SSブログ

将来の日本人ノーベル章受賞者 [政治および社会]

12月12日に投稿した「日本が経済大国であり続けるためには」の続きです。


ダイアモンドオンラインに掲載された、野口悠紀雄氏による「日本の国力がアジアで低下、このままでは韓国にも追い抜かれる理由」なる記事の後半に、次のような文章がある。


  「今世紀に入ってからのノーベル賞の受賞者数が、アメリカに次いで世界第2位になった」と報道された。これと、上で見た(日本の)大学・大学院の状況(イギリスの高等教育専門誌Times Higher Educationが公表した2019年9月、20年の「THE世界大学ランキング」では、日本でトップの東大ですら、中国、韓国、香港、シンガポールの大学よりもかなり低く評価されている。)は、あまりに乖離している。なぜだろうか?
 それは、ノーベル賞は、過去の研究成果に対して与えられるものだからだ。日本の研究レベルは、1980年頃には、世界のトップレベルにあったのだ。
 大学の給与で見ても、80年代から90年代にかけては、日本の大学の給与のほうが、アメリカより高かった。アメリカ人の学者が、「日本に来たいが、生活費が高くて来られない」と言っていた。そして、日本の学者は、アメリカの大学から招聘されても、給与が大幅に下がるので、行きたがらなかった。ノーベル賞に表れているのは、この頃の事情なのだ。ところが、給与の状況は、現在ではまったく逆転している。
 日本経済新聞(2018年12月23日付)によれば、東京大学教授の平均給与は2017年度で約1200万円だ。ところが、カリフォルニア大学バークレー校の経済学部教授の平均給与は約35万ドル(約3900万円)で、東大の3倍超だ。中には58万ドルを得た准教授もいる。アジアでも、香港の給与は日本の約2倍であり、シンガポールはさらに高いと言われる。これでは、学者が日本に集まるはずはない。優秀な人材は海外に行く。
 ノーベル賞は過去を表し、1人当たりGDPは現在を、そして大学の状況が未来を表しているのである。
 日本の給与が低いという問題は、大学に限られたものではない。2年前のことだが、グーグルは、自動運転車を開発しているあるエンジニアに対して、1億2000万ドル(133億円)ものボーナスを与えた。これは極端な例としても、自動運転などの最先端分野の専門家は、極めて高い報酬を得ている。
 世界がこうした状態では、日本国内では有能な専門家や研究者を集められない。トヨタが自動運転の研究所トヨタ・リサーチ・インスティテュートをアメリカ西海岸のシリコンバレーに作ったのは当然のことだ。
 最近では、中国の最先端企業が、高度IT人材を高い給与で雇っている。中国の通信機器メーカーのファーウェイは、博士号を持つ新卒者に対し、最大約200万元(約3100万円)の年俸を提示した(日本経済新聞、7月25日付)。朝日新聞(2019年11月30日付)によると、今年、ロシアの学生を年1500万ルーブル(約2600万円)で採用した。CIO(最高情報責任者)の年収は、日本が1700万~2500万円であるのに対して、中国では2330万~4660万円となっている。
 日本の経済力が落ちるから、専門家を集められず開発力が落ちる、そして、開発力が落ちるから経済力が落ちる。このような悪循環に陥ってしまっている。これは、科学技術政策や学術政策に限定された問題ではない。日本経済全体の問題である。この状態に、一刻も早く歯止めをかけなければならない。(早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問 野口悠紀雄)


自然科学部門のノーベル章受賞者は、たしかに過去の業績によって授賞しているのだが、その受賞者たちは必ずしも多額の研究費と飛び抜けて良い研究環境に恵まれていたわけではない。研究に対して強い情熱を抱き、執念を燃やして努力した結果がノーベル賞をもたらしたはずである。その典型的な例が、ノーベル化学賞を受賞した吉野 彰氏(元旭化成の社員)や島津製作所の田中耕一氏であり、物理学賞の中村修二氏である。中村氏の青色発光ダイオード開発は、昭和31年創業の日亜化学工業(徳島県)でなされたもので、多額の開発費を使える大企業ではなかった。


かつては「電子立国日本」なる言葉があった。半導体技術で世界の先端を行き、半導体製品で圧倒的なシェアを占めていた日本だが、今では韓国や中国の後塵を拝すに至っている。日本の会社が高収益を得ておりながら、社員の給与を抑制していたところ、韓国などの会社が日本の技術者たちに誘いかけ、高額の報酬を餌に技術情報を手に入れた。週末の韓国行き飛行機には、韓国に技術情報を与える目的で訪韓する技術者たちが乗っていたという。最高度の情報を得た韓国の企業は、価格を武器に急速にシェアを伸ばし、日本の企業を圧迫するに至った。


野口氏の主張に同意できるところもあるが、全面的には賛成できかねる。大学のレベルが相対的に低下した主な原因は、大学の教育研究環境と文部行政のあり方、そして、研究者を目指す学生たちの心理にあるのではなかろうか。官僚の世界と同様に、教育研究の世界にも、文部省の意向や、周りや上からの目線を気にする風潮がはびこっていないだろうか。大学の研究者にとって望ましいのは、他事にとらわれることなく研究に打ち込めることだろう。短期間に論文を発表しなければ評価されないような大学で、大きな研究成果は得られないだろう。


給与の改善や研究費の増額だけで改善できるとは思えないが、台頭する諸国に対応するためには、経費を苦にしないですむだけの研究費は必要である。国税の無駄使いを改善すれば、研究費の大幅な増額が可能であろう。トランプにおもねって費やされる巨額の軍備費。洪水対策には堤防強化がより有効であるにも関わらず、巨大な金額を注いでなされるダムの建設。ダムが存在しておりながら繰り返される洪水被害。膨大な費用を要す見込みとなった沖縄辺野古の埋め立て。不必要な「桜を見る会」に5000万円以上を国税から支出。利権がらみの自民党政治では、多くの税が無駄に使われていることだろう。


日本の今と将来に暗雲をもたらしてきた自民党には、政治を改革しようとの自覚がなさそうである。民主党政権には稚拙なところがあったにしても、「コンクリートから人に」なるスローガンには、賛同できるところがあった。政権の交代がなったなら、政権運営に不慣れなゆえに稚拙なところがあろうと、日本の将来にとって有益だろう。自民党政治で利益を得てきた大企業と富裕層には喜ばれないだろうが。


ここまで書いて投稿しようと思い、記事を読み返したら、タイトルから離れた内容になっている。私が言いたかったのは、「大学や企業の研究者たちが、研究や開発に情熱をもって取り組み、目標に向かって執念を燃やせるような環境を作ることが、ノーベル賞につながる成果をもたらすだろう」ということである。さらに、多くの高校生以下の少年たちが、将来の研究者を夢見るような社会風土となれば、日本にとってより好ましいことだが。



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。