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自分の過去の仕事に関わる記事を発見 [雑感]

3月8日に投稿した「意味のある偶然の一致に関する追加記事」に、HS201なる撮像管のことを書いた。ことのついでに、インターネットで「HS201」を検索してみたところ、おもしろい記事が見つかった。「X線テレビにおける運動と残像の一実験」と題された研究報告で、筆者は日立亀戸工場の野田峰男という人である。論文の上部には「1967 年 1967 巻 14 号 p. 17-20」とある。末尾に記されている質疑応答のやりとりには、次のような言葉が記されている。
                                                                                                                                                
渡辺:I.I.およびビジコンはどこのものですか。
野田:I.I.はphilips製、ビジコンは芝電製HS-201です。
                                                                                                                                                
実験に用いたI.I.(イメージインテンシファイアー)とビジコンのメーカーを問われた野田氏は、I.I.はオランダのフィリップス社製、ビジコンは芝電気製のHS201であると答えている。
                                                   
この論文が掲載されているのは、学会で発表したものを纏めた冊子と思われる。私がHS201を開発し(「技術開発をチームで推進する場合の問題点……私の経験より(2015.8.27)」「インターネットで再会! 自分がかつて開発した製品の写真に(2016.11.6)」参照)、会社から賞金をもらったのは1965年のはずだから、その2年後の1967年に上記の論文が発表されたことになる。その頃のHS201につけられていたのは、芝電気(1973年に日立電子に吸収合併された)のロゴであるShibadenであった。上記の論文に「芝電製」とあるのはそのためである。
                                                   
本ブログに投稿した記事「インターネットで再会! 自分がかつて開発した製品の写真に(2016.11.6)」や「技術開発をチームで推進する場合の問題点……私の経験より(2015.8.27)」に書いたように、HS201はX線テレビ装置用として、日立レントゲン社(その後社名を日立メディコに変えたが、現在は日立製作所に吸収合併されているらしい)に納入されていた。「X線テレビにおける運動と残像の一実験」なる論文は1967年に発表されているが、その頃に、HS201は日立レントゲン社に納入され始めたのであろう。
                                                   
芝電気という会社は、放送用テレビカメラや、放送局用のビデオテープレコーダーなど、放送機器に強みを持つ会社で、テレビの撮影に使われる撮像管も作っていた。芝電気は、放送局で使われるビデオレコーダーを日本で最初に実用化した会社であり、東京オリンピックでの、世界初となるスローモーション再生の放送に寄与している。体操競技などのスロー再生映像を観て、技術の進歩に感じ入ったものである。
                                                   
放送局用のビデオテープレコーダーが実用化されたことにより、番組の製作方法が大きく変わることになった。昭和30年代の人気番組「夢で会いましょう」は、スタジオからの生放送で行われていたし、テレビドラマも生放送か映画収録の形で行われていたのだが、ビデオテープレコーダーが使われるようになると、録画収録して制作できるようになった。
                                                   
その当時の放送に使われた撮像管は、イメージオルシコンという大きな真空管であり真空管【撮像管】物語」なるサイトには、イメージオルシコンの写真も載っている)、カメラは今とは比較にならないほど、大きくて重いものだった(昭和50年頃には、オランダのフィリップス社が開発したプランビコンなる撮像管が使われるようになり、放送用のカメラも小型で軽量になったが、それでもなお、50Kgを超える重量だったという)。持ち運ぶことはできず、カメラはキャスター付の大きな雲台か3脚に搭載されていた。私が関わったビジコンは、イメージオルシコンよりはるかに小型の撮像管だったが、放送用としては映画などのフィルム放送だけに使われ、監視カメラなどの工業用テレビ(監視用テレビなど、放送以外の分野に使われるテレビの総称)が主な用途であった。日立や東芝など幾つものメーカーが、アメリカのRCA社とノウハウ契約してビジコンを作っていたのだが、日立レントゲン社がX線テレビ装置に採用したのは、感度に勝れた芝電製のHS201だった。開発に関わった私は、そこに至る経緯をまったく知らなかったのだが。
                                                   
インターネットで様々な事柄を検索調査できるようになり、はるか以前に自分が関わった仕事に関する情報を得ることができた。まだ20代の中頃で、仕事に情熱を燃やしていた頃の自分を思い出しつつ、きょうの記事を書いた。
                                         
付記
昭和60年代になると、半導体素子が撮像管の座を奪い、テレビカメラは一気に小型で軽量なものとなった。性能や使い勝手に改良が加えられ、今では携帯電話やスマホで動画が撮影されるようになっている。撮像管に関わった者の一人として、今昔の感を強く感じる。わづか20年で、テレビやカメラに関する技術は様変わりした。
 


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