ?
  チルチル まあ、悪くはないな。母さんはとってもいい人だし・・・・・
 その子  どんなもの食べるの?
  チルチル その日によってちがうよ。お菓子を食べる日もあるんだ。そうだよね、ミチル?
  ミチル  お正月と、それから七月十四日の革命記念日ね。母さんが作ってくれるの。
  チルチル その袋の中になにが入ってるの? ぼくたちに、なんか持ってきてくれるの?
  その子  三つの病気を持っていくんだ。しようこう熱と、百目ぜきと、はしかと・・・・・
 チルチル えーっ! 三つも! じゃ、そのあとはなにするの?
  その子  そのあと? 死んでしまうのさ。
  チルチル それじゃ、生まれたって、なんにもならないじゃないか。
  その子  そう決まってるんだもの。しかたないよ。

  この最後の部分の会話には考え込まされてしまいます。「その子」は、チルチルとミチルの弟として生まれ、猩紅熱、百日咳、はしかを病んで、そして死んでいくことをも「選んで」、地上に生まれてくるわけです。地上では、これは大変不幸な生涯ということになりますが、霊界では、永遠の生命は自明ですから、当然のことながら、その「不幸」の捉え方も同じではないはずです。幼くしてこの世を去っても、それは、霊性の向上のために必要な体験で、学ぶべき課題がそれぞれに与えられている、という大切な意味をもつことになるのでしょう。そしてそれが、決して、単なるおとぎ話ではなくて、「大変な真実」であることを、霊界に行ったコナン・ドイルが再確認してくれている、といってもいいのかもしれません。(引用おわり)


武本昌三氏のホームページ「ともしび」には多くのカテゴリーがあり、いずれも読むに値するものですが、そのホームページを最も特徴づけているのは、精神世界に関わる様々の記事です。「ともしび」を訪ねて、それらの記事に眼を通してもらえるよう願っています。それにより、良い方向に人生観が変わるはずです。


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