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改竄されなかった文書がマリー・アントワネットの冤罪をはらした [政治および社会]

2018年4月6日の「きっこのブログ」に、「ラ・セーヌの星と真実のマリー・アントワネット」なる記事が投稿されている。マリー・アントワネットについて書かれたこの記事を読み、文書として残されるものの歴史的な価値を想った。森友・加計問題での文書改竄に対する憤りが、きっこさんにこのような記事を投稿させたのだろうか。


2018.04.06  のきっこのブログ「ラ・セーヌの星と真実のマリー・アントワネット」より一部を引用

 

  ‥‥そんなワケで、マリー・アントワネットと言うと、「贅沢三昧でフランスを財政破綻させた赤字夫人」だとか「勉強嫌いでワガママ放題のオーストリア女」だとか、最初に書いように「食料不足の市民に対して『パンがないならお菓子を食べればいいじゃない』などと抜かしたバカ女」だとか思っている人が多いけど、これらはすべて当時の「反王制派」や「反オーストリア派」が革命を起こすための方便として流したデマであって、実際のマリー・アントワネットは素晴らしい女性だった。まず、フランスの財政破綻だけど、これは、先々代のルイ14世が戦争ばかりして莫大な出費を続けた上に、約1兆円も投じてベルサイユ宮殿を建設させたからだし、先代のルイ15世も戦争を繰り返し、デフォルトを5回も起こした上に「七年戦争」でトドメを刺したからだ。
  つまり、ルイ16世が即位して、マリー・アントワネットが王妃になった時点で、フランスはすでに「マジで財政破綻する5秒前」みたいな状況だったのだ。そのため、一般的には「贅沢三昧だった」と言われているマリー・アントワネットも、使えるお金は年間30万リーヴル、現在の日本円にして約600万円ほどで、毎月約50万円しか使えなかった。「私人」である安倍昭恵氏が年間3000万円もの国費を好き勝手に使っていることを考えれば、「王妃」であるマリー・アントワネットの年間30万リーヴルはその5分の1、これが、どれほど切り詰めた金額だったのか、よく分かると思う。その上、マリー・アントワネットは、「贅沢三昧」どころか「倹約家」だったので、年間30万リーヴルのうち8万リーヴルだけでやりくりして、残りの22万リーヴルは貯金していたのだ。
  一般的には、マリー・アントワネットは何千万円も何億円もする宝石を買いあさっていたなどと言われているけど、これも完全にデマで、その証拠に、何点も残っているマリー・アントワネットの肖像画で、高価な宝石を身に付けているものはほとんどない。肖像画の中のマリー・アントワネットが身に付けている宝石の大半は、結婚する時に母親であるマリア・テレジアが持たせたもので、間違ってもフランス国民の血税で買ったものではない。それどころか、マリー・アントワネットは、フランスの財政を救うために、自分がオーストリアから持参した宝石の多くを売り払っているのだ。
  また、マリー・アントワネットは、お気に入りの人たちを集めてトリアノン離宮で遊び呆けていたなどと言われているけど、これも大嘘だ。きちんと一次資料にあたって調べてみると、マリー・アントワネットは年間330日以上もベルサイユ宮殿で王妃としての公務をこなしていて、トリアノン離宮に出かけたのは年間20日ほどだったことが分かる。他にも、マリー・アントワネットが女性とも肉体関係を持っていたバイセクシャルだったとか、義理の弟とも肉体関係を持っていた性的破綻者だったとか、事実無根のデマが数多く流された。
  それは何故か?答えは簡単だ。当時のフランスは、人口が約2600万人で、このうち貴族が約30万人、お金を貯めて没落貴族の株を買って成り上がった新貴族が約10万人、残りはすべて農民や商人などの第三身分の人たちだった。つまり、2500万人以上の国民から徴収した税金の大半を、わずか40万人の貴族が山分けしていたわけで、その頂点が王室だった。でも、税に苦しみながらも、国民の多くは国王のことを尊敬して愛していた。国王を倒す革命なんて、とんでもないと思っていた。そこで、革命を目指していた「反王制派」のグループは、かつての敵国だったオーストリアのマリー・アントワネットと政略結婚したことを面白く思っていない「反オーストリア派」と手を組み、とにかくマリー・アントワネットの評判を落とすことをやりまくったのだ。
  国王であるルイ16世のことを尊敬している国民たちも、かつての敵国から来たオーストリア女が自分たちの血税で贅沢三昧をしていると聞けば、革命に加わろうと考えるようになる。これが、革命を企てた複数のグループの作戦で、その結果、フランス革命が起こり、ルイ16世とマリー・アントワネットは、初めから「死刑ありき」で行なわれたインチキ裁判で死刑判決を受け、ギロチンにかけられたのだ。だから、ギロチン台に上ったルイ16世が、詰めかけた人々のほうを振り向いて言った最期の言葉が「人々よ、私は無実のうちに死んで行く」であり、マリー・アントワネットが刑の前夜に書いた遺書の冒頭には、次の言葉が書かれているのだ。「 妹よ、これがあなたへの最後の手紙になります。私は死刑判決を受けましたが、恥ずべき判決を受けたわけではありません。死刑は犯罪を犯した者にとってのみ恥ずべきものだからです。」
  ‥‥そんなワケで、後ろ手にロープで縛られ、粗末な荷車に乗せられ、刑場である革命広場へと連れて行かれるマリー・アントワネットは、詰めかけた民衆からどれほど酷い罵声を浴びせられても、背すじをピンと伸ばし、顔をキリッと上げ、一度も顔を伏せたりしなかったという。そして、ギロチンの露となるまで、最期の瞬間まで、誇り高きフランス王妃としての尊厳を捨てなかったという。それは、自分が無実であると確信していたからに他ならない。あたしは、そんなマリー・アントワネットを心から敬愛しているので、彼女が処刑されてから200年以上が経っても未だに流され続けている「マリー・アントワネットの尊厳を傷つけるための悪質なデマの数々」をひとつずつ否定して行き、いつの日か、誰もが敬愛するであろう「真実のマリー・アントワネット」の姿を1人でも多くの人に知ってほしいと願っている今日この頃なのだ。(引用おわり)


きっこさんが投稿する記事の信憑性は高いのだが、念のために、ネットで調べてみたら、マリー・アントワネットに対する最近の見方は、たしかに上記の記事のようなものらしいとわかった。


マリー・アントワネットの冤罪が明かされたのは、多くの資料が残されていたからである。それらの資料が反王政派によって抹殺されていたなら、あるいは、ねつ造された資料が真実とされたままに遺されたなら、マリー・アントワネットの罪がフランス革命の一因とされ続け、その汚名が消えることもなかっただろう。


政治的腐敗を防ぐためにも情報公開を徹底させるべきであるとして、アメリカでは公文書も公開される。外国人が請求しても公開されるので、各国のジャーナリストや近現代史研究者が公文書館を訪れ、有益な情報を発掘しては公開している。アメリカの公文書館に保管されている文書にねつ造や改竄があるなら、誤った歴史が創られることになるわけだが、これまでのところ、そのような問題はなかったようである。


時の政権を擁護するためには公文書すら改竄される日本。自民党にもまともな議員がいるのであれば、安倍首相に反省を促し、退陣を迫ってもらいたいものである。

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