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キリスト教会で聴いた牧師の言葉 [人生]

出雲の「湖畔の温泉宿くにびき」からの投稿です。次回からは愛知県の自宅から投稿します。


50年以上も昔のある日、知人に請われて教会を訪ねたことがあります。クリスチャンのその知人は、私を入信させたいと思って誘ったのですが、私はクリスチャンになる気はまったくありませんでした。入信する気はなかったのですが、多少の好奇心にも押されて、請われるままに教会に入ってみました。


すでに10人あまりの信者が集まっており、まもなく牧師の説教が始まりました。興味深くそれを聴いたのですが、どんな内容であったのか、今では全く思い出せません。とはいえ、この言葉だけは記憶に残っています。「私がキリスト教徒になったのは、死ぬことがこわかったからです。若い頃から死が恐ろしく、その恐怖から逃れたくて、救いを求めていろいろやってみたのですが、その結果、キリスト教によって救われました」


先に投稿した記事「肺結核がガンより恐ろしかった時代」に書いたように、私も人並みに生に執着する気持ちがあったとはいえ、日常的には自分の寿命を気にすることはありませんでした。そんな私には、その牧師の言葉が異様なものに聞こえましたが、一方では、その牧師の気持ちがわかるような気もしました。


それから10年ほどが経った頃、私はたて続けに不思議な体験をしました。このブログに書いた「予知夢・・・・・・体験者にとっては真実なれども未体験者には絵空事(2015.6.28)」と「予知夢の実在を実証する方法(2016.3.14)」は、わたしが体験した予知夢に関する記事です。まだ書いてはいませんが、霊に関わる体験もしています。そのような経緯もあって、私は霊に関わる多くの書物に目を通しただけでなく、東京の日本心霊科学協会を訪ねました。日本心霊科学協会を訪ねた日のことは、投稿記事「浅田次郎の小説「降霊会の夜」を読んで(2015.10.8)」と「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある(2015.12.7)」に書いた通りです。


私はいま、自信をもって言うことができます。「霊魂はたしかに実在しており、それを実証することができる」


霊魂の実在を知ることにより、死に対する恐れが軽減されるはずです。死んでも霊魂が存続し、自己の意識が継続するとわかれば、現世での生き方にも影響が現れるでしょう。霊魂の実在が広く認識されるようになれば、犯罪が少なくなる可能性があります。霊魂の実在を識ることには、そのように多くの価値があるので、それを識っている者たちは、そのことを少しでも多くの人に報せたがるのですが、残念ながら耳を傾けようとする人は少ないどころか、頭から否定する人が多いのが実情です。「科学的にありえない」として否定するわけですが、なぜ科学的にありえないのか、それを説明できる人はいません。科学技術の世界に身をおいた者のひとりとして、私はそのように思います。安易に否定することなく、「霊魂が実在していることを知る簡単な方法がある(2015.12.7)」に書いたやり方で、積極的に調べてみてほしい、と私は願っています。


前記の牧師にいま会えたなら、霊魂が実在することを教えてあげたいと思いますが、そのひとはすでに霊界に移って、霊魂が実在することを自ら納得しておられるはずです。


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