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会社などに大きな電子計算機室があった時代 [雑感]

8月23日に投稿した記事「卒業研究で使った機械式計算機」を書いているとき、以前に勤務していた会社の電子計算機室が思い出された。


私が就職した当時の会社には、電子計算機室なる空調された部署があり(他の職場にはまだ空調がなく、とくに最上階の職場では、夏の暑さに苦労したものである。)、大きな電子計算機が設置されていた。装置が大がかりなものであるうえに、多くの電力を使うので、空調された専用の部屋を必要としたのであろう。もしかすると、働く人間よりも、熱から機器を守るためだったのかも知れない。

その当時はキーパンチャーなる役職があり、紙のカードにデータを打ち込んでいた(孔をあける)。その紙を計算機にセットしてデータを読み込ませ、取り込まれたデータを磁気テープに記録させる。電子計算機によるデータの処理は、磁気テープを送りながら行われるので、その能力は、現在のパソコンどころか、高機能の電卓にも及ばないものだったに違いない。


NECのPC8000シリーズと富士通のFM7シリーズが発売されたのは、昭和時代の後期であった。その後の急速なパソコンの発展が、企業の広い電算室を不要にしたと思えるのだが、その時期はいつ頃だっただろうか。いずれにしても、昭和時代の後期まで、企業などでは大きな電子計算機が使われていた。


今のパソコンからは想像もできないほど巨大な電子計算機が、部屋の広い面積を専有していたのだが、その情景を若い人たちには想像すらできないだろう。半導体技術の進歩とその応用技術は、電子計算機を大きく変革し、狭い机が昔の電子計算機室の役割を果たすに至った。昔の電子計算機室で働いていた人たちは、どんな思いを抱いていることだろう。かつて撮像管に関わっていた私もまた、小さな携帯電話で撮影したハイビジョン画像に、感無量の感をおぼえる。50年前のテレビ用カラーカメラは、ひとりでは持ち運べないほどに重いものだった。


先日の記事「卒業研究で使った機械式計算機」に続いて、懐古談と呼べそうな記事になった。テレビやコンピューターにかぎらず、発展し続ける技術に関わっていた人は、数十年での激しい進化の過程を、感慨深く振り返っていることだろう。

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