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戦地での体験を語った物理学の先生 [政治および社会]

高校時代の物理学の授業で、授業の内容よりも強く印象に残っていることがある。担当の横山先生が、授業中にいきなり授業とは関わりのないことを話し始められた。そのようなことが2度あったのだが、最初はノモンハン事件に関わることで、別の日には南方の島で飢に苦しんだ体験だった。


ノモンハン事件(事件と称されてはいるが実態はソ連・モンゴル連合軍との戦争状態)でソ連軍の戦車に苦しめられたこと、そして、南洋の島では飢に苦しんだ経験が語られたのだが、ことに飢に関わる話が強く印象に残っている。先生は語られた、「食い物が極度に不足した状況が続くと、人間は骸骨のような姿になる。身体じゅうの肉が消えてしまって、骨の上に皮膚が張り付いたようになるんだ」と。


いま振り返って見ると、その話を聞かされたのは、戦争が終わって10年が経った年である。仲間を餓死で失いながらも生還できたその先生には、10年前の、生々しく切実な体験だったはずである。日本軍の戦地での戦没者はおよそ230万人とされているが、その60%以上が餓死によるものとされている。


ガダルカナル島での戦いが振り返られるとき、その島はガ島と呼ばれることがある。多くの日本将兵が極度の飢に苦しんだその島は、戦後にはしばしば、ガ島に代えて餓島と呼ばれることになった。開戦から1年も経たないうちに、日本軍は制海権と制空権をともに失い、ガダルカナル島のみならず、多くの戦場に飢餓をもたらした。太平洋の島で苦しんだ物理学の先生も、そのひとりだったことになる。軍の上層部は敗戦必至と理解しておりながら(当然理解できたはずの実情を把握できていなかったなら、異常なまでに無能力な指導者たちだったことになる)戦争を継続し、100万人以上の軍人を餓死させ、日本の多くの都市を焼け野原にされ、原爆の被災をもたらし、ソ連軍による介入をもたらしたあげくに、最も悲惨な形で敗戦の日を迎えた。


全国の都市が空襲にさらされ、戦場では敗北を重ねておりながら、日本は特攻隊を出撃させ、国民の戦意向上のために「1億総特攻」の檄をとばした。本土決戦を呼号し、女にまで竹槍の訓練をさせた。そのような歴史上の事実を聞かされても、今の若い人たちには信じられないだろう。過ちを犯すような者に舵取りをまかせた結果、国民のみならず周辺国の民衆に、多大な不幸をもたらした。

          

ノモンハン戦争で生き残った横山先生は、太平洋戦争に際して南洋の島に送られ、再び苦しい体験を強いられた。自らの体験を語られるだけで、戦争に対する怒りは口にされなかったのだが、その胸の内には、無謀な戦争を引き起こしたあげくに、最も愚かな形で敗戦に導いた者たちに対して、強い憎しみの感情があったにちがいない。戦地で苦しんだ者にかぎらず、戦争による痛苦を体験した日本人の全てが、戦争を憎む気持ちを抱いていたはずである。小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバー参照。小説投稿サイト「カクヨム」や「小説家になろう」にも投稿されており、自由に読めるようになっている)は特攻隊員を主人公とする恋愛小説だが、「反戦平和にとって重要な要素に戦争を憎む感情がある」ことも、小説のテーマのひつとになっている。戦争での体験を語った横山先生にかぎらず、あの戦争による痛苦と悲劇を体験した者たちの全ては、戦争を強く憎んでいた。戦争を体験した者がいなくなる時代がきても、「戦争を憎む感情」を残したい。反戦平和に最も役立つことのひとつと思えるのだから。


2019年9月19日に投稿した記事「田中角栄の言葉を聞かせたい国会議員たち」に書いたように、今では国会議員の多くが戦後生まれである。安倍内閣の所業を振り返ると、田中元首相の危惧したことが現実になったと思わざるをえない。菅新政権は安倍政治を引き継ぐという。戦争を知る高齢者たちは、不安を胸に見守ることになりそうである。若い世代がもっと政治に関心をもち、政治のありようを見張ってくれないものか、と願っている。ネットに流れる情報に振り回されないためにも、新聞や書物に親しんでもらいたいものである。


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