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武本昌三氏のホームページ「ともしび」の記事を紹介 [人生]

武本昌三氏のホームページ「ともしび」に、「折々の言葉」なるページがあります。そこには86回ほど投稿されているのですが、その84回目に取り上げられたのは、日蓮の「まず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」という言葉です。日蓮の言葉に関わる記事ですが、その記事は、≪「死」については、確かによくわからない。古来、宗教家のみならず、学者、知識人と言われるような人々も、おそらく「よくわからない」ままに、数多くの言説を世に出してきた。そのようななかで、少なくとも私にとっては、シルバー・バーチの死についての教えだけが、ほとんど唯一の、納得し、共感し、深く心に沁み込んだ「無上甚深微妙の法」であった。≫なる文章でおわっています。


武本昌三氏のホームページ「ともしび」より引用


        84. まず臨終の事を習うて後に他事を習うべし【―日蓮(1222‐1282)―】

  日蓮は、いうまでもなく、鎌倉時代の高僧で、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗・法華宗の宗祖である。人々の苦しみを取り除き、社会全体が幸せになるように願った日蓮は、来世ではなく"今を生きる"ことの大切さを熱心に説いた。冒頭の引用は、「妙法尼御前御返事」のなかのことばである。世の中は諸行無常で、いつ自分が死ぬかもわからない。だから、何よりもまず、死ぬ身であることを忘れるな、という戒めととってよいであろう。そして、こういう意味での戒めは、日蓮ならずとも、いろいろな人が世に伝えている。親鸞も、子どもの時にすでに、「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠んだ。
   しかし、この日蓮のことばを、生は死と隣り合わせであるから、真に「今を生きる」ためにも、まず「何よりも死について学べ」と取ると、理解は容易ではない。孔子でさえ、「未知生、焉知死」(いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや)と言った。(『論語』先進篇) いまだに「人生」というものがわからないのに、どうして「死」というものがわかろうか、というわけである。「死」については、確かによくわからない。古来、宗教家のみならず、学者、知識人と言われるような人々も、おそらく「よくわからない」ままに、数多くの言説を世に出してきた。そのようななかで、少なくとも私にとっては、シルバー・バーチの死についての教えだけが、ほとんど唯一の、納得し、共感し、深く心に沁み込んだ「無上甚深微妙の法」であった。(拙稿「真実の教えを求めて」参照。⇒H.P.「プロフィール」Ⅶ)


上記の記事にでているシルバーバーチは、精神世界に関心を持つ人にはなじみ深い名前です。ネットで「シルバーバーチ」あるいは「シルバーバーチの霊訓」を検索すれば、それがいかなるものかわかりますが、武本昌三氏のホームページ「ともしび」にも、「学びの栞 [シルバー・バーチ霊訓集]」なるカテゴリーがあります。少しでも多くのひとが、そのホームページを訪ねられるよう願っています。

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