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村上春樹の新作を読んで [人生]

図書館に並べられている雑誌を眺めていたら、「文学界」の表紙に「村上春樹」の文字が見えた。新作の短編小説が掲載されているという。興味を惹かれるままに開いてみたら、「ウイズ・ザ・ビートルズ」と「ヤクルト・スワローズ詩集」なる2作の短編が載っている。


2作とも読んだが、いずれも小説と言うより、作者の懐古談といった趣の作品である。それなりに興味深くよんだ「ウイズ・ザ・ビートルズ」の中に、思わぬ場所で偶然に、旧知のひとと邂逅したことが記されている。それを読んで、私にはそのような経験が幾度もあったことを思い出した。


最初の経験は、同じ大学に通っていた島根県出身の先輩(私とは異なる高校の出身。東北大学には島根出身の学生が少なかったので、島根出身の在学生の集まりがあり、一度だけ会っていた―――ように記憶している)と、新宿の駅で偶然に出会い、誘われるままに食事をしながら飲んだことである(飲食代をおごってもらいながら、それ以来一度も会っていない。これを書いている今、失礼なことをしたという気持になっている)。その人はすでに卒業していたのだが、私はまだ在学中のことで、帰省する途中だったように記憶している。早朝に上野駅に着き、夕方の急行出雲(東京駅始発の出雲市駅行き急行列車で、19時頃の発車であった。かなり以前に運行中止になった。)に乗るまでの時間を東京見物をして過ごしていたのであろう。まことに失礼ながら、その人の名前すら思い出せないのだが、この記事がその人の眼にとまればと願っている。その可能性はかぎりなくゼロに近いけれども。


次の経験も60年ほど昔のことである。中央線の四谷駅で電車を乗り換えることにして、ドアが開くなりホームに降りたところ、すぐ目の前に、共に寮で暮らしていた友人の顔があった。大学を卒業してから数年後のことだが、その日私はどこへ行こうとしていたのか、今ではまったく思い出せない。まだ独身だったその頃、私は電機会社に就職して調布市に住んでおり、シチズンに就職したその友人は西武鉄道の沿線で暮らしていた。そのとき、私が次の電車に乗っていたなら、あるいは、別のドアから出たならば、私たちが出会うことはなかったはずである。私が出たドア以外のドアの前で友人が電車に乗ろうとしていたならば、やはり私たちが出会うことはなかった。


そして、もっとも不思議な偶然の出会いは、平成5年の夏に、妻と2人でヨーロッパを訪れたときのことである。11日間のパックツアーで、フランスとスイスおよびドイツを観光する旅行だった。


ドイツの有名なノイシュバンシュタイン城を訪れ、城の1階で内部に入れてもらう順番を待っていたときである。辺りを見回してみたら、少し離れたところに知人の姿があった。同じ大学の学長であり、御夫妻で並んでおられた。周りのほとんどが日本人だったということもあり、学長は私から声をかけられてはじめて私に気づかれたようである。学長はずいぶん驚かれたが、ありえないほど不思議な邂逅に、私も驚愕と呼べるほどの境地にいた。私たちはお互いに、相手がヨーロッパにいることを知らなかったのだが、そのことが、私たちの驚きをより大きなものにしたと言えるだろう。


私と妻はパックツアーだったが、学長夫妻はレンタカーでヨーロッパ各地を回っているとのこと。車を駆って自由に旅行できるのは、国際学会に幾度も参加して外国の国情にも慣れ、語学にも堪能だからできること。自分の語学力の不足を思うとともに、うらやましく思ったものである。私が初めて書いた小説「防風林の松」(本ブログの左サイドバーに、その小説の概要を紹介している)の序章に、「主人公の友人がヨーロッパをレンタカーで観光した」ことが書かれている。小説を書き進めているうちに、学長のレンタカー旅行が思い出されて、そのような文章を加えることになった。


それにしてもである、ヨーロッパを旅行中の旧知の人同士が、同じ場所で出会う確率はどれほどのものであろうか。私と妻の見学が1時間ほど早かったなら、あるいは学長たちの到着がもう少しだけ遅かったなら、出会うことはなかったはずである。私たちがその場所で出会う確率は、宝くじに当選する確率よりはるかに低いはずである。
                                                                    
ヨーロッパでのその邂逅は不思議なできごとと言えるが、先に記した東京での2度の邂逅も、めったに起こらない珍しいできごとだと思える。そのような体験を繰り返してきたことは、私にとってどんな意味があるのだろうか。そのような体験もまた、霊魂の実在を識るに至った経緯とともに(付記参照)、私には何らかの意味がありそうな気がするのである。


村上春樹の長編小説「国境の南太陽の西」の後半に、主人公がかつて捨てた恋人と偶然に顔を合わせる場面が描かれている。「主人公の目の前に赤信号でタクシーが止まると、車内から主人公を見つめている元恋人の姿があった」とされる場面である。もしかすると、「ウイズ・ザ・ビートルズ」に描かれた体験以外にも、村上春樹は不思議な邂逅を経験しているのかも知れない、という気がする。私が3度も体験したのだから、そんな体験を繰り返すひとがいても不思議ではない、という気がしないでもない。確率的には極めてまれなことだが。


付記
科学至上信仰に洗脳されているためであろうか、霊魂の存在をあたまから否定する人が多い。科学技術の世界に身を置くことになった私自身も、30代の中頃まではそのひとりであった。霊魂の実在を識っている今でも、科学では説明できない霊魂の存在が不思議なものに思える。とはいえ、霊魂が実在することを実証することは、実はさほどに難しいことではない。そのことを知ってもらいたいがために、霊に関わる記事の投稿を繰り返してきた。その幾つかを以下に列挙しておくので、眼を通して頂けるよう願っている。(青い部分をクリックすれば、その記事を読むことができます)


                                                                                                                       
付記2(8月18日)
旅先で知人と邂逅することの不思議さ・・・・・・その高い頻度を科学では説明できない(7月27日投稿)」 は、上記の記事に関連するものです。
                                                                                                                                                
                                                                                                                                                 
追記(2019年10月18日)
偶然の不思議な出会いに関わる記事を書いた結果、そのような体験を次々に思い出すことになり、関連する記事を幾度も投稿するに至った。それらをここに列挙しておく。


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