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パソコンスピーカーとネットラジオに感謝 [音楽およびオーディオ]

先日の記事「ネットラジオをBGMにして書くブログの記事」の続きです。


ネットラジオを初めて聴いたとき、その音楽を聴きながらネットサーフィンを始めようとしたところ、聴き続けたかったその音楽は消えました。ネットラジオをBGMにしながらネットサーフィンをするには、ウェブブラウザーを別のものにしなければなりません。


インターネットラジオと両立させるためには、Internet Explorer以外のブラウザーを導入すればよいのですが、自分でやるのがおっくうになり、息子にやってもらいました。 普段は自分の年齢を意識しない私ですが、パソコンの設定に関わる作業がおっくうになっているのは、やはり歳のせいでしょう。自分でやるしかない場合には、相当にやっかいな作業であろうと取り組めるのですが、手伝ってもらえそうな場合には助力を頼みたくなります。


というわけで、新たにFirefoxなるブラウザーを導入し、ネットラジオはFirefoxで利用しております。いま調べてみたところ、2016年2月29日に「Radio Mozartを聴きながら」なる記事を投稿していますから、Firefoxをインストールしてからすでに2年以上が経っています。過去に投稿したその記事の日付を見るまで、ネットラジオを聴きはじめたのは1年くらい以前だったような気がしていました。経過した時間の長さを短く感じるようになったことも、パソコンの設定に関わる作業を繁雑に思うようになったことと同様に、年齢のせいかも知れません。普段は年齢を意識していないとはいえ、能力は80歳という年齢なりになっているということでしょう。


ここまで書いたら過去に投稿した記事「アメリカは150年前まで奴隷制の国だった」を思いだしました。調べて見ると、2017年11月14日に投稿したもので、つぎのように書き出されています。




    子供の頃に遊び慣れていた場所を数十年ぶりに訪れると、道幅の狭さなどに驚かされることがある。幼かった頃に見慣れていた事物を、身長が2倍になってから見たなら、相対的に二分の一に感じるのかもしれない。
  それでは時間についてはどうであろうか。10歳の子供にとっての一年は、20歳の大人の二年分に感じられるのだろうか。正比例とまでは言えないにしろ、そのような傾向はありそうである。記憶に遺る小学生時代の長さは、成人後の6年間よりたしかに長い。
  今では百歳を超えて生きる人も珍しくはないが、その人から見れば、二百年前は自分の生きた長さの二倍にしか過ぎない。坂本龍馬が活躍した幕末は、100歳の人が生まれる50年前のことだから、さほどに昔のこととは思えないだろう。それどころか、400年前の関ヶ原の戦いも、自らが生きた年数の4倍ほど昔のことに過ぎない。高齢者にはそれが実感と言えるわけだが、若い人の場合はどうであろうか。まだ若くはあっても、上記のことに思い及べば、遠い過去がずいぶん近づいて来るだろう。・・・・・・


ネットラジオに親しんできた2年あまりが、今の私には1年ほどの長さに感じられるわけですが、「80歳だからそんなものだろう」と思うだけです。


思いつくままに書き進めたら、インターネットラジオとは関わりの無い記事になっていました。せっかく書いた記事だから、タイトルを変えてこのまま投稿することにします。


BGMにしているPeaceful Currents Radioが、いつものように素晴らしい音楽を提供しています。使っているのは安価なパソコン用スピーカーですが、BGMとしての音楽を不満なく聴くことができます。このような製品を開発した技術者たちに感謝しつつ、このスピーカーを愛用してゆくとしましょう。

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