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特攻隊について語った国民学校1年生担任の女教師 [特攻隊]

私は特攻隊に関わる小説「造花の香り」(本ブログの左サイドバー参照)を書いただけでなく、ブログでも繰り返し、特攻隊のことを取り上げてきた。その理由のひとつを書いたのが、2015年10月16日に投稿した記事「特攻隊要員の搭乗機を見送った日のこと」である。


 小説「造花の香り」のあとがきにも書いたが、初めて特攻隊のことを知らされたのは、小学校(戦前には国民学校と呼ばれていた)1年生の10月であった(付記参照)。担任の若い女の先生が、悲痛な声音と表情で語ってくださったのだが、まだ6歳だった私には、先生の気持ちを受け止めることができなかった。そうであろうと、そのときの先生の声と表情だけでなく、教室の中の情景などを、今でも鮮明に記憶している。ということは、やはり、先生の気持ちが伝わってきていた、ということであろうか。
                                                   
 学生時代のある日、寮の部屋で同室者と特攻隊について話したことがある。ごく短時間のことであり、そのきっかけも、話した内容についても、記憶はあいまいである。そのようなことを話題にしたのだから、昭和30年代の学生の中には、特攻隊に関心をもつ者がいたということである。多くの特攻隊が出撃していたのは、わづか10年あまり前のことだったのだから。
 
心のどこかで特攻隊に関心を抱き続けていた私は、「特攻の真実」(深堀道義著 原書房刊)なる書物を買った。裏表紙に記された日付によれば2003年3月である。
 
 「特攻の真実」に続いて、特攻隊に関わる幾つもの書物を読むことになった。そのなかに、2月20日の投稿記事「特攻隊員穴沢利夫少尉の笑顔」に書いた森岡清美著「若き特攻隊員と太平洋戦争」(吉川弘文館)があった。幾つもの特攻隊に関わる書物を読んだ私は、「造花の香り」なる小説を書くに至った。そこに至る過程を書いたのが、2月28日に投稿した「特攻隊員穴沢利夫少尉の悲恋に想を得た小説」である。
 
特攻隊のことを話してくださった先生は、「日本の軍人たちが、爆弾を積んだ飛行機もろとも体当たりして、敵の軍艦を沈めた」と語られたのだが、その戦果を喜ぶ言葉はなく、沈んだ口調で事実を語られただけだった。まだ幼い1年生に向かって、どんな思いを胸に語られたのだろうか、と思う。
 
話を聞かされたときの私は、心をさほどに大きくは動かされず、先生の表情と口調がむしろ印象に残った。とはいえ、特攻隊について抱き続けた関心の源は、「国民学校1年生の担任だったうら若い先生の、悲痛な思いのこもった表情と声」にあったと思う。
                                         
付記
特攻隊の出撃が新聞報道されたのは、フィリピンで最初の特攻隊が出撃してまもない昭和19年10月29日(日曜日)だったという。私が担任の先生から特攻隊のことを聞かされたのは、月曜日の10月30日だったと思われる。                                                                                                                                                           

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