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宮沢賢治は理系と文系の垣根を越えていた [雑感]

2月10日の朝日新聞「天声人語」は、宮沢賢治の科学知識を取り上げている。その記事は次のように書き始められている。
                                                                                                                      
『春と修羅』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝説』。愛してやまない宮沢賢治の作品世界だが、初めて読んだ子ども時代に戸惑ったことが1つある。難解な科学用語だ。たとえば銀河鉄道の車窓から見た「サソリの火」。<リチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えている>と賢治は書くのだが、リチウムの色を知らない。光を中にたたえた水晶、なるものが実在するかどうか判然としない。大人になって再読しても、同じところでつまずいた。
                                           
石川県の大学と高校で理科を教える四ケ浦弘さんは、宮沢賢治が詩や童話で描いた科学現象を実験で再現する出前講義を続けているという。天声人語子は四ケ浦さんを訪ね、実験を見せてもらったという。リチウムよりもうつくしいサソリの火は、リチウムの炎色反応で見られる紅色。水晶の棒をこすって発する黄金色の光。「賢治はすぐれた理科の教師でもあった。特に元素や鉱物、天体の知識の豊かさには驚かされます」と四ケ浦弘さん。
                                           
天声人語の記事は次の文章で終わっている。
                                           
 <私は詩人としては自信がありませんけれども、一個のサイエンティストとしてだけは認めていただきたい>。賢治が残した言葉である。理系と文系の垣根を自在に乗り越えた詩人の思考の一端を少しだけ理解できた気がした。
                                           
かなり以前のことだが、名古屋で開催された「宮沢賢治展」にて、賢治に関わる事物を見たことがある。有名な「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・・・・」が記された手帳や、賢治愛用のチェロが印象に残っている。私はそのチェロを見ながら「セロ弾きのゴーシュ」を思い出した。詩や童話を創り、音楽に親しみ、農業技術の改良に取り組み、科学に対する知識欲を抱いていた賢治は、最も著名な日本人のひとりとはいえ、生前には評価されることなく、37歳の若さで没している。賢治がせめて60代まで生きたなら、そしてモーツアルトが60歳まで生きていたなら、そして・・・・・・と思う。


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