SSブログ

ニュース映画が上映されていた時代 [雑感]

1月29日に投稿した「昭和天皇を見た遠い日のこと」に関連する記事です。
 出雲市の高校に入るまで、私は映画館で映画を見たことがなかった。昭和20年代のそれまでは、1月29日に投稿した「昭和天皇を見た遠い日のこと」に書いたように、小学校の講堂で上映される映画(当時は村人から「活動」と呼ばれていた)しか見たことがなかったのである。
 高校在学中に見たのは一度だけで、エリザベス女王の戴冠式を記録した映画だった。同級生たちとともに見たのだが、先生に引率されていたように記憶している(あいまいなる記憶によれば)。高校2年生だった昭和29年のときで、戦後の日本が主権を回復してから2年後のことだから、占領統治の残渣が色濃く残っていた頃だろう。
 日本でテレビの放送が始まったのは昭和28年だが、あまりにも高価なために、昭和33年になっても、普及率は16%だったという。そのような時代だったから、動画によるニュースを受け持っていたのは、映画館で上映されるニュース映画であった。昭和30年代に映画館に入ると、劇映画が始まる前にニュース映画が上映されたものである。
 初めて映画館に入ったその日も、最初に上映されたのはニュース映画だったはずだが、どんなニュースだったのかまったくおぼえていない。目的だったエリザベス女王戴冠式についても、若い女王が、大主教の手にしたものを見ながら宣誓する姿と、馬車による行列の場面しか記憶に残っていない。
 鉄道列車の利用者が多かった時代だったけれども、山陰本線の旅客列車は数時間おきに運行されていた(山陰本線で運行される列車の本数は、いまも60年前とほぼ同じである。地方では都会以上に車が有用であり、JRの利用者は少ない。いま運行されているのは、2両編成のディーゼルカーである。)。汽車に乗り遅れると数時間も待たねばならないので、列車通学の生徒は、授業が終わると急いで駅に向かったものである。当時の出雲市には幾つかの映画館があったのだが、10人ほどの列車通学の同級生は、映画館に向かうことなく駅に向かった。列車通学しない生徒(その方が多かった)の中には、映画を見る者がかなりいたのかも知れない。学校で映画が話題になったこともあったが、映画名をおぼえているのは、「シェーン」と「第三の男」だけである。
 きょうのブログで書きたかったのは、「ニュース映画が大きな存在価値を有した時代があった」ことだが、私の思い出を書く結果になった。



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。