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当用漢字と中国簡体字の制定は文字に関する歴史上の稀なできごと [雑感]

源氏物語などに記されている言葉は、現代の日本語と相当に異なっている。古典に残されているのは文章語であり、それがその当時の口語と同じものとはかぎらないわけだが、その差異はさほどではないと思われる。話し言葉と文章語のあいだに、現代のそれより大きな差があったとは思えないからである。


言葉が変化してきたように、文字の読み方も時代とともに変わる可能性があり、実際に変わった例も多いと思われる。言葉や読み方は変わってきたわけだが、使われてきた文字が変わることはなかった。唐の時代に確立されたとされる楷書は、いま使われている文字と同じものである。漢字発祥の地である中国には、ずいぶん古い石碑などが遺っているが、現在の文字と変わらないものが多いようである。文字は教育とそれを受ける者の努力によって引き継がれるものであり、その教材は紙に記されている文字である。誰かが故意に文字を変え、変更されたそれが受け継がれるなら文字も変わるだろうが、千年の長きにわたってそれはなかった。


変わることなく受け継がれてきた文字が、第二次大戦後の日本や中国では大きく変わり、現在の日本では当用漢字が用いられ、中国では極端に簡略化された簡体字が使われている。千年以上にわたって維持されてきた文字が意図的に変えられたわけだが、むろんそれは簡略化が望まれたからである。簡略化による利便性を思えば、はるか昔に簡体字化されても不思議ではなかったはずだが、そのようなことはなかった。


ここまで書いたところで、当初に決めていたタイトル「時代につれて言葉は変わるが文字は変わらない」から、「当用漢字と中国簡体字の制定は文字に関する歴史上の稀なできごと」に変えることにした。


鎌倉幕府の成立や明治維新も大きなできごとであったにしろ、太平洋戦争(戦前の日本は大東亜戦争と称したのだが)とその敗北は、この国の歴史に類のない巨大な衝撃をもたらした。日中戦争から内戦に移行し、共産党独裁の国となった中国もまた、その歴史に類を見ない変革を経験している。あの戦争で国民のすべてが空前絶後の痛苦を味わったあと、敗戦によって価値観に大きな変動がもたらされた。あの苛烈で悲惨な戦争と敗戦を体験し、価値観の変動にさらされなければ、千年以上にわたって維持され続けた文字を、書きやすい形に変えようとする機運は生じなかったかも知れない。


当用漢字を識る今の我々には、戦争などを経ずとも、簡略化への動きがあってしかるべきではなかったのか、と思われる。私が小学校時代に学んだ学校という文字は「學校」だった。「學」にかぎらず画数の多い文字は多かったから、戦前の日本人(簡体字以前の中国人も)は現在よりも苦労しつつ書いたことになる。


文字の簡略化が多大な恩恵をもたらすにも拘わらず、千年以上もそれが実現しなかったのはなぜであろうか。それはおそらく、「紙に記す形で受け継がれてきた文字を学び、それを使って文書を記してきた人たちは、文字とはそういうものだと思い定めており、簡略化することなど考えなかったのだろう」と私は思う。その根底にあるのは、人間が有する保守性や固定概念に縛られる傾向かも知れない。「文字とはこういうものである」とする固定概念から解放されるには、前代未聞の苛烈な戦争体験、あるいは価値観の大転換を必要とした、ということであろうか。


既存の概念あるいは事柄に縛られ、無条件にそれを受け入れている例は、文字にかぎらず様々な分野に存在すると思われる。政治についても同様な事例があると思うので、日を改めて後日に投稿したい。


この記事は自宅で書き始め、帰省中の出雲の生家でその続きを書いた。当用漢字に関わる文章を書く段に至って、どのような経緯で制定されたのか知りたいと思ったのだが、インターネットが利用できないために調べることができなかった。自宅に帰ったら調べて、必要とあらば改めて投稿したいと思う。


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