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武本昌三氏のホームページ「ともしび」に掲載された記事の紹介 [人生]

元大学教授武本昌三氏のホームページ「ともしび」には、様々な分野に関する記事が掲載されているのだが、武本氏が最も心血を注いで記されているのは、精神世界に関わる記事である。


武本氏の願いを応援させていただくべく、昨日10月28日に投稿された「黄昏の道を歩みつつ想うこと」なる記事を、ここで紹介することにした。武本氏の了承は得ていないのだが、お咎めはないはずである。


武本昌三氏のホームページ「ともしび」より


       黄昏の道を歩みつつ想うこと(10月28日投稿になる記事の全文 )


  生と死については、人々は、昔も今も無明の闇のなかで悩み苦しみ、ひたすらに死ぬことに怯え続けてきた。かつて空海は、それを、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し」と嘆じた。(『秘蔵宝鑰』) しかし今は、その気にさえなれば、私たちは誰でも容易に、シルバー・バーチの「人は死なない」という単純明快で極めて重大な霊的真理に接することができる。それは、現代の奇跡と言っても決して過言ではないであろう。
   私は、これまでの一六年間、それらの奇跡のことばをホームページの「学びの栞」に分類し、「霊訓原文」や「叡知の言葉」、「今日の言葉」などを添えて紹介してきた。「メール交歓」で数多くの質問にも私なりに答えてきた。私個人の転生を含む霊的体験についても、「霊界からのメッセージ」や講演集、著書などで伝えようとしてきた。それでも世間にはまだ、シルバー・バーチに気がつかない人も多いし、私のことばを耳にしても、妄言の類いとして聞き流されてしまうこともあるのかもしれない。
  かつてアメリカのシカゴ大学精神医学部教授を勤め、末期がん患者のターミナル・ケアの世界的な権威として有名であったエリザベス・キューブラー・ロス博士 (1926ー2004) は、患者の臨死体験の例を二万件も集めて、生命は不滅であり、人間は「死んでも」永遠に生き続けることを人々に説いてまわったことがあった。
  しかし、やがて、彼女は悟るようになる。人間は死後も生き続ける、本来、死というものはないのだということは、聞く耳を持った人なら彼女の話を聞かなくてもわかっている。だがその一方で、その事実を信じようとしない人たちには、二万はおろか百万の実例を示しても、臨死体験などというものは脳のなかの酸素欠乏が生み出した幻想にすぎない、と言い張るのである。そこで彼女は、臨死体験の例を集めて「死後の生」を証明しようとする努力をついに二万件でやめてしまった。その彼女が、少し自嘲気味にこう洩らしている。「わかろうとしない人が信じてくれなくても、もうそんなことはどうでもよいのです。どうせ彼らだって、死ねばわかることですから。」(『死ぬ瞬間と臨死体験』鈴木晶訳、読売新聞社、1997年、p.129)
   同じく医師で、2011年に 『人は死なないーある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』を出版して以来、熱心に霊的真理の啓蒙活動を続けている東大名誉教授の矢作直樹さんは、私にとっては力強い同調者であるが、その彼も、「人間は死ぬと終わり、この人生が唯一の人生と頑なに信じている人に、あの世の話や転生の話をしたところで、その人との関係が悪化するだけである。わかろうとしない人にわからせる方法はない」と匙を投げている。(『悩まないーあるがままで今を生きる』ダイヤモンド社、2014年、p.114ー115 )
  やはり、霊的真理を受け容れる魂の準備が整うためには、厳しい試練が必要なのであろうか。しかし、それでも真理は真理である。まわりに生と死について悩み苦しんでいる人があれば、私はその真理を伝えていこうと努めてきた。
  ただ、それは決して平坦な道ではなかった。世間の常識からはみ出して、霊界とか死後の世界などのことを語り続けていくうちに、大学教授としてあるまじきことであると私から去っていった教え子たちもいる。人のために尽くすことが宗教であるという信念で、貧しい人々を金銭的に援助し続けるというのも、家族への配慮が欠けるようなことがあれば、深刻な軋轢を生みだしかねない。世間は甘くはないのである。「わかろうとしない人にわからせる方法はない」と、私もまたつぶやきそうになりながら、今は、この人生最後の「教材」に向き合っている。
 おそらく、このような霊的真理をめぐる周辺との齟齬・葛藤もまた、私にとっては残された必要な学びなのであろう。本欄のNo.187 (2019.07.15)でもすでに述べてきたように、「起こっていることはすべて良いことである」と受け止めていかねばならないと肝に銘じている。


 *(最近、「生と死の真実を求めて」と題する70ページの小著を書き、印刷・製本して遺すことにした。上記の文は、この小著の「おわりに」の一部に若干の修正を加えたものである。)


どうしたわけか、私にはもともと霊的なことがらに関心があった。そんな私が、30代の中頃に繰り返し不思議な体験をすることになった。そのために、精神世界に関わる書物をよみあさり、ついには日本心霊科学協会を訪ねるに至った(付記1参照)。そのようにして、霊魂が実在することを確信することになった私は、自分が書いた小説「防風林の松」「造花の香り」(いずれも本ブログの左の欄にて概要を紹介している)の中に、霊に関わる文章を加えることにしたし、このブログでも幾度か記事にしている(付記2参照)。とはいえ、武本氏が抱かれている使命感には遠く及ばないのが実情である。縁あってこの記事を読んでくださった方には、武本氏のホームページ「ともしび」を訪問して頂きたいと願っている。  


付記1

付記2

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