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召集令状1枚で戦地に送られた戦前の若者たち [政治および社会]

滞在中の出雲から投稿します。


テレビで話題のドラマ「やすらぎの刻(倉本聰作)」は、劇中劇の形で貧しかった戦前の日本の農村生活を描いている。ドラマでは、アメリカとの戦争が始まって、主要な登場人物にも赤紙(召集令状)が届けられるに至った。


教師だった私の父は、30代の半ばに赤紙によって召集されて、中国大陸の内陸部まで送られたのだが、どうにか無事に還ってくれた。父と同じ日に出征した同級生の父親は、故郷に還ることがかなわず、その家族は戦後の生活で苦労をしいられた。


父の書棚に残されていた書物の中に、変色した古い雑誌があった。その「特集文藝春秋」の表紙には、「赤紙一枚で」なる赤い文字とともに赤紙の写真が載っており、その横には東条英機陸軍大将の似顔絵がある。アメリカとの戦争に踏み切ったときの首相である。発行日を見ると、昭和31年4月5日発行とあり、定価は75圓となっている。


雑誌をめくるとすぐに眼につくのが、とじられたピンク色の赤紙(むろんコピーだが)である。赤紙が綴じられたページには、その特集号が発行された主旨が記されている。その文章をここに引用させてもらおう。


 軍隊に「地方人」という特殊用語があった。これは兵営以外で生活する一般市民を指向する。その市民が徴集又は応召によって軍服で身を固め史上未曾有の大戦に投げ込まれ如何に戦ったか。父母を離れ、妻子への尽きせぬ愛情をふり切って、遠く雪と氷のアッツ島に、北部ビルマの死の谷に、又は南溟ガダルカナルで祖国を思い乍ら雄々しく散っていった兵隊。議会が果てしなき再軍備論争を繰り返している時に、この無名戦士の聲なき聲に耳を傾け、その姿を再び網膜の中に焼きつけようではないか。本特集は先に刊行した「日本陸海軍の総決算」の続篇として第一線で悪戦苦闘をした市民兵の手記を中心に編集した。
  これを遺家族の人々に捧げる。 ・・・・・・編集部


聲なき聲に耳を傾けるべく、記事にざっと眼を通したところ、死を間近に控えて失神しているうちに捕虜となり、玉砕の硫黄島から生還した者など、憺たる苦渋をなめさせられた兵士達の手記が多くを占めている。このような手記を捧げられた遺家族たちは、はたしてどんな思いを抱いたことだろう。読まない方が良かったと思った人がほとんだだったのではなかろうか。


この雑誌が発行されたのは、戦後10年半あまりが経った昭和31年の春である。仙台の大学に向かう途中で見た東京には、あちこちにまだ戦災の名残が見られたころである。上野で仙台行きの夜行列車を待つ間に、西郷隆盛の銅像を見に行くと、浮浪児らしい子供(10歳以下に見えた)が寄ってきて、靴を磨かせて欲しいとねだられた。承諾すると30秒ほど靴を布でこすりカネをほしがった。与えた少しのカネを持って次の客をさがしに去って行った。町のあちこちに、白衣の傷痍軍人姿が見られ、物乞いをしていた。いま手にしている「特集文藝春秋」は、そんな時代に発行されている。


「特集文藝春秋」の最後に掲載されている座談会の記事では、他の出席者たちが戦争は絶対反対と発言している中で、ひとりだけ「僕はまた戦争をやってもいいと思うのですがね」と言っている。この人は、戦艦大和の特攻出撃に駆逐艦で同行しながらも、撃沈されずに生き残った人だという。戦争を憎む空気がまだ国中に充満していたはずだが、上記のように信じられないような発言をする人がいる。国会議員による、「北方領土を取り戻すには戦争をするしかないと思いますか」との発言に驚かされたのは、ついこの春のことだが、無知によるというより、その人の資質によるものであろう。もしかすると、軍人を指向する者の中には、そのようなタイプの人間が多いのかもしれない。戦前の日本が軍人に支配されていなかったならば、無謀な戦争に突入しなかったのではと思う。


「統帥権は天皇にあり」とした明治憲法を根拠にして(利用して?)軍部が政治に関与し、やがては政権をにぎり、ついには悲惨な戦争と敗戦に至った。


緒戦の勝利に歓喜した国民が多かった当時でも、永井荷風はその日記「断腸亭日乗」に、「日本がアメリカに勝てるわけがない。すぐに負ける方がこの国のためになる」と書いている。永井荷風にかぎらず敗戦後の日本人は、「ミッドウェー海戦での敗北以降の度重なる敗北を思えば、すぐにも降伏し、その後に生じた惨状と損害を抑制すべきだった」と考えたであろう。現実には、国民は軍部にあやつられるままに、多大な痛苦と悲しみを与えられ続けた。政治を批判すれば検挙された戦前の日本では、国策のすべてが国民の意思(軍国主義思想を深くたたき込まれていたのだが)に拘わらず、国を導くものによって決められた。軍人であった彼等が半年早く降伏を決断すれば、大都市の空襲や原爆による被害はなく、特攻隊の多くは出撃することなく、ソ連の参戦もなく、今に至る北方領土問題もなかったはずである。


安倍政権の悪政が続きながらも、自民党を支持する若い世代が多いようである。彼らには、軍部を支持した戦前の日本人と重なるところがありはしないだろうか。自民党を支持する若者の多くは新聞を読まず、情報の多くをネットから得ているらしい。付和雷同しやすい国民性が、国民をして軍部を支持させたように、ネットの情報に振り廻される若者が、日本の将来を暗くするのではないのか、と不安になる。


倉本聰の「やすらぎの刻」は昼過ぎに放映される。若い世代に戦前の日本を知ってもらうためにも、劇中劇である「道」を単独のドラマとして、夜の時間帯に放映してもらいたいものである。少子高齢化が進む日本では、自衛隊員になる者が少なくなるが、自民党政治が長期化すれば、徴兵制度が復活するかもしれない。この国の青少年たちは、そのようなことを考えたことがあるのだろうか。自分達の将来のためにも、政治をしっかり見張っていてほしいものである。


追記(8月12日)

自衛隊内での陰湿な虐めが問題になっているが、戦前の軍隊での新兵虐めは、常軌を逸したレベルのものだったことが知られている。徴兵制下の軍隊になれば、たとえ民主主義の国になっていようと、戦前の軍隊同様に異常な世界になるかも知れない。国民の多くが政治に無関心であり、選挙の投票率が悪いままに推移していった先には、徴兵制度が復活する日が訪れるかも知れない。青少年諸君は、そのことを考えておいた方がよさそうである。

       


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